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15.13の君に会いたかった
しおりを挟む「椿さんって呼んでもいいすか?」
ちょっと待っててね、と台所にコップを取りに行って戻ってきた一分にも満たない時間の間に、リョーちゃんは一瞬で先生との距離を詰めていた。先生は「あ、ああ…」という何とも煮え切らない態度を取っていて、俺が「ダメだよ!」と叫んでも、リョーちゃんはそれには全く動じなかった。
金曜日の夜、バイト先に着いた瞬間、店長にどやされた。「誰が!ここに、昨日届いた商品を段ボールに入ったまま放置したの!今日は本社の人が来るって!言ったでしょ!」と。店の隅に放置されたまだ開封されていない段ボールを確認してから、「いや、俺昨日休みだったし…」と言いたかったけど、金をもらって働く以上、必死で弁解なんかしても自分の評価が下がるだけで一つもいいことはないと分かっていたので、「すいませんしたぁ…」と謝った。
…ほんと、高校生までの頃と違って煩わしい校則も無いし、時間の使い方だって自由だけど、大人の社会で生活すると理不尽なことで叱られることが多い。しかも、たとえ事実であってもそれを口にすると「口答え」「言い訳」をする駄目な奴だって認識される。昔、先生が「学校出てからはもっと守らないといけないことや理不尽なことが沢山ある」って言っていたのはこういうこと?と思う
その後出勤したリョーちゃんは、昨日の夕方に届いた商品を放置していたことがバレて店長にもっと叱られていた。そのせいで、朝から、店長とリョーちゃん両方の機嫌が悪かった。俺は「本社の人間が来るんだから店を綺麗にしとくのは当たり前だろーが」という店長の言い分はもちろん分かるし、リョーちゃんの「はあ?だってこの段ボールの中身は来週からディスプレイするし、こんなクソ狭い、在庫もロクに置くような場所もない店でどうしろって言うんだよ」という主張もまあ、わからなくもない…という感じだったから、黙ってストックルームにこの夏の新作が詰まった段ボールを隠しに行った。もう、ドア壊れんじゃないかってくらいギュウギュウだったけど、何とか押し込んだ。…たぶん、非力なリョーちゃんや店長には出来ない作業だから、べつに二人に対して腹は立たなかった。
一応、本社の人が来て、東京のお土産のお菓子をくれた時は「嬉しい~。俺、これ一番大好きなんですう」ってリョーちゃんも媚びた声を出していたから、ああ、機嫌いいのかなと思って、本社の人が帰った後に一緒に貰ったお菓子食べようって声をかけたら「大好きなわけねーだろ!こんなものいらないから時給をあげろ!甘いものは嫌いなんだよ!」ってブチ切れていた。
「あー、本社のエライ人ムカついたー…何が「ノルマ超えればいいと思ってない?前年度と比較して売り上げがなぜ低くなってるのか考えようよ」だよ!だったら売れる服を作ってこい!あんな、落書きみたいなセンス悪いプリントのTシャツ、誰が8,000円も出して買うか!」
「ちょ、リョーちゃん…ダイジョブ?キレすぎだよ」
「ムシャクシャするから今日飲みに行きません?」
「いや、ちょっと…今日は無理。約束があるから」
…今日は先生が家に来る日だったから、絶対にリョーちゃんと出かけるのは無理だった。けれど、むう、と不満そうな顔をしてからリョーちゃんは「女と会うんすか?」と言った。俺は、違うよ、と否定しておいた。嘘は言ってない。先生、男だから。
「えー…絶対あの最近付き合いだしたメンヘラ女と会うんでしょ?」
「いや、ほんとに違うから…」
「じゃあ、誰っすか?」
「あー…その、高校の時の先生…」
「高校の時の先生?」と復唱してから、リョーちゃんはヤレヤレと首を横に振った。
「俺も画塾の先生とお酒飲んだりしてますけどお、さすがに高校卒業してからも迷惑かけてんのはヤバいと思いますよ」
「いや、迷惑かけてるから会ってるわけじゃないし…リョーちゃんと画塾の先生みたいな感じ…」
「どんな先生か見たいっす。俺がハヤトさんち行くんで三人で飯食べましょーよ」
「え…いや、どうかな…。先生、人見知りだし…ちょっと聞いてみないと…」
先生にラインで「先生、バイトの人がどうしても、うちに来たい、先生に会いたいって言ってるんだけど。ごめんなさい」と送ったら「はい」とだけ返ってきた。先生からの返信は「そうか」「わかった」「明日行く」とかで、基本4文字以上で返ってこないから、いつも感情が読み取れない。
「ダメかどうか、わかんない…」
「じゃー、オッケーってことっすね。あー楽しみー」
確かにダメとは言われてないけど…先生の性格的にこういうの大丈夫なんだろうか。リョーちゃんは「だいたい教員やってて人見知りとか、そんなことあるわけないでしょ」と言っているけど、もう先生は教員じゃなくてサラリーマンだし、基本的に自分から話振るとかしないし…。
いざとなったら、リョーちゃんの好きな可愛い男の子が出てるテレビ番組でも付けて、間をもたせるかあ、と気休めにしかならないことを思った。
リョーちゃんと二人で俺の家に戻って先生を待った。リョーちゃんは「ピザでいいっすよね?」と着いた瞬間勝手に注文し始めていた。「Lサイズ2枚と…」って聞こえて、「え?」ってなってた時、インターフォンがなった。
玄関のドアを開けると先生が居心地悪そうに立っていた。「…こんばんは」と気まずそうに挨拶されて、思わず、こんばんは?と聞き返したくなった。
「わあ、ハヤトさんの先生ですか?はじめまして~」
ピザ屋への注文が終わったのか、リョーちゃんが俺の後ろから先生に声をかけた。先生は驚いたような顔をしてから一瞬何かを考えた後、「…はじめまして」と挨拶した。
「先生、中入ってよ。急にごめんね…リョーちゃんが聞かなくて」
「いや、いい…。これ、アルバイト先の友達が来ると聞いて買ってきたが…、あまり気に入らないかもしれない…。女の、友達かと思って…」
先生が買ってきたのはカップケーキだった。ホイップやチョコレート、フルーツでデコレーションされた可愛すぎるやつ。パンダや白熊、ハリネズミ、ウサギ…つぶらな瞳のキャラクター達が、箱の中からこちらを見上げていた。
「うわあ、これ東京駅でしか買えないやつですよね。すごーい!ありがとうございますう」
リョーちゃんは、お客さん達の前でよくやる「可愛いモード」に入っていた。先生はぎくしゃくと頷いた後、ほんの少しだけ口の端をあげた。…愛想笑いをしている。
先生が俺の友達が来ると聞いて「女の友達」だと思っていたこと、そして、その女の友達のために、いかにも女が好きそうな甘いケーキを買ってきたことに、なんだか胸が潰れるような思いだった。
この人、仮に俺が女の友達連れてきたとして、なんでそれに対して「嫌だ」とか言わないんだろう、気を遣ってその女を喜ばせるようなことするんだろうって。
どんな気持ちでこれ買ったんだろうって、「やっぱり俺は女の代用品でしかない」とか思いながら買ったのかなって思うと、可愛いケーキを見ても、明るい気持ちになれなかった。
やっぱりリョーちゃんはバカみたいな量のピザとサイドメニューを頼んでいて、それをほとんど一人で食べた。先生はその10分の1も食べずに、リョーちゃんの恐ろしい程の食欲に目を丸くしていた。
ただ、何も言わず俺の家の冷蔵庫を勝手に開けて缶ビールを飲んでいるリョーちゃんに「高瀬の後輩ってことは未成年?」といきなり切り込んでいたのにはちょっと驚いた。あ、そうか、先生そういうのちゃんとしてるんだったって。
「違いますよ。俺、一年浪人して大学入ってるから、学年は一つ下だけど、ハヤトさんと同い年でもう成人してますから。五月産まれなんで…。ふふ、やっぱり先生だからマジメなんだ」
リョーちゃんは先生のことがすっかり好きになったみたいで、強引に「椿さん」呼びしては、たくさん話しかけていた。「お仕事は?え~、すごい有名なとこじゃないっすか!」と大げさに驚いて、「その時計、カルティエの廃盤になったメンズ用のやつですよね?」と先生の細い手首を掴んだり…先生は、完全に「一滴も飲んでないのに三次会のキャバクラまで上司に無理やり付き合わされた人」みたいになっていた。困ったように笑ったり、首を傾げたり、控えめに頷いたり。
…俺だってまだ「椿先生」とすら呼んだことないのに、いきなり四段階くらいすっ飛ばして「椿さん」って呼んでベタベタするなんて…ってちょっと悔しかった。
「椿さんって、とっても綺麗ですね。子供の頃そうとう可愛かったでしょ?ご両親も美形?」
子供の頃、両親、と聞かれて先生は一瞬固まった。ヤバい、と思った。どっちも先生があまり触れて欲しくない話題だろうから。
「…べつに、普通の子供で、顔は母親似」
「えー、そうなんだあ。…あと、12年早く…まだ顔に子供っぽさが残ってる頃に会いたかったなあ」
「リョーちゃん、ほんと発想が犯罪だよ」
「はあ?何がですか?俺はただ、純粋に美しさを崇めたいだけで…」
俺とリョーちゃんのやり取りを聞いて、先生はほんの少しだけ笑った。俺が、「リョーちゃんの、画塾の先生ってさあ、リョーちゃんのそういう、少年への愛についてなんて言ってんの?」とリョーちゃんに聞いて、リョーちゃんが「…何が芸術だ、単にテメエの趣味だろうが、くだらねえこと言ってねえで、一枚でも多く絵を描けって…」と不貞腐れたように言った時は、俺も先生も笑った。
「ハヤトさん、俺もう帰ります」
カップケーキも6個あるうちの4個を食べてから、リョーちゃんは言った。俺はてっきり先生のことも気に入ってるみたいだし、朝まで居座られるんじゃないかと心配していたから、ちょっと意外に思ったけど、嬉しかった。
「そうなの?まだ、早い時間なのに?」
「22時からのドラマに俺の好きな子が出るんすよ。録画はもちろんしてますけど、やっぱリアルタイムで見ないとね」
先生が「…車で送ろうか」と提案すると、リョーちゃんは「近いから大丈夫っす。俺、飲んだ後、乗り物あんまり乗りたくないんで…。今度飲んでない時に、乗せてください」と、結構ガチのテンションで言ってたから本当に焦った。
「リョーちゃん、先生も忙しいんだから、ダメだって!はい、帰った帰った…」
「あー!高校の時ハヤトさんがどんだけアホだったか聞くの忘れた…。椿さん、また会おうね」
リョーちゃんが家にいるだけで本当に疲れた…。いつも先生と二人の時は基本静かだから余計に。二人だけになって急にしーんとした部屋で、先生も心なしか疲れているように見えた。
「先生、ゴメンね…疲れたでしょ?ほんと、ゴメンね。変だけど、悪い人ではないから…」
「…べつに疲れてない。…ああいうタイプは、芸術家として大成するんじゃないか。よくわからないが…」
「いやいや、絶対疲れたでしょ。知らないうえに、12年早く会いたかった、とか怖いこと言ってくんだよ?!」
「……じゃあ…少し疲れた」
「なんで12年前なんだろ…。俺には3年前の17歳の時に会いたかった、とか言うし…」
先生は、俺の顔をじっと見てから何か言おうとして少し迷ったように下を向いた。それから、また顔を上げて「…それはなんとなくわかる」と言った。
「…17歳の頃…高校生だった頃のお前は、目立っていたからな。男子からも女子からも好かれていたし…。どんな大人になるんだろうと思っていた。久しぶりに会ったら、すっかり大人になっていて、驚いた。
お前は優しいから、もしかしたら悪い方向に引っ張られたりするんじゃないかって、少し心配だったが…真っ直ぐ成長していて、安心した」
「えっ俺、そんなだったっけ?」
先生は黙って頷いた。お調子者で何回も先生に迷惑をかけていたから、そんなふうに思ってくれていたなんて本当に驚いた。先生の中で俺はすごい成長したと思われてるみたいだけど、実際のとこはあの時と何も変わってない。先生に構ってほしくて、褒められたらバカみたいに喜ぶ…ほんとあの時のまんま。
「先生、俺も椿さんって呼んでもいい?」
「ダメだ」
さっきまで優しかったのにピシャリとそう言われて心が折れそうになった。
「なんでー?リョーちゃんはオッケーなのに?ひいきじゃん!」
「…彼は俺の生徒じゃない」
「俺だってもう生徒じゃないし!」
「…でも、ダメだ。先生って呼ばれてないと、俺は…際限なくお前に頼る…甘える。そんなことは出来ない…」
「え、付き合ってんだしいいじゃん」
「ダメだ。…お前、俺を女っぽい男か何かだと勘違いしているかもしれないが、…俺は、たぶん、女みたいには甘えない。あまり想像したくないし、こんなこと言いたくもないが…俺のそれは、子供に近い…」
さっき、自分と似ていると言っていた「お母さん」から受けられなかった愛情を先生は、大人になった今も探しているようだった。…「こんなものいらない」と断られたイチゴやケーキを俺が食べているのを見ていた時、先生はどんな顔をしていただろう。そういうことには気づいていないふりをして、「…俺、子供大好きからね、大歓迎」と明るく言ったら、先生は肩を竦めた。「リョーちゃんとは違う意味で!」と付け足したら、ようやく歯を見せて笑った。
「…じゃあさ、10回に1回でいいから、椿さんって呼びたい」
「…多い」
「じゃあ、100回に1回!」
「まあ、それなら」
…先生が本当にカウントしていたらどうしようって思った。「今は87回目だぞ。100回に1回って言ったよな?」とか言ってきそうだし。一日20回「先生」って呼んでるとして、5回会ったら、たぶん100回クリア出来てるっしょ、というヒジョーにアバウトな計算で大体の目安が出来た。
その日の夜、先生は俺の側で子供みたいにクークー眠った。自分の勤めてる会社の化粧水でも使っているのか、ツヤツヤした肌は柔らかそうだった。さっきまで、時計を嵌めていた細い左手首が無造作に俺の方に投げ出されていた。
完璧に寝てることを確認してから、そうっと掴んだ。スベスベしていて気持ちよかった。なんでリョーちゃんなんかに簡単に触らせたんだろうって思うくらいに。
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