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元カレ(5)

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 リンちゃんの言う「俺が今住んでる家」は、リフォームされてからそれほど年数は経っていないようだった。
 玄関や廊下には手すりが設置され、床には滑りにくい無垢材が使用されている。高齢の方へ配慮した造りになっていたため、ここはリンちゃんの実家で、アパートを引き払った後は、両親と生活をするようになったんだろうか? と勝手にあれこれ想像してしまっていた。

「座ってな」と通されたリビングで待っている間、マナトは「リンちゃんの家、綺麗だね」とずっとキョロキョロしていた。そうだね、と頷きながらも考えていたのは、俺が同じことをすれば「何をジロジロ見てんだっ!」と間違いなくリンちゃんから怒声が飛んで来るだろうということだった。

 リビングの隅に設置されている白いハンガーラックには、全然テイストの違う服がかけられている。一枚はリンちゃんの派手な顔に似合いそうな、赤を基調としたリバティプリントのシャツで、もう一枚はナイキのブルゾンだった。
 リンちゃんはスポーツブランドの服を着ることに対して何か誤解をしていて「なんで部活もしてない、いい大人がファッションとして着るわけ?」と失礼なことを平気で言ったりする。だから、ブルゾンの方はリンちゃんの服ではないだろうし、この家にはリンちゃん以外にもう一人若い男性が住んでいるのは、ほぼ確実だろうと思われた。

「ロクな食べ物がこの家には無いんだよね。
ピスタチオとビーフジャーキーしか見つからない。」

 ごめんね、と言いながらグラスを二つと緑茶のペットボトルを手にリンちゃんが戻ってきた。昔だったら、片付けておこうとリンちゃんの飲み残しのコーラに手を伸ばしただけで「何をやってんだ! この変態野郎!」
と怒鳴られていたのに、今日はコップに並々とお茶を注いでくれる。
 やっぱりどこかリンちゃんの雰囲気が変わっていた。生活感が出てきて、表情や身体から妙な生々しさが感じられるから「リンちゃん」という人の持つ美しさに奥行きが生まれたような……と考えていると「何見てんだっ! ぶん殴るぞ!」と案の定リンちゃんに怒鳴られた。

「いや、リンちゃん雰囲気変わったなあって。マナトはそう思わない?」
「えっ? うーん……どうだろう?ちょっと、優しい雰囲気になったような……?」
「そう、それ。俺も全く同じことを考えてた」
「絶対嘘だろ! この変態野郎が!」

 俺がいつ嘘をついた? と不思議で仕方なかったものの、「あっ、ユウイチさんもそう思ってたんだ? 同じですね……」とリンちゃんに聞こえないようにマナトがこっそり伝えてくるのが可愛すぎて、「リンちゃんは、ひょっとしてアシストの天才なのでは……?」とすら思えてきた。

「あーあ、今日は全然釣れなかっただろうし、夕飯に食べるものが何も無いんだよね」
「リンちゃんも釣りをするの?」
「俺はしないよ。餌なんか気持ち悪くて触れないし……」

 釣れもしないのに何が楽しいんだろうね、とリンちゃんが呆れたような声で呟いた時、玄関からドアが開く音がした。思わずマナトと顔を見合わせる。「誰か帰ってきたのかな?」と言いたげな様子で、マナトは目を丸くしていた。


「おい、リン、誰か来てるのか………って、えっ?」

 リビングに入ってきたのは若い青年だった。
 身長はリンちゃんとそう変わらないだろうから180センチあるかないかくらいで、肩や腕はガッシリしていて、体格を見れば毎日体を動かして働いているのだろう、ということは明らかだった。
 声色は低くて落ち着いているものの、顔つきはリンちゃんに比べるとほんの少し幼く見えた。キッと目尻の上がった大きな目と細い眉が「昔、ヤンチャしてました」という雰囲気を醸し出している。

 リンちゃんの同棲相手だと思われる彼は、マナトの顔を見てから驚きの表情を浮かべた。同じようにマナトも「あっ!」と短く声をあげて、青年が現れたことにビックリしたようだった。

「………お前、やっぱりマナトだったのか?」
「えっ、うん、そうだよ。……俺、タクミ君に名前教えたよ? というか、ここ、タクミ君の家? タクミ君が漁港で探してたのって……」

 タクミ君、と呼ばれる彼はマナトからの質問には答えなかった。その代わり、ギ、ギ、と音がしそうな程ぎこちなく首を動かして、俺の方を見た。

「じゃ、じゃあ……ゆ、ユウイチ、さん……?」
「えっ……? ああ、はい。はじめまして。お邪魔してます」

「こんにちは。リンちゃんの……友人の生田ユウイチです」とペコペコ挨拶をすると、タクミ君は「ほ、本物……」と上擦った声で呟いた。
 どうして、タクミ君と呼ばれる彼は俺のことを知っているんだろうか? そもそも、マナトと知り合い且つリンちゃんの同棲相手とは、いったいどういう人なんだろう? と次から次へと疑問は湧いてきた。
 タクミ君は俺が「ユウイチさん」であることを確認した瞬間に、表情を一気に強張らせて、知らん顔をして座っているリンちゃんの方へ慌てて詰め寄った。

「おい! ユウイチさんが来てるだろ!」
「知ってるよ?」
「なんで、何も出さない?」
「お茶を出してるじゃん。食べ物はろくなものが無いんだから、どうしようもないだろ」

 つっけんどんな言い方で面倒臭そうに対応するリンちゃんにも「タクミ君、どうしたの」とオロオロするマナトにも、俺の「どうぞお構い無く」にも……。いずれに対しても、タクミ君は特に反応を返さず、険しい表情のままだった。


「……お前、昨日買ってやったロールケーキと、今日午前中に買った……たい焼きがあっただろ? あれはどうした」
「どっちもとっくに食べたよ。それに、農協の外にある屋台で買ったたい焼きなんて垢抜けない食べ物、ユウイチとマナトが喜ぶわけ無いじゃん」
「お前……。いっつも4個も5個も一人で食べておいて、よくそんなことが言えるな……」

 俺は台所を見てくる、とタクミ君は慌ただしくリビングを飛び出していった。

「……漁港でユウイチさんを一緒に探してくれたのタクミ君なんだよね」
「えっ? ああ……、それでマナトを知ってたのか……」
「うん。でも、俺、ユウイチさんの名前は出してないのにどうして知っていたんだろう……?」

 そりゃあ、もう、リンちゃんしかいないと思うよ、と目の前に座っている整った顔に視線をやった。それに気が付いたリンちゃんは「……食べるものを探してくるってさ」と肩を竦めていた。

「彼……。タクミ君、俺を知ってるみたいだけど……」
「ユウイチとマナトのことは、俺が何度か話したからね。見た? あの慌てよう。……フフ」

 リンちゃんの大きな目が、にゅーっと細められる。そのまま口許が綻んで、ニヤっと笑った。
 単純にタクミ君がオタオタしているのが面白かったというだけでなく、別の意味も含まれているんだろうと感じられるような表情だった。

「……俺がいくら言ってもタクミはユウイチのキモさを理解することが出来なくてね……。俺が意地になって話せば話すほど、『そんな変態いるわけない』と頑なになっちゃって、最終的にはユウイチのことを、自分でパンツが買えないほど生活に困窮していると思ってんだよね」
「えっ!?」

 リンちゃんは、タクミ君のことを「花のことと釣りをすることしか知らないような純粋な男」で、「信じられないくらい照れ屋」だと言う。

 リンちゃんがクリスマスの日の朝に目を覚ますと、枕元にタクミ君からの花束がそっと置いてあった……というエピソードを聞いた時には、マナトと二人で思わず「可愛い……」と呟いてしまった。

「……花をプレゼントしたことが自分でも恥ずかしかったんだろうね。翌朝、俺が花瓶に突っ込んでたらさ『活け方がなってねえんだよ!』って、耳まで真っ赤にしてキレてきたからね……」

 なるほど……と目の前のリンちゃんと、さっき初めて会ったばかりのタクミ君の顔を思い浮かべて、一人頷く。
「誰にも縛られたくない」と言い、一人で暮らすことを望んでいたリンちゃんが同棲相手として選んだのはどんな男性なんだろうということは、ここに来てからずっと気になっていたことだった。

 タクミ君は見た目は普通にかっこいい若者だ。
 けれど、気の強そうなタクミ君を初めて目にした時には「おや?」と意外に思った。
リンちゃんに選ばれるのは、どれだけ踏まれ、罵倒され、縛られても「あああっ!ありがとうございます……!」と大喜びするような人だろうと勝手に思っていたからだった。

 タクミ君はリンちゃんにひれ伏すどころか、「お前」呼ばわりもするし、踏まれながら罵倒でもされようものなら、喜ぶどころか「何すんだっ!」と怒鳴り返すくらいは平気で出来そうだった。

 リンちゃんくらいの上級者になってくると「踏んでください」と自ら寄ってくるような始めから従順な人間ではなくて、「やめろよ!」と抗う威勢の良さはあるのに、純粋で可愛いタクミ君のような人を調教するのに喜びを感じるに違いなかった。
 ほんと良い趣味してるよ……とリンちゃんとタクミ君の関係についてしみじみ納得してしまった。

「俺が、ユウイチのことを、マナトが入った後の風呂の残り湯は飲んでるだろうし、盗んだパンツでしゃぶしゃぶをやってるに決まってるって言ったら、そんなに厳しい生活をしてる人なのかって心配してんだよね。そういう性癖、っていうのが理解出来ないみたい。ウケるでしょ」
「いや、全然笑えないけど……」

 ギャハハ! とリンちゃんは大ウケしていたけど、俺は一切笑えなかった。
 まず、純粋なタクミ君がリンちゃんのオモチャにされて、俺に対してしなくてもいい心配をしているのが申し訳ない。きっと、今も「腹が減っているだろうから、何か……食べるものを……」と必死で探しているに違いなかった。
 リンちゃん、なんてことを……、俺の口から「タクミ君違うよ。俺はそういう性癖なんだ。だから何も心配はいらない」と一から説明しないといけないのかと、頭を抱えたくなった。

 そして、もう一つマズイことがあった。

「ユウイチさん、パンツをしゃぶしゃぶにするってどういうこと? 残り湯のことも詳しく説明してください! それから、俺が渡したパンツは絶対に返して……!」
「いや、違う、マナト。本当に違うから。……こういう大人の話は帰ってからにしよう」
「ダメです! 今、パンツを返すって約束してください……!」

 側に座っていたマナトが、頬を赤く染めて半泣きになっていた。可愛いけど、可愛すぎるけど、かなりマズイことになってしまった。

「ユウイチ……お前、漁港でマナトに絡んだ俺に対して、ほんの一瞬でも勝ち誇った顔をしたね? 十年早いんだよ、この変態が……」

 全ての元凶であるリンちゃんが、囁くようにそう言った後、ゾッとする程冷ややかで綺麗な笑顔を見せた。
 確かに俺は、あの時「俺は寝取られでも全然抜くよ?」と思いながら、リンちゃんをじろじろ見た。プライドの高いリンちゃんがそんなことを見逃すわけがないのに、挑発するようなことをしてしまった。

 つい、近所のドラッグストアで買い物をする時の悪い癖が出てしまったに違いない。
 最近、シャンプーを買う時に、レジの善良な店員に対して「ついに、マナトの方が俺の使っているものを追うようになったんだけど?」と心の中でマウントを取り続けていたのが良くなかったに決まっている。

「フフ……二人でゆっくり話しなよ……」

リンちゃんは「あとは、知らないよ」と言うかのように、スルリとリビングから出て行ってしまった。

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