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ふくらみ
しおりを挟む俺の知らないところで、俺の身体ではなんだか大変なことが起こっているに違いなかった。
「……どうしよう」
着替えている時に、上着の裾を捲ってよく見て、それから触って確かめてみたけど、やっぱり気のせいじゃない。
「おーい、アオイ!早く朝食を食べないと!」
台所からホタルが呼んでるのが聞こえたから、慌てて服を直してから部屋を飛び出した。
……作ってくれたホタルには申し訳ないけど、一口だって食べられそうになかった。
俺の身体はこのままどうなってしまうんだろう、どこか悪いんだろうか、と怖くて怖くて食欲は無かったけど、すごく頑張って食べた。
だから、ホタルから遠くまで買い物に行くから今日は留守番をしていて欲しい、と言われた時には正直言ってホッとしていた。
「……アオイ、どうして今日はぼんやりしている?」
「……しゅ、宿題に難しいところがあって、考えてた……」
「ヒナタを呼んでやるから、二人で家にいたらいいさ。
何か困ったことがあれば、アイツに言うといい」
「……はい」
……何もしていない時は平気だけど、押すと胸が痛い。
それに、それに……女の人みたいにぽこっと膨れてしまっている。
少し前から、「他の部分は太らないのに、ここだけ柔らかいなんて、なんだか変だな」とは思っていたけど、あまり深く考えないようにしていた。
寝て起きるを繰り返せばきっと元に戻るって、何度も自分に言い聞かせては、日に日に胸が膨らんでいくのに、ずっと気が付かないふりをしていた。
ホタルに「ちょっと見て」「俺の胸がなんだかおかしい」なんて恥ずかしくて、とてもじゃないけど言えなかった。
夜は、身体に触られたらバレてしまうから、ホタルに背を向けて胸を必死で隠すようにして眠る。
寝たふりをしてしまえば、ホタルは「おやすみ」と頭を撫でるくらいで、俺を起こしてエッチなことをしてきたりはしなかった。
たまに、髪に触れる指が名残惜しそうにして、いつまでも離れない時には、ごめんなさい、ってホタルに申し訳ないのと不安な気持ちとで泣きたくなる。
ホタルだって、「なんで、ここ最近は寝るのが早いんだ?」って変に思っているに違いなかった。
「うぅ……痛い……」
痛い、と声に出したところで治るどころか、痛みが軽くなるわけでもないのに、そうでもしないと不安で耐えられない。
ホタルが家を出た後に、水で濡らしたタオルをあててみたり、何か使えそうな薬がないか家中を探してみたりしたけど、ダメだった。
正直にホタルに言っていれば良かった、俺はなんてバカなんだろう、って涙が出そうだった。
□
「よっ!」とヒナタがやって来たのはそれから一時間程経った頃だった。
今日はクロスワードの雑誌を一冊と、漢字のドリルと、外国の小説をくれた。
全部いっぺんに買ったんじゃなくて、何度も本屋に足を運んだんだろうな、って気がした。
その予感は大当たりで、勉強の前にヒナタは本屋の店員さんとのことをポツポツと恥ずかしそうにしながら話してくれた。
ヒナタはその人を「アキラ」と呼び、髪と肌がとても綺麗で、元気のある大学生なのだと言う。
初めて名前を教え合った時、変に思われないように慌てて人間のお婆ちゃんの苗字を名乗ったこと。
ヒナタのふわふわした髪を「縮毛矯正なんてしなくていいよ。全然正解の方の天パじゃない」と言って貰えて、嬉しかったこと。
お店以外の場所で会おうという話になって、回転寿司に行こうよ、と誘われたこと。
緊張して会話が続かなくて、ひたすらいなり寿司を食べ続けたこと。
「……本当にバカみたいだけど、俺は15皿もいなり寿司を食べてしまったんだ。
「こんなに、いなり寿司が好きな人に会ったの初めて」って、ビックリされたよ」
「……べつに大好物をたくさん食べるのは普通のことだよ」
「そうだよな……。それに、ニンゲンギツネは鼻がよく利くから、死んだ魚は火を通さないと、生臭くて食べられないんだよ……。
でも、きっと気味が悪いって思われたかもしれない……」
「もう二度と誘って貰えねえよお!」と床の上を転がり回っているけど、ヒナタが美味しそうにいなり寿司を食べているところを想像したら、ちっとも変なんかじゃないし、可愛かった。
「……ヒナタは本当に、その人と、仲良くなりたいんだね」
「なりたいけど……。二人でいると、ムズムズして身体の力が抜ける時がある。
そのたびに、俺の正体が狐だってバレないように、走ってトイレや建物の影に逃げださないといけない……」
「どんな時にそうなるの……?」
「どんな時だって……?!」
ホタルも俺に触るとそうなっていた、と思いながら質問すると、ヒナタは真っ赤になってオロオロし始めた。
そうか、ヒナタにとって、きっとすごく恥ずかしいことを聞いてしまったんだって、俺はすごく焦った。
「ごめんね」って、慌てて謝ったけど聞こえていないみたいで、うう……とヒナタは唸りながら頭を抱えている。
「ヒナタ……」
「す、好きだって言われたらそうなる……」
「えっ……」
「たぶん、向こうは俺のことを友達としか思ってない……。友達に言う「好き」だってわかってる。で、でも、俺……」
やっぱりヒナタは「ホタルには、このことは絶対に言わないでくれ」と何度も念を押してきた。
ヒナタにとって、すごく大事な秘密だってことは俺にもわかる。だから、「うん」ってちゃんと約束した。
ヒナタの話を夢中で聞いている間だけは、胸の痛みも、膨らみのことも不思議と忘れられた。
□
「アオイ、さっきから全然進んでないけどどうした?先週教えたところだし、宿題でもちゃんと出来てただろ?」
「……うん。ごめんなさい……」
教えてもらっているんだから数学の勉強に集中しないといけないのに、部屋が静かになると、途端に胸のことが気になって何も手に付かなくなってしまう。
時々、どうか気のせいであって欲しい、と祈るような気持ちで押してみると、やっぱり痛いし、膨らんでいる。
初めは親指の先くらいだった膨らみが、今では鶏の卵くらいまで大きくなっていて、それがすごく怖い。
俺は、きっと何か悪い病気なんだ、だって、鍛えているわけでもないのに、男でこんなふうに胸が出ている人なんて聞いたことが無い……と、どんどん気持ちは落ち込んでいく。
「どうした……?暗い顔をして?」
「……なんでもない」
「……何か、嫌なことがあったのか?ホタルとケンカでもしたとか……」
「…………違う」
これはきっと勉強がわからないんじゃなくて、何か困ったことがあったんだ、と判断したのか、ヒナタが俺の背中を黙って擦ってくれる。
言うのは恥ずかしいけど、病気は怖い。下を向いて真っ白なノートをぼんやり眺めていると「言いたくないなら、言わなくてもいいけどさ……一人では抱えきれないくらい苦しいことがあるんじゃないか?」「俺がなんだってしてやるから、大丈夫だ」って優しい言葉がどんどんかけられる。
我慢しなきゃ、って思っていたのに、堪えきれなくなって、ぽたりと涙が落ちた。
「……びょ、病院に行きたい」
諦めにも近い気持ちで正直にそう打ち明けると、「なんだって!」とヒナタが大きな声を出した。
「どこだ?!どこが痛いんだ?!あああ……どうして俺は気が付かなかったんだろう……。ごめんなあ、ごめんな……」
ヒナタが泣きそうな声で謝ってくるのと、ずっとずっと誰にも言えなかったことを初めて打ち明けたのとで、涙は後から後から溢れてきた。
ヒナタは俺を布団に寝かせた後、「歩くと危ないよな……?!そうだ!医者を呼んで来てやる!待ってろ、すぐ戻ってくるからな!」と、家を飛び出して行ってしまった。
隠し事をしてしまったから、結局俺はヒナタにも迷惑をかけてしまった。
俺はすごく悪いことをしてしまったんだって、胸はズキズキと痛む。
ごめんなさい、と何度も心の中で謝りながらヒナタが帰ってくるのを待った。
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