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答え
しおりを挟む「そういえば、そんなこと話したな」
そう返事はしたけれど、全部を完璧に思い出せたわけではなかった。細部に至るまで説明をされても、俺にとっては、なんとなくそんなことを話したような気もする、という印象でしかなかった。
共有した出来事を、ヒカルにとっては何年経っても忘れられない大切な記憶になっているのに、自分だけ忘れてしまっていることがショックだった。自分が薄情な人間に感じられて動揺していると、全てを見透かしているかのようにヒカルは諦めた様子で首を横に振った。
「ルイ、もう俺といるのは嫌になったでしょ。もう俺達会わないでおこう」
「なんで……」
「俺が辛いんだよ。どれだけ側にいても、一生ルイは手に入らないから。だったら、もう諦めてルイのことを忘れてしまいたい」
「忘れるって?」
ヒカルの望むような関係にはなれなかったとしても、そのことで今まで築いてきた友情がダメになるなんて思いたくなかった。
子供の頃からずっと一緒だったのに、忘れるとか、会わないとか、そうやって簡単に割り切れることなのか? 今までもこれからもヒカルのことは友達として大事に思っている……たどたどしくではあるが、俺の思いを正直に伝えた。
「そういう中途半端な、付き合えないけど、一生友達ではいようみたいなのが、俺は辛いんだよ。ルイ、自分が言ってることが俺にとってどれだけ残酷かわかって……」
「俺はそんなつもりじゃ……」
「大丈夫。ルイに迷惑はかけないから。俺がいなくなるだけで、ルイはこれからも何も変わらない。ね、だから大丈夫だよ」
声色は穏やかで優しくても、ヒカルの口調はどこか投げやりで俺のことを突き放しているようだった。俺だけが取り残されて、どんどん何かが重要なことが決まっていく。
ヒカルの言う「大丈夫」はきっと、ちっとも大丈夫なんかじゃない。休学か退学か。人生が大きく変わってしまうようなことを平気でやるつもりなのかもしれない。それぐらい、追い詰められたヒカルの顔色は真っ白で声は震えていた。
「なんで……。なんで、お前は俺から逃げようとするんだよ……。俺はまだ何も言ってないだろ……」
もし、俺達がたまたま大学で知り合って仲良くなったのなら、きっと俺は迷いながらも「ごめん」とヒカルの側から離れていったかもしれない。でも、俺達は子供の頃から兄弟のようにくっついて育ってきた。お互いの両親のことだってよく知っている。……ヒカルが急に大学へ行かなくなったら、みんなどれだけ心配するだろう。子供の頃から「おじさん、おばさん」と慕ってきたヒカルの両親の顔が頭に浮かぶ。
「俺にはルイが一番大切だから」
ヒカルの目の表面にうっすらと涙の膜が張っている。ごめんね、これが最後だからと、ヒカルの真っ白な両手で俺の手が包み込まれる。すがるように俺の手の甲をそっと撫でるヒカルの指の先は冷たくて微かに震えていて、何か祈りが込められているようだった。
こんな時なのに、「ルイが一番大切だから」という言葉を聞いて、俺はふと高校時代のことを思い出していた。何かの授業で教師が「時間が余ったから心理テストをしてやろう」と言った、とりとめのない出来事だ。
確か……五匹の動物と旅をしていて、食料の問題で一匹ずつ手離さないといけなくなって、最後にどの動物を残すか? という問題だった。
最後に残した動物で自分が人生の中で「家族、恋人、友情、仕事、財産」のうちどれを最も大事にしているかわかる、という内容だったと思う。
結果は、俺は友情でヒカルは恋人だった。
俺は、コイツ意外と情熱的なんだなと思いつつ、「なんで友情じゃねーんだよ、薄情者」と文句を言って、それにヒカルは困ったように笑っていた。
ヒカルの答えが友情じゃなかったことと、自分は知らない「恋愛」をすでに知っているヒカルがそれを最も大切だと思っていること、両方に俺はガッカリしていた。
自分よりもずっと大人びているヒカルがどんなふうに恋人を大切にするのか想像もつかなかったけれど、「ああ、ヒカルに一番大切にされる人は幸せだろうな」と、あの時俺はそう感じていた。
ヒカルは俺に文句を言われて、否定も肯定もせずに照れたようにただ笑っていた。あの時、ヒカルの頭に浮かんでいた「恋人」は?
「……お前は、きっと恋人を一番大切にするよな」
ヒカルは、あの時の心理テストやその結果をちゃんと覚えているんだろうか。
「俺だってヒカルが大切だ。もう会えないとか、そういうのは困る……。その、彼女が出来ないことよりもよっぽど……」
本気で言ってるの、と掠れた声で呟くヒカルに無言で頷き返した。寒くはないのに、不思議と頬が腕がヒリヒリするような、そんな空気が漂っている。
「……俺をルイにとって、そういう存在にしてくれるってことでいいの? 恋人と同じってこと?」
答えを急かされるように両手をぎゅっと強く握られる。正直なところ、まだ迷う気持ちはある。俺は女が好きだから、ずっといつか俺にも彼女が欲しいと思っていたから。ヒカルの気持ちは本物だから「やっぱり無理、ごめん」は許されない。
それでも、自分の知らないところでヒカルが一人になることは、俺にとっても辛い。そこまで考えたところで、ヒカルが「例えばだけど」と口を開いた。
「俺、ルイとセックスまでしてしまったら、別れた時、もう普通の友達に戻れる自信が無い」
セックス、という言葉に一瞬頭が真っ白になった。恋人になるなら、そういうことも求められる。唇を指先で撫でられた時の記憶が生々しく蘇る。
「……ヒカルの望むような付き合いが出来るか、今はよくわからない。俺は全然そういう経験もないから。……それでもヒカルはいいか?」
「うん。俺は本当にルイが好きだから」
一切迷わずに頷いてから、「ルイの気持ちが整理出来るまで無理やりそういうことはしない」とヒカルは断言した。
「うん……。わかった。じゃあ、少しずつ……。お互いにとって良い方へ進もうな」
先のことは全然わからない。ただ、もうヒカルは好きでもない相手と身体の関係を持ったり、誰かを傷つけることもなくなる。そのことに少し安心していると、ヒカルもそれを感じ取ったのか「よかった、なんだか信じられない」と小さく笑った。
「本当にいいの……? 俺、別れる日が来たら本当に死ぬかも」
「お前さあ、この期に及んで別れたらとか言い出すんだよ。俺が責任とって幸せにするから、そんなことで悩むなっ」
「……うん」
「泣くなよ……」
「泣いてない」
「泣いてんじゃん」
泣いた泣いてない、のやり取りの後、どちらからともなく笑った。いつもの俺達に戻ったような気がしてそれが嬉しかった。
「ごめんな。俺、恋人らしいことなんかわからないから、すぐにはそういう雰囲気にはならないだろうけど……。でも、俺にも出来ることがあったら、いつでも言っていいからさ」
な、とヒカルの顔を覗き込む。俺の想定していた「俺にも出来ること」は、「遊びに行きたい」とか「英語の課題を手伝って」とか、せいぜいそんなことだった。
「えっ……!?」
両頬をヒカルの手で包まれている、と思った直後には唇に何かが触れていた。
キスだ、と気がついたのはヒカルの顔が離れてからだった。
「は? え、なんで? え?」
「え、だって、ルイが誘ってくるから」
「誘ってねーよ! いきなり何すんだよお……!」
「うーん……、だって、可愛かったし……。でも、ごめんね、大丈夫だった?」
不思議そうな顔でパチパチと瞬きを繰り返すヒカルは、どうやら本気で「キスくらいならオーケーという雰囲気だった」と思っているようだった。……今まで散々女にモテまくっていたから、きっとそういうことを拒まれた経験もないんだろう。人生で初めてキスをした俺とは違う生き物なんだとすら思えた。
「嫌だった?」
「いや、べつに。一瞬だったからよくわからなかったし」
「そっか」
ごめんね、とヒカルはすり寄ってきて、俺を後ろからすっぽりと抱き抱えるようにして座った。ヒカルとの長い付き合いの中で、こんなスキンシップはもちろん初めてだった。ヒカルにとってもう俺は恋人だからな、と納得しながらも、戸惑う気持ちもあり、俺はただじっとしていることしか出来なかった。
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