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28.先生の部屋

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「新宿駅」とか「渋谷駅」とか、そういう有名な所しか知らない俺にとって、先生の後に続いて下車した駅の名前は聞いたことも無かった。
 
スーパーとドンキが駅の側にあって、川が流れていて、大きな公園もある、思っていたよりもずっと静かなところだった。
ここが東京都内の住みたい場所として、人気があるのかないのか、家賃が高いのか安いのか等はもちろんわからない。
けれど、この近辺の賃貸物件の営業を任されたとしも「ファミリーに人気!公園が近く静かです!」と言えばすぐに借り手が見つかるだろうな、となんとなくそう思えた。
 
 
先生の暮らすマンションは、駅から五分程歩いたところにあった。
縦に細長い九階建てのマンションは窓が多い。
一階部分が駐車場になっていて、見えなかったけど、たぶん先生のBMWもどこかに納められているに違いなかった。
 
オートロックを通過した後、エレベーターで5階まで上がった。
先生はずっと黙っているから、ここまで着いてきているのに家に入れてもらえる、という実感はイマイチわかなかった。
だから、先生がドアを開けたまま部屋に入らずに突っ立っているのを見ても、「おい」と言われるまで、先に俺を部屋に入れるために待っていたのだということに気が付かなかった。
 
 
 
「おじゃましまーす……」
 
部屋の主である先生公認で部屋へあがっているのに、事情が事情なだけになるべく音を立てないようにコソコソと入った。
 
先生の家はビックリするくらい狭かった。間取りは1Kで、小さい冷蔵庫とガスコンロと流し台しかないのにキッチンはすでにぎゅうぎゅうだった。物が無い、というよりも物を置けない、と言った方が正しいんじゃないかと思えるくらいに窮屈だった。
部屋はキレイに片付いてはいた。これは想像通りではあったけど…。気まずい雰囲気じゃなければ「えっ、先生こんな部屋に住んでんだ?!」言いたくなるような場所だった。
 
なんとなく先生は、必要最低限の家具とカーテンくらいしか無い、殺風景な部屋で暮らしているイメージがあった。
実際の先生の部屋は、シングルベッドとテレビと、小さいローテーブルですでにいっぱいいっぱいだった。
そして、部屋の壁と家具との隙間に、奥行きが15cm程度しかない薄型の本棚が無理やり設置されている。
三段あるうちの一番上の段が文庫本で、残りは漫画がギッシリ詰まっていた。
先生が漫画を読んでいる、ということが意外だった。

何を読んでるんだろう、と思って背表紙を上段から順番に眺めて見たけど、俺は全く本を読まないから、文庫本の方は何を見ても「誰の本?」としか思えなかった。

けれど、漫画の方はほとんど知っていた。よくよく考えたら先生と俺の年齢は五歳しか離れてないし、漫画やゲームの好みに共通の部分があるとしても、不思議じゃなかった。
「あー、十年くらい前に流行ってたよねー。俺も読んでたー」と思わず言いたくなるような懐かしい作品や、「この人、絵が下手で有名だよね」「この漫画いったいいつ完結すんだろうね?」と言いたくなる作品等、一巻から順序よく並べられていた。
よくよく見たら本も漫画も作者名ごとに「あいうえお順」で並んでいた。……こういうとこに性格が出るんだよなー、と巻数も上下もバラッバラに漫画が突っ込まれている、実家の自室にある本棚を思い出した。

「……せ、先生も漫画とか読むんだ?」

おそるおそる声をかけると、冷蔵庫を開けて中を覗き込んでいた先生と目が合った。
ウィダーインゼリーがびっしり入っているのが見えて、なんとなく見てはいけないものを見てしまった気持ちになった。

「……大人になってからは」
「へえー……」

まだブチギレているかと思ったけど、意外とそうでもなさそうだった。
どうかしたらバツの悪そうな顔で気まずそうにしている。
たぶん、黙って移動している間にいろいろ一人で考えて「……そもそも、コイツがここへやって来たのは、俺が連絡を無視していたからだろうか」ということに気付いていたのかもしれなかった。

「……なにか、飲み物をと思ったけど、水か……ゼリー飲料しかない」
「あー、いいよ。全然。お構い無く……。ねえねえ、なんでこの漫画好きなの?この人すげー絵が下手じゃん。
というか、先生、意外とエグいのも読んでるんだね?」
「……べつに、俺は下手だとは思わない。伝わるものがあるし……」

2000年代後半の少年漫画のヒット作の中に、たまーにどう考えても主な読者層は中年男性だろうと思える作品も混ざっていて、興味深かった。

「なんで、子供の頃は読まなかったの?」
「ああ……母にチェックされていたから…」
「えっ」
「学校に行っている間に、母が部屋に入ってきて……べつに普通の漫画でも、目敏く性的か残酷な場面を見つけては「いやらしい、汚い」となじってくるから」

ヤバすぎる……とドン引きして、「……母親って部屋入るよね、勝手に」としか返せなかった。
それを聞いてから、もう一回本棚を見ると、先生が失われた少年時代を取り戻そうとしているようにしか見えなくなってきた。

小さくて物がぎゅうぎゅうに詰まっているこの部屋は、大人になって先生が……浅尾椿さんという人がようやく手に入れた「自由」なのかもしれなかった。





「……それで、何しにここへ?」

さっき駅で聞かれた時よりもずっと静かな言い方だった。

結局飲み物を出すことを諦めた先生は、しゃがみ込んで本棚の一番下の段を眺めていた俺の側へすっとやって来た。
先生もフローリングの床に三角座りをして、俯いている。


「えっと、その……先生はもう会いたくないかもしれないけど、俺は会いたかったから……。急に来てごめんね、迷惑だったよね、本当にごめん」
「……べつに」
「それから、その、この前はごめん……」
「……なにが」
「いや、あの変な空気になったでしょ?」
「……変な空気って?」

なぜ、先生はこういう時だけ察しが悪くなるんだろう。
教師やってた頃なんか、ものすごく離れた場所からでも「おい、移動中にガムを食べるな。今すぐ出せ」と見つけ出していたというのに。
「いや、食べてないけど?」と言ったら「お前、嘘をついてもすぐ顔で分かるぞ」と凄まれた。


「……いや、あの、立たなかったでしょ。俺が」
「えっ……」

先生は俺の顔を数秒間凝視した後、なぜか俺の股間の方に視線をやった。
改めて「これが、あの時の」と確認されたようで、顔から火が出るほど恥ずかしかった。

天然でやっていて、悪気はないんだろうけど、本っ当に恥ずかしかったから「そういうのセクハラだよ」と指摘した。
そしたら、先生がボッと顔を赤くしてモジモジとしだしたから、なんだか俺が悪いことをしたみたいな雰囲気になってしまった。


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