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【番外編】幼馴染みが留学している
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しおりを挟む借りていた「スラムダンク」と夏休みの宿題を持ってルイの家に行くとお母さんが出迎えてくれた。「ごめんねー、待っている間に寝ちゃったみたい。上で寝ているから、起こして大丈夫だからね」と俺に言った後、ボーイズの練習があると言って、ミズノのエナメルバッグを持ったルイの弟、ユニフォーム姿のアサヒを連れて慌ただしく出ていってしまった。「いってらっしゃい」と声をかけても、アサヒは会釈しただけだった。昔はルイにくっついて来て、俺ともたまに遊んでいたけど、中学に上がってからはなんだか素っ気ない。
二階に上がって、ルイとアサヒの部屋へ行くと、ドアが開けっ放しで扇風機が回るブーンという音だけが微かに聞こえた。いつも、誰かがいて賑やかな早川家がこんなに静かなのは珍しい。
ルイは自分の腕を枕にして、フローリングの床に体の右側を下にして横になった状態で寝ていた。ルイの側には宿題と俺が読んだことのないマンガが置いてある。ルイのお母さんが「待っている間に寝ちゃった」と言うのはどうやら本当みたいだった。
どのくらい寝ているのかはわからなかったけれど、汗のせいかフォークみたく細かい束になった前髪が額に張り付いていた。午後の授業の時、たまにこういうふうに居眠りして、先生に突っつかれて飛び起きているのを見たことがある。
お腹いっぱい朝ごはんを食べて眠くなったのかな、と思いながら寝ているルイを眺めていた。よく眠ってはいるけど、暑さのせいで寝苦しいのか顔をしかめている。
開けっ放しだった部屋のドアを閉めてから、ルイの側に寝転んだ。寝ている時ならいくら見つめていても変に思われないし、起こさないでずっとこうしていたい。
喉仏がほとんどない顎から首にかけての滑らかなラインに触りたかった。もう中学二年になるのに変声期がまだ来ないのをルイは気にしている。細くてつるっとした首は、いつか失われる幼さの象徴だと思うと、一層眩しいものに見えた。
寝ている今は可愛い顔をしているけど……最近、ルイは反抗期だ。 ちょっと前までお母さんお母さんって、ベタベタしていたし、まだまだ子供っぽいと思っていたのに。
この前、ルイの部屋で宿題をしていたら、ルイとお母さんが階下でケンカをしているのが聞こえてきた。
「なんで俺ばっかり怒るんだよ! ……お母さんだって俺に嘘つくじゃん! うっせーよ、ババア!」
「誰がババアだって? 親に向かってよくそんなことが言えるね!」と言う、お母さんの全然怯んでいない大きな声も聞こえて、えっ、と思って固まっていたら、しばらくしてルイが戻ってきて「はー……ムカつく」とふて腐れていた。
自分ではどうしようも出来ないくらいイライラしてお母さんに反発している姿は、子供から大人に成長しようとする中で必死にもがいているみたいだった。中学生の反抗期なんて、大人からしたら生意気で可愛くないものなのだろうけど、俺は自分の成長に戸惑っているルイが可愛かったし……そういうルイに性的なことを吹き込んでいる時はひどく興奮した。
ちょっとずつ自分の側で変わっていくルイが愛おしくてたまらなかった。クークーと静かな呼吸を繰り返す寝顔を見ていたら、ふふって微笑みたくなるくらいに。
しばらくすると、「うう…」と短く唸った後、身体が痛いのか何度か身じろぎしてから、ルイがパチリと目を開いた。
「……えっ、近い」
そう呟いた顔は、俺を見て驚いているようだった。まだ、ぼうっとしているのか怪訝そうな様子で数秒程黙っていた。
「……なんで、俺の側で寝てるんだよ!」
「起きるまで待ってようと思って……嫌だった?」
「急に側で寝てたらビックリするし……ほら、あれ……パーソナルスペースだっ!」
覚えたばっかりの言葉を使っちゃって、と思ったけど黙っておいた。
なんで、と聞かれたら「ルイが好きだから」と言うしかなかった。ただ、それだけだった。けれど、これを言えばルイをきっと困らせる。
もっと小さい頃は同じ布団で寝たりもしていたのに、いつの間にかそういうことを嫌がるようになっている。もう十四歳になるし仕方ないとはわかっているけど、悲しかった。
けれど、それで素直に諦められるかと言えばそうではなくて、べつに身体に触ったりしたわけじゃないのに、せめて側で寝るくらいは許してほしいと思う自分がいた。
「同性の友達にしては距離が近すぎる」ということに違和感を覚えさせないためには、俺のする行動にいちいち理由があると気づかれてはいけない。ルイに「ヒカルはそういう人間なんだ」と思わせる必要があった。
「………ごめん。俺一人っ子だから、そういう距離感とかわからなくて。嫌だったよね」
「え、あ、そういうわけじゃ……」
必要以上に悲しい顔をして謝ったら、優しいルイは途端にオロオロしだした。
「ルイは兄弟がいっぱいいて、いいな。弟欲しいって言ってもウチの親仲悪いじゃん? だから、ルイの家が羨ましくて……」
「え……」
「兄弟がいなくてもルイがいたから小さい頃は、寂しくなかったけど……。もうこういうことはしない。ごめんね」
「……悪かったよ、怒ったりして」
ほんと? 怒ってない? と何度も確認したら、黙って頷いてくれた。やった、と思っていたけど、もう少し悲しい顔のままルイのことをじっと見つめた。
「じゃあ、またしてもいい?」
「……しょうがねーから、たまにならいい」
「ありがとう」
確かに兄弟がいたらいいだろうな、と思った時期はあったけど、十歳頃にはそんなことどうでもよくなっていた。けれど、ルイはとっても素直だから、信じてくれた。
こうやってちょっとずつ刷り込んでいくことで、他の友達には絶対しないようなことをルイにしてもいちいち「なんで?」と思われなくなった。
二人だけの時にベタベタしたいということについては俺とルイの間のことだからいいとして、問題は学校だった。学校には他の奴らもいるし、ましてや、ルイに「悪い虫」がつかないよう、女もどうにかしないといけない。
俺は顔がよくて身長が高いという理由でただでさえ学校では目立っているのに、しょっちゅう女を取っ替え引っ替えしていたら、ますます耳目を集めてしまう。
そうすると、俺を疎ましく思う奴等も当然出てくるだろうから、一緒にいるルイにまで迷惑がかかってしまう可能性がある。学校でも「ヒカルはそういう人間なんだ」と思われつつ、舐められないようにしないといけなかった。
中学生の世間なんて本当に狭いし、どう思われようが特に気になりはしなかったけど、ルイを困らせるようなことだけはしたくなかったから、俺は「強い男」にならないといけなかった。
たとえ「ヒカルは女たらしだ」と言われたとしても強気に「女が俺を好きなだけだ」と言い返すことは出来るけど、それだけでは駄目だということはわかっている。口だけの奴なんて痛いだけで、強さを裏付ける力を持っている必要があった。
周囲をじっと観察して、どうすれば人の上に立てるだろうか、ということをずっと考えていた。学校で人の上に立っている奴はたいてい、学業成績、運動能力に優れていて、容姿が良いリーダーシップのある人気者だった。
そうか、能力と影響力か、と気がついた。リーダーシップとなると、自分の性格をかなり作り替えないといけなくなるうえに、コツコツ実績を積まないといけないから時間がかかるし難しい。自分に出来る方法で、周囲に俺が与える影響力を示す必要があった。
幸い、勉強は「なぜ、こんなに簡単なことが理解できないんだろう?」とクラスメイトを見て首を捻りたくなるほどどれも簡単に感じられたし、運動も恵まれた体格と運動神経を活かせば誰よりも上手く出来た。本当は野球の方が好きだけど、中学までだったらサッカーの方が、テクニックがなくてもスピードとフィジカルで相手を突破することが出来たので、それを利用して目立つことができた。
ただ、なんでも簡単に出来すぎて本当につまらなかった。唯一楽しかったのはルイが「ヒカルに負けるか」と何にでも勝負を挑んで来る時だった。
一度、体育の授業の100メートル走で手加減して勝たせてあげたのがバレて、丸一日口を利いてくれなくなったから、それからは俺もルイに対してはいつでも本気を出した。何をやっても俺が勝って、その度に「悔しい」と言っていた。悔しい、の後に「やっぱヒカルはすごいな、いいな、かっこいいな」って言ってくれた。他の誰に褒められるよりも嬉しくて価値のあることだった。
ルイの誕生日は三月の終わりだから、あと二週間程遅く産まれて一学年下だったら、きっとその学年では一番足が速くなれただろう。普段、ポンッポンッと地面を軽く弾むような歩き方をするルイの足は、柔軟なバネのようにエネルギーを爪先へ伝え、ものすごい早さで回転しながら力強く地面を蹴る。何より一生懸命だった。俺よりもずっと。それでも、タイムを測れば身体の大きい俺の方がずっと早かった。ルイはよく言っていた。「大きくなりたい」と。
俺は女の目を惹くような容姿をしているから、ルイ以外の男には、「俺と仲良くすればおこぼれが貰えるよ」ということを、それとなく示して、意地悪されないようにすることも忘れなかった。「利益」を与えて良い思いをさせているうちは、危害を加えられないだろうとは思っていたけど、これはかなり効果的だった。大嫌いな女もこういう利用方法があったのかと、この時覚えた。
面倒なことは嫌いだけど、時には舐められないように必要以上に強気に振る舞って相手を威圧しないといけないことも何度かあった。
自分の全てさらけ出して他人と付き合っている人間なんてどこにもいないということはわかっていたし、自分で決めたことだから辛いとかしんどいだなんて思ったことは一度もなかった。弱音を吐いたことだってない。誰も寄せ付けないような「強い男」でいられればそれでよかった。
だから、一度自分で決めたことはやり遂げないといけない。それが、どんなにキツイ時だったとしても。
誰もいないところで何度も深呼吸した。ルイとのことをずっと引きずったままだから、こんな状態で人前に出てプレゼンなんて本当はやりたくないし、家から出ないで休んでいたかった。
けれど、当日になって休むなんてダサいことはもちろん出来るわけがなかった。出来る、と自分で自分に言い聞かせた。たった五分持ちこたえればいい。そうすれば、一度仕切り直して質疑応答に移れる。出来るとか出来ないじゃない、やるしかない。
卒業設計のテーマは南西諸島のM島での高齢者施設の設計にした。卒業設計で高齢者施設を選ぶのは正直華やかさにかけるし地味かな、と迷った。同じゼミ生からも「意外。もっとゴージャスなテーマでいくんじゃないの?」と驚かれた。
どうして南西諸島の小さな離島であるM島にしたかというと、ルイも今暖かいところに住んでいることだし、どこか日本国内で暖かい所は……と探してみたからというのがきっかけだったから深い意味やこだわりは無かった。
高温多湿の亜熱帯海洋性気候、川もなく山もない平坦な地形。年間の観光客数はここ数年常に百万人を突破し、移住者も増加傾向。「リゾート地」としての華やかな部分が目立ったので、外国人観光客向けのラグジュアリーなリゾート施設の提案も悪くないか、と思っていた時、たまたま手に取った新聞の、「M島民の25%が高齢者」という見出しが目に止まった。
もう一度資料や写真を見直してみて、ここに豪勢で華美な施設を建てるのは建築家のエゴだと考えるようになった。果たして、この島の人達はそれを望むだろうか、と。景観から浮きすぎているし、すでにリゾートホテルは島のあちこちに立っている。
そんな場所よりも住んでいる人たちの生活に直接寄り添える場所……おそらく、お年寄りの大半はこの島でずっと暮らすことを望む、地元を大切に思っている人達だ。そういう人達とその家族の人生をより豊かに出来る施設の提案の方が、よっぽど地域の抱える課題解決に繋がると思ってテーマを設定した。
M島は島の中心部が市街地として栄えていて、その周囲を取り囲むように東西南北に集落が存在している。若者のほとんどがその中心部に住んでいるが、高齢者の何割かは、元々住んでいた地域で生活をしている。そのため、親の介護をするために仕事帰りや休日に市街地から子供が戻ってくる、というのが主流のようだった。
今回は軽度から重度までの要介護者を対象とした高齢者施設を提案することにした。旧U町と呼ばれるサトウキビ畑に囲まれた島の東側、かつて小学校のあった跡地を敷地として設定した。島内にはウタキと呼ばれる昔から人々の信仰の対象となっている神聖な場所があちこちに存在しているため、下手に自分の判断で大型の施設を建設出来る場所を見繕うことは出来なかったからだ。小学校と中学校は数年前に近隣の学校と統合されている。子供達はスクールバスに乗って離れた学校へ通い、その両親も農業従事者以外は市街地に働きに出ているから、昼間は高齢者だけが過ごすとても静かな集落だ。
マックでパワーポイントを操作しながら、一つ一つ限られた時間で説明していかないといけない。いつもは誰のことも気にせず自分のペースで出来るのに今日はなぜか、教授やゼミ生一人一人の顔が気になった。全員俺のプレゼンのために時間を割いている。ルイのことで心を乱して酷い発表をするわけにはいかない。マウスを操作する手が震えた。
施設の外観パースをスクリーンに映した。
「外観はRC、中は木造になっています。M島の高齢者の方々は昭和30年代から40年代の猛烈な台風で甚大な被害を受けた記憶が強く残っていて、木造建築に対して非常に強い抵抗感を持っています。島の住宅の95%はRC造りです。ですが、高齢者が入所する介護施設と考えた場合、RC造りの建築物はどうしてもコンクリートが冷たい印象を与えてしまうため、外観にはタイルを施し、中を木造にすることで温かみが感じられるようにしています」
パースを作成するのは、本当はCGの方が得意だけど、それだとどうしても素材感が見えづらいし独特のテラテラした質感になってしまう。それに自然の残る風景と調和するような建物の空気感を伝える必要もあったため、あえて手描きにした。
「入居者、そのご家族両方の気持ちに寄り添った安心して入居出来るための施設として、細部のつくりにも配慮を施しました。例えば、設備の”高さ”です。コンセントや鏡、手すりの位置等はすべて車椅子を利用する方や腰をかがめた場合等を想定して位置を考えてありますが、いかにもな身障者用のデザインというふうにするのではなく、ユニバーサルデザインを随所に取り入れ……」
配慮、寄り添った、安心……ペラペラと口からはそんな言葉が出てきてはいたが、一体そのうちの何を自分はルイにしてやれたのだろうということを考えていた。
「ヒカル、お願いだから女と旅行に行かないで」と必死に頼んでいたルイのことを思い出す。あの時、ルイはどんな気持ちだったんだろう。あんなに辛そうに電話をかけてきて、翌日には一生懸命話をしようとしたルイに対して、俺はなぜ突き放すようなことをして、揺さぶりなんかかけたんだろう。
考えていたら、目に涙が浮かんできて、ヤバいと思った。咄嗟に太ももを思いきりつねって耐えた。ここで折れたら駄目だ。最後までやりきらないと、今ここにいる全員の時間を無駄にすることになる。そんなことは出来ない……。
「食堂は二ヶ所配置しています。理由の一点目は施設内での人間関係に問題が生じたときに適度な距離感をとれるようにしているということ、二点目に、介護レベルが軽度の方が重度レベルの方と食事を共にすると食べこぼし等を目にしてしまい食事をとる意欲が損なわれる、といった現場の声を聞き、介護レベルに合わせて食事をとれるようにもするためです。人間関係に窮屈さを感じさせないよう、ゆとりを持った個人の居住空間を提供し……」
つっかえたり、言葉が途切れたりしないよう、全神経を使った。適度な距離感、なんて俺が口にしていい言葉じゃなかった。ルイはきっといつもそれを望んでいた。
お互い信用しあう関係。俺がいつもそれを台無しにして、その度にきっとルイを何度もガッカリさせた。スライドを切り替えるタイミングで一度目を閉じて、深く息を吸った。
「施設は地域包括ケアシステムの役割を果たせるような機能を持たせており、入居者の方と施設外の方との交流を促す工夫として、児童クラブへの活動場所の提供や保育施設の併設等を可能とした設計となっています。介護施設には入ったら終わり、というイメージを取り払い、世代を越えた交流の出来る開かれた施設を提案します」
プレゼンが終わる頃にはもう建築家になんてなれるわけもない、という考えで頭がいっぱいだった。ルイ一人の気持ちですら汲んでやれないのに、クライアント一人一人の希望に答える設計なんて出来るはずがない。俺には向いてない、辞めよう、ということしか考えられなくなっていた。数日後の役員との最終面接ももうどうでもよくなっていた。
質疑応答や教授の助言を受けて、終わった頃には額に汗が滲んでいた。こんなことは初めてだ。かなり、神経を使ったからどっと疲れた。ゼミが終わった後も「今日の記録を打ち込んでから帰るから」と皆に嘘を言った。
暗い部屋で一人、席から立ちあがることが出来なくなっていた。
皆「ヒカル君、とっても良かったよ」って言ってくれたけど、ただ笑うことしか出来なかった。ルイのことをなるべく考えないようにして気を張った後は、その分のツケが回ってくるのか、一気に気分が落ち込む。こんな状況なのに、ルイと話がしたくてしょうがなかった。
「はー……」
一人になった教室で自分の顔を両手で覆っていると、誰かが戻って来たのかドアが開く音がした。足音が近づいて来て、俺の前で止まる。指の隙間から、ルイがいつも履いているコンバースのオールスターが覗いた。
ルイ?
慌てて顔を上げるとイオリがひょっこり中を覗いていた。
「ヒカルさーん、おつかれっしたー」
「はあ……」
疲れている時に一番会いたくない人間だった。コイツの相手をするエネルギーなんてとっくに残っていなかったから遠慮なく無視をしたのに、ヒョコヒョコと俺の側へやって来る。
「ヒカルさーん、やっぱルイさんとケンカしてますよね? 今日も顔のヤバみが加速してたから、やっぱりー! って俺思っちゃいましたからね! 今日のプレゼンも心ここにあらず感ハンパなかったですよ? 教授や他の人の目は誤魔化せたかもしれないっすけどー、俺は気づいちゃいましたからね!」
わざわざそれを言いに戻って来たのかと思うと殺意が芽生えた。それでも一度相手にすると調子に乗るから、無視してマックを閉じて机を片付けることにした。早く帰りたかった。帰って思いきり泣きたかった。
「ヒカルさん、図星っすか? やっぱルイさんと別れます? ねえ、ヒカルさーん、なんで無視するんすかー。大先輩にパーンチ! シュッシュッ」
「テメエ、いい加減にしろよ」
肩を殴ってきた拳を捕まえてから、手首をぐっと掴んだ。イオリは手自体が大きいからルイに比べると手首も太かった。コイツは見た目だけルイに似ているけど本物じゃないから容赦なくいく、と決意した。
「さっきからなんなんだよ! お前はっ! 本当に殴るぞ」
「……ヒカルさん、なんでそんなキレてんすか?」
「昨日から、ずっと俺のことを引っかき回して……なんなんだよ! いい加減にしろよ、人の気も知らないで……。どうしろって言うんだよ! 俺だって何を言われたって冷静でいられるわけないだろ! 好きでこうなってるわけじゃないのに……! あんな……あんな説明で納得できるか……」
「ヒカルさん……それ俺じゃなくてルイさんに言ってますよね?」
怒鳴られても全く動じずいつものテンションで「もしもーし」と空いている方の手で、俺の顔をつついてきた。指摘されて気づく。イオリにキレているつもりが、ルイにずっと言いたくても言えなかったことを捲したてていたことに。
「ヒカルさん、いつも原稿全部暗記してるんすか?」
「え、そうだけど」
さっきのことが無かったかのように、急に全然関係のないことをイオリが言い出すから、なんだか気味が悪くなって思わず手を離した。イオリは「えー! マジっすか! すっげー」と大げさなリアクションで騒いだ。
「なんで暗記してるんすか?」
「え……だって、その方が時間配分の調整しやすいし」
べつに原稿を見ながらプレゼンをする人を否定するつもりはないからあえて言わなかったけど、ロボットっぽくなってしまうのがあまり好きではないから、いつも原稿は頭に完全に入れていた。
「すげー……俺、ヒカルさんって顔はよくても、ものすごい意地悪でスカしてて、しかも、ルイさんのことを追っかけまわしてるすげーヤバい人だと思ってたんですけどー、ほんと見直しました。ヒカルさん、ちゃんとしてる時はやっぱカッコイイっすね。ルイさんがなんでヒカルさん好きなのかほんのちょっとだけわかりました」
「お前、俺に散々迷惑をかけといてよくそんな事言えるな……」
「いたたたたたた! ヒカルさん痛い、いったい、いちゃあーい!」
手を離した後も左頬を押さえてわめいていた。今日は昨日よりも遥かにムカついていたから本気でいった。本当だったら、膝を入れたいくらいだったけど、大人だからさすがに我慢した。
「わはー! よかったー。ヒカルさん、さっき死にそうだったから、ちょっと心配してたんですけどー、いつもみたいになったから安心しました! もうすぐゼネコンの最終面接っしょ?はい、ファイトファイト!」
「ヒカルさん、これ飲んで元気出して! 取って置きの奴でっす!」とイオリがくれたのは、人口甘味料だけで作った、ケバケバしい色の俺の大嫌いなジュースだった。飲んだら口の中がベトベトするこの手の飲み物を口にすると吐き気がしてしまう。だから「いらない」と断ると、「ヒカルさん、遠慮とかいいからいいから!」と強引に押しつけてくる。
「ヒカルさん、さっさと卒業して就職してくださいね! 俺、帰国したルイさんと一緒に大学通ってヒカルさんから略奪するんで!」
「お前、バカ? ルイは俺のところに帰ってくんだよっ! 俺の家に住むし、俺が稼いだ金でルイが就職するまで食べさせる! 略奪なんか出来るか!」
本心だった。べつに俺の稼ぎで生活させてルイを縛りつけたいと思っているわけではない。オーストラリアで「食欲もないしお金もない」と言って、忙しいのにアルバイトをしているルイがただただ心配だった。だから、帰国したら、安心できる環境でいっぱい勉強させてあげたかった。バイトなんかしなくてもいいし、ルイの家からの仕送りだってストップさせてもいい。俺が就活をしている間、ルイにはずいぶん励ましてもらったから、自分もルイにそうしてあげたかった。
「え! え? え? そーなんですか? じゃあ、ヒカルさんの家を教えてくださいよ!」
「誰が教えるか! 絶対くんな、バカ!」
イオリはウザかったけど、コイツと話している間はルイのことで悩んでいるのを忘れられたし、怒りのボルテージをあげることでテンションを保てている部分もあった。ヘトヘトだったけど、家に着いた時、少し吹っ切れている自分がいた。
暗くひんやりとしたリビングの窓から差し込む満月のこうこうとした明かりが水族館のような青白い空間を演出していた。なんだかんだ、イオリのおかげで元気が出たな、と思う。前にルイに言われた時は否定したけど、弟がいたらこんな感じなんだろうか。
アイツからもらったジュースも一口だけでも飲んでおくか、明日は一応お礼も言おう、たぶん気を遣ってくれたんだろうし明日からもう少し優しくしてやろう、と考えながら缶を開けると、絶対に渡す前に振っただろという勢いで中身が噴出してきた。アイツを明日殺す、と月に誓った。
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