幼馴染みが屈折している

サトー

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【番外編】幼馴染みが留学している

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 会計の時に180ドルを請求したら、「チップと合わせて200ドル請求してくれる?」と言われた。ありがとうございます、と俺は笑ったけど、うちの店のオーナーはチップを全部お店の利益にしてしまうから、本当はあんまり嬉しくない。
 他の友達がバイトをしてる店はチップを従業員に分配してくれるらしい。バイト選びを間違えた。

 明日からウインターバケーションという日、「団体のツアー客の予約があるから絶対に休むな」と言われ、帰国する留学生のフェアウェルパーティーにも行けなかった。

 めちゃくちゃに忙しくて、食べ飽きている巻き寿司のまかないを食べる暇も無かった。フラフラで裏口から外に出る頃には二十一時を過ぎていた。
 七月だけど、日本と気候が逆だからめちゃくちゃ寒い。今の気温は八度くらいだろうか? と思いながら、マフラーに顔を埋めた。寒い、早く帰りたいと思って店の前を離れようとすると、通路に人が立っているのが見えた。
 客? 入り口を通り過ぎてこんな薄暗い裏の方まで来たんだろうか、と思い「あの……どうかしました?」と声をかけてから、近づいた。

「……レオ?」

 ブスッとした顔でレオが立っていた。どうして俺がこの裏口から二十一時過ぎに出てくるって知っているんだろう、と思ったけど、とりあえず「なんでここに?」とだけ聞いた。

「……ルイを待っていた」
「寒くなかったか? パーティーは?」
「あんなくだらないパーティーはどうでもいい」

 レオを含めた明日帰国をする仲間のためのパーティーだというのに、相変わらず口が悪いから思わず苦笑いしてしまった。レオは不機嫌そうな声で「さっさと行くぞ」と言い俺の腕を引いた。

「どこに?」
「俺は明日帰る。だからお前といる」
「え? いや、なんで……」

 こんな遅い時間にレオと会ったことはなかった。車に乗った日以外は、いつも学校で昼に会っていたから。それに、こんなところまで来て、俺をずっと待っていたというのも気になる。……あんまり、よくない気がした。たぶん、ヒカルにバレたら怒られるだろうから。

「……よく考えたら、俺はお前にいろいろ言ったことを謝っていなかった」
「べつに謝らなくていい」
「……ルイ、俺は最後にほんの少しでいいからお前に会いたかった」
「もう、時間が遅いから出来ない」
「俺は、明日帰る」
「……でも、駄目だ」
「俺は明日帰る。ルイ、何度も言わせるな」
「……じゃあ、少しだけ。本当に少しだけ」

 この押しの強さ、口調は違うけど、ヒカルにそっくりだと感じる。ヒカルはもっと女みたいな柔らかい口調で「お願い」と甘えてくることが多いけど。俺がそうやって頼まれたら最後は断れないのをわかっていてやっている。ヒカルといいレオといい、俺の周りはこういう奴ばっかりだ。

「……着いて来い、すぐ近くだ」

 すぐ近くって? と聞いたけど、教えてはもらえなかった。寒いしお腹も空いていたし、レオはまるで何かに追われているように歩くし、俺は「もう!」と思いながらも着いていった。
 レオは俺のバイト先の近くにある美術館みたいな外観のホテルに向かってどんどん歩いて行く。駐車場を通り過ぎて、エントランスで待機している数台のタクシーの側を通って、ボーイに会釈されてホテル内に入ったところで、俺はレオの腕を掴んだ。

「……なに、ここ」
「俺はここに泊まっている」
「部屋には行かない……」
「誰がテメーなんか部屋に入れるか。黙って着いて来い」

 ロビーもエレベーターもどこもかしこも百合の花のようないい匂いがする。ロビー内のソファーでくつろぐ人も、フロントでチェックインなのか、何か手続きをしている人もみんな見るからにお金持ちだ。どう考えても俺は場違いで、浮いていて、居心地が悪かった。エレベーターに乗って、ようやくレオと二人になった時にはどっと疲れていた。

「よく、こんな所に泊まれるな。いつから? 借りてた部屋は?」
「一昨日引き払った」
「……ここカジノある?」
「ある」
「行った?」
「……お前、カジノも行ったことないのか?」

「カジノも行ったことがない、シガレットも吸わない、お前どんな育ちの良い田舎者だ?」と嫌味を言ってくるから、サイモン先生の真似をして「はい、私はただの貧乏人です。言ってませんでしたが」と答えたらつまらなさそうな顔をしてから黙り込んだ。ヒカルもそうだけど、この手のタイプはいつもチヤホヤされているから、素っ気なくされるのに慣れていない。

 エレベーターが四階で止まった。真正面にあるバーの扉の前に立つと、レオは俺のコートとマフラーを引ったくるようにして取り上げた。そのまま、バーの扉を開けて自分のコートと一緒にクロークへ預けた。
 身分証を見せるよう言われて俺は学生証、レオは免許証を見せた。オーストラリアは十八歳から飲酒が認められているけど、年齢確認がとても厳しい。学生証が出来る前に大学の近くのパブへ行く時なんかは、パスポートを持ってこい、と友達に言われた。

 このホテルにはバーがいくつもあるということをエレベーター内の案内表示で知った。ここはショットバーで、高階層のオーセンティックバーよりも気軽に利用出来る……ようにしているんだろうけど、カウンターに通されて席についてもやっぱり自分が場違いな気がして、ソワソワした。
 レオはジンリッキーをバーテンにオーダーした後、「お前も同じでいいな」と勝手に俺の分まで頼んでしまった。慌てて「俺はビールにしてください!」と注文し直したところ、バーテンはなぜかレオの方へ確認の視線をやった。レオが頷くと、ようやく納得したようだった。
 オーストラリアは日本と違って「とりあえずビール」が通じない。「サイズは?」「銘柄は?」と必ず聞かれる。どの店もサイズや銘柄が何種類もあるからだ。
「大きさはポットで……リトルクリーチャーズ」と一番小さいサイズをオーダーしたら、横からレオが「スクーナーだ」と勝手に注文し直してしまった。
 バーテンはレオの言うことをよく聞くようで、俺に確認はせず、サッと引っ込んでしまう。スクーナーはパブなんかでラッパ飲みする小瓶のサイズよりも大きい。たぶん、500ml近い量じゃないだろうか。俺はそこまで酒が強くないから、絶対にこの一杯だけで止めないといけない。


「こういうとこしょっちゅう来る?」
「べつに。お前、日本で連れていってもらったことはないのか?」
「ないよ」

 驚いたように目を丸くしてから、レオは「はあ」と呆れたような返事をした。こんな一杯何ドルするかわからない店、絶対デートでなんか行かない。ヒカルは、もしかしたら女と行ったことがあるかもしれないけど……。女に連れられてやって来たこういう静かなお店で、高い所に登って人間を見下ろす猫みたいに退屈そうにしているのを想像してしまった。

「じゃあお前、男と会う時は何をしてんだ?」
「べつに普通に出掛けてる……」

 普通に出掛けてる。買い物行ったり、映画に行ったり、そういうこともしている。
 けど……ヒカルはセックスばっかり優先しているように思えることがたまにある。朝十時に出掛けようと約束していたのに、起きた時にムラッとしたのか、まだ俺が寝ぼけていても纏わりついてきて、そういうことをして、結局十三時までまた寝るとか、そんな時がある。
「バカッ!」って俺が怒っても、たぶんヒカルなりに可愛いと思っているであろう顔でエヘヘと笑って誤魔化した後、「ルイが好きだから」と言う。……べつに、俺も気持ちいいからいいんだけど。

 今日はやけにヒカルのことが頭に浮かぶ。今週はろくに話せてないからだろうか。
 ヒカルはヒカルで慣れない就活で疲れているみたいで、「家にいる?」って夜にメッセージを送っても、寝てしまっていて、ビデオ通話が出来ないことが最近は多い。次の日に「なんで起こしてくれなかったの?」ってものすごく怒ってくるのが、めんどくさいけど、ほんの少し可愛い。
 先週話した時に「今度、ハルキ君とドライブに行くんだよね」と言っていて、ミナミの彼氏とすごく親しくなっているのにビックリした。
ヒカルはあまり友達がいないから、これはいいことなのに少し寂しい。でも、友達を作れって言ったの俺だし、ヒカルにどうして欲しいのか自分でもよくわからなくなってきた。離れているからだろうか。

 バーテンがビールを持ってきたけど、グビグビとは飲めなかった。お腹が空いているから本当は何か食べたいけど、食事をしようって言ったら帰るのが遅くなるから我慢している。
 レオは俺が時間を気にしているのを察したのか、「…飲んだら帰る」と言った。

「……お前にいろいろキツいこと言ったな」
「べつにいいよ」
「お前の英語は聞くに耐えないくらい訛っていたが、こんなところまで来て、日本語や中国語ばっかり話してる奴らよりずっとマシだ」
「うん」

 前半部分は余計だけど、嬉しかった。「ゴメン」って言われたわけじゃないけど、そう言われるよりずっとスッキリする。レオから「何か話せ」と言われたけど、何を話せばいいのか本当にわからなくて、ただビールをダラダラと飲んでいた。「向こう戻ったら就活するの?」「帰国は楽しみ?」とか、レオの家の事情は既に知っているから、気になるけど聞きづらい。

「向こうに戻ったら、家を出ようと思う」
「え? 出来んの?」
「べつに、一人暮らしくらい誰だってしてる……。名の知れた会社に入れば、しばらくは放っておいてくれるさ」
「そっか……」

 人のことだけどホッとした。レオはそれ以上は帰ってからのことについては何も言わなかった。

 レオは俺の家族のことや、ヒカルとのことをなぜかいつも聞きたがる。今日は「お前、毎週毎週夜に恋人と話してるらしいが、何をそんなに話してんだ?」と聞かれて少し焦った。
まさか、ビデオ通話で一人でしてるところを見せてる、とは絶対に言えないから、何でもないような顔で「いや、べつに……学校のこととか」とだけ答えた。

「学校のことね……お前はほんっとーにマジメなんだな」
「うん、そう、俺はマジメだから……」

 この話は嫌だ。早く話題を変えたいと思っているうちにビールを飲み干してしまって、レオがそれに気づいて、自分の分と合わせて二杯目を勝手に頼んでしまった。飲んだら帰るつもりだったのに、と一瞬思ったけど、「いらない、帰る」と言うことが出来なかった。

「お前、毎週毎週学校のことだけを報告してんのか? お前の母親にするみたいに」
「……べつに他にもいろいろ。バイトのことも、何を食べてるかとか、ええと、日本の友達のことも…」

 レオは何も言わずに俺のことをじっと眺めていた。なんだか苦しくなって、「こっちの地ビール好き? 俺はリトルクリーチャーズが一番好き。日本のよりいいかも」と強引に話題を変えたら、レオはほんの少し笑って「俺はカスケードの方がいい」と答えた。カスケードは苦みが強くて俺はあまり飲めないから、そこまで話は弾まなかった。

 量の問題なのか、今日は一杯飲んだ時点でぼうっとしている。二杯目も全部飲むけど、帰りの電車で寝過ごさないかが不安だ。レオは全然酔っていないみたいだ。仮に酔っていたとしても部屋の前まで送れば勝手に寝るだろうし、心配ない。

「もう帰るだろ。ルイ何か話せ」
「そう言われても何を……あっ、何か中国語で喋ってよ」
「は? なぜ?」
「聞いたことないから」

 レオは暫く何か考えてから、ゆっくり口を開いた。

「 我一个人很寂寞,好想你在我身边」

 呪文にしか聞こえなかった。会話は全部英語だったから、中国語を喋っているところを見ると違う人みたいだ。
「本当に、中国人だったんだ」とぽろっと呟いたら「バカかお前? 酔ってんのか?」と冷たく言われた。

「どういう意味?」
「さあ」
「なんだっけ、ウォーイー……」
「……お前には絶対に言えない。日本人は二声と三声の聞き分けが出来ないから。特にお前は棒読みで全部同じ音でしか発音出来ない」
「あっそ」

 俺があっさり諦めたことが不満だったのか「教えるから暗記するまで言え」と凄まれた。

「ウォイーグゥ……」

 ジャイーよりも遥かにスパルタだった。この時点で何回もやり直させられた。

「レェンヘンジィモ……」
「お前何回同じことを言わせるんだ? どの言語でもテメーはrの発音が下手だ」
「ハァオシィアンニィザィ」
「やっぱり棒読みでしか言えねーじゃねえか。全然通じねーよ」
「ウオシェンビエン」
「……まあ、いいんじゃないか。この部分は音の上がり下がりがないからお前程度でも、なんとかなる。お前の能力じゃない。勘違いするな」

 ここまでなじられながら言葉を覚えたのは初めてだった。中国に戻っても絶対にコイツを教育職にだけは就かせたら駄目だ。誰も学校に来なくなる。

「それでなんて意味?」
「……自分で調べろ」

 散々時間がかかって言えるようになったのに、結局何を習っていたのかはわからなかった。

 もう帰るか、と促されて立ち上がった頃には、かなり酔っているのが自分でもわかった。外の風にあたりたい、暖房が気持ち悪いと思いフラフラ歩くと、レオの「おい、コート」という怒った声が聞こえる。
 この後、なんて言って別れればいいんだろう。
 他の留学生の友達だったら、帰国前に別れる時はハグをして「寂しくなるよ。一緒に過ごしてくれてありがとう。ずっと友達でいよう。大好きだよ」っていつも言っている。でも、レオにそういうことを言うのはなんだか変な感じがした。



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