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はじめまして(1)

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 今年のクリスマスイブとクリスマスは去年よりは暖かかった。



 ヒートテックのインナーとタイツ、ネックウォーマー、靴用のカイロ、厚手の手袋。これだけやっても冬の日にバイクでピザを配達するのは寒くてツライ。
 バイクを運転しているとモロに風を受けるから、体感温度は実際の気温よりもずっと低かった。一回の配達で4、5軒分のピザを持たされて、寒い中、外をバイクで走り回った。
 それでも、雨は降らなかったしクリスマスは最低気温でも5度近くあったから、今年はまだマシな方だ。

 クタクタになりながらイブとクリスマスの二日間の勤務を終えた時には「やっとサンタのコスプレをしないですむ……」ということにホッとしながら、家に着いた瞬間倒れるようにして眠った。




 翌朝からはクリスマス明けの土日のうえに冬休みがスタートする。そして、気温もグッと下がってしまった。
 そのせいで、配達中に寒くて動けない、と思う瞬間が何度かあった。それでも、お腹を空かせて待っている人がいるから、と必死でバイクを走らせる。

「ありがとう! 寒いのにごめんなさいねー」と気にかけてくれるお客さんもいれば、ピザの受け渡しの時にひょっこり顔を出して「おいしそー」「バイバイ」と言ってくれる、ちっちゃい子もいた。
……そういう人達のために頑張らないといけない、と最初は思っていたはずなのに、いろいろあったからなのか、いつの間にか「終わったら家へ帰れる」ということで頭がいっぱいになっていた。俺はお客さん全員に「ありがとうございました!」と笑えていたんだろうか。最後の方はほとんど覚えていない。



 日曜日である今日、十軒目の配達先へ着いたのは21時過ぎのことだった。
到着予定時刻は21時ちょうどになっている注文だった。
 待ってくれているお客さんには本当に申し訳ないけれど、忙しい日にほとんど遅れずに予定時間ピッタリに到着するのは奇跡に近かった。店でどんなに急いでピザを焼いて貰って、なるべく信号の少ない最速ルートを走って来たとしても、大量に注文を受けている時はどうしたって多少の遅れが出てしまう。
 この時に「良かったあ。早く着いて。ピザの出来上がりのタイミングがピッタリだったからだ」とホッとした俺が間違っていたのかもしれない。配達する側にとっては「間に合った」と感じられる範囲だったとしても、すでに注文時に「一時間待ちです」と伝えられてから、ずっと待っていた人にとっては一分でも二分でも、それが許せない遅れになってしまう、ということを俺はすっかり忘れてしまっていた。

 バイクから降りてエレベーターで慎重にピザを運んだ。インターホンを押して、木目調のドアが開いた瞬間に「あっ、なんだかヤバイ」とすぐにわかった。バイトを初めてから今まで何百軒も配達しているから、そういうことは空気で読み取れるようになる。

 出てきたのは、俺とそう歳は変わらないであろう若い男の人だった。俺の顔を見た瞬間に「遅い」と言い、ドアチェーンを絶対に外してくれなかった。
 注文分のLサイズのピザ二枚と、大量のサイドメニューを隙間から渡すわけにもいかず、「なぜ?」と戸惑ってしまった。

 そっか、俺は「こんな忙しい時期に早く着くなんて奇跡だ~」と思ったけど、お客様には注文で立て混んでいるといった事情は関係ない。それに気が付いて慌てて、「すみません」「申し訳ございませんでした」と頭を下げた。

「いいえー、大丈夫ですよ」と許してくれる人もいるけど、最初に「ヤバイ」と感じた予感は的中して「で、どうすんの?」と何度も冷たく言われただけだった。

 怒っている態度から、遅れたお詫びとしてピザの代金を無料にして欲しいんだろうか、という雰囲気は読み取れた。
 俺一人の判断で出来るのなら、そうしたいけど、当然アルバイトにそんな権限はなくてひたすら謝罪し続けることしか出来なかった。

 謝りながらも、この後、あと二軒配達があるのに、ここでこれ以上時間をロスするのはマズイ。焦りでソワソワしていると、「おい、ふざけてんの?」と威圧されて「どうしよう」と一瞬頭が真っ白になった。
 宅配員の場合、配達先でどんなトラブルに見舞われようと最初から最後まで一人で対応しないといけない。この仕事の大変な所の一つだ。

 家の中からは他の人の声もするし、注文した食べ物の量から考えると誰かと一緒にワイワイ食べるつもりなんだろうな、ということはわかっていた。
 この人だって、中で待っている家族か仲間に対してはすごく優しい人なのかもしれない。その輪の外側にいる俺にキツく当たってくるだけで、普段はきっと怖い人じゃない……。そう思いながら、何度も謝った。



「おーい、まだー?」

 部屋の中から女性の声が聞こえてきて、それでようやくドアをちゃんと開けてもらえたから商品を渡すことが出来た。
 投げ付けられたお札は地面にヒラヒラと落ちてしまい、慌てて拾っていたら「早くして」と余計にイラつかせてしまった。釣り銭とレシートは引ったくられて、「すみません」ともう一度謝ったら舌打ちされた後、ドアが乱暴に閉められた。


 急がないと、と駆け足で駐車場に向かうことは出来た。けれど、なかなか次の配達先へ出発することが出来なかった。今、バイクに乗ったら集中出来なくてヤバイかも、と思えて、運転する気になれなかった。
 こういったことは今まで何度か経験している。もっと怖いことを言われたこともあるし、殴られるんじゃないかという勢いで怒鳴られたこともある。

 たぶん、店で他のバイト仲間に話せば「鈴井っち、めっちゃ災難だったねー」「いるよねー、一秒でも遅れたらタダにしろって言う人」「店長に配達禁止に出来ないか聞こうよ」と言ってくれて、俺が「うん、ありがとう」と頷いたら、それでおしまいになるような出来事だ。

 今日は寒いからな、と冬の空気で冷たくなっているであろうアスファルトをぼんやりと眺めながら思った。
 寒くて、喋ろうにも舌が上手く回らないし、時間がないせいで運転に神経を使うような細い道ばかり通っているから疲れている、だから、落ち込むのもしょうがないな……。そもそも遅れてしまったわけだし……と暗い気持ちのままノロノロとバイクを発進させた。



「……マナト?」

 23時過ぎという非常識な時間に、アポ無しでインターホンを鳴らしたのにユウイチさんは怒ったりしなかった。
 ビックリしてはいたけど、「おかえり」と優しく笑いかけてくれた。中へ入るように促されたけれど、すぐ帰りますから、と断った。

「急に来てすみません……。クリスマスには全然会うことが出来なかったから、えっと……どうしてるかな、と思って」

 半分は本音で、残りのもう半分は嘘だ。本当のことを全部は言っていない、と言うのが正しいのかもしれない。
 ユウイチさんのことが気がかりだったのは事実だけど、それよりも自分の方が「寝る前に顔が見たい」と思ったから、約束もしていないのに来てしまった。さっきあった事を聞いて欲しいような気もしたけど、きっとユウイチさんは心配するし、嫌な気持ちになるだろうから、言えなかった。


「……もう寝ちゃってるかと思った」
「起きてたよ。今日はものすごく寒いし、マナトが大丈夫か気になって……」

 開いたドアから温かい空気が漏れてくる。スン、と鼻を鳴らすとユウイチさんの手が頬に伸びてきた。触れた瞬間にギョッとした顔をされた。

「すごく冷えてる。それに手袋は?」
「……家へ帰ってくる途中で、水に濡らしちゃって」

 ユウイチさんの両手がぎゅっと俺の手を包んだ。たぶん、触っていられないくらい冷たかっただろうけど、それでもユウイチさんは顔色一つ変えずに、自分の手の温みを分け与えるようにして、俺の冷えた手をずっと握っていた。

 一応、ユウイチさんの家の前とは言っても、俺は外にいるしこんなことして良いのかな、とも思ったけど温かくて嬉しかったから、「恥ずかしいよ」「もういいです」といったユウイチさんの手が離れていってしまうようなことは言えなかった。

「あったかい……ユウイチさん、ありがとう」
「マナト……何かあった?」
「ううん。何もない。寒かったけど……いろんな人が『ありがとう』って喜んでくれたから良かった」

 マナトは嘘をつくのがすごく下手くそだと、ユウイチさんから言われたことがある。
理由は「すぐ顔に出るからわかりやすい」ということらしい。
 だから、「俺は本当にそう思っていたんだ」とまず先に自分のことを騙してから、ユウイチさんに嘘をついた。


「帰って来られて良かった。ユウイチさんに会えたから……」

 えへ、と笑うとユウイチさんも微笑んでくれた。今のは本心だから、笑顔だって作り物じゃない本物だ。
 ユウイチさんも「良かった」と呟いた。本当に、俺が帰ってくるまでの間、ずうっとソワソワと待っていたんじゃないかなと思えるような、心の底からホッとしたような声だった。

 寒かったし、失敗もしてしまったけど、気持ちが落ち込んでいる時に、ユウイチさんに会えたことで、ようやくもう大丈夫だと思えた。もし、ユウイチさんと付き合っていなかったら、俺は今頃一人の部屋でどうしていたんだろう。


「マナト、やっぱり中へ入ろう」
「ううん。あの、渡すものがあって来ただけだから。もう帰ります……」

 明日も10時半からバイトに行かないといけない。そう伝えれば、泊まったとしてもユウイチさんは絶対にゆっくり休ませてくれる。
けれど、俺はもう疲れきっているから、今夜はユウイチさんには見せられないような、だらしない姿でダラダラ休みたかった。

「ユウイチさん、前に俺がクリスマスに何が欲しいか聞いた時に、なんて答えたか覚えてる……?」
「もちろん覚えてるよ」

 マナトの脱ぎたてのパンツ、と一切躊躇することなくそう答えられて、じわ、と自分の頬が熱くなるのを感じた。


 クリスマスがやって来る二週間くらい前に「プレゼントは何が欲しいですか?」とユウイチさんに聞いたことがあった。
 本当はこっそり何かを買って渡した方がサプライズになるんだろうけど、はたして俺が買えるようなもので喜んでもらえるのだろうかと不安に感じられたから、本人に直接聞くことにした。

 だけど、ユウイチさんは何度聞いても「何もいらない」としか言わなかった。

「マナトが側にいてくれたら何もいらないよ。毎日、マナトが元気でニコニコしているのが、俺の一番の幸せだし……」
「え~っ!?」

 そんなふうに言ってくれるなんて、なんて優しい人なんだろうと素直に感動したし、ちょっとじーんと来てしまった。
 ユウイチさんを絶対喜ばせたいと思って、「本当に遠慮しないでください! ユウイチさんにプレゼントがしたいんです。何かありませんか?」としつこく聞いたら、ようやく「あっ、あった」と欲しいものを思い出してくれたようだった。


「……マナトの脱ぎたてのパンツが欲しい。出来れば、学校とバイトに行った後の」
「……ひっ」
「悪いけど、本来の匂いが薄れるから、洗濯の時に柔軟剤を使用しなかったものを履いて、それをプレゼントして欲しい。ところで、マナトは欲しいものは?」
「あげませんし、何もいらないです。俺、クリスマスは忙しいんで」

 あの時は久しぶりに「そうだった、この人はキモイんだった」ということを思い出してゾッとした。俺の想像が及ばないような変なことに使われそうだから、脱ぎたてのパンツのプレゼントについては「出来ません」ともちろんすぐに却下した。

 その後、「お願いだから」と土下座してくるから「土下座はやめてください!」と言ったら、やめて欲しければ後頭部を踏めと脅迫されて本当に怖い思いをした。



「……これ、遅くなったけどクリスマスプレゼントです」

 そう言ってからユウイチさんに袋を渡した。中には、さっき一度家に帰った時に脱いできたパンツが入っている。
 ギリギリまで、ユウイチさんへパンツをあげてもいいのか迷っていたからラッピングをするための袋なんか持っていなくて、「これならまだマシかな……」と家にあったユニバーサル・スタジオ・ジャパンのお土産袋に入れた。夏休み中に遊びに行った友達がいて、お菓子をプレゼントしてもらった時の袋だ。
ピンク色のフワフワした毛の、エルモに似ているキャラクターがプリントされていて、俺の家にある袋の中では一番可愛い。だけど、初めてのクリスマスプレゼントと考えるとちょっと雑すぎたかもしれない。

「あの、すみません……。ラッピング出来てなくて……」

 恥ずかしいのはいつ渡したって変わらないだろうけど、本当はもっと明るい気持ちでプレゼントしたかった。でも、落ち込んでる時に会う口実になったから良かったんだろうか。

 100パーセント、ロクなことに使われないだろうけど、欲しいと言われたうえに「遠慮しないで」と言ったのは俺だった。それに……。気持ちが悪いことを言われるけど、ユウイチさんのことが好きだから、散々迷った挙げ句「今回だけ特別」とプレゼントすることにした。


 ユウイチさんは「ハッ……」とひっくり返った声をあげて息を飲んだ。それから、ブルブル震える手で袋の中を確認した後、喉の奥から絞り出すような言い方で、「ジップロックに、入れないと……」と呟いていた。
 もう、この時点で怖いし気持ち悪いしで、渡したことを激しく後悔した。けれど、ユウイチさんが「ありがとう」と静かに涙を流すから、置いて帰るわけにもいかず、「……良かったですね」と宥めた。


「実は俺も……何か形のあるものをマナトへ渡したいと思って」
「えっ!?」

 そんなことは初耳だった。「まだ付き合って数ヵ月で、こんなものを渡したら重いと思われるかもしれないけど……」と涙を拭った後、ユウイチさんが緊張した顔でそう言うから、聞いているこっちもなんだかドキドキしてきた。

「えーっ! 付き合ったばっかりで、そんなの貰っていいの?」と俺はビックリしているというのに、ユウイチさんは、将来のことは真剣に考えている、と言い、「結構前から準備していた」と、小さな袋を部屋から持ってきた。

 サンタクロースとトナカイのイラストが描かれたクラフト素材の紙袋はほとんど膨らみがなく、薄い。わざわざ買いものに行って一生懸命選んだんだろうか、と思うと目の前で照れ臭そうにしているユウイチさんが可愛く思えた。

「開けてみても良い?」
「もちろん」

 緊張しながら袋の中を覗くと、家から一番近い地方銀行の通帳が入っているのが見えた。……他にもいろいろ入っていたけど、怖くてそれが何なのかは確認出来なかった。


「これは……?」
「……マナトのために作った俺の預金通帳と印鑑、それにキャッシュカード」
「えっ?」
「……付き合い出してから、マナトに金を渡したいという衝動を抑えきれなくなった時に、この口座に入金することで興奮を抑えてるんだ」
「えっ? えっ?」
「よーく日付を見たら、セックスした翌日には必ず入金されているし、マナトがその日何回イったかで微妙に金額が違っているという、工夫と趣を凝らした仕上がりになっている」
「ひぃっ……」

 税金が徴集されるから金額は年間110万円を越えないようにするとか、引き出しの時の手数料についてもいろいろ言われたけど、返事が出来なかった。
 金額を確かめるように、しつこく勧められたけど、気味が悪すぎて通帳に触れることすらしたくなかった。

「……暗証番号の4桁は俺とマナトにとって、意味のある数字にしたよ」
「え……?」
「ヒントは日付……。ハハ、これじゃあ簡単すぎてクイズになっていないかもしれないな」

 ユウイチさんは、まだ気付いていないようだけど、そもそも俺はこのプレゼントを受け取る気は全く無い。だから、この暗証番号を当てるクイズに答えたくなんか無いのに、「なんだと思う?」としつこいから、仕方なく付き合った。

「……告白された日?」
「違う。捻りすぎ」
「は、はじめて……セックスした日?」
「んっふ……」
「その笑い方やめてくださいよ……」

 俺が一向に答えを当てられないことに対してユウイチさんは「おかしいな。難しい問題じゃないのに」と不思議そうに首を捻っていた。

「……答えはマナトに『変態野郎』と初めて罵倒された日」
「わかりませんよ! というか、よくそんなことを覚えていられますよね!?」

 具体的な日付を教えられても「ああ! あの時!」とは全くならなかった。

「……いらない」
「えっ?」
「さっき渡したパンツも返してください!」
「何だって!?」

「貰ったものは返せない」とユウイチさんがドアを閉めようとするから、絶対逃がしたら駄目だと思って、俺も外から必死でドアを引っ張った。閉められないように足を挟んでから、人の家のドアを抉じ開けようとするなんてことをしたのは生まれて初めてだった。

 俺の方が体は小さいけど、若いし体力だってある。バイトで力仕事をしているから絶対負けるはずなんかないのに、パンツを目の前にしたユウイチさんの執念は凄まじかった。
目は血走っていたし、呼吸も荒くて、飢えた肉食獣のようだった。

 しばらくの間、攻防を繰り返しているとユウイチさんが「……マナト、手を挟んだら危ない。お互いゆっくり力を抜いて冷静になろう」と説得してきた。

「パンツは返す」と言われていないのが気になったけど、ケガをするのは嫌だったから、ユウイチさんの言うことに従った。
 肩で息をしながら、「パンツ……」と呟いた俺の声を掻き消すようにしてユウイチさんは、「……さっき、マナトに言った、将来を真剣に考えているっていうのは本当だから」と息を切らしながら、そう言ってきた。

「……うん」
「遅れたけどメリークリスマス……」

 そうユウイチさんが言いきった後、バタン、とそのままドアは閉められた。

「えっ……?」

 逃げられた、と気付いた時には遅かった。人がちょっとドキッとした隙にそんなことをするなんて、「信じられない!」とドアをバンバン叩いて、インターホンも鳴らしたけど、反応は無かった。


「はあ……」

 深くため息を吐きながら自分の家に帰った。俺はさっきまで何を落ち込んでいたんだっけ、と思いだそうにも、自分のパンツがどんな目に合わされているのかが気になって、それどころじゃなかった。


 せっかく明後日の休みの日にどこかへ出掛けよう、とデートに誘うつもりだったのに……と腹を立てながら、疲れていたせいか、いつの間にか眠ってしまっていた。
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