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なりたいもの
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「家とは不思議なものでさ、朝、鍵をかけて出かけて行く時は、俺の部屋は誰が来たって大丈夫、だって、あんなに掃除したんだもの、という気持ちになるのに……」
なぜか君を連れて帰って来るだろ?そうしたら、床に落ちている脱いだままの服だとか、机の上で広げたままの教科書だとか、途端にそういったものが目につき出して、自分がすごくだらしない人間に思えてくる……。
普段よりもずっと早口で喋りながらリュカは部屋の端から端までをチョコチョコと移動した。
部屋の主が気にしている、テーブルの上に置きっぱなしになっている赤いマグカップや、開きっぱなしの本やノートを見ても、トウヤはそれを、部屋のあちこちに、リュカの暮らしの名残が散らばっている…としか感じなかった。
机の隅に高く積まれた教科書や小さくなった鉛筆が、目に入った時に、毎日毎日懸命に予習をしてくるリュカの姿を思い出したからなのかもしれない。
トウヤはまだ一度も「俺に勉強を教えてくれ」と素直に口にしたことも「ありがとう」と感謝したことも、無い。それでもリュカは、もうすでに習い終わった教科書の内容を復習するのをやめない。
「小さいリンゴ食べる?」
「いい。食べたくない」
「そっか……」
トウヤは生の果物を口にすることが大嫌いだった。他の食べ物が家にいつでも溢れていたから、というわけではなくて、単純に、砂糖以外の甘味を「美味しい」と感じられるほど味覚が発達していない。
どうしても何かを食べさせたかったのか、リュカは途方に暮れているようだった。教室で二人きりの時にすり寄って来る時とはまるで違った目でトウヤのことを見ている。
何かをしてやりたいけど、手のつけようがない、厄介な子供……二人きりの部屋で、自分がリュカにとってそういう存在になってしまっていることがわかっていたため、トウヤはおとなしく黙っていた。
「ひどい部屋だろ……。見て、いちいち立って捨てにいかずに、机からポイポイ放ったから、ゴミ箱の周辺はゴミだらけだ」
確かにリュカの言う通り、ゴミ箱の周辺にはクシャクシャに丸められた紙がいくつも落ちていた。ゴミ箱の中には一つも入っていない。どうやらリュカは恐ろしくコントロールが悪いようだった。
自分がこの狭い家で厄介者になっていることに居心地の悪さを感じていたトウヤは、一つ一つを床から拾いあげた。ノートの切れ端だと思っていた紙は、よくよく見るとどれも、便箋だった。真っ白い紙に細い線が引かれただけの、飾り気のない便箋は、ほとんど文字が書かれないまま、リュカの手によって放り投げられたようだ。
いったいリュカは何を書こうとして、何を躊躇して、「失敗だ」と紙をぐちゃりと丸めてしまったのだろう。手紙という個人的なものを拡げてみることはトウヤには叶わないため、疑問だけが心に残った。ただ、聞かなくても、この手紙はフィックス先生に向けて書いたものであろうことだけは、わかっていた。
「ありがとう」
机を片付け終えたリュカはトウヤの側へ寄ってきた。トウヤに「ありがとう」と親切な言葉かけをすることが出来て、心なしかホッとしているようにも見える。
このままだと、コイツにとって俺はグループホームで暮らす子供と同じになってしまう、とトウヤは焦った。リュカのことを自分よりずっと大人だとは思っていない。だけど、あの日、「金持ちが大嫌い」と口にしたのを見て以来、なんだかリュカが遠い存在に感じられる。
そうして、ずっと知りたかったことを聞くために、重い口を開いた。
「……なんで、金持ちの子供が嫌いなんだ?」
言ってからすぐにリュカの様子を窺う。何を言っても怒られずに受け入れて貰える、自分が特別な存在として扱われるという期待をトウヤは捨てきれていなかった。
「え? そんなこと言ったっけ?」
「…………はあ?」
ポカンとしているリュカは、どうやら本当に覚えていないらしかった。奥歯を噛み締めていなかったら、「言ったから、俺はぐじぐじお前のことを考えていたんだろうが!」と怒鳴り付けてしまいそうなほど、トウヤはイラついていた。言ったっけえ?と言葉の終わりを伸ばす、とぼけた言い方に時間差で腹を立てながらも、「……じゃあ、金持ちは嫌いじゃないのかよ」とリュカを問い詰めた。
「嫌いだよ。金持ちもその子供も。俺は、田舎者の成金の子供って、入学早々、ずいぶんいじめられたからね……」
「……いじめられたって?」
「物を盗られたり、小突かれたり……。不思議だね、みんなと同じ制服を着て似たような背格好でも、なぜか俺が元々は貧乏で野蛮な育ちだってことがすぐわかるんだから……」
トウヤはそっと、気付かれないようにリュカの腕を見た。見えるところに傷やアザは見当たらない。以前、服を脱がせた時も、触れるのに躊躇するような古い傷痕らしきものは無かった。真っ白で柔らかい背中は、追いかけてしまいたくなるような魅力があったことだけが、トウヤの記憶に焼き付いている。
「それで、金持ちとその子供が嫌いに……?
散々嫌な思いをしたから、自分以外の人間のために……苦労をしてるのか?」
「違うよ。……俺は、いい人間になりたいから」
人からいい人間だと思われたいんだ、とリュカは苦々しい顔で呟いた。そう言葉にすることを、心の底から恥ずべきことだと思っているようだった。
「形だけの奉仕活動をバカみたいだなあと感じながらも、俺は……いい人間だと思われたい、っていつも思ってる」
リュカがキョロキョロと視線をさ迷わせた。もう床には何も落ちていない。部屋はリュカの望むキチンと整頓された状態になった。
諦めたような顔でリュカはトウヤの顔を覗き込んだ。
「こんな気持ちは先生にも言ったことがない……。先生は特別に俺を気にかけてくださるから。軽蔑されたくない。……君は続きを聞いてくれる?」
「……先生、に特別気にかけて貰っている理由と、学園にいた頃に何があったかを詳しく話すなら」
「……いいよ」
それからやっぱり俺も、アンタが嫌いな「金持ちの子供の一人」なのかも知りたい、とは言えなかった。
来て、とリュカはソファーに並んで座るようトウヤを促した。
「先生には言わないで。二人だけの秘密にして」
目を合わせると、リュカの琥珀色の瞳に吸い込まれそうだった。「先生」という単語がトウヤは大嫌いだ。特に、その「先生」がフィックス先生を指す場合はなおさら。
それなのに、先生には言わないで、秘密にして、というリュカの言葉はやかましいフィックス先生を思い出させるのに、トウヤの耳をくすぐる、なんだか甘ったるい響きに感じられた。
なぜか君を連れて帰って来るだろ?そうしたら、床に落ちている脱いだままの服だとか、机の上で広げたままの教科書だとか、途端にそういったものが目につき出して、自分がすごくだらしない人間に思えてくる……。
普段よりもずっと早口で喋りながらリュカは部屋の端から端までをチョコチョコと移動した。
部屋の主が気にしている、テーブルの上に置きっぱなしになっている赤いマグカップや、開きっぱなしの本やノートを見ても、トウヤはそれを、部屋のあちこちに、リュカの暮らしの名残が散らばっている…としか感じなかった。
机の隅に高く積まれた教科書や小さくなった鉛筆が、目に入った時に、毎日毎日懸命に予習をしてくるリュカの姿を思い出したからなのかもしれない。
トウヤはまだ一度も「俺に勉強を教えてくれ」と素直に口にしたことも「ありがとう」と感謝したことも、無い。それでもリュカは、もうすでに習い終わった教科書の内容を復習するのをやめない。
「小さいリンゴ食べる?」
「いい。食べたくない」
「そっか……」
トウヤは生の果物を口にすることが大嫌いだった。他の食べ物が家にいつでも溢れていたから、というわけではなくて、単純に、砂糖以外の甘味を「美味しい」と感じられるほど味覚が発達していない。
どうしても何かを食べさせたかったのか、リュカは途方に暮れているようだった。教室で二人きりの時にすり寄って来る時とはまるで違った目でトウヤのことを見ている。
何かをしてやりたいけど、手のつけようがない、厄介な子供……二人きりの部屋で、自分がリュカにとってそういう存在になってしまっていることがわかっていたため、トウヤはおとなしく黙っていた。
「ひどい部屋だろ……。見て、いちいち立って捨てにいかずに、机からポイポイ放ったから、ゴミ箱の周辺はゴミだらけだ」
確かにリュカの言う通り、ゴミ箱の周辺にはクシャクシャに丸められた紙がいくつも落ちていた。ゴミ箱の中には一つも入っていない。どうやらリュカは恐ろしくコントロールが悪いようだった。
自分がこの狭い家で厄介者になっていることに居心地の悪さを感じていたトウヤは、一つ一つを床から拾いあげた。ノートの切れ端だと思っていた紙は、よくよく見るとどれも、便箋だった。真っ白い紙に細い線が引かれただけの、飾り気のない便箋は、ほとんど文字が書かれないまま、リュカの手によって放り投げられたようだ。
いったいリュカは何を書こうとして、何を躊躇して、「失敗だ」と紙をぐちゃりと丸めてしまったのだろう。手紙という個人的なものを拡げてみることはトウヤには叶わないため、疑問だけが心に残った。ただ、聞かなくても、この手紙はフィックス先生に向けて書いたものであろうことだけは、わかっていた。
「ありがとう」
机を片付け終えたリュカはトウヤの側へ寄ってきた。トウヤに「ありがとう」と親切な言葉かけをすることが出来て、心なしかホッとしているようにも見える。
このままだと、コイツにとって俺はグループホームで暮らす子供と同じになってしまう、とトウヤは焦った。リュカのことを自分よりずっと大人だとは思っていない。だけど、あの日、「金持ちが大嫌い」と口にしたのを見て以来、なんだかリュカが遠い存在に感じられる。
そうして、ずっと知りたかったことを聞くために、重い口を開いた。
「……なんで、金持ちの子供が嫌いなんだ?」
言ってからすぐにリュカの様子を窺う。何を言っても怒られずに受け入れて貰える、自分が特別な存在として扱われるという期待をトウヤは捨てきれていなかった。
「え? そんなこと言ったっけ?」
「…………はあ?」
ポカンとしているリュカは、どうやら本当に覚えていないらしかった。奥歯を噛み締めていなかったら、「言ったから、俺はぐじぐじお前のことを考えていたんだろうが!」と怒鳴り付けてしまいそうなほど、トウヤはイラついていた。言ったっけえ?と言葉の終わりを伸ばす、とぼけた言い方に時間差で腹を立てながらも、「……じゃあ、金持ちは嫌いじゃないのかよ」とリュカを問い詰めた。
「嫌いだよ。金持ちもその子供も。俺は、田舎者の成金の子供って、入学早々、ずいぶんいじめられたからね……」
「……いじめられたって?」
「物を盗られたり、小突かれたり……。不思議だね、みんなと同じ制服を着て似たような背格好でも、なぜか俺が元々は貧乏で野蛮な育ちだってことがすぐわかるんだから……」
トウヤはそっと、気付かれないようにリュカの腕を見た。見えるところに傷やアザは見当たらない。以前、服を脱がせた時も、触れるのに躊躇するような古い傷痕らしきものは無かった。真っ白で柔らかい背中は、追いかけてしまいたくなるような魅力があったことだけが、トウヤの記憶に焼き付いている。
「それで、金持ちとその子供が嫌いに……?
散々嫌な思いをしたから、自分以外の人間のために……苦労をしてるのか?」
「違うよ。……俺は、いい人間になりたいから」
人からいい人間だと思われたいんだ、とリュカは苦々しい顔で呟いた。そう言葉にすることを、心の底から恥ずべきことだと思っているようだった。
「形だけの奉仕活動をバカみたいだなあと感じながらも、俺は……いい人間だと思われたい、っていつも思ってる」
リュカがキョロキョロと視線をさ迷わせた。もう床には何も落ちていない。部屋はリュカの望むキチンと整頓された状態になった。
諦めたような顔でリュカはトウヤの顔を覗き込んだ。
「こんな気持ちは先生にも言ったことがない……。先生は特別に俺を気にかけてくださるから。軽蔑されたくない。……君は続きを聞いてくれる?」
「……先生、に特別気にかけて貰っている理由と、学園にいた頃に何があったかを詳しく話すなら」
「……いいよ」
それからやっぱり俺も、アンタが嫌いな「金持ちの子供の一人」なのかも知りたい、とは言えなかった。
来て、とリュカはソファーに並んで座るようトウヤを促した。
「先生には言わないで。二人だけの秘密にして」
目を合わせると、リュカの琥珀色の瞳に吸い込まれそうだった。「先生」という単語がトウヤは大嫌いだ。特に、その「先生」がフィックス先生を指す場合はなおさら。
それなのに、先生には言わないで、秘密にして、というリュカの言葉はやかましいフィックス先生を思い出させるのに、トウヤの耳をくすぐる、なんだか甘ったるい響きに感じられた。
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