1 / 46
第1話 婚約破棄そっちのけで魔法のことを考えていたら後戻りできなくなっていた件(義妹エフィ視点)
しおりを挟む「あー、疲れたぁ」
永和宮を辞してしばらく歩くと、黒花は大きく伸びをして肩を回した。ある程度年季の入った女官でも、よその宮、しかも徳妃の前となると緊張したらしい。翠明がいたらこんな真似はしないだろうが、白狼と二人での訪問で余計に気疲れしたのかもしれない。
白狼も首と肩を解したかったが、今は籠盛りの果物を持っているので腕を振り回すわけにもいかず、首だけ左右に動かすだけにとどめた。
「しっかし、徳妃様のところってみんな若かったわね」
「だよなぁ」
「確か、徳妃様って孫家の御姫様なのよね。乳母とか、年上の侍女とか連れてこなかったのかしら」
そう言いながら首を傾げる黒花の体内から、こきりと変な音が漏れる。思考を巡らせるために首を回していたのではなく、単に肩を解していただけか。
「まあ、でも若いのが多いからあんまり厳しくないみたいだし、みんな楽しそうだからいいんじゃねえの?」
「そうなんだけどね。でも四夫人のおひとりとしての格を考えると、ちょっと物足りないかなって。経験がないと乗り切れないこともあるだろうし」
出産とか、と黒花が呟く。
「ご懐妊したっていうの、どうやら噂じゃなかったみたいだしね」
「ああ、そういやそうか。あの服……」
白狼も頷く。確かに徳妃はかなりゆったりとした服を着ていた。腹が目立たないようなものを選んでいるのだろう。帯らしい帯も付けておらず、そう考えると既に産み月は近いのかもしれない。
男御子か、それとも女御子か。それも出産まで無事にたどり着けるか。
永和宮の女官や下女の様子を思い出し、どっちにしろ無事産まれるといいなと思いながら白狼は帰路についた。
★ ★ ★ ★ ★
贈り物のお返しに行ったのにそのお返しを持って帰った白狼を見て、小葉はけたけたと笑っていた。これはいよいよ燕が白狼に惚れている説が濃厚だ、徳妃もそれを後押ししていると銀月にも伝える始末だ。
もはや否定するのも面倒くさい。というより、白狼自身もその説を信じてしまいそうな、そんな永和宮訪問だった。
「で、徳妃はこれからも仲良くしてくれと?」
「これもご縁だから、銀月とも親しくしたいって言ってたぜ?」
ふむ、と銀月は白い碁石を指先で弄んだ。夕餉の後、いつものように寝室に軟禁され碁盤を挟んで差し向いに座る帝姫は何か考え込んだようだ。
結局戻って来た白狼は、銀月の碁に付き合わされていた。とりあえず姫君の部屋着を着せられ、頭には付け毛を緩く結び付けられている。さっき言ったことを黒花が覚えていたらしい。
化粧をするとき一瞬手が止まっていたのが気になるが、毎回顔をしかめる白狼に何か配慮しようとしてくれたのかもしれない。
「忘れ去られたような帝姫に近づきたいなど、どういう思惑があるものやら」
「うーん、思惑っていうよりは……」
「ん?」
「あの宮の女官とか、下女とか見たらさ。多分、徳妃ってすげえ世話好きなんだと思った」
「どういうことだ?」
「下女ってさ、後宮に売り飛ばされたり女官に応募してきた庶民の子だろ?」
明け透けな物言いだが、銀月は頷く。
「基本的にそうやって雇われた下女は後宮全体の尚服や尚食で働く」
「それをさ、後宮に来てすぐの子を徳妃は自分とこの宮で引き取ってんだよ」
出会ったとき、燕はそう言った。欠員が出たから急遽配置換えをされたと聞いていたようだが、あの人数をみれば「欠員がでた」せいではないだろう。見かけた年端のいかない少女たちを、自分の宮で保護しているとみるのが正解ではないだろうか。
あの懐き方、宮全体の雰囲気、慈愛に満ちた徳妃の目。以前、毒見要員で庶民の燕を雇ったのだろうと穿った視点で見て申し訳なかったかも、と思うほど永和宮は穏やかだった。
なるほどな、と銀月は白石を碁盤に打った。
「銀月も十五だし、徳妃にしたら自分とこの下女とか女官みたいに世話してあげたい歳頃なのかもしれないなって。俺に対してもまだ子どもなのにって言ってたぜ?」
「貴族の娘や歴代の帝姫は、十三、四で笄礼の儀を経て十五になる前に輿入れをするのが一般的だ。徳妃も、孫家の令嬢でそのくらいのことは分かっていると思うがな」
「へえ。やっぱちょっと早めなんだな」
「どうせ政略に絡んだ婚姻だ。輿入れして共寝に至るまで数年かかるということもあると聞いたことがある」
「……数年!?」
びっくりしたついでに白狼は黒石を打つ。思惑とはズレたところに置いてしまったがもう待ったは利かないためそのままにするしかない。
「なんだよ、数年かかるんだったら銀月も輿入れしてすぐに男ってバレるわけじゃないのかよ」
馬鹿め、と銀月が白石を置く。いい一手だった。ひょいひょいと黒石を除けられ、白狼肩を落とした。
「帝姫だからといって共寝を拒否したところで、湯あみやら着替えやらですぐ向こうの女官が気付く。そもそも女帝擁立の話がある以上、何年もあの皇后が放って置いてくれると思うか?」
「そっか、そうだよなぁ……」
確かにそれは無理だろう。輿入れした途端にやられるか、あるいは道中にやられるか、どっちにしろその二択か。選択肢が増えなかったことにややがっかりしながら白狼は碁笥から黒石をつまみ出す。
そして碁盤に置こうとして、止まった。いくつも並べられた石と石が燭台の灯りを艶やかに反射する。自陣の黒石が一つ、孤立無援の状態だったが、今持っている石をとある目に打てば自陣とつながりが増える。それを見てふと思いついたことがあったのだ。
「どうした?」
訝し気に銀月が白狼を覗き込んだ。
永和宮を辞してしばらく歩くと、黒花は大きく伸びをして肩を回した。ある程度年季の入った女官でも、よその宮、しかも徳妃の前となると緊張したらしい。翠明がいたらこんな真似はしないだろうが、白狼と二人での訪問で余計に気疲れしたのかもしれない。
白狼も首と肩を解したかったが、今は籠盛りの果物を持っているので腕を振り回すわけにもいかず、首だけ左右に動かすだけにとどめた。
「しっかし、徳妃様のところってみんな若かったわね」
「だよなぁ」
「確か、徳妃様って孫家の御姫様なのよね。乳母とか、年上の侍女とか連れてこなかったのかしら」
そう言いながら首を傾げる黒花の体内から、こきりと変な音が漏れる。思考を巡らせるために首を回していたのではなく、単に肩を解していただけか。
「まあ、でも若いのが多いからあんまり厳しくないみたいだし、みんな楽しそうだからいいんじゃねえの?」
「そうなんだけどね。でも四夫人のおひとりとしての格を考えると、ちょっと物足りないかなって。経験がないと乗り切れないこともあるだろうし」
出産とか、と黒花が呟く。
「ご懐妊したっていうの、どうやら噂じゃなかったみたいだしね」
「ああ、そういやそうか。あの服……」
白狼も頷く。確かに徳妃はかなりゆったりとした服を着ていた。腹が目立たないようなものを選んでいるのだろう。帯らしい帯も付けておらず、そう考えると既に産み月は近いのかもしれない。
男御子か、それとも女御子か。それも出産まで無事にたどり着けるか。
永和宮の女官や下女の様子を思い出し、どっちにしろ無事産まれるといいなと思いながら白狼は帰路についた。
★ ★ ★ ★ ★
贈り物のお返しに行ったのにそのお返しを持って帰った白狼を見て、小葉はけたけたと笑っていた。これはいよいよ燕が白狼に惚れている説が濃厚だ、徳妃もそれを後押ししていると銀月にも伝える始末だ。
もはや否定するのも面倒くさい。というより、白狼自身もその説を信じてしまいそうな、そんな永和宮訪問だった。
「で、徳妃はこれからも仲良くしてくれと?」
「これもご縁だから、銀月とも親しくしたいって言ってたぜ?」
ふむ、と銀月は白い碁石を指先で弄んだ。夕餉の後、いつものように寝室に軟禁され碁盤を挟んで差し向いに座る帝姫は何か考え込んだようだ。
結局戻って来た白狼は、銀月の碁に付き合わされていた。とりあえず姫君の部屋着を着せられ、頭には付け毛を緩く結び付けられている。さっき言ったことを黒花が覚えていたらしい。
化粧をするとき一瞬手が止まっていたのが気になるが、毎回顔をしかめる白狼に何か配慮しようとしてくれたのかもしれない。
「忘れ去られたような帝姫に近づきたいなど、どういう思惑があるものやら」
「うーん、思惑っていうよりは……」
「ん?」
「あの宮の女官とか、下女とか見たらさ。多分、徳妃ってすげえ世話好きなんだと思った」
「どういうことだ?」
「下女ってさ、後宮に売り飛ばされたり女官に応募してきた庶民の子だろ?」
明け透けな物言いだが、銀月は頷く。
「基本的にそうやって雇われた下女は後宮全体の尚服や尚食で働く」
「それをさ、後宮に来てすぐの子を徳妃は自分とこの宮で引き取ってんだよ」
出会ったとき、燕はそう言った。欠員が出たから急遽配置換えをされたと聞いていたようだが、あの人数をみれば「欠員がでた」せいではないだろう。見かけた年端のいかない少女たちを、自分の宮で保護しているとみるのが正解ではないだろうか。
あの懐き方、宮全体の雰囲気、慈愛に満ちた徳妃の目。以前、毒見要員で庶民の燕を雇ったのだろうと穿った視点で見て申し訳なかったかも、と思うほど永和宮は穏やかだった。
なるほどな、と銀月は白石を碁盤に打った。
「銀月も十五だし、徳妃にしたら自分とこの下女とか女官みたいに世話してあげたい歳頃なのかもしれないなって。俺に対してもまだ子どもなのにって言ってたぜ?」
「貴族の娘や歴代の帝姫は、十三、四で笄礼の儀を経て十五になる前に輿入れをするのが一般的だ。徳妃も、孫家の令嬢でそのくらいのことは分かっていると思うがな」
「へえ。やっぱちょっと早めなんだな」
「どうせ政略に絡んだ婚姻だ。輿入れして共寝に至るまで数年かかるということもあると聞いたことがある」
「……数年!?」
びっくりしたついでに白狼は黒石を打つ。思惑とはズレたところに置いてしまったがもう待ったは利かないためそのままにするしかない。
「なんだよ、数年かかるんだったら銀月も輿入れしてすぐに男ってバレるわけじゃないのかよ」
馬鹿め、と銀月が白石を置く。いい一手だった。ひょいひょいと黒石を除けられ、白狼肩を落とした。
「帝姫だからといって共寝を拒否したところで、湯あみやら着替えやらですぐ向こうの女官が気付く。そもそも女帝擁立の話がある以上、何年もあの皇后が放って置いてくれると思うか?」
「そっか、そうだよなぁ……」
確かにそれは無理だろう。輿入れした途端にやられるか、あるいは道中にやられるか、どっちにしろその二択か。選択肢が増えなかったことにややがっかりしながら白狼は碁笥から黒石をつまみ出す。
そして碁盤に置こうとして、止まった。いくつも並べられた石と石が燭台の灯りを艶やかに反射する。自陣の黒石が一つ、孤立無援の状態だったが、今持っている石をとある目に打てば自陣とつながりが増える。それを見てふと思いついたことがあったのだ。
「どうした?」
訝し気に銀月が白狼を覗き込んだ。
235
お気に入りに追加
440
あなたにおすすめの小説
だから聖女はいなくなった
澤谷弥(さわたに わたる)
ファンタジー
「聖女ラティアーナよ。君との婚約を破棄することをここに宣言する」
レオンクル王国の王太子であるキンバリーが婚約破棄を告げた相手は聖女ラティアーナである。
彼女はその婚約破棄を黙って受け入れた。さらに彼女は、新たにキンバリーと婚約したアイニスに聖女の証である首飾りを手渡すと姿を消した。
だが、ラティアーナがいなくなってから彼女のありがたみに気づいたキンバリーだが、すでにその姿はどこにもない。
キンバリーの弟であるサディアスが、兄のためにもラティアーナを探し始める。だが、彼女を探していくうちに、なぜ彼女がキンバリーとの婚約破棄を受け入れ、聖女という地位を退いたのかの理由を知る――。
※7万字程度の中編です。

【完結】婚約破棄される前に私は毒を呷って死にます!当然でしょう?私は王太子妃になるはずだったんですから。どの道、只ではすみません。
つくも茄子
恋愛
フリッツ王太子の婚約者が毒を呷った。
彼女は筆頭公爵家のアレクサンドラ・ウジェーヌ・ヘッセン。
なぜ、彼女は毒を自ら飲み干したのか?
それは婚約者のフリッツ王太子からの婚約破棄が原因であった。
恋人の男爵令嬢を正妃にするためにアレクサンドラを罠に嵌めようとしたのだ。
その中の一人は、アレクサンドラの実弟もいた。
更に宰相の息子と近衛騎士団長の嫡男も、王太子と男爵令嬢の味方であった。
婚約者として王家の全てを知るアレクサンドラは、このまま婚約破棄が成立されればどうなるのかを知っていた。そして自分がどういう立場なのかも痛いほど理解していたのだ。
生死の境から生還したアレクサンドラが目を覚ました時には、全てが様変わりしていた。国の将来のため、必要な処置であった。
婚約破棄を宣言した王太子達のその後は、彼らが思い描いていたバラ色の人生ではなかった。
後悔、悲しみ、憎悪、果てしない負の連鎖の果てに、彼らが手にしたものとは。
「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルバ」にも投稿しています。

【完結】婚約者の義妹と恋に落ちたので婚約破棄した処、「妃教育の修了」を条件に結婚が許されたが結果が芳しくない。何故だ?同じ高位貴族だろう?
つくも茄子
恋愛
国王唯一の王子エドワード。
彼は婚約者の公爵令嬢であるキャサリンを公の場所で婚約破棄を宣言した。
次の婚約者は恋人であるアリス。
アリスはキャサリンの義妹。
愛するアリスと結婚するには「妃教育を修了させること」だった。
同じ高位貴族。
少し頑張ればアリスは直ぐに妃教育を終了させると踏んでいたが散々な結果で終わる。
八番目の教育係も辞めていく。
王妃腹でないエドワードは立太子が遠のく事に困ってしまう。
だが、エドワードは知らなかった事がある。
彼が事実を知るのは何時になるのか……それは誰も知らない。
他サイトにも公開中。
政略より愛を選んだ結婚。~後悔は十年後にやってきた。~
つくも茄子
恋愛
幼い頃からの婚約者であった侯爵令嬢との婚約を解消して、学生時代からの恋人と結婚した王太子殿下。
政略よりも愛を選んだ生活は思っていたのとは違っていた。「お幸せに」と微笑んだ元婚約者。結婚によって去っていた側近達。愛する妻の妃教育がままならない中での出産。世継ぎの王子の誕生を望んだものの産まれたのは王女だった。妻に瓜二つの娘は可愛い。無邪気な娘は欲望のままに動く。断罪の時、全てが明らかになった。王太子の思い描いていた未来は元から無かったものだった。後悔は続く。どこから間違っていたのか。
他サイトにも公開中。

別に要りませんけど?
ユウキ
恋愛
「お前を愛することは無い!」
そう言ったのは、今日結婚して私の夫となったネイサンだ。夫婦の寝室、これから初夜をという時に投げつけられた言葉に、私は素直に返事をした。
「……別に要りませんけど?」
※Rに触れる様な部分は有りませんが、情事を指す言葉が出ますので念のため。
※なろうでも掲載中

私も処刑されたことですし、どうか皆さま地獄へ落ちてくださいね。
火野村志紀
恋愛
あなた方が訪れるその時をお待ちしております。
王宮医官長のエステルは、流行り病の特効薬を第四王子に服用させた。すると王子は高熱で苦しみ出し、エステルを含めた王宮医官たちは罪人として投獄されてしまう。
そしてエステルの婚約者であり大臣の息子のブノワは、エステルを口汚く罵り婚約破棄をすると、王女ナデージュとの婚約を果たす。ブノワにとって、優秀すぎるエステルは以前から邪魔な存在だったのだ。
エステルは貴族や平民からも悪女、魔女と罵られながら処刑された。
それがこの国の終わりの始まりだった。


婚約して三日で白紙撤回されました。
Mayoi
恋愛
貴族家の子女は親が決めた相手と婚約するのが当然だった。
それが貴族社会の風習なのだから。
そして望まない婚約から三日目。
先方から婚約を白紙撤回すると連絡があったのだ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる