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元カレ(4)
しおりを挟む防波堤の方からピョンピョン飛ぶようにして走ってきたマナトは、肩で息をしながら「見つかって、良かった」と呟いた後、ホッとしたような顔で笑った。
「どこ行ってたんですか! 電話も出ないし……って怒ろうと思ってたけど……。ユウイチさんがいた、って思ったら嬉しくて、全然ダメだ……怒れなくなっちゃった。俺も勝手に、走っていなくなって、ごめんなさい……」
「可愛い……」と感じることすら憚られるほど、一生懸命で健気で、……やっぱり可愛い。
けれど、知らない場所で一人で俺を探し回っていたんだろうか、と思うと、いくら反省してもし足りない程だった。
通報されるかされないかの瀬戸際だったとは言え、不安にさせてしまったことに対して「ごめん」と心の底から悪いと思って謝ると、「いいよ」とマナトは、もう一度笑ってくれた。
「……リンちゃん、だよね……? 俺、覚えてる? マナト……」
俺と話している間もマナトはずっとリンちゃんの存在を気にしていた。「どうして、ここにリンちゃんがいるんだろう?」という驚きと、「もう一度会ってみたい」という願いが叶った喜びとが混ざりあい、複雑な感情を抱いているようだった。
「……相変わらず可愛い顔してるね」
そう言ってリンちゃんの手がマナトの両頬を包んだ。「えっ、あの……」とマナトは、リンちゃんの美しさと、自分に触れられるという行為、両方に対して、明らかに動揺していた。
よくよく観察すると、リンちゃんはマナトの顔は一切見ていなくて、俺に視線を送ってきている。「悔しいだろ?」と挑発してくるような眼差しだった。
俺の綺麗な顔を前にすると、マナトはこんなふうにモジモジしちゃってなんにも出来ないよ……、と言いたげな様子には、自分の美しさへの自信と、ほんのちょっとした意地悪を仕掛けては相手を振り回すのが楽しくて仕方ない、というリンちゃんの性質が凝縮されていた。
無言で、「俺は、場合によっては寝取られでも全然抜くけど?」とネコ科の動物のように大きな瞳をじっと見ていると、リンちゃんは舌打ちをしてから、スルリとマナトの身体から離れた。
「……ユウイチと付き合ってるんだってね」
「うん……。リンちゃんのおかげ。どうも、ありがとう」
えへ、と笑うマナトに対してリンちゃんは、「骨の髄までしゃぶり尽くして、こんな変態とはさっさと別れな」とめんどくさそうに答えるだけだった。
「……リンちゃん、良かったら連絡先教えて。前に聞けなかったの、ずっと後悔してたから……」
「はあ? 嫌だよ」
「お願い……。迷惑ならなるべく連絡しないから」
「じゃあ、教える意味ないじゃん」
教えてあげてよ、と口を挟むべきか迷った。俺がリンちゃんにそう言ったところで「ヤダよ」と突っぱねられるだけだろうし、マナトも余計なお世話だと感じるかもしれなかった。
こういう時のリンちゃんは梃子でも動かない。基本的にリンちゃんは、いつもすごく気まぐれで、スイッチの切り替えのようにオンオフの差が激しい。
ただ、決して悪い人では無かった。いつも、プリプリ怒りながらも人の面倒を見たり、気が向いたら優しくしてやったり、気まぐれで何の前触れもなく立ち去ったり……。誰に対してもそういう態度を貫いていた。ある意味会う人全員に、平等に接しているなと感心してしまう程だった。
記憶の中のリンちゃんの姿が鮮明になればなる程、なんとなく、リンちゃんはマナトを放っておくことはしないだろう、という気がした。
リンちゃんは「……俺の連絡先なんか聞いたって、なんにもならないけどね。そんなに知りたいんだ?」とからかうようにして、マナトの顔を覗き込んだ。
「前にも言ったかもしれないけど……、俺、ユウイチさんとのこと話せる人、リンちゃんしかいないんだよね…。いつか、また、リンちゃんと話せるかもって思うだけで、それだけで、嬉しいから……」
「へえー……」
「俺の都合でごめん……それに」
「それに?」
マナトは言葉を続けるべきか迷っているのか、しばらくの間黙っていた。口を開いてすぐに、「はは……」と何かを誤魔化すように笑ってから、リンちゃんの顔を見上げた。
「は、初めて会った日から、リンちゃんが好きだから……。……友達として」
「うーん……」
唸っているリンちゃんに、わかるよ、と頷きたくなった。
こうやって人に対して「好き」と言える、マナトはものすごく素直だ。マナトの場合、「生まれつきそういう性質だから、特に意識せずとも正直かつ真っ直ぐでいられずにはいられない」というよりも、恥ずかしかったり照れ臭かったりするのを堪えながらも相手に気持ちを伝えようとする一生懸命さがいつも伴っている。
今の「好き」にはそういうのが籠められてたな、眩しくて直視出来ない程に……、とリンちゃんの様子を窺うと、バチッと目が合う。
リンちゃんはそれはそれは嬉しそうに、ニヤリと笑った。
「ふう……。なんだか、寝取ってやった気分が味わえてスッキリしたから、連絡先を教えてあげる」
「え?」
こっちへおいで、とリンちゃんはマナトとコソコソ連絡先を交換していた。
マナトの相談相手が出来たことは嬉しい。リンちゃんがちょっかいをかけてくるのも、「あっ、全部オカズにするから大丈夫だよ」としか思わないから全く問題ない。それに、前に俺とリンちゃんが付き合うことになった時、「どうしても連絡先を教えて欲しけりゃ金を払え」とコンビニのATMまで連れて行って貰えた懐かしい記憶も甦ってきた。
本当にあらゆる意味でリンちゃんには世話になりっぱなしだ、と思いつつマナトに「良かった」と声をかけると「……うん」とはにかんでいた。
「……ねえ、こんな所にいるのも飽きてきたし家まで乗せてってくれない?」
「あっ、うん。いいけど……」
リンちゃんが「帰る」と言い出したので、マナトの運転で送って行くことになった。
釣竿を持っているわけでもないリンちゃんが、ここで何をしていたのかは結局わからない。リンちゃんは当たり前のように助手席に乗り込み「ああ、やっぱ、ボロい車とは全然違う……」とため息をついていた。
「でしょ? ……と言っても借りてきた車だけど」
「ほーんと、毎日軽トラばっかりだと嫌になっちゃうよ……」
「なんでー? 軽トラは便利だよ」
前の席に座る二人の会話を聞きながら、リンちゃんはやっぱり仕事をしていて、それで軽トラに乗っているんだろうか、ということを考えていた。一体何の仕事を……? 「働くなんてバカバカしい、オッサンから金を巻き上げるのが俺には一番合ってる」と言っていたリンちゃんが……? と、疑問は尽きなかった。
「……そういえば、漁港で男の人が一緒にユウイチさんを探してくれて。この辺の人って親切だね」
「子供の頃から住んでるけど、そんなふうに感じたことなんか無いよ。昔からそこら中、愛想の無い男ばっかりだよ」
「マナト? その人は?」
そんなふうに助けてくれた人がいたのか、と思わず会話に割って入ると、バックミラー越しにマナトと目が合った。
「うん……。俺が、ユウイチさんを見つけて『あっ!いた!』って言った瞬間に、良かったな、って言っていなくなっちゃった……」
「ほらね」とリンちゃんが勝ち誇ったように言う。愛想がない、と言うよりかは、不器用なだけでは? という気がした。マナトも「……照れ屋だったみたいで。お礼を言われるのが恥ずかしかったみたい」と言っている。
困っているマナトを助けてくれる善良な人に、お礼を言えなかったのは残念だった。「良いお兄さんだったよ」とマナトがニコニコしているから、なおさらそう感じられた。
「……そこの屋根が三角の平屋が俺の家。マナト、車止められる? なるべくギリギリまで門の方に寄せて……」
うん、とマナトはリンちゃんから言われたとおりに車を駐車した。もう一台、側に車を止めるために、そうさせているようだった。
アパートから引っ越して、リンちゃんは誰かと一緒に住んでいるのは確実なようだった。本人に聞こうか、と迷っていると「下りなよ」とリンちゃんの声がした。
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