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嫌なやつ
しおりを挟む帰宅する時間になって机の上を片付けていたトウヤは、窓の鍵を閉めるために、チョコチョコと歩き回るリュカの様子を眺めていた。
さっきパティスリーで買ったお菓子を分けて以来、リュカは目に見えて上機嫌になった。
べつに大はしゃぎするわけでもないし、浮かれて鼻唄を歌ったりするわけでもなかった。
ただ、なんとなく幸せそうだった。
何度「さっさと食べろよ」と促しても、「あとで大事に食べる」と決してサブレーを口にしようとはしなかった。代わりに、ほんの少し嬉しそうに微笑んだ。
こんな安いもので喜ぶなんて、コイツ、普段どんな生活を送っているんだ、とトウヤは思ったものの、不思議とそう悪い気はしない。
それどころか、リュカがやたら自分に食べ物を分け与えたがる気持ちがほんの少しだけ分かったような気がした。
「……あの、帰る前に、謝っておく。ごめん」
あとは教室の電気を消して帰るだけ、というタイミングでリュカが口を開いた。
どのことだ?とトウヤは首を捻る。鬱陶しいところか、やかましいところか、空気が読めないところか……それならどれも、「コイツはそういう人間だからな」とすでに諦めつつあったので、トウヤにとってはどうでもいいことだった。
なんて返事をしたらいいのかわからず、トウヤは黙っていたので、室内は静まり返った。
ちょうど教室から出て行こうとしていたところだったから、二人とも黙ったまましばらくの間、突っ立っていた。
「ほ、本当はフィックス先生からの手紙のこと、すぐに言わないといけないってわかっていたのに……俺はわざと言わなかった。……ごめん」
「……なんでそんなことを?」
トウヤは腹が立つと言うよりも、リュカがなぜそんなことをしたのかが、ただ分からなかった。
トウヤの謹慎を短くして貰うために「一生懸命書いた」と言う手紙の内容に対して「あなたがそこまで言うなら、土曜の午後だけ自由にさせても構いませんよ」という返事は、どちらかと言うと、リュカにとっては成果であるはずだろう、と思っていたからだ。
「……あの、君は自由な時間が出来たら、俺のことなんかどうでもよくなってしまうんじゃないかと思って……」
「はあ……?」
「……すぐ、彼女のところに行ってしまうと思って、それで、意地の悪いことをしてしまった……。ごめん」
「……まず、あの女は彼女じゃない」
「はあ……」
悩ましげなため息をついた後、「君の「あの女は彼女じゃない」でホッとしてしまった自分が嫌だ……。俺はどうやらすごく嫌な人間だったみたいだ」とリュカが呟く様子を見て、トウヤの方が呆れて深く息を吐き出したくなった。
なんて、面倒な奴なんだろう、そこは「そうなんだ!ホッとした」ではダメなのか?と思ったものの、リュカがそう言って笑顔を見せる様子は上手く想像出来なかった。
「……手紙を一生懸命書いたのは本当。君のために役立てて嬉しかったのも本当。
でも、女の子のことで君に平気で意地悪をしてしまった。
不思議だ……出来うる限り良いことをしてやりたいと思っていた君の前で、俺は嫌な奴になってしまった」
リュカは自分が「嫌な奴」になってしまったことに対して、真剣に悩んでいるようだった。
もし、リュカの言うとおり、あれぐらいが意地悪なのだとしたら、世の中そこらじゅうが嫌な奴だらけになってしまう。トウヤはそう思っていた。
ただ、そう伝えることは出来なかった。「なんで?どうして意地悪じゃないと言える?」とリュカに聞かれた時、その理由を説明したくない。
「好きな奴のことになれば、誰だってそれくらいやるさ」と、なんでもないことのように言える自信が無かった。
「好き」と言った瞬間に、気恥ずかしさと後悔で黙り込むかもしれなかったし、リュカから「じゃあ、君も?」と聞き返されたら照れ臭さを誤魔化すために「黙れ」と逆上するかもしれなかった。
「……俺は意地悪をされたなんて思ってない。やられた方がそう言ってるんだから、考えるのはもうやめろよ。
アンタは嫌な奴じゃねーよ。ウザイけどな」
「……うん」
ありがと、とリュカが微笑む。帰るぞ、とリュカの腕を無意識に引いてしまった自分に驚いたものの、ここで慌てて手を離せば動揺しているみたいになってしまう、とトウヤはなんでもない様子を振る舞うのに、必死にならないといけなくなった。
細いが普通の男の腕だな、やけに色の白い……とリュカの腕に意識を飛ばしていると、「君が俺を嫌な奴じゃない、って言ってくれて嬉しかった」と横からダラダラと話しかけられる。
返事と腕、どちらに集中すればいいか迷って、トウヤは結局、腕を諦めた。
「俺、自分が悪いふうに変わっていったんじゃないかと心配だったからよかった……。
前はあまり読まなかった恋愛の本もよく読むようになったし、それに、それにさ…………前はほとんど性欲なんか無かったのに、……さ、最近は変で……、一人で、一日に何度もしてしまう時がある……」
「なんだって……?」
「……清潔な手で、学業に支障が無いよう、性欲をコントロールするためだったら、毎日しても、問題ないって、書いてあったけど、本当かな?」
ギクシャクとした口調は、必死で覚えた詩の暗唱テストを受ける小さな子供のようだった。
「清潔な手」「性欲のコントロール」……どうせ、大学の図書館で性教育の本でも読み漁ったなと、今までのリュカとの付き合いで、いつの間にかトウヤはそれがわかるようになってしまっている。
「……お前、あんなロクに女を抱いたこともないような、寝ぼけたジジイ共が書いた本を真に受けてんのかよ」
「ジジイじゃないよ。フフッ……権威ある大学教授だよ」
「……お前も、笑ってんじゃねーかよ」
お前も本当はそう思ってんだろ、と言ってやりたかった。
ただ、リュカがあんまりおかしそうにクスクス笑うせいで、口を開いた瞬間トウヤもそれに連れてしまいそうだったから、ギュッと口を閉じた。
「だって、児童教育学の教授って君の言うとおり、本当に寝ぼけているような優しい口調の人が多いから……フッフッフ……」
笑ってはいけないのにおかしくてたまらない、というリュカを見ていると、それだけでトウヤも一緒に笑ってしまいたくなる。そして、もっと笑えばいいのに、とも思ってしまう。
リュカが「自分が悪いふうに変わっていった」と悩んでいた一方で、トウヤも自分が変わっていくことに違和感を覚えていた。
別れ際に、リュカから「次の土曜日、一緒にグループホームに行こう。俺の部屋にも来て」と誘われた時、何も言わずに頷いてしまった。
「本当?良かった。ありがとう」とリュカに笑いかけられた時も、「べつに」と素っ気ない態度をとったものの、やっぱり行きたくない、とは思わなかった。
グループホームで暮らす、お年寄りも子供もトウヤは両方が大嫌いだった。これは変わらない。
じゃあ、なんで頷いたのかと言うと、「俺の部屋にも来て」という誘いを魅力に感じたのか、「良かった」とリュカが喜ぶ様子を見たかったのか、どっちかのような気もしたが、どっちも認めたくなかったトウヤは「……行くから、ケーキ、食べさせろ」と言ってそっぽを向くことにした。
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