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【番外編】リンちゃんの彼氏(2)

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ユウイチは今まで出会った人間の中でも、群を抜いて気色が悪かった。



ゲイバーで妙にジロジロ見てくる男がいるなあ、と思っていたら、それに気付いたゲイ友が「あの人、リンのことずうっと見てるよ!」とソワソワしだした。
ゲイ友はユウイチのことを「かっこいい」と結構本気で気に入ったらしく、わざと「リンなんか、いろんな人の愛人してるからガバガバだよねー!?」とデカイ声で、意地の悪いことを言うもんだから、俺もムカッときてしまった。

そっちがそういうつもりなら、俺も、と意地悪をやり返すつもりで全然タイプじゃ無かったけど、ユウイチに「お兄さん、一人?」と声をかけた。

「……そうだけど」

この時のユウイチは何を考えているのか分からない顔つきをしていたものの、落ち着いていたし、そこまでヤバいヤツには見えなかった。

始めのうちは、会話をした感じもべつに普通だった。
「ここよく来る?」「俺の家?まあ、近くもないし、遠くもないかな」といったふうに、当たり障りのないことを話している姿はちゃんとしているリーマンだった。
……たぶん、こうやって上手いこと社会に溶け込んでいるに違いない。今なら分かる。



会話が進むにつれて、ユウイチは俺が金を持っているオッサンの愛人をやっていることに異常に興味を持ち、「いくら払ったら満足してくれる?」と尋ねてきた。

「……ごめん。俺、そういう愛人じゃないんだよねー。ごめんね」

十代の頃、散々嫌な目に合わされたから、なんとかセックスをしないですむ方法がないかずっと探していた。
結局は金を持っているオッサンに「金さえ払えばヤらせてくれそう」と思わせて、金を引っ張るのが、一番楽だった。

ただ、オッサンがヤらせて貰えない状態でいることに我慢が出来なくなると、別れるしかなくなる。
そうすると、当然次を探さないといけないから、それが少し面倒だけど、それでも明日食べるもののために必死で身体を売っていた頃に比べたらずっとマシだった。



「……べつにいいよ」
「いいって何が?」
「……君、人から金を搾り取る才能がありそうだし」
「はあ?」

セックスしなくていいから、ちょっと罵倒するとか、パンツを見せてくれるとか、それくらいのことをしてくれたら、お金を払うけどどうだろう?から始まり、長々と気色の悪いことを言われたけど、「アホくさ」と無視して、席を立った。
そしたら、そういうプレイだと誤解されて、「君は天才か?」と店の外まで着いてこられた。

頭に来て「いい加減にしろ!気色悪いんだよ!この変態野郎が!」と声を荒げたら、ユウイチが急にワナワナし出したからゾッとした。
……駄目だ、話が通じない、気持ち悪い、と思わず後ずさった。

付き合うつもりなんかなかったのに、そのままゲイバーの前で土下座をされて「付き合うか、ここで踏みつけるか選べ」とムチャクチャなことを言われた。
人も集まってくるし、パトロール中のパトカーの灯りも見えるしで、しょうがなく「いいからやめろ!行くぞ!」と怒鳴り付けたら、いつの間にか付き合っていることにされてしまった。




土下座をするとか、パンツへの執着といったユウイチの性癖は、ヤツの持つキモさのほんの序章にしか過ぎない。

まず、俺の尿意を察知する能力が尋常じゃないくらい高かった。
ユウイチが部屋に来ている時に、放置してプレステで遊ぶのは俺にとっては当たり前のことだった。

オンラインの対戦ゲームでようやくマッチングをしたのにトイレに行きたくなったことがあって、「クソ、タイミングが悪い」と思っていた時だった。

「トイレ行ってきたら?」
「は……?」

なぜ「トイレに行きたい」なんて一言も言っていないのに、それをコイツは知っている?と不思議で仕方がなかった。

「……なに?なんで、分かったの?」
「わかるよ。見てたら」

「キモ!あり得るかよ、そんなこと!」と俺が思いきり顔をしかめると、ものすごく嬉しそうにしていた。
罵倒したら余計に喜ぶしな…と無視をしていたら、「へえ……今日はそういうふうに放置したい気分なんだ。俺は好きじゃないけど、リンちゃんがそうしたいなら全然アリだな」と言ってくるし、何をどうやっても「そういうプレイ」と解釈して勝手に興奮されてしまう。
こんな気持ちが悪いヤツはじめてだ、と軽蔑しながらも、さぞかし生きてて楽しいだろうな、とある意味尊敬した。




下着ドロ未遂を起こした直後は、よっぽど逃したパンツが惜しかったのか「お願いだからパンツを売ってくれ」と土下座された。

「……いくら?」
「十万払う」
「うーん……じゃあ、いいかなあ……」
「ただし、脱ぎたてで。そこは絶対譲れないよ」

気色悪いこだわりのくせに、何を偉そうにしてんだ、と一喝したかったけど、まあ、それくらいならいいか、とほんの一瞬思った。

「いいけどさあ、気持ち悪いことに使わないでくれる?観賞用にするなら、まあ考えてやってもいいけど」
「大丈夫。しゃぶしゃぶにして味わうとかそういう非常識なことはしない」
「……そんな発想をするヤツに渡せるかっ!ユウイチ、お前ってさあほんっと、どうしようもねーな……」

国はなぜ、こんなヤツを野放しにしているのだろう、と不思議で仕方なかった。


ただ、ユウイチは気色悪いけど、無理やり押し倒してくるようなことはしないし、どちらかというといつも大人しかった。
「ペヤング買ってこい」と頼まれたのに、無かったから、という理由で勝手にUFOや一平ちゃんを買ってくるようなこともせず、ちゃんと、ペヤングをケース買いしてきた。奴隷としては優秀な方だった。

変態じゃない時のユウイチは、一緒にいて気を遣わなくていい、すごく楽な存在だった。
「いくら払ったらセックスさせてくれる?」と聞かれた時に、一億、と答えたら、「まけてよ」「もう一声」とくだらないことを言ってきた。


一緒にいても一切ドキドキはしないし、全く好みじゃないけど、そういう話をしている時は「バカじゃねーの」と思いながらも、ほんの少し楽しかった。
俺にとってユウイチは彼氏では絶対なくて、「普段は全く喋らないけど絡んでみたら意外と面白かったクラスのヤツ」というイメージの方が近かった。




ユウイチがおかしくなりだしたのは、「若い男の子に触った」とかいう、痴漢事件を起こしてすぐの事だった。

中国で売り出すためのエレベーターの開発がなかなか上手くいかず、育休中の社員の仕事の穴埋めをほとんど一人でやっているとかで、どんどん疲れ果てていった。

ユウイチは、エレベーターのスピードが毎秒何メートルと言われてもさっぱり理解出来ない俺に「結構速いエレベーターじゃなく、速いエレベーターを作ろうとしている」と説明したが全く興味が湧かなかったから聞き流していた。

育休中の社員の穴埋めについては、仕方がないことと無理やり自分を納得させようとして「……代わりの派遣をつけてくれない会社が悪いな」と呟いては、誰に不満を言うことも出来ずに、虚ろな顔でボーッとしていた。

ストレスが極限に達していたのか、「いらない」と言ってるのに、プレゼントをどんどん買ってきて押し付けてくるし、自分が生活の面倒を見るから一緒にいて欲しい、というようなことを言われた。

冗談じゃない、と結構本気で腹が立った。
俺は誰にも飼われたくなんか無いから、母親が出て行った後も、この汚いアパートに住み続けいるのに、なんでそれが分からんのだと、くどくどと説明したけどユウイチはあまりピンと来ていないようだった。




「……ユウイチさあ、ほんと、売り専利用するか、ハッテン場行くかしなよ。お前、ほんとヤバいって」

それか、彼氏を作って、と切実に思った。
誰にも受け入れて貰えないことで発散出来ない性欲と、一人で抱え込んでいる仕事のストレスで、ユウイチは爆発寸前になっているような気がした。

ユウイチは頑なに風俗は利用したがらないけど、かと言って俺は絶対ユウイチとセックスなんかしたくない。
もういい加減にしてくれよ、と俺がキレると「ごめん」と謝ってはしょんぼりしていた。



ユウイチが風俗を利用したがらないのは、本当は何もかもを受け入れてくれる自分だけの特別な存在というヤツが欲しいからに決まっていた。

んなもんいるか!と言いたかったけど、あまりにも弱ってるしな…と好きに泳がせていたら、俺のフリマアプリのアカウントでのやりとりや、他の男と会っている時間がなぜかバレていて、いちゃもんをつけてくるようになった。
今までだったら「逆に興奮する」と言っていたのに、ついにシコる余裕も無くなったか、といよいよこれはヤバイ気がした。

それで大喧嘩……というか、ついに俺が一方的にキレて別れることになった。
キモイけどユウイチのことは大嫌いでは無かったから、ほんの少し「大丈夫だったかな」と気にはなった。
でも、俺をペットみたいに可愛がってるだけじゃ、きっといつかユウイチの預金もメンタルもパンクするだろうし、そうなったら俺がすっごい悪者みたいだしな……と無理にでも自分を納得させた。





ユウイチと別れた後、かつて整形費用を快く払ってくれたオッサンが死んだ。
オッサンどころか、20歳になる直前に出会った男は、最早初老の域に突入していたけど、ずっと金をくれていたし、正直、一番アテにしていたのもあって死なれたのはあらゆる意味でキツかった。
ユウイチとオッサン二人分の穴を埋める金を持っている男を探さないと、と始めは思ったものの、だんだんバカらしくなってしまって、それでついには止めてしまった。

終わりがない、ということに気が付いたからだ。
俺には学もないし、仕事もない。家族もいない。何もない。
食べ方だって汚いし、「常識だ」と世間で言われていることだってほとんど分からない。

本当に何も持っていなかった。
嫌な目にも合ってきたから、スケベなオッサンに負けないように、といつも強気でいたし、容赦なく金を引っ張ってやる、とずっと思っていた。
けれど、結局はペットみたいに、オッサンに飼われていないと生きていくことが出来ないわけで……。

今よりもずっと年をとったら、そうもいかなくなるだろうし、そうしたらいよいよ死ぬしかない。
きっと、俺は本来は生きているべき人間じゃないのに、死にたくないという理由でダラダラ延命しているだけだ、と気付いてからは「じゃあ、もう死んで何もかも終わりにしたい」と思うようになっていた。

一度折れてしまうと、出会い系を利用する時に、タチとネコどっちが出来るか選ばされることすら苦痛に感じられるようになって、これはもう本当に駄目だ、と自分でも分かった。
もうどっちもしたくない。バニラセックス派とかそう言えばすむという問題ではなくて、もう自分の身体を搾り取られるのが嫌だ…となぜか、何年も前に経験した最低なことばかり思い出してしまうようになった。

なんにも持っていないのに、タフさまで失ってしまったらいよいよ終わりは近かった。





「……おい、寝てんのかよ」
「起きてますけど。こんなサイテーな乗り心地の車で寝られるかよ…」
「……お前、最近は家にわりといたのに、今日はどこ行ってたんだよ?」
「なんで、タクミが俺が家にいるかいないか知ってるわけ?いちいち家まで見に来てんの?」

うん、とタクミが素直に頷くから、ビックリして言葉に詰まってしまった。

「……なんで?」
「……べつに。いてもムカツクし。いなかったらいないで、また、売春してんだろうと思ってイライラする」
「はあー?……ムカツクならほっとけよ。頭おかしいんじゃないの?」

子供の頃のタクミはもっと分かりやすくて、単純で可愛かった。
今はずっとブスッとしてばかりだし、何を考えているのかもよく分からない。
一緒にシャワーを浴びたり着替えたりした時に、「これは、見てもいいんだろうか」とでも言いたげな顔で、気まずそうにしながらもチラチラ俺の身体を見ていたタクミとはまるで違っていた。



「……まあ、これからは、もうどこにも行かないけど」

そうか、というタクミの声はどうかしたらほんの少し嬉しそうだった。
……どこにも行かない、とは行ってもこのまま死にたいと思っているから、そう言ってるだけなんだよなあ、と思ったし、否定するべきか迷った。

いつもいつもブスッとしてるのに、なんでこんな時だけは嬉しそうにするんだろう、コイツ人格をいくつか持ってんのか?とタクミの横顔をまじまじと見たけど、無表情で真っ直ぐ前を見て運転に集中している。

「……どこにも行かないって言っても、足を洗うっていうよりは、もう何もする気力がないだけなんだけどさ」
「リン」

咎めるような言い方で名前を呼ばれる。確認してないけど、タクミはほんの一瞬こっちを見たんじゃないかという気がした。

…やっぱり、最後だからという理由で、車になんか乗らなければ良かった。
明日も明後日もこうやってタクミとダラダラ話していたくなる。
すごく時間はかかるかもしれないけど、何百回と他愛もない話をしていたら、また前みたいに戻れるんじゃないかと、ほんの少し期待してしまう。


「リン」
「……オッサンから集金すんのも飽きちゃったし。もうどうだっていいよ。こんな人生……」
「あ……?」
「俺には何にも無いし。
唯一出来るのが、オッサンに抱かれたり、抱いたりすることくらい……。ほんと、つまんない人生だった…」

何も言い返してこないから、反応に困っているんだろうかと思い、横目でタクミの様子を窺った。
相変わらず、仏頂面で黙っている。

さっき、俺が家にいるのかいないのかをムカツクけど気にしていると言われたのがずっと引っ掛かっていた。
もう二度と誰にも会いたくないと思っているのに、、家で一人でいる時にタクミの存在を意識してしまうようなことを聞いてしまった。
聞かなきゃ良かった。最後だからといって、車になんか乗らなければ良かった。

「テメーなんか知るか」と言って、放り出して欲しかった。
今さら何にも期待はしたくなかったし、未練も残したくは無かった。

だから、一番タクミが嫌がるであろうオッサンとのセックスについて話した。
「普段はめちゃくちゃ気が強い俺が、ウケやってる時に、苦しんでるのがいいんだってさ」「なんでたいていのオッサンって変な下着を持参して俺に履かせたがるんだろう」「俺の顔を見ながらありがたがって何発も抜くオッサンばっかりだったよ」

……話せるような事は、やっぱり全然たいした事じゃない。むしろ、それで金を貰っていたわけだし、「まあ、これくらいは普通か」と思えるような出来事ばかりだった。
結局、身体を売っているということそのものよりも、「いくら金を集めても自分には何もない」ということが、一番キツかったのかもしれない。
何回考えても、やりたいことも、行く場所も、何も思い浮かばなかった。


交差点の前で信号が赤の点滅を繰り返していた。車はそのまま減速して停止した。
時間が時間だからか、どの方向からも交差点に侵入してくる車は無かった。
だから、走行を再開させたっていいはずなのに、なぜかタクミは信号機をじっと見たまま車を出そうとはしなかった。
「おい」と声をかけようか迷っていた時だった。


「死ぬか。お前」


「え」という自分の間抜けな声が異様に耳に残る。
ハンドルって、こんなに強く掴んで運転するっけ、と思える程、ゴツゴツしたタクミの両手が硬く握りしめられていた。

このまま真っ直ぐ進んで突き当たりを右折すれば俺の家へと続く、細い道に出るのに、軽トラはブウンと唸った後、迷うことなく交差点を左折した。



「……俺の家、方向違うけど」
「……海か山かどっちかで捨ててやるから、そのまま死ねよ」

俺が話している間中、どうやらそうとうキレていたからタクミは黙っていたに違いなかった。
いくら死ぬにしても、訳の分からない場所で放り出されるのはゴメンだった。
隙を見て車から降りようかとも思ったけど、国道を目指しているであろうボロイ軽トラは、ほとんど速度を変えずに迷うことなく走り続けている。
飛び降りてゴロゴロ転がって、激痛の中死ぬのももちろん嫌だった。


ぐ、と奥歯を噛み締める。もうずっとタクミとの関係を拗らせているし、「死ねよ」と言われるほど嫌われているようだから、「ごめん、悪かった。気持ちが落ち込んでいて、死にたくてヤケになっていた。不快なことを言ってごめん」と言ったところで許して貰えるとも思えなかった。


それにしてもここ最近で一番ゾッとしたな、と思いながら諦めに近いような気持ちで目を閉じた。



「殺される」と生命の危機を感じたからなのか、なぜかここ最近で一番楽しかった日のことを思い出した。
「リンちゃん、ありがとう。頑張って伝えたらなるようになるよね」とニコニコしているマナトの顔が浮かんだ。
可愛かったな、あの時、俺はなんて返事をしたっけ、と思いながら隣に座っている全然可愛くない、ただのヤベー奴と化した、かつて友達だった男を眺めた。

マナトはきっと勇気を出して、ユウイチに正直に話をしただろうから、なるようになったんだろう。
確かめたくてたまらないけど、もう会わないと決めたし、いちいち確かめなくたって、どうなったかなんてなんとなく分かった。

俺は肝心なことを何にも言わないで、遠回しに余計なことばっかり言ってるからこんな目に遭うんだろうか。



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