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2 番外編
ゲキカラ
しおりを挟む旅行から帰る前にちゃんとした「そば」を食べようという話になった。
「……でも、いったいどの店へ入ればいいんだろうな」
なにせそば屋が多すぎる、とヨレヨレになった「るるぶ」を開いてから、椿さんは困った顔をしてみせた。
「こーいうのって、直感でいいんじゃない? ガイドブックに載ってるってことはちゃんと美味いんだと思うし……」
日本蕎麦とは違う、うす黄色の麺の写真を眺めながら返事をする。
麺の太さや縮れ具合、出汁の種類、トッピングに何が乗っているのか……。同じ蕎麦粉を使っていない小麦粉で出来たそばでも、細かい違いを気にし始めると結局どの店にするべきなのか迷ってしまって、なかなか決められなかった。
空港へ向かう前にレンタカーを返却しないといけないことを考えると美味そうでも遠い店は諦める。椿さんは少食で食事を残すことを気にしているから大盛りを売りにしている所も避けた。最終的には「口コミで星が四つもついてるから大丈夫じゃない?」というのを決め手にして、店を選んだ。
端が折れてしまっているガイドブックを後部座席へ避難させてから、椿さんは車を発進させた。
三日間、強い紫外線に晒され続けたというのに、ハンドルを握る椿さんの手は日焼け知らずだ。
◆
椿さんとの初めての旅行、という楽しい時間はあっという間だった。
いつもシャキッとしている椿さんでも、旅先だと少しは気が緩むのか、普段では考えられないようなアクシデントもいくつか発生した。
水族館からの帰りに立体駐車場で「おい、どこに車を止めたか覚えてるか」と狼狽えている姿を見た時は笑ってしまった。「そっか、いつも自分が乗ってるBMWと違うからわからなくなっちゃったんだね」と思うと、おかしくて可愛くて、それでハハハ、と声に出して笑ったらジロリと睨まれた。
ゆっくり探そうよ、と慰めてから二人で似たようなレンタカーばかりが並ぶ駐車場を慎重に歩く。ただ車が見つかった、というだけで「良かった、良かった」とホッとして喜んだ。
ホテルではプールに落ちただけじゃなくて、プールサイドで写真ばかりを撮る女のグループを椿さんが「いったいいつになったらプールに入るんだ?」とジロジロ見ていたせいでナンパ目的だと勘違いされてしまった。
本当に、やらしい目で見ていたわけでも、からかおうとしていたわけでもなくて、椿さんはただただ「高い料金を払って宿泊しているし水着も持っているのに、なぜ泳がない?」と不思議に感じてしまっていただけなんです、と弁解をするわけにもいかず、当たり障りのない会話を少しだけ交わしてその場は収まった。
椿さんには「ただでさえ目立つんだから、誤解されるようなことはあんまりしちゃダメだよ」とよく言って聞かせた。
「……目立つ?」
こんなところで誰が自分に興味を? とでも思っているのか、椿さんは全然ピンと来ていないようだった。挙げ句の果てにはラッシュガードの裾を握って水を絞った後、「お前の方が目立つだろ。……それだけ、顔がよければ」と言い始める。
あっ、これは不毛な争いってやつだ、ということに俺だけはちゃんと気が付いたから「えー、そう? ありがとー」で早々と話題を切り上げた。
いっつもビシッとしている椿さんが少しだけ見せてくれた隙を思い出すたびに、「来て良かった」という気持ちになる。……べつにそれ目的だったわけじゃないけど、一応、セックスも上手くいったから、そっちの方も進展出来た、と思う。夕べと今朝の出来事なのに、なんだかずいぶん時間が経ってしまったように感じられる。
俺にとってセックスをすること自体は初めてではないけれど、椿さんとのセックスは慣れないことが多くて、余裕を持てない瞬間もあった。それでも椿さんの反応から「あ、ここ、好きなんだ」と探り当てることに俺は喜びを感じていたし、少なくとも一生懸命でいられた。
朝の明るい部屋の中で、必死で感じている顔を隠す椿さんに「手、どけて。キスしたい」と何度も頼んだ。やっと手をどけてもらえたのに、椿さんの顔が綺麗すぎて唇を重ね合わせる前にまじまじと眺めてしまったことは自分でも「ダサ……」と感じているけど。
「……おい」
「ごめんね。あんまり綺麗だったから……」
「……ん、ぐ」
椿さんがびくびくと体を震わせると繋がっている部分がぎゅうっと締まる。本当にナカだけでイクんだ、と驚きながらもそっと薄い腹を撫でた。あの時、椿さんは唇を塞がれながら掠れた声で「気持ちいい」と確かに何度も言っていた。このままどろどろに溶けてしまうんじゃないかと思えるくらい、腹の中を熱くして。
「……何をジロジロ見ている」
真っ直ぐ前を見て運転しているはずなのに、椿さんは俺からじっと見られていることになぜか気がついている。昔からそうだったけど、たぶん、顔以外にも目がついているに違いない。
「椿さんさー、いろいろした後でも全然フツーだね」
「……なにが」
「なにがって……」
したでしょ、いろいろ、と返事をした後、沈黙に耐えられなくなって窓の外を眺めているふりをした。本気で気がついていないのか、それとも椿さんなりの駆け引きなのか。一切動かない顔の筋肉や、淡々とした抑揚のない喋り方から判断することが出来なかった。
「……普通でいられなかったら、お前、この先どうすんだ」
「そりゃそうだけど」
「……わかったら、普通でいろ」
なんでもないふうを装っていながら、椿さんも結構意識してんだな、ということが俺にはわかった。いつも以上にブスッとしている姿からは、普通でいようとしている椿さんの大人としてのささやかな意地が感じられた。
確かに急に椿さんがすげー俺に甘くなったらそれはそれで怖い。日頃の行いのせいなのか「マジか……。そんなにエッチが良かったのかな?」と呑気な考えが浮かぶよりも先に「やべー、俺なんかした?」ときっと思ってしまうだろう。
逆によそよそしくされたり、避けられたりしても、「もしかして後悔してんのかな? 嫌だったのかな?」と不安になっただろうから、椿さんが普段通りでいることはやっぱり良いことに違いなかった。
この先、というものを考えるのなら椿さんの言うことは確かに正しいのかもしれない。いつまでも変わらずにいられたらいいんだろうけど、少しずつお互いの気持ちや関係が変わっていったように、これから俺も椿さんもきっとまだまだ変わっていく。
無理はしないでゆっくりそういうことを二人で受け止めていけばいいのかな、と思いながら椿さんと抱き合ったことを思い出していた。
◆
たどり着いたそば屋で椿さんは「コーレーグース」と書かれた調味料をそばに入れすぎて大変なことになっていた。小さな瓶に唐辛子を大量に詰めて泡盛で漬け込んだ調味料が辛くないわけがないのに、「しばらく食べられないから」「汁は赤くない。透明だからそこまで辛くないだろ」とよくわからない理屈でずいぶんと思いきったことをする。
ただ、辛いものを食べても椿さんはやっぱり椿さんだった。「辛い!」と大騒ぎをするわけでもなく、咳払いを一回だけした後は無言でだらだらと汗を流す。
初めは俺も「あれ? 辛いの平気な人だったっけ?」と思ってしまった程だ。「あ、辛さに苦しんでんだ」とわかったのは、黙ったまま辛いそばを食べ続けている椿さんが水を異常に飲んでいる、ということに気がついてからだった。
「いやいやいや、死にそうになってんじゃん! 椿さん、辛さを解放して!」
辛い時でもじっと我慢しちゃうのか、と焦りながら椿さんの背中を擦った。なぜかこのタイミングで、「アイドルが激辛料理を食ってるとこを見るとめちゃくちゃ興奮するんですよねー」とリョーちゃんが言っていたのをなんとなく思い出した。たぶん、どう考えても思い出しちゃいけないやつだ。
「……椿さん、いろいろと攻めすぎでしょ」
「…………そうだな」
「また二人で旅行には行けるからさ、だから、俺のを食べていいよ。辛くないから」
そんだけ楽しかったってことだよね、とは聞かなくてもわかっていた。先生と生徒じゃなくなっても、セックスをしたとしても、これくらいがちょうどいい。軽口を叩きあったり、俺が椿さんに「ええ……」って引いちゃったり、椿さんが俺にぷりぷり怒ったり、面白いと思ったことはお互いいじったり、大事なことは正直に伝えたり。
きっとそば屋で無茶をした椿さんのことも、笑える思い出として二人の間には残るだろう。ベタベタに甘いよりも、それぐらいのバランスが俺と椿さんにはちょうどいいに決まっていた。
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