幼馴染みが屈折している

サトー

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【番外編】幼馴染みが留学している

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「ヒカルさん、今日顔ヤバくないっすか?」

 人が模型の写真を撮り直してやっている時にイオリがそんなことを言ってくるから、本気でイラッとした。一眼レフを置いてからイオリの顔をまじまじと見る。本当に思ったことをただ口にしただけというような、子供みたいに無邪気な顔をしていた。

「ヤバくない」
「えー、なんか疲れてません? まさか、明日のプレゼンの準備終わってないですか? 大丈夫っすか? 明日ですよ?」
「とっくに終わってますけど!」
「いたたたたた! ヒカルさん、痛い痛い! すいませんした! 痛いって!」

 肉が取れるかと思った、とイオリが恨めしそうにこっちを見ながら大袈裟に騒いでいる。そんなに強くつねってないのに、ヒカルさん、酷い! とものすごくやかましくなった。昨日ルイとの電話の後、泣きすぎてほとんど眠れてない状態でイオリのわめき声を聞くのは苦痛でしかない。

 そもそも今日は自分の卒業設計を進めようと大学まで来たのに、イオリに捕まってしまったがために、ずっと邪魔されている。しつこく頼まれたからしょうがなくイオリの課題の出来を見てやっているのに、煽ってきて俺を不快にさせるなんて、本当に迷惑な奴だ。
 しかも、課題の出来も最低で、100ヶ所くらい直すところがあった。3Dモデルで描いたイラスト風の外観パースはそれなりに見られるものだったけど、図面はまるでデタラメだった。自分が描いている線が平面なのか断面なのかすら、まるで理解していなさそうだし、縮尺や寸法線の位置を気にしているとも思えない、無計画に勢いで描いたのが丸わかりだった。毎回毎回教授に「次は人間が描いたと思えるものを持ってきてねえ」と言われているのに、よくここまで酷いものが描けるなとある意味感心した。
 作った模型を撮影した写真の構図も下手くそだった。超広角レンズの使い方について、今までに五回も説明したのにいつも「初耳です」みたいな反応をするから、ストレスで俺はこのままだと爆発するかもしれない。

 呆れながらも、それにしてもコイツ……とイオリの顔をまじまじと見た。もう、ケロッとしていて俺が撮った写真のデータを確認しては「ヒカルさん、写真撮るの上手いっすね、スゲー」とはしゃいでいる。
 俺の顔はべつにどこもおかしくなんかない。いつもと同じように仕上がっている。顔を腫らしてたまるかと、意地でも涙は拭わなかったから。イオリみたいに、頭は悪いくせに特有の野生の勘とか本能でそういうのをなぜか察知してくる奴は苦手だ。



「ヒカルさーん」

 イオリの「ヒカルさーん」の言い方は正確に文字化するなら「ヒカルすぁーん」だ。コイツはいつも全部の文字が繋がったようなタラタラした喋り方で話す。プレゼンの後なんかに、すごく聞き取りづらいから人前ではもっとハキハキ話せ、とみんながいないところで何回注意をしても直らない。

 イオリの作った図面を修正したものを見せてやろうと、俺のマックでマウスを連打して見本になる図面を新しく書いていると、それを覗き込んで「ヒカルさん、作図早いっすね! スッゲ! CADだって使いこなせるのに、手描きも上手いっすよね、いいなー」と目を輝かせていた。
 一緒に勉強をしている時に、俺が2D図面データから3Dモデルを作っているのを見て「こんなことも出来るのか? 天才か?」と目を丸くしていたルイによく似ている。

 

「ヒカルさん、ルイさんとケンカしたんすか?」
 
 ルイのことを考えた時に一瞬顔色が曇ったのを見逃さなかったのか、それとも俺の顔が「ヤバイ」ことに対して何か引っかかっていたのか、勉強に飽きたイオリがシャーペンを投げ出してそんなことを聞いてきた。

「してない」
「えー、そうなんすかあ……残念。別れたらすぐ教えてほしいっす! ルイさんとヒカルさんが別れたら、俺にもワンチャンあるんで!」
「……あるか、バカ」
「やっぱオーストラリアに行って告白しよっかなあ……」

「しよっかなあ」でこっちをチラッと見てくるのがムカつく。模型の写真の撮り方については何回教えても全然覚えてこないくせに、俺を煽るセンスだけは本当に天才的だ。

「ルイさんってもともと女が好きなのになんで、ヒカルさんと付き合ってんすか? ヒカルさんって顔は綺麗だけど、身長デカイし、筋肉もあってフツーに男だし、性格キツいし怖いし、なんでルイさんと付き合えてるんだろうなー。……痛い痛い痛い! やめてくださいよ! すいませんしたって! ヒカルさん、ほんとに痛い!」

 こんな奴はどこかの山奥にでも捨てて、家に帰り、何もしたくなかった。ルイに似ているイオリといると昨日の電話のことだって嫌でも思い出すし、今、言われたことはずっと自分が抱えている暗い部分を覗き込まれたような気がするから、とても気分が悪くなった。

「ヒカルさんは女好きなんすよね? 絶対、浮気してますよね?」
「したことないし、女は嫌い」
「えー、嘘だ! だって、100人食ったで有名じゃないすか!」

 100人は食ってない。浮気もしたことはない。

「……勉強しないなら邪魔、帰れ」
 
 キツめにそう言うと、さすがのイオリでも俺がイラついているのを察したのか「わっかりましたあー……」とようやく帰ってくれた。
 一人になった教室で、しばらくぼんやりしていた。俺はルイが欲しいと望む女にはなれないし、女のことはずっと大嫌いだった。
 
 ◇◆◇
 
 ルイのことを好きだと思い始めた時と、ルイが俺や他の男友達とは違う目で女を見るようになり始めたのに、そこまで時間差は無かった。
女って、何? どんな感じだろう、ということを明らかに知りたがってソワソワしていた。男四人兄弟の中で育っているからなのか、女にすごく夢や幻想を抱いているようだった。俺は焦った。ルイが欲している女の身体と俺の身体は明らかにかけ離れていたから。身長だってどんどん伸びるし、ちょっと運動しただけで筋肉がついてどんどん男っぽくなっていく。

 ルイはそれを「いいなー、ヒカルは」と羨望の目で見ていたけど、もちろんそこには触ってみたいといった欲求は含まれていない。俺は俺のままだとルイの心を繋ぎとめることなんて出来ない、という現実を目の当たりにして絶望した。
 いつか、ルイは好きな女を見つけてくる。そうなったら、俺はもうルイの一番近くにいることが出来なくなってしまう。やるしかない、と決断するしかなかった。ルイに選ばれる女の存在を許してはいけない、そうするしかルイの側にいる方法はない、と一人で決めた時もきっと俺は泣いていたような気がする。
 
 本当にやりたくなかったけど、ルイの周囲から「悪い虫」を取り除く孤独な毎日がスタートした。幸いにもルイはすごくわかりやすかった。あまりタイプじゃない女とはわりとよく話すし、フツーにお友達として仲良く出来るようだった。けれど、自分の好みの女を前にするとどう接したらいいのかわからなくて困ってしまうのか、途端にモジモジして、すごく大人しくなる。よく、観察しているととにかく色の白い女を魅力的に感じるようで、スラッとしていて見た目が華やかだとすぐに好きになってしまう。結構、「ルイ、その女はどう見ても危ない」と言いたくなるような女でもフラっといきそうになるから、俺はその度に本当に面倒な思いをした。
 
 ルイが好意を持っている女を見つけては近づいて、捨てた。「コイツは女というだけで、ルイに好きだと言う権利がある。俺は絶対に言うことは出来ないのに。女というだけでルイに選ばれるチャンスがある」と思うと別れる時にどれだけ泣かれようが全く心は痛まなかった。
 
 
  ルイは「どうして俺には彼女が出来ないんだろう? 彼女が欲しい」ということについては、よく悩んでいたようだった。いつもモヤモヤしているけど、男子が数人集まって話すゲスい下ネタには、嫌悪を感じるらしい。女に纏わる幻想を壊されるのが嫌なのだろう。だから、中学や高校の頃、コソッと俺にだけそういうことを聞いてきた。
 場所は騒がしいルイの家ではなくて、必ず俺の家だった。
 
「ヒカルっていつも彼女といる時に何してるんだ?」
 
「スラムダンク」を読んでいたルイがふと顔を上げて、そういうことを聞いてきた。

「……なんだと思う?」
 
 本当は俺と女が何をしているのかなんて全部わかっていて、それを俺に察してもらったうえで、そのことについて何か話して欲しいんだろうな、と恥ずかしそうにして答えあぐねているルイを見て思った。
 
「女って柔らかい?」
「柔らかいって? おっぱい?」
「……うん」
 
 柔らかいからなんだって言うんだよ、と言いたかった。女なんか必要ない。俺にもルイにも必要ない。女がいなければ、俺はこんな思いをしなくてすむのに。……でも、女がいなくなればルイが俺を好きになってくれるか、と言うとそんな保証はどこにもなくて、もう泣きたかった。どれだけルイから女を取り上げたって、行き着く先に俺の望むものはない。俺がやっていることはただの時間稼ぎにしかすぎなかった。
 
「柔らかいのも硬いのもいるよ」
「……硬いのも?」
 
 硬いって? どういうこと? 女なのに? と女の胸を触ったことのないルイはすごく不思議そうな顔をしていた。
 女のことは大嫌いだけど、ルイが女を知らないうちは、女を知っていることでルイの関心を自分の方へ引き付けることが出来る。そうか、こうやって利用すればいいのか、と女の使い道をそうやって学んだ。
 

  イオリを追い出した後の教室でしばらく昔のことを思い出してぼーっとしていたから、帰宅するのがすっかり遅い時間になってしまっていた。その日の夜もルイとスカイプでビデオ通話した。正直言って、ルイのことを思い出すと泣けてくるから、イオリを叱りつけている時以外は一日中気を張っていて、かなり疲れていた。明日はプレゼンもあるから、今日以上にしっかりしないといけないと思うと気が滅入りそうだ。
 だからといって何もすっきりしないまま、ルイと話さないでおくわけにはいかなかった。ルイの方から「今日は話せる?」と言ってきたくらいだし、昨日と違ってちゃんと隠し事はなしで話してくれると思った。

 ビデオ通話が繋がった瞬間に、ルイの顔を見たら「なんで、どうしてなの」と聞いて泣きたかったけど、とにかく明日までは持ちこたえないといけないから、わざと素っ気なくした。


 ルイは昨日とは打って変わって、スムーズに起こったことをきちんと順序だてて話した。昨日電話を切った後、ずっと考えてくれていたのだろうな、と始めは思ったけど、話しているルイの表情や声色をよく観察しているうちに、 これは、今リアルタイムで思ったことを話しているんじゃない。最初から、何を言うか決めて、何度も練習してきたんだということがわかってきた。
 それに気付いたら、ふーん、よく仕上げてきたな、としか思えなかった。

 言わないといけないこと、言いたいことを八割から九割程度は話していたと思う。けど、ただそれだけだった。そして、言わなかった一割はどうしても隠しておきたい、ルイと相手の男二人だけが抱えるルイにとっての大切な何かに違いない。

「昨日は、俺も混乱していて、上手く説明が出来なかった。昨日、言ったと思うけど、俺は酔っぱらってしまって、その時、ヒカルとのセックスのことを思い出してオナニーしたんだけど……キスをした時も、ずっとヒカルのことを考えてた。これは、本当だ……。自分が性欲でそんなことをするなんて、自分でもショックだった。本当にヒカルを裏切ってごめん……」

 ルイの話しぶりは違和感だらけだった。まず、相手を思いやることを第一としているいつものルイからは信じられないくらい、一方的に話を進めていっていた。俺の反応を確認しようと間をとったり等はせず、喋りすぎている。「ヒカルのことを考えてた」と言ったタイミングで、俺が何か口を開くんじゃないかと、一度様子を伺ってもおかしくないはずなのに、それをしようとしない。
 おそらく、ここで間を空けると俺から「俺のことを考えていてよく別の男とキスが出来たね?」と突っ込まれるのをあらかじめ読んでいるようだった。あえて「性欲のせいで」ということを強調し、そこに連なるストーリーを捲し立てることによって、つけ入る隙を与えないようにしているかのように。そこにはルイらしからぬ打算と巡らされた策がちりばめられていた。

 相手の事情というのも、「家庭の事情」という上手いところに落とし込んできている。たぶん、これは嘘ではないけど、これだけが真実というわけでもない、ルイの言えるギリギリのところだったんだろう。
 温かい家庭で育って両親のことが大好きなルイが、複雑な家庭で育った男に心底同情したのはたぶん本当だろう。ここで俺に「詳しく言ってよ」と突っ込まれたとしても、言いたくないことは 「家庭のことは俺の方からは深くは聞けなかった」と言っていくらでも隠す事が出来るし、「とにかく厳しく育てられたらしくて……」と言って、自分がいかにそれを気の毒に思ったかを話題の中心にすり替えれば嘘もつかないでいい。

 本音をさらけ出しているようでいて、相手の男が悪者にならないようにすごく気を遣っている。そんなにまでしてソイツを守りたいのか、と呆れた。

 聞き終わる頃には「誰の入れ知恵だ?」ということで頭がいっぱいだった。最初は相手の男か、と思ったけど、もう帰国したと言っていたから違う。帰国自体が嘘、という可能性は低かった。わざわざ自分から電話をしてきて許しを請うようなルイが、そんな嘘をつくとは考えにくかった。
 それに「明日、帰国するから」くらいのことを言われないと、きっとルイはあんなこと許さないだろう。そう言われたからといって「そうか、もう会えないのか……」とグルグル勝手に考えて、押し負けてしまうところが問題なんだろうけど。

 とにかく誰か別の人間が、今話しているルイの後ろにいる。これは確実だった。

 ルイは「ヒカル、なんで、今日は何も言わないんだ?」と不思議そうな顔をしている。どうして俺とはちゃんと向き合ってくれないのに、もういない男のことを大切にするんだろう、と思うと虚しかった。やっぱりルイは俺を裏切り続けていると思うと悔しくて堪らない。
 昨日、ルイは俺が留学に行く前に女と寝たことを蒸し返してきた。どういうつもりかは知らないけど、あんなセックスはただの宿代兼八つ当たりじゃん、としか思えなかった。俺は女に一瞬でも気持ちを持っていかれたことなんかない、ずっとルイだけだった。だから、俺にとってはルイの浮気の方がよっぽど問題だ。ほんの一瞬でも「ヒカルと付き合っていなかったら」と、考えただろうと想像すると胸が引き裂かれる思いだった。
 ルイを手離したくなんかない。どこにも行かないで欲しかった。あんなに何年も好きでもない女達と付き合っている間、俺はずっとルイが好きだと言うことも出来ずに苦しんでいたから、付き合えた時はようやく報われたと思ったのに。
 
 だから、本当はやりたくないけど、ルイに追いかけてもらうために、大嫌いな女を利用するしかなかった。女と旅行に行くことを匂わせたら「お願いだから行かないで」と苦しそうにしていて、ほんの少し安心出来た。
 
 それにしても、泣かなかったな、と思う。俺はルイの前でもボロボロ泣くけど、ルイは絶対に泣こうとしない。思えばここ五年以上ルイがちゃんと泣いたところを見たことがなかった。留学したばかりの頃、俺がスカイプで号泣している時も、「ヒカルが泣いたら俺も悲しい」と言って涙を拭っていたけど、目の端に溜まったものをほんの少し指先で取り去る程度だった。あとは……セックス中に痛くて泣いたことがあったけど、悲しみで心をかき乱されて泣いているのはもうずっと見たことがなかった。
 
 ルイは、一体いつ泣いているんだろう。それが妙に胸に引っかかった。


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