幼馴染みが屈折している

サトー

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さんかく

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 食事も終わって洗い物を、という流れになった時、ヒカルがいないことに気がついた。

「あれ? さっきまで、ここにヒカルいなかった?」

 平野に聞くと、ヒカルだけ異様に虫に刺されたために腫れがひどいのでコテージへ冷やしにいったと言う。一番に虫除けを塗って用心していたのに、気の毒なやつだ。

「あいつ、大丈夫かな。俺ちょっと様子見てくるよ」
「女子が付き添ってるから。ご心配なく」
「ああ、そう……」

 なんだよ! 大丈夫じゃないか! と腹が立ったからヒカルのことはほうっておいて鉄板を洗うことにした。

 あらかじめ熱いうちに水をかけて汚れや油を浮かしておいた鉄板を、金属ヘラとタワシを使って焦げや汚れをこそぎ落としていく。ひたすら表面をこすり洗いながら、ヒカルは女子と二人なのかな、というか、いつから行ったか知らないけれど、戻ってくるのがずいぶん遅い。本当に冷やしているだけなんだろうかと、モヤモヤしていた。

「ねえ」

 いきなり後ろから女子に声をかけられて、ヘラを落としそうになった。背中がビクッと反応したことに気づかれているだろう。

「え、俺?」
「うん」
「……ヤバイ」
「え?」

 俺もヒカルが現れた時の女子達と一緒で「ヤバイ」しか言葉が出なかった。振り返って最初に思ったのは「え、色白い可愛い」だった。細い髪の毛がさらさらと風に揺れていた。ボーイッシュな感じが可愛い細い子だなあと思っていた子だ。名札を確認すると「エリナ」と丸っこい字で書いてある。

「今日ずっといろいろと動いてくれてありがとう」
「え、あ、いいよ全然」
「早川ルイ君?」
「あ、うん」

 女子とこういうふうに不意打ちで二人になると全然喋れない。最終的に出た言葉が「ヒカルなら中で休んでるよ」だった。

「へえ?」
「あ、ヒカルに用があるのかなあと思って」
「あたしは早川君に用があって来たんだよ? ねえ、ルイって呼んでもいい? あたしのこともエリナって呼んで」

 クスクスとエリナは笑っていたけど、じゃあ俺は何を話せば、と内心かなり焦っていた。いつも俺のところへ寄ってくる女はたいてい「ヒカル君知らない?」「ヒカル君って彼女いる?」等ヒカルについての用事がほとんどだからだ。まず、早川ルイじゃなくて「ヒカル君の友達だよね?」という確認から入ることも多い。

「ごめん、いつもヒカルのこと聞かれるから、そうなのかなと思って。嬉しいよ、ありがとう」

 それから、俺が鉄板を洗っている間とりとめもない話をした。
 エリナは平野と同じヨーロッパ系言語の学生で、ドイツ語のゼミに入っているらしい。同じ言語学科ということで、話してみると共通の知り合いて、会話は弾んだ。

「ルイは留学とか言った? あたし九月からドイツに短期留学するんだ」
「そうなんだ、いいなあ! 俺は二年の時に短期でアメリカ行ったよ。長期も興味あるけど、就活とかで悩んでたら三年になっちゃって……。今からでも審査が間に合うなら行きたいなー」
「わかる~」

 知らない女子とこんなに話すのは久しぶりだった。いつも「何話してるの?」と寄ってきたヒカルにみんな夢中になってしまうからだ。コテージ内から「エリナ~」と呼ぶ声がして、彼女は「あっち手伝ってこなきゃ」と言った。

「じゃ、またあとでね」
「うん」
「あたし、ヒカル君よりルイ君の方がかっこいいと思うよ。じゃ、バイバイ」

 握っていたヘラを落として温い水が跳ねた。頭の中はたった今エリナに言われたことでいっぱいだった。

 ヒカルより俺の方がかっこいいって、そんなことある?

 すぐ、「社交辞令」という単語が頭にポンと浮かぶ。女子って、生きていくための処世術なのか、純粋な優しさなのか、よくわからないけど、同性のことも異性のことも挨拶するのと同じ気軽さでよく褒める。だから、もしかしたら、さっきのだって、そうかもしれない。だって、相手はヒカルだ。どこにいたって人の目を引くくせに、そんなことには興味はないって顔でいなくなるから、ますます追いかけたくなるような魅力のあるやつ。

 一応、自分に保険をかけるという意味でもエリナの言葉を疑ってはみたけど、本音を言うと、この短時間話しただけで俺はあの子のことを結構好きになってしまっている。

 ◇◆◇

 片付けが終わって、皆で冷えた缶ビールやカクテルを飲みながら休んでいるといつの間に戻ってきていたのか、ヒカルが寄ってきた。

「ヒカル、もう大丈夫なのか?」
「さっきの子は誰?」

 俺の質問には一切答えずに、自分の聞きたいことを追及してくる。苦笑いして「エリナっていって、ドイツ語専攻の子だよ。どうかしたのか?」と尋ねた。本当は虫刺されについて聞きたいけど、ヒカルの顔や腕をよく見ても腫れているところは特に見当たらなかった。きっと、冷やして落ち着いたんだろう。

「さっき、話してるところを見たから」
「ああ…、うん……。俺、あの子結構いいなあと思って。どう思う?」

 俺がそう質問するとヒカルはぶっきらぼうに「俺もそう思う」とだけ答えた。

「……はあ?」

 思ってもみなかった答えに動揺して、「本当かよ」とヒカルの顔を穴が開くほど見つめてみた。からかいや意地悪といった様子は欠片も感じられず、ただただ機嫌が悪い。そういう表情だった。

 いったいいつヒカルがエリナのことを「いい」と思ったのかはわからない。俺が知らないだけで、二人で話す機会があったのだろうか。ブスッとしているヒカルを前に、この場合、どっちが横取りしていることになるんだろう、と俺は途方に暮れた。何も始まっていないのに、何かが終わった気分だ。

「俺も、あの子をいいと思ってる」

 ヒカルからのダメ押しに「そうだな、いい子だよ」と頷く。

「二人きりでどれくらい話した? 何を言われた?」
「……べつに、フツーのことだよ。授業のこととか……」

 ヒカル君よりルイ君の方がかっこいいと思う、と言われたことは言わなかった。自慢するようにしてヒカルに打ち明けてしまったら、嬉しかった大切な出来事が台無しになってしまうような気がしたからだ。

「ずっとルイと二人になるタイミングを狙ってたのかな」

 ブツブツとそう呟くヒカルは、ずいぶん苛立っているようだった。好きな女の子が選んだのが、自分じゃなくて俺だったらヒカルはどんなに悔しがるだろう。余裕のないヒカルを見てふとドス黒い考えが頭を過った。

「どっちが選ばれても恨みっこなしで正々堂々勝負をしよう」

 自分の中に芽生えた嫌な感情を書き消すように、俺は「正しい」と思える提案をした。たぶん普段ならこういうこは言えない。なのに言えたのは、エリナのことが好きだからなのか、それとも「ヒカル君よりルイ君の方がかっこいいと思うよ」という言葉を信じているからだろうか。

 この先、もしかしたらヒカルと勝負をして勝てるは、無いんじゃないだろうかか。またさっきみたいな考えが頭に浮かぶ。じっとりと嫌な汗をかいている。なぜ、俺はこんな時も頭にエリナの顔が浮かばないんだろう。いつも自分の側で笑ってるヒカルの顔が浮かぶんだろう。どうして、ヒカルに勝ちたいって気持ちに気がついた瞬間、エリナのことが好きかもしれない、という気持ちに迷いが生まれるんだろう。

「もし、本当に好きなら、正々堂々なんて温いことを言ってないで、どんな手を使ってでも手に入れるべきだと俺は思う」

 ヒカルは真っ直ぐ俺の目を見てそう言った。ヒカルが言ってることが正しいか正しくないか判断に迷った。ただ、「どんな手を使ってでも」というところが賛成出来ないと思った。だけど、ヒカルと比べて自分がひどく青臭い気もしたし、俺だってさっきヒカルにもエリナにも失礼なことを考えていたから、「そんなことは間違ってるだろう」とは言えなかった。

 だから、本心ではないけど「そうだな」と返事をした。

「じゃあ、俺も本気を出すからヒカルもそうしろよ」
「ふふ」

 ヒカルはたぶん全然俺のことを恋敵とは思っていないみたいで、すでに勝利を確信したかのようにいつも通り優しく笑っていた。

 
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