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9.フルーツタルト

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金曜日の夜はいつもリョーちゃんは機嫌が悪かった。
リョーちゃんは金曜日は20時までしかシフトを組みたがらない。そして20時が近くなればなるほどイライラして最後なんてもう爆発すんじゃないかってくらいキレている。
たまたま今日が金曜日だってことを忘れてて、「リョーちゃん、ラーメン食べに行かない?」って聞いたら、「行けるわけないでしょ!ほんとにいい加減にしてくださいよ。次くだらないこと言ったら殺しますからね」って般若みたいな顔で言われた。怖い。

リョーちゃんに振られたからコンビニに寄って家に帰った。
ビニール袋をガサガサならしながら、アパートに戻ると部屋の前に先生が立ってた。

「せ、先生…?こんばんはー…」
「…今、帰りか。バイトだったのか?」
「……あっ、うん!そうそう。バイト!センセ、どうしたの急に?」

先生は気まずそうに「また、戻ってくる用事があったから寄った」のだと説明した。
「この間のこともあるし……」と言いにくそうにしていて、それを聞いた時思わず俺の顔は引きつった。
この間の「責任をとる」という言葉は本気だった。先生、マジメだからマジで償いに来てる。



「先生、なんか元気ないね?」

いつから待っていたのかはわからないけど、長い運転で疲れてるであろう先生を早く休憩させてあげようと、急いで家の鍵を開けながら俺は言った。
先生は今日もどこかぼんやりとしていた。

「……車擦った」
「えーっ!BMW?うっそ、大丈夫?」
「…ああ」
「板金屋やってる奴紹介しようか?」
「…いや、ディーラーに持っていく…」
「…うん、修理すれば傷キレイに直してもらえるよ」

ついに、駐車場で擦ったか…って思った。
俺が「大丈夫、大丈夫」って言ったら、「…そうだな、ボディの傷はすぐ直る」って頷いてはいたけど、まだ浮かない顔をしていた。



この前はフルーツを貰ったけど、今日は鰻とケーキをくれた。
どっちも多分、東京の有名店のものだった。
「先生、わざわざ買ってきてくれたの!?ありがとー、嬉しい。あーあ、コンビニ寄らなきゃよかった」って俺が騒いでもむっつりと黙ったまま頷くだけだった。
…先生って絶対お店で注文する時、指トンで頼んでそうだなと思う。

昼食が13時頃だったから、もう本当に腹ペコで「うめー」って鰻をバクバク食べまくった。
先生はまた俺が食べるのをじっと眺めながら、自分の分もほとんど俺にくれた。

「俺、ほんとお腹すいてんだよねー。ケーキも食べていい?」と聞きながら真っ白い箱を開けた。フルーツタルトが入っていた。
よくよく見てみるとタルトは端が欠けていた。
フルーツの向きも不揃いでおかしかった。キラキラしたゼリーみたいなのがついてるのとそうでないのが、まるでバラバラに並んでいる。
お菓子のパーツだけプロに作ってもらった素人が、自分の記憶を頼りに、何度もやり直しながら組み立てたようにしか見えない。
箱に張られている金のシールも一度剥がした痕があって、箱も側面から強い衝撃を受けたのか少し歪んでいた。

「あれ、中身崩れてる…」と俺は少しカマをかけてみた。

「…転んだからな」
「どこで転んだの?大丈夫?」
「…ケガは、してない、いいから食え」

先生はタルトを見た時、すごく気分が悪そうな顔をした。
本当に、なんか嫌なことあったんだろうな、って思うくらい。
切り分けて皿に乗せたタルトを前にしてもフォークでつついてばかりで、ほとんど口にしなかった。

「先生って女いるんじゃないの?」
「…女?」

俺が「女」と言ったのが気に入らなかったようで「まず、そういう言い方をやめなさい」と先生は顔をしかめた。

「先生、彼女に会いにいつもこっち戻ってきてるんでしょ」
「……彼女はいない」
「…このタルトって、彼女に買ったんじゃないの?」

先生はピタッと動きを止めた後、フォークを握ったまま黙って俺の顔を見ている。
無表情だったけど、一向に口を開く気配がなかったから、このことについては返事をするか、っていう先生の強い意志を感じた。

「…今日元気ないのって車擦ったことだけじゃないよね。タルト潰れてるのと何か関係ある?」
「…ない」
「この前の傷がついたイチゴと、今日のタルトは、同じ人にあげたかったんじゃないの?」

先生は、ジロリと俺を睨んだ。

「…もし、もしお前が言う通りだったとして、…俺が、女になじられ、拒絶されて、例えば、…死にたいと思うくらい追い詰められていたして、お前は、それを聞くのか?そんなことが、知りたいか?」

先生のタルトからドロリとクリームとイチゴが崩れた。
イチゴの表面はニスで塗ったみたいにキラキラとしている。その下にドロドロにぬるくなったクリームがあり、それを細く砕けたタルト生地がトッピングしていた。もはや全然美味しそうに見えない。

「…知りたい。もし、今の話が本当だったとして、それで先生が元気無いなら全部聞きたい」
「……そうか。…でも、生徒に個人的なことは話せない。俺の個人的な…些細なこと」
「もう俺、高校生じゃないってば。それ言ったら、先生ここに来てることもアウトじゃん。…俺、先生に責任取ってほしいとか思ってないよ。でも、先生いっつも元気ないから、その理由だけはどうしても知りたい」

俺は食い気味に遮った。

「…お前、なんで、そこまで」
「…だって、先生もそうだったじゃん」

先生は悪い顔色のまま真っ直ぐ俺の目を見ていた。パチパチと瞬きをするたびに長いまつ毛が上下に動いた。
タルトの甘ったるい匂いとほのかな熱気が部屋中に充満している。柔らかめのクリームはどんどん溶けていっている。

「先生、いつも俺らに本気でぶつかってきてたじゃん。親がモンペで学校中でやべえって有名な奴でも、表では上手いことやってコソコソ人虐めてるような奴でも、絶対妥協しないで一人でいつも向き合ってたじゃん。俺、先生みたいな大人になりたいって本気で思ったよ」
「…俺は、教職を続けることが出来なかった。…高瀬が言うような奴じゃない、俺は」
「…俺、本気で人と向き合おうって思ったの先生が初めてだから、先生も逃げないでよ。先生がこのまま帰ったら俺ずっと辛いままだよ…」

先生は今にも吐きそうな顔をしていた。
一体何が先生にこんな顔をさせているんだろう。もしかしたら、俺がしてることも先生を追い詰めることになっているのかもしれない。
…やっぱりわかんねーって思う。本気で人にぶつかったとしても、先生みたいに出来ているのかが自分ではわからない。

先生に何か言って欲しかった。
「迷惑」だとか「黙れ」とか罵倒でもいい、なんでもよかった。
たぶん、先生はイチゴやタルトの贈り物を邪険に扱われた時も、色んな言葉を飲み込んで持ち帰って来ただろうから、せめてここでは思ったことを言って欲しかった。





「……お前、両親のことは何て呼んでる?」
「いや、べつに、フツーにオヤジ、オフクロだけど…」

というか、実際は「ねえ」とか「ちょっと」って呼んでるけど。あくまでも家から出た時の呼び方。
俺はなんで先生が急にそんなことを言ったのかよくわからなかった。
先生は無駄なことを嫌うタイプだから、ただ単に話を終わらせたいから全く関係ない話を振った、とかそういうふうには思えなかった。この質問には必ず意味がある。

「…俺は、お母さんと呼んでる」

だから?って感じだった。
俺は早く話の続きをしてほしかったから、急かすように「先生」と呼んでしまった。
先生は、全く俺の方を見なかった。ただ俯いて今にも消えそうな小さな声で呟いた。

「…おかあさん」

たった5文字なのに、こんなにもその言葉を苦しそうに口にする人を俺は初めて見た。
先生が言うと、まがまがしい呪文みたいだった。言わないと酷い目に合わされるから声を震わせて一音一音確かめるように口にしているけど、そうする度に先生の心が邪悪なものに蝕まていく。そんな印象を持った。


そして先生は深くため息をつき、少し間を置いた後、「おかあさん」について、重々しい口調で語り始めた。




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