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カディス

43.船上にて②(5月28日)

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昨夜は甲板の手摺りに背中を預けたまま、シュラフに包まり朝を迎えた。隣で俺の肩に頭を預けていたはずのカリナが、夜明けには俺の膝に突っ伏していたのは、まあご愛嬌というやつだ。
夜中に海中から魔物に襲撃されるなんて最悪の状況に陥らなかったことに密かに安堵しながら、カリナの身体を揺すり起こす。

「んぁ……眩しいよぅ……」

揺すり起こしているはずなのだが、起き上がる気配はない。それどころか器用に姿勢を変えてカレイラの方にシュラフに包まれた足を投げ出す。

「ぐへっ」

今度はカレイラが潰された蛙のような声を上げて転がった。カリナお嬢様ってばこんなに寝相が悪かっただろうか。

◇◇◇

慣れない船上での起床にドタバタしたが、空は快晴で微風が吹いており、絶好の船路日和である。
テキパキと帆を張り錨を上げた乗組員達のお陰で、船は滑るように進み始めた。
カリナとカレイラは船底で手隙の乗組員や行商人達と話し込んでいる。手持ち無沙汰になった俺は、昨日と変わらず船首で海面を睨みつける船長の隣で真似するでもなく海面を眺めていた。

「暇なのか?」

低い、だが決して不機嫌そうではない声で船長であるプラドが話しかけてきた。

「ツレは下で談笑しているしな。暇と言えば暇だ」

「ふん、あいつら嬢ちゃん達が来て浮かれとるな」

そう言われると返す言葉も無い。女だからという理由で乗船拒否などされなくてよかった。

「それはそうと、お前さん達は魔物狩人カサドールだな。もっと良い水中の見張り方はないものか。あのボンクラ共でも見張りが出来れば、儂はもうちっと楽ができるというものだ」

そう、実は昨日から海面を見ながらその事を考えていた。或いはこの赤銅色の肌の男は俺が考えていた事を察したのかもしれない。

「どうだろうな。風魔法を使えば水上を探ることはできるが……」

「それは儂でも知っている。だが水中で風は吹かない」

当然である。水中には空気は無い。空気は無いが水はある。水……水魔法って魔物を感知できるのだろうか。
そもそも感知とは何だ。知覚すること、感じること。どうやって?今俺はどうやって世界を感じている。
船底からカリナ達の話し声が聞こえてくる。スキャン上ではカリナ達と乗組員達が車座に座り込み談笑する姿が映っている。これは風魔法を半径300mに渡って隅々まで広げて知覚しているものだ。
声、音……音波……音波?
そうだ、音波ならば空気中でも水中でも関係ない。
音波を使って水中や土中を探る技術がある。正確に言えば50khz~200khzの超音波や数Ghz~数10Ghzの電磁波を照射し、その反射波のパターンから見えない場所を探る技術だ。これならば例えば船底から超音波を発射して探照できるかもしれない。
いや、それはあまりにもリスキーだ。イルカやクジラは潜水艦が発信するソナーで感覚を狂わされるという。同じことが魔物で起きないとは限らない。海中に潜む魔物を見つけようとして逆に引き寄せてしまったら目も当てられない。
そういえば潜水艦或いは水上戦闘艦ならば、自ら超音波を発信するアクティブソナーの他に目標が発する音を捉えて位置を察知するパッシブソナーを備えている。水上で静かに聞き耳を立てているだけならば、水中に潜む魔物をいたずらに刺激することもないだろう。
パッシブソナーか。パッシブソナーの基本原理は、水中の音を2つ以上のハイドロフォンと呼ばれる集音器や受波器で測定し、それぞれの測定器が拾った音の位相差から音源の位置を特定するものだ。
例えばこの船の船首側と船尾側でそれぞれ海中の音を拾い解析できれば、見えない海中を探ることができるかもしれない。

と、言うのは簡単である。ろくな装置もなければコンピュータもないこの世界で、いったいどうやってそんな複雑な解析ができるというのだ……

ここまで考えてふと可笑しくなった。
複雑な解析をやってのけているではないか。レーダーにせよスキャンにせよ、探知魔法は空気の波動を三次元解析しているようなものだ。それが“水中になったから出来ない”ということもないだろう。とりあえずやってみよう。
手摺に右耳を当て、伝わってくる音と振動に意識を集中させる。左耳から聞こえてくるのは船内と空気中の音だ。右耳と左耳それぞれが拾った音をイメージしながら脳内で変換し、立体映像にしていく。
視線の先ではプラド船長が訝しげな顔をしている。

「船長、左前方にアグージャがでるぞ。5、4、3、2、1、今」

カウントどおりに立派な背鰭を震わせながらバショウカジキが海面を割った。派手な水飛沫が甲板を叩く。

「なにっ。背鰭なんぞ見えなかったぞ!」

「たまたまかもしれないが……さっきのアグージャが後方から回り込んでいる。小さな……いや、腕ぐらいはある魚を追っているようだ」

「腕ぐらいある魚だと。イスタドか?」

「それはどんな魚だ?」

「背中が濃い青、腹が銀色の体に黒い縞が入った魚だ」

カツオかサワラだろうか。いや、サワラなら黒い斑点と表現しそうなものだ。

「追いつかれるな。出るぞ」

直後に再び海面を割ったバショウカジキの口吻には大きな銀色の獲物が咥えられていた。

「おぅ、本当に出やがった。ありゃカバーニャだな。酢漬けにすると旨いが痛むのも早い」

カバーニャか。鯖なら味噌煮か竜田揚げ、シンプルに塩焼きでもいいな。馴染んだ味をこんなタイミングで恋しくなるとは不思議なものである。

「おい、お前さん、海の中が見えてんのか?」

「見えてはいない。海中の音を聞いている」

「聞くって、聞いてるだけじゃわからんだろう」

「そうでもないぞ。船長だって背後から近づく足音で誰が来たかわかるだろう」

「そりゃあ、まあそうだが」

「似たようなものだ。だが……そうだな。障害物や魔物の出現さえ海上で把握できればいいんだよな」

「ああ。海に潜んでいるだけの魔物は、そっとしておくに限るからな」

「だったら……船長、木の板はないか?」

「応急補修用のならあるぞ。おぅい!誰か!板持ってこい!」

水夫達が何事かと集まってくる。板を持つ者、道具箱らしき物を持つ者、何かの壺を抱えた者もいる。その後ろからカリナとカレイラが小さなジャンプを繰り返してこちらを見ている。

「船長!どうしました!」

「おう。ちっと待て。それで、何をするんだ」

小学校で使った画板ぐらいの大きさの板の中心に船の上面図を鉛筆で適当に書き、だいたい同心円状に円を描く。円の距離は船の幅と同じにする。あとは船から放射状に線を書き込み、円と線の接点に黒丸を書く。

「カリナ!ちょっと手伝ってくれ!」

「は~い」

カリナが水夫達を掻き分けて前に出る。呼んだ覚えはないがカレイラもついてきた。

「魔石を細かく砕いて、この黒丸に嵌め込む。何か固定というか接着できるものがあればいいんだが」

「ん~。おじさん、道具箱貸して。あと、その壺って瀝青だよね。それもちょうだい」

壺を開くと中には黒いドロドロとした液体が入っていた。若干の芳香族臭がする。
瀝青れきせい。天然のアスファルトか。ノアの方舟にも塗られていたという防水剤だ。接着剤の代わりにはなるか。

カリナが道具箱から金槌とノミを取り出して、板を掘り込んでいく。できた窪みに瀝青を塗り、親指大の魔石を砕いたものを一つずつ貼り付ける。中心の船の位置には親指大の魔石をそのまま使う。

「ねぇ。手伝いながら聞くのもあれだけど、コレってなに?」

心地よいノミの音を響かせながらカリナが聞く。
そういえば何も説明していなかった。

「水中を探索する魔道具……になるかもしれない」

「へぇ。すごいじゃん。カレイラ、あんたもちゃんと手伝いなさい」

「なんで僕がこんな魔導師みたいなことを……」

「何事も経験でしょ。文句言わない」

ぶつぶつ言いながらもカレイラはちゃんと作業をしている。こういう姿を見ていると根はいい子なんだろうなと思う。

魔石の取り付けが終われば、鉛筆の線を瀝青でなぞり、全ての魔石を結んでいく。最後に板の裏側に魔法式を書けば完成だ。これまで幾つかの魔道具を見せてもらったが、魔法式は幾つかの単語と接続詞、もっといえば主語、動詞、目的語、補語の4つを組み合わせた文章らしい。そして使う言語はこの世界の、少なくともこの国の言葉ではない。かなり崩されてはいるが英語である。例えば火はこの国の言葉ではfuegoだが魔法式ではfire、水はaguaではなくwaterと書き記す。魔石はcrystalでいいらしい。魔道具作りで難しいのは、この魔法式専用の言葉を覚えることだそうだ。
さんざん悩んだ挙げ句に拙い筆記体で書き上げたのは、いささか厨二チックな魔法式だった。

Sea spirit sleeping in the abyss, bestow upon me knowledge. It contains the sparkle of crystal, creating ripples that bring out the dynamism of magical power. It detects the signs of monsters lurking at the bottom of the sea, making it impossible to see reefs and obstacles that block the ship's path.

英語として正しいかどうかはわからないが、要は魔道具として使えれば良いのだ。

二人が手伝ってくれたおかげで、魔道具もどきは30分もせずに完成した。
最後に中心の魔石に魔力を注ぎ魔法式を完成させる。
あとはこれを船首に取り付ければ……

「完成……だな。船長、魔道具を使う時の要領で、中央の魔石に魔力を注いでみてくれ」

「おう。こんな感じか?」

船長が右の人差し指で魔石に触れる。すると中央から同心円状に光の輪が次々と広がる。船長が指を離しても光の輪は放たれ続ける。

「この光はなんだ」

船長が食い入るように光を見つめる。船長の両側ではカリナとカレイラが同じように見ている。

「海中を探索している」

「ほう。これで探索しているのか」

「あ、右上の小さな魔石が光ったよ」

カリナの言葉どおり、中心から4つめの円の一部で魔石が反応している。

「右前方20m、何か出てくるぞ」

果たして、数秒後に海中から躍り出たのは立派なバショウカジキだった。
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