16 / 92
3
真相
しおりを挟む◇◆◇
風呂から戻ってきた後のヒカルは、冷蔵庫を開けたり閉めたり、立ったまま水を飲んだり、どう見ても居心地が悪そうにしていた。重苦しい沈黙のせいで、俺も「自分の家だろ」という気軽な一言すら口に出来ないでいる。
「髪拭いた?」
「え、ああ、うん……」
見ればわかることを聞いて間を繋いだ後は、お互い黙り込んでいた。やがて、痺れを切らしたようにヒカルが「キャンプの時のことだけど」と口を開いた。
「……引いた?」
「引いてはいないけど……なんでって、ずっと思ってる」
「起きてるなんて思わなくて……、気持ち悪いよね」
ごめん、とヒカルはぎこちなく笑った。深いショックを受けているのを誤魔化してこの場を取り繕うとしているような、痛々しい笑顔だ。
「あのさヒカル、理由って聞いてもいい?」
「理由……」
慎重に言葉やタイミングを選んでいるつもりでも、ぼんやりとしているヒカルの顔色がどんどん悪くなっていく。
俺は何度もヒカルと話したいことについて考えていたけれど、ヒカルはそうじゃない。
話をするべきだ、話をしないといけない、そう意気込んでヒカルの家へやって来た。けれど、何も知らなかったヒカルはきっと、いつもと同じように今日が終わると思っていたのだろう。子供の頃からずっとそうしてきたように、くだらない話をしながらだらだらと二人で過ごして、どちらかが言った冗談に大笑いして……。
俺のやっていることはきっとフェアじゃない。黙り込んでしまったヒカルを見ていると、そんな気持ちになった。
「……キャンプの時、エリナは、ヒカルより俺の方がいいって言ってくれたんだ」
「そう。よかったね」
口元だけを動かしてそう返事をするヒカルの口調はつっけんどんで冷ややかだった。何も知らないふりをしていればよかったのか、と後悔する気持ちを抱いていながら、動揺していても怒る時はしっかり怒るんだな、と冷静にヒカルを見つめている自分もいた。
「……初めから可愛い子だなと思ってた。でも、俺、ヒカルより俺の方がいいって言われたから、あの子を好きになったのかもしれない。どれだけヒカルは悔しがるだろうって、考えずにはいられなかったよ」
「ああ、そう。じゃあ、今からでも付き合えば?」
エリナについて、自分の一番汚い部分をさらけ出したつもりだった。ヒカルとちゃんと話がしたかったからだ。それなのにヒカルはイライラしているばかりでちっとも話してくれない。
きっと、いつもの俺だったら「あの子に変なことを吹き込んだのはお前なんだろ」と問い詰めて大ゲンカになっていた。
自分で自分を抑えられているのは、俺がヒカルに「俺のことが好きなのか」と直球で聞けないからこうなるんだ、と思っているからだった。
「俺はずっとヒカルが羨ましかった。簡単になんでも出来て、女にモテるヒカルのことが。いつだってヒカルみたいになりたかった」
「……そういうのやめてくれないかな」
「何をやっても勝てないヤツの気持ちなんて、ヒカルにはわからないだろうけど……」
「やめろってば!」
普段よりずっと荒々しい言葉でヒカルは俺の言葉を遮った。
「聞けよ! お前に俺の気持ちがわかるか? いっつも比べられて、ヒカルよりもダメな方だって思われて……。人から比べられるのを気にして、時々本気でお前にムカついて、その度に友達を裏切っているような気がして、悩んでいた俺の気持ちが……!」
「だって、そうじゃないとルイは俺のことを見てくれなかった。なのに俺のことが羨ましいだって?」
ハッ、と俺のことを鼻で笑った後、眉間にシワを寄せたままヒカルは目を閉じた。少しだけ声が震えていて顔色も悪いけどヒカルはヒカルだ。けれど、静かでおっとりとしているいつものヒカルの姿がボロボロと剥がれ落ちていくように俺には見えた。
「どれだけ羨ましがられても、ルイに選ばれなければ、俺には何も意味なんてなかった」
「……選ばれるって?」
「ルイだって本当はもうわかってるでしょ?」
ずっとずっとルイのことが好きだった。
俺の目を真っ直ぐ見て、ヒカルはそう言った。やっぱり、と思う以外俺にはどうすることも出来なかった。
ケンカをすることだってあったけど、俺だって子供の頃からヒカルのことが好きだ。四軒隣の家に小さな子供が引っ越してきたと聞いて、自転車を漕いでヒカルの家を訪ねた時から。「女の子? ヒカルちゃん?」と呼んで怒らせてしまった時から。ずっと変わらずに一緒にいられるのだと思っていた。今はそう伝えたとしても、かえってヒカルを傷つけてしまうだろう。
「ルイが今まで女と付き合えなかったのはね、全部俺のせいなんだ」
「……全部って?」
「ルイが好きになった女も、それからルイに近づこうとする目障りな女も、全部俺がとったんだ。ねえ、ルイ。どの女もみんな最低だったよ。俺がちょっと優しくしただけで、全員簡単に俺なんかと寝てさ……」
「やめろ、そういうのは聞きたくない……」
「俺、いつも思ってた。こんなに簡単に股を開くような女がルイの彼女じゃなくてよかったって」
「……そういうふうに言うのはやめてくれ。知ってる人をそんなふうに言われたら本当に気分が悪い」
「……優しいんだね、ルイは」
ヒカルと共通の知り合いばかりという狭いコミュニティで生きてきた俺には、聞くに耐えない話だった。そんな理由で、ヒカルは好きでもない相手と体の関係を持っていた、と思うと微かに手が震えた。
「キャンプの夜、俺に触ったのは……?」
「……本当は顔を見たらすぐに出ていこうと思ってた。でも、もう俺もいっぱいいっぱいで……。こうやってルイから女を取りあげ続けて、ルイの一番近くにいられるのも、きっとあと少しだってわかっていたから」
俺は女が憎い。女が大嫌いだ。アイツ等は女に生まれたというだけで、ルイに選ばれる権利があるから。
ヒカルがポツリと呟く。下を向いてしまっているせいで並んで座っているのにほとんど表情が見えない。けれど、掠れた声で噛み締めるように一言ずつ呟く様子からは、何年もそんな感情を抱えて生きていたんだろうということが読み取れた。
側にいたのにヒカルのそんな気持ちに俺は気がつかなかった。ヒカルがコソコソとしていたことを許すことも出来ないが、それよりも俺は今までどれだけ無神経なことを言ってヒカルを傷つけたんだろう? という思いで胸が締め付けられるようだった。
「いいな、ヒカルは彼女がいて」「女にモテるヤツは余裕があっていいな」……いつも俺がそういうことを口にするたびにヒカルは少しだけ困った様子で笑っていた。「男だから当然ヒカルは女が好きだろう」とずっと思い込んでしまっていたからだ。
「……ごめん」
「どうしてルイが謝るの? そういうふうに謝られるとますますルイから離れられなくなるからダメだよ」
本当は離れたくないけど、とヒカルは目を伏せて寂しそうに笑った。怒りで感情を爆発させている時に比べたらわかりにくが、これも嘘偽りのないヒカルの本心だと俺にはわかった。子供の頃から、時々ヒカルは「兄弟がいなくて寂しい」「家に一人でいるの、本当は寂しいんだ」とこんなふうに笑うことがあったからだ。
俺だって何もなかったふりをして、明日からただの友達に戻ることは出来ないと思っている。そもそも、どうかしたらヒカルはこのままどこかへいなくなってしまいそうだった。
今まで気がつかなかった分、ちゃんと話を聞こう。気持ちに応えるかどうかは別として、ヒカルと最後まで話そう。もし今までヒカルに嫌なことを言っていたのだとしたら、それについては謝ろう。……今の俺に出来るのはそれだけだった。
「……いつからヒカルはそう思ってた? 俺、本当にわからなくて」
「何が? ……ルイをはっきり好きだと思ったのは中一の夏と中三の冬の時の事かな。覚えてる?」
中一の夏、と聞いただけで甦ってくる、忘れられない強烈な記憶。俺にとってはあまりいい思い出じゃない、どちらかというと忘れてしまいたい出来事だった。
11
お気に入りに追加
333
あなたにおすすめの小説

変なαとΩに両脇を包囲されたβが、色々奪われながら頑張る話
ベポ田
BL
ヒトの性別が、雄と雌、さらにα、β、Ωの三種類のバース性に分類される世界。総人口の僅か5%しか存在しないαとΩは、フェロモンの分泌器官・受容体の発達度合いで、さらにI型、II型、Ⅲ型に分類される。
βである主人公・九条博人の通う私立帝高校高校は、αやΩ、さらにI型、II型が多く所属する伝統ある名門校だった。
そんな魔境のなかで、変なI型αとII型Ωに理不尽に執着されては、色々な物を奪われ、手に入れながら頑張る不憫なβの話。
イベントにて頒布予定の合同誌サンプルです。
3部構成のうち、1部まで公開予定です。
イラストは、漫画・イラスト担当のいぽいぽさんが描いたものです。
最新はTwitterに掲載しています。


ヤンデレだらけの短編集
八
BL
ヤンデレだらけの1話(+おまけ)読切短編集です。
全8話。1日1話更新(20時)。
□ホオズキ:寡黙執着年上とノンケ平凡
□ゲッケイジュ:真面目サイコパスとただ可哀想な同級生
□アジサイ:不良の頭と臆病泣き虫
□ラベンダー:希死念慮不良とおバカ
□デルフィニウム:執着傲慢幼馴染と地味ぼっち
ムーンライトノベル様に別名義で投稿しています。
かなり昔に書いたもので芸風(?)が違うのですが、楽しんでいただければ嬉しいです!



王道学園の冷徹生徒会長、裏の顔がバレて総受けルート突入しちゃいました!え?逃げ場無しですか?
名無しのナナ氏
BL
王道学園に入学して1ヶ月でトップに君臨した冷徹生徒会長、有栖川 誠(ありすがわ まこと)。常に冷静で無表情、そして無言の誠を生徒達からは尊敬の眼差しで見られていた。
そんな彼のもう1つの姿は… どの企業にも属さないにも関わらず、VTuber界で人気を博した個人VTuber〈〈 アイリス 〉〉!? 本性は寂しがり屋の泣き虫。色々あって周りから誤解されまくってしまった結果アイリスとして素を出していた。そんなある日、生徒会の仕事を1人で黙々とやっている内に疲れてしまい__________
※
・非王道気味
・固定カプ予定は無い
・悲しい過去🐜のたまにシリアス
・話の流れが遅い

言い逃げしたら5年後捕まった件について。
なるせ
BL
「ずっと、好きだよ。」
…長年ずっと一緒にいた幼馴染に告白をした。
もちろん、アイツがオレをそういう目で見てないのは百も承知だし、返事なんて求めてない。
ただ、これからはもう一緒にいないから…想いを伝えるぐらい、許してくれ。
そう思って告白したのが高校三年生の最後の登校日。……あれから5年経ったんだけど…
なんでアイツに馬乗りにされてるわけ!?
ーーーーー
美形×平凡っていいですよね、、、、
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる