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元カレ(6)
しおりを挟む二人っきりになった途端「パンツを返してください!」とマナトは詰め寄ってきた。怒っているのに、リンちゃんやタクミ君に聞かれたくないのか、顔を近付けてコソコソと話しかけてくるのが、「もしかして、これはご褒美なのでは……?」と勘違いしそうになる程可愛らしい。
「……マナト、俺はマナトの入った後の残り湯は飲んだことなんか無い」
「本当に……?」
「本当に」
正確には「まだ、飲んだことはない」だが、聞かれていないことには、あえて答える必要は無いだろう。
本当はマナトを単独で湯船に浸からせた後の残り湯を飲みたいし、その湯船の中で射精すれば、マナトに中出ししているのとほぼ同じなのでは……? といつも思っている。
それなのに、「ユウイチさん、一緒に入りませんか……?」とマナトが恥ずかしそうにしながら可愛く誘ってくるから、「マナトだけが入った風呂の湯」がなかなか入手出来ない。
一度だけ、マナト一人で風呂に入った日があった。「ユウイチさんも早く入ってきて!」とマナトから言われて「今だっ!」と風呂場に飛び込んだら、入浴剤が使用されていて、ショックで卒倒しそうになった。
「冬至だから、柚子の入浴剤か……。でも、これでは、マナトの入ったお湯本来の風味も味もわからない……」と咽び泣き、身を切られる思いで浴槽の栓を抜いた。
「じゃ、じゃあ、パンツを……しゃぶしゃぶにするって言うのは? 俺のパンツを食べたんですか……?」
「ハハハ……。いくら、俺でもそんなこと出来るわけが無い。マナト、よく考えてみて欲しい」
「そ、そうだよね……はは」
「ビックリした……だって飲み込めないですよね」と微笑むマナトはタクミ君と同じで、根本的なところで何か勘違いをしている。
パンツをしゃぶしゃぶにするなら、肉の代わりに食べるんじゃなくて、出汁を取るのに余すことなく使うということを、まるでわかっていないようだった。
パンツで出汁を取って、しゃぶしゃぶをするなんて、いつでも脱ぎたてのパンツが供給される貴族の遊びだ。
俺が持っているマナトの使用済みパンツは、クリスマスに貰ったたった一枚だけ。貴重な一枚は迷うことなく永久保存用にしている。
もちろん俺が貴族だったら……。マナトに目の前でパンツを脱いでもらって、「マナトのパンツで出汁を取って、しゃぶしゃぶをしてもいい?」とノーパンのマナトを辱しめることに喜びを感じていただろう。
「やめてください……! お願いだから俺のパンツで変なことをしないで……」とノーパンのまま泣きそうになっているマナトは、もちろんしゃぶしゃぶ中は、ずっと側に座らせる。
「これが旨味か……」「濃厚……」とイチイチ呟きながら、出汁を飲んでパンツをしゃぶり悲鳴をあげさせる……。
この場合、「やめて!」というマナトの反応までがセットだから、なかなか実現は難しい……という意味で「俺はパンツでしゃぶしゃぶはしない」と強く否定しておいた。
「マナトから貰ったパンツは……、『そういえば、ベランダにマナトのパンツが飛んできたこともあったなあ』と昔を思い出したい時にコッソリ眺めてる」と伝えても、「嘘ですよね?」とまだマナトは疑っていた。
「いや、本当に。……マナト、俺は一枚しかない貴重な脱ぎたてのパンツでそんな贅沢な遊びはしない」
「ええ……? ちょっと待ってください……なんか、おかしい……、贅沢な遊び、っていう発想がすでに、おかしい……?」
「………俺にとって、あのパンツはマナトから貰った宝物だから。何も手を加えたりはしないよ」
「うーん……」
最終的にマナトは「……渡した時のことを思い出すと、今でも恥ずかしくなってしまいます」と真っ赤になって黙り込んでしまって、一応、納得してくれたようだった。
貰ったパンツは、じっとりと眺めた後、マナト、と名前を何回も呼びながらジップロック越しに擦り付けて抜くのに使っている……と言うことは、もちろん聞かれていないので黙っておくことにした。
「……ユウイチさん」
「うん?」
「今までの会話、恥ずかしいから絶対、誰にも内緒にしてください……。あと、……俺のパンツ、あんまり変なことに使わないでね」
マナトとの会話の一部始終は囁くような小声で行われた。いつもとは違うマナトの掠れた小さな声を聞いていると、今度セックス中のマナトに「声、我慢して」というのも良いな……とインスピレーションが掻き立てられた。
さすが、マナト……と感心していると、リンちゃんが部屋へ戻ってきた。
「マナト、変態からは逃げられた? こんなミカンいらないと思うけど、タクミのバカがどうしてもって聞かなくて……」
「あの、よくわからないけど、ユウイチさんはやってないみたい……」
「ふうーん……? どっからどう見ても余罪だらけだと思うけどね? 丸め込まれちゃって……」
リンちゃんは、数々の難事件を解決してきたベテラン刑事のように鋭い目付きで、俺をじろじろ眺めてから、「フン」と鼻で笑った。「ユウイチ……俺の気分次第でお前なんてどうとでも出来るよ? わかってんだろうね?」とでも言いたげな表情だった。
リンちゃんが「酸っぱい」と言うネットに入ったままのミカンは、大きさは不揃いでも、どれも綺麗なオレンジ色をしていた。
その中から大きめのミカンを選んだマナトは皮を剥いた後、なんと半分を「はい、どうぞ」と差し出してきた。
「えっ……」
「ユウイチさん? ミカンは食べない?」
「いやいやいや……! もちろん食べるよ……!」
思いもよらない形で、マナトが剥いてくれたミカン、というとんでもないレアアイテムを手に入れてしまった。興奮しているのを上手く隠しつつ、「ジップロックってある?」とそれとなく聞いただけで、リンちゃんからジロリと睨み付けられた。
あまり食い下がると警察を呼ばれる恐れがあるため、保存は諦めるしかないようだった。一房十万円前後の価値があるマナトが剥いてくれたミカンをゆっくりと味わって食べた。租借して飲み込む瞬間、喉を通過していく時ですらも美味しい。マナトが手作業で剥いたミカンには、体を内側から満たしてくれるような、そんな瑞々しさが感じられる。
そんな気持ちでいると、「……酒のアテしか無かったっす」とタクミ君がしょんぼりした顔で戻ってきた。その様子は、立派に成長した青年にも関わらず、仲間はずれにされた子供のようだった。
「……タクミ君、俺もユウイチさんもお腹空いてないよ。大丈夫だよ」
「でも……、あっ、そうだ、じゃあ夕飯は……? ゆ、ユウイチさん、しゃぶしゃぶが好きなんですよね?」
タクミ君の口から出た「しゃぶしゃぶ」という単語で四人も人間がいるにも関わらず、シン……と部屋が静まり返った。
「えっ? あれ? 違った……?」
「……タクミ、今は誰もしゃぶしゃぶなんか食べたい気分じゃないんだよ」
「なんでだよ……?」
「いいから黙ってな。……良かったら、二人ともご飯を食べていきなよ。……しゃぶしゃぶ以外の」
マナトが「えっ! いいの!」と声をあげた後、チラッとこっちを見てきた。「本当は二人で食べる予定だったけど、いいですか……?」と心配そうにしていたから、すぐに、いいよ、と頷き返した。
「……じゃあさ、ユウイチ、買い物に着いてきてよ」
「なんで、ユウイチさんを連れて行くんだよ? おかしいだろ」
不満そうにしているタクミ君にリンちゃんは「荷物持ちだよ。お前は家でマナトと遊んでな」とピシャリと言い放った。
荷物持ちと言う目的は半分だけ本当だ。残りのもう半分は「着いてきて金を払え」だということは、リンちゃんとの今までの付き合いから分かっていた。突然マナトと二人で家にお邪魔しているし、これくらいは当然のことだと思っていたから、「わかった」とリンちゃんに返事をした。
リンちゃんから留守番を命じられて、「遊んでろって、子供じゃないんだから……」と不満そうにしているタクミ君に対して、マナトは真逆で、パッと嬉しそうに顔を輝かせた。
「そうだ! タクミ君! せっかくだからタクミ君の車を見てもいい?」
「……べつに見せるようなたいした車じゃない」
「えっ? そんなことないよ! お願いちょっとでいいから! 見せて!」
「……嫌だ」
「タクミ君、お願い! 変なとこは絶対触らないから! ちょっとだけ!」
「知らねえよ。ここでおとなしくしてろ」
「ちょっと触るだけだから……。お願いします」
「はあ……。好きにしろよ、もう」
タクミ君は会話をしている間、照れ屋だから仕方がないのか、マナトの顔を直視しないように微妙に目を逸らしているのが微笑ましかった。
マナトも時々「そうだ、この人は照れ屋なんだった」ということを思い出すのか、「タクミ君、タクミ君」と可愛い笑顔を向けた後は、すまなさそうな顔でフイッと目を逸らす。
恥ずかしがり屋と照れ屋の組み合わせが可愛いうえに、自分から「変なとこは絶対触らないから! ちょっと触らせて!」とグイグイ来るマナトを見たのは初めてだったせいで、「これはこれで良いな……」と目が釘付けになってしまう。
それは、「パンツを見せて」「ちょっと罵倒して欲しい」と迫ってくる俺のような人間に対してマナトが絶対に見せないような反応だった。自然体でいるにも関わらずマナトから良いリアクションを引き出せる……。タクミ君は、逸材なのかもしれない。
「タクミ君……、すごく鋭い良いセンスしてるよ」
「……えっ、俺っすか?」
先に飛び出して行ってしまったマナトの後を追って、愛車へ向かおうとするタクミ君を呼び止めてそう伝えた。タクミ君は「……そんなこと言われたことないっす」とすごく不思議そうな顔をしていた。
「……いやいや、自然体でここまでセンスを感じさせる人ってなかなかいないよ。タクミ君からはすごく光るものを感じるな……。そうだ、漁港でもマナトに親切にしてくれて、ありがとう。タクミ君みたいに、優しくて良い感性をしてる人に会えて、俺もマナトもツイているな……」
「……あざっす」
ボソッとそう呟いた後、タクミ君はほんの一瞬気まずそうな顔をした。何か言いたそうな顔をした後、ぐ、と言葉に詰まる。諦めたような顔でプイッと目を逸らした後、ペコッと頭を下げてからタクミ君はそのまま外へ出て行ってしまった。
「無愛想な人だな」といったことは、一切感じなかった。それどころか、リンちゃんの言っていた「照れ屋」という言葉を思い出すと、たぶんタクミ君は、本当はお礼を言った後すぐにでもいなくなりたかったに違いなかった。
数秒は何かを言おうと葛藤して、やっぱり照れ臭いという気持ちが勝ったんだろうな、というのがタクミ君の様子からは感じられた。
「……ユウイチ、なんで一万円札を握り締めて突っ立ってんの?」
「はっ……! 俺はいったい何を……?」
……危なかった。「あっ、可愛い……」と感じたらお小遣いと称して金を渡す、という条件反射が身に染み付いてしまっている。
「金を払う気満々じゃん。俺はそういう態度は嫌いじゃないよ。……さっさと行くよ」
リンちゃんと一緒に外へ出ると、マナトとタクミ君が、タクミ君の愛車の運転席のドアを開けて車内を二人で覗き込んでいた。
軽トラのエンジンルームは運転席のシートの真下にあるから、それを眺めているようだった。
二人とも、お互い微妙に気恥ずかしそうにしながら何か話をしていた。その様子は兄弟とも、友達どうしとも違っていて……。「お兄ちゃんの友達」「友達の弟」とお互いを表現するのが一番しっくりくるような距離感だった。
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