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26.決心

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その日の夜は二重の意味で眠れなかった。
 
まず、「ここを使え」と言われた寝床がヤバすぎた。
 
イヴ・サンローランのベッドシーツで寝るなんてはじめてだ、と黒地に「YSL」が縦に重なった白いロゴがプリントされているシーツを眺めながら「本物?」と聞いたら、当たり前だろう、と呆れられた。
 
「……こんなの、パチもんをどこで買うっていうんです?」
「いや、フツーはこんなハイブランドのベッドシーツなんか使わないって……。そもそも、なんで二段ベッドで寝てんの?一人部屋だよね?」
 
部屋に来た時から不思議に思っていたことを質問すると、「二段ベッドで寝たかったから。それだけっすよ」という答えが返ってきた。
ということは、リョーちゃんは高いところで寝るのが好きで普段は上段で寝ているんだろうか、と思ったが、「ハヤトさん、上ね」と指定されて、ますますわけがわからなくなった。
 
「下で寝てるんなら、二段ベッド置いてる意味ないよね?……同じ値段でデカくて、もっといいベッド買えるでしょ?」
「……なんでか、知りたいですか?」
 
あまり深く考えずに、うん、と頷いた。「ここ、ここ」と下段のベッドに腰掛けたリョーちゃんが、上段の床板の部分を指差した。
そうか、上段のベッドが天井代わりになっていて隠れ家感が味わえながらも、ハシゴでの上り下りがめんどくさくない、「二段ベッドの下」が好きなんだと、その時はそう思っていた。
 
 



ひぃっ、と喉から絞り出すような悲鳴を上げたのは産まれて初めてだった。
上段のベッドの底にベタベタと何枚も貼られていたのは、おそらくジャニーズJr.だと思われる若い可愛い男の子の写真だった。

「いや、これヤバいって!どう考えても犯罪でしょ!」
「はあ?これの何が犯罪なんです?べつに盗撮したわけでもない、ショップで買ったやつか、雑誌に載ってた写真だから、何の問題もないっすけど?」
「無理無理無理!怖い!ほんとに怖い!てか、なんでこんなとこに貼ってんの?普通に壁に貼ればいいじゃん!」
「はあ……。ハヤトさん、なんもわかってないっすよね……。ここに寝た時だけ見えるのがいいんですよ」
「いや、理由聞いても怖い!マジで怖い、俺、この部屋で寝たくない!」
 
理由を聞いたら余計に怖く感じられた。正直言って、「絶対に幽霊が出るらしい」という噂で有名なトンネルに友達とドライブに行った時よりも遥かにゾッとした。
 
 
他に寝る場所は無い、という100パーセント嘘だとしか思えない理由でねじ伏せられて、諦めて横になったハイブランドのベッドシーツはサラサラしていて、肌触りがよかった。
けれど、仰向けに寝ていると、床板を突き破るかのような視線を背中に感じた。……もちろん、気のせいなんだろうけど、時々写真を眺めているであろうリョーちゃんの「んふっ」という含み笑いが聞こえるたびに、背中がゾクゾクして寒気を感じた。
 
 
 

「ハヤトさん、もう寝ました?」
「……うん?起きてるよ」
「東京行きます?」
「うん……」
 
ゴロゴロと寝返りを打ちながら返事をした。
最後に先生に送ったメッセージに、もう四日も既読がつかない。今までの最長記録だ。
単に嫌われていて、いよいよブロックされたのか、或いは具合を悪くしているのかは、分からなかった。
それを確かめるためにも、先生に会いたかった。
 
「……ハヤトさん、もし、ほんっとーに好きなら言いたくないことも言わないと駄目っすよ。さっきの……母親と自分を選ばせるのも……。
母親も母親で息子が会いに来ちゃってるうちは、一生変わらないっすから。本当に」
「うん、うん……。なんか、前にもそういうこと誰かに言われたことあるかも……」
「まあ……フラれたら、その時はその時で。俺があの先生をナンパしに行きますかね……。ハヤトさんと別れた後ならチョロそうだし」
「……また、そういうこと言う……」
 
リョーちゃんはつくづく変わった友達だった。
「女を紹介してよ」とか「ハヤトの彼女可愛いよね」と言ってくる高校や大学の友達とは、全然性質が違っていた。

スッと俺と先生の間に入ってきては、意地の悪いことを言ったり、鋭いことを言ったり、背中を押すようなことを言ったりする。

今日までずっと、会いに行かなければ、先生を追いかけなければ、とは思っていたけど、直接会って拒絶されるのが怖くて、なかなか勇気を出せずにいた。
不思議なことに「会えばきっと仲直りできるよ!頑張って!」と励まされるよりも、「俺がナンパしに行く」と言われた方が、よっぽど「ハッキリ面と向かって「迷惑だ」と言われてもいいから、とにかく直接会おう」という気持ちになった。

リョーちゃんはもしかしたら、こうなるのを狙っていてあんなことを言ったのか、それとも俺をからかっているのか、結局のところよくわからない。

先生と一緒でリョーちゃんも掴み所がない不思議な人だ。
けれど、先生と違って行動の一つ一つが「俺がそうしたいから」という理由で選択されているような気がした。
「全く、ハヤトさんは手がかかるんだから、しょうがねーなー」とボヤいているのが、下の方から聞こえたから、一応リョーちゃんの中では面倒を見てやっている、ということになっているらしかった。
 
「ありがとう。いろいろ考えてくれて……なんでそんな面倒見てくれんの?」
「性欲っすかね……」
「え?」
「25歳までならこうやって面倒見てやってもいいっすけど……」
「なんでよ?25歳まで友達なら、その後もずっと友達でいようよ」
「えー…30歳になると人間って完全に出来上がっちゃうからなー…。それに、ジジイはちょっと……。やっぱ人間、見た目が全てなんで」
「えー?そうかなー?どんなに可愛くても性格が合わなかったら、ずっと一緒にいられないって。見た目なんてその人の一部分でしかないじゃん」
「……それ、明らかに歴代の女を振り返って、特定の誰かのことを言ってますよね?」
「……内緒」
 
しつこく「昔の女について教えろ」と聞かれたけど、適当にはぐらかしたり聞こえていないふりをして誤魔化した。

「女のことはいいじゃん。
ほんとにさ、25歳までしか友達でいないっていうのはやめてよ」

リョーちゃんの友達でいることの条件になっているらしい25歳定年制については、「ハゲたり太ったりしない」ということを条件に、しぶしぶ考えなおしてくれたようだった。
 


 
「…ハヤトさん、東京のお土産お願いしますよ」
「うん……?覚えてたらね……」
「クソ本社のクソ親父が買ってくるような、いかにもな東京土産はいらないっすからね」
「ハイハイ……」
 
 いっつも文句言いながら食べてるじゃん、とは思ったけど言わないでおいた。
リョーちゃんは、編集作業で集中したことで疲れたのか、すぐに寝てしまったようだった。



一方、俺はというと、いよいよ先生を追いかけて東京に行くということと、会って何を言えばいいんだろう、ということを考えて眠れなくなっていた。

「先生大好き、ごめんね」ですめば簡単なんだろうけど、先生に言わないといけないこと、話さないといけないことは山程あるからだ。

しかも、そのうちのほとんどが言いにくいことだ。例えば、リョーちゃんが言っていたように、お母さんと俺とどっちが好き?と聞いたとして、先生はものすごく困ったような顔をして黙り込んでしまうような気がした。

お母さんとのことに対して、先生に「守ってあげる」「俺を頼れ」「放っておけない」……こういうことを言えたら、たぶん文句なしでかっこいい。
けれど、言うだけでは駄目だ。というか、言うのは簡単で、言った後どうするかの方がずっと重要だという気がした。






二日後、東京に行くために電車に乗った。

電車はいくつもいくつも駅を通り過ぎた。
まだ、先生に自分の気持ちを上手く伝える段取りは決まっていないのに、東京駅に着くまでの時間は、もうほとんど残っていない。

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