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225.孤児院(9月30日)
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ルイサが育ったという貧民街の孤児院にルイサと共に訪れた俺とビビアナ、アイダは、院長であるフィエロと面会した。
通された応接室で俺の立場を明らかにしたビビアナの言葉に、フィエロが冷や汗をかいている。
「これは大変な失礼を……」
「いえ、構いません。突然来た俺達の方こそ失礼しました」
「それで、ここにはどのような御用向きでしょうか。ご覧のとおり何もない場所ですが……」
「ルイサの里帰りというか、彼女が世話になった恩人への挨拶と、少々相談がありまして。ビビアナ、頼む」
相談と聞いて怪訝な顔をするフィエロに、ビビアナがにこやかに微笑んだ。
「そんなに緊張されなくても結構ですわ。そういえば先生、先生はどうして孤児院を運営なさっているのですか?名のある魔法師で、確か爵位もお持ちでしたわよね」
「ええ。もう20年ほど前になりますか、北方の小競り合いで軍功を立てまして……ですがもう返上いたしました。その時の恩賞を元手に、若者を導く教師たらんとしたのです」
「ご立派なご意志ですわね。それで?」
「軍籍にあった頃に幾つもの街を回りました。そのいずれの街にもここと同じ、いや、もっと酷い有り様の貧民街がありました。そのことがずっと心に刺さる棘だったのでしょう。若者を教え導くことで、きっといつの日か日々の食事に事欠くような人々が救われればいいと、そう考えていました。ですが……」
「私をご指導くださっていた頃にも、よく貧しい者の話をしてくださいましたね。富める者がそのほんの一部を差し出すだけで、数多くの救われる者がいると」
「そのような事も申し上げていたやも知れませぬ。そんなある日気付いたのです。彼等から見れば私も富める者なのだと。北街区に居を構え、時折やって来ては僅かばかりの食物や金銭を置いていく。そんな男にしか見られていないのだと。そう気付いてからは居ても立っても居られず、家を手放しこの孤児院を開きました」
軍功により爵位を授与された魔法師。どこかで聞いたような話だな。もし娘達に出会わなかったら、俺もそんな生き方を選んだかもしれない。
「ここは長いのですか?私をお教え下さっていたのは、ちょうど7年ほど前だと思いますが」
「まだ5年と少しでしょうか。ようやくこの辺りの顔役とも腹を割って話ができるようになってきたところです」
ビビアナが再び微笑んだ。ああ、全部彼女の作戦なのか。素性を明かしてフィエロを追い込み、昔話で彼を引き込み胸襟を開かせる。アイダの交渉といえば堂々と正論で押し通すものだが、ビビアナの交渉はどちらかといえば手練手管に近い。
「そうですか。そんな先生にお願いがあります。貧民街の有志を、新天地へ向かわせるお手伝いをしていただけませんか?」
「新天地……と申されますと?」
「先の騒乱は先生もご存知ですよね」
「ええ……ネクロファゴに幾つかの街が襲われて壊滅的な被害が出たと。何でもアルテミサ神殿の神官と養成所が派遣したカサドールによって救われたと吟遊詩人が歌っていると聞いております。何でも東の森の大賢者様も加わっているとか……まさか……」
「そうですわ。それは私達です」
「そう……ですか……大賢者様の噂は本当なのですか?」
「ええ。私達、というよりカズヤ様に付き従っておられますわ」
ようやく引いていたフィエロの汗が再び吹き出している。膝に置いた両手も軽く震えているようだ。大賢者と呼ばれるルツの存在がそんなにプレッシャーになるのだろうか。
「……あなた様はいったい……」
フィエロが窺うように俺を見る。が、その視線を遮ってビビアナが身を乗り出した。
「フィエロ先生、先生は大賢者様をご存知なのですか?」
「はい……いえ、伝承で知る限りです。貴族の方々にも言い伝えが伝わっているようですが、私が所属していた軍にも独自の言い伝えがありました。大襲撃の際には決して前に立つな。さもなくば魔物もろとも粉砕されると……」
ああ、その言い伝えはおそらく事実だ。ルツは自分の領域を荒らす者は誰であろうと何であろうと排除すると言い切っていた。味方であれば本当に心強いが、一度敵と認識されたらとんでもない事になるだろう。
「カズヤ様、先生はこうおっしゃっておられますが、大賢者様は危険な存在なのでしょうか」
危険ねぇ。長刀を背負ったまま乗り込んで来た時には呆気に取られたが、それでも本能的な危機感は感じなかった。人間は人智を超える存在に畏れを感じるものだと言うが、少なくとも露天風呂に乱入してくるルツにそんな感情は抱かないな。
「いいや、全く。フィエロ殿は大賢者と呼ばれる者が恐ろしいですか?」
フィエロは膝の上の握り拳を再び強く握り、意を決したように話始めた。
◇◇◇
「実は私は大賢者様に教えを乞いたいと願っていたことがあります。そのため軍を辞した後に東へ赴きました」
「あら、それは私の家庭教師になられる前ですか?」
「そうです。山裾までは辿り着いたのですが狼の群れに阻まれまして……御目通りは叶いませんでした」
ほう、そんなことがあったのか。ただの物見遊山ではあるまい。恐れを屈服させるだけの強い意志があったということなのだろう。
「その狼達はルツの、大賢者と呼ばれる者の使い魔です。招かれざる客を追い払うために彼女が野に放っていますが、今は無人となった街や村に魔物が入り込まないように監視と駆除を行なってくれています」
「使い魔…そうですか……ではやはりあの方は人間の味方なのですね」
「それはどうでしょう。自ら望んで敵に回ることはないと思いますが、一概に味方とは言い切れませんね」
「でも今はカズヤ様に従っておられる。その一点だけでも素晴らしい功績ですわ」
あれは従っていると言っていいのか。労せずに飢えが満たせる、まさにネギを背負った鴨に見えているのかもしれないのだが。
「それで、カズヤ様は辺境伯に任じられますの。ただ彼の地は無人になってしまった街や村も多く、復興には多くの人手が必要です。もちろん私達もお供いたしますけれど、是非とも先生にもお力添えいただきたいですわ」
どうやらビビアナは徹底して俺を持ち上げるつもりのようだ。そろそろ俺が話したいほうが良いような気がする。
「それは私に出来ることでしたら。しかし私に何をしろと。昔はともかく、今は孤児院をようやく運営している老人に過ぎませんが」
「フィエロ殿、フィエロ殿の話はルイサから聞いています。分け隔てなく皆に優しく、教師の鏡のような方だと。そんな貴方にしか出来ないことをお願いしたい。引き続き貧民街の子供達に教育の場を提供してはいただけませんか。その中で望む者がいれば、新たな地で受け入れたいと考えています」
「教育の場……ですか……」
「もちろんタダとは言いません。ある程度の資金援助はしますし、豪華とはいきませんが食事も提供できるかもしれません。私が昔学んでいた場所では給食という制度がありました。学ぶ者は昼食にありつけるという制度です」
「ほう……それは良い制度です。それであればまだ幼く働けない子供達でも受け入れることができます。今は子供達だけで留守番をしているようですので、実は度々問題も起きているのです」
「そうですか……具体的な話はこの辺りの顔役の方も交えて行わせていただきたいのですが、まずは顔繋ぎをお願いできませんか?」
こうして孤児院での会談は比較的スムーズに進んだのである。これもビビアナがフィエロの心理的な障壁を打ち崩してくれたおかげだ。
通された応接室で俺の立場を明らかにしたビビアナの言葉に、フィエロが冷や汗をかいている。
「これは大変な失礼を……」
「いえ、構いません。突然来た俺達の方こそ失礼しました」
「それで、ここにはどのような御用向きでしょうか。ご覧のとおり何もない場所ですが……」
「ルイサの里帰りというか、彼女が世話になった恩人への挨拶と、少々相談がありまして。ビビアナ、頼む」
相談と聞いて怪訝な顔をするフィエロに、ビビアナがにこやかに微笑んだ。
「そんなに緊張されなくても結構ですわ。そういえば先生、先生はどうして孤児院を運営なさっているのですか?名のある魔法師で、確か爵位もお持ちでしたわよね」
「ええ。もう20年ほど前になりますか、北方の小競り合いで軍功を立てまして……ですがもう返上いたしました。その時の恩賞を元手に、若者を導く教師たらんとしたのです」
「ご立派なご意志ですわね。それで?」
「軍籍にあった頃に幾つもの街を回りました。そのいずれの街にもここと同じ、いや、もっと酷い有り様の貧民街がありました。そのことがずっと心に刺さる棘だったのでしょう。若者を教え導くことで、きっといつの日か日々の食事に事欠くような人々が救われればいいと、そう考えていました。ですが……」
「私をご指導くださっていた頃にも、よく貧しい者の話をしてくださいましたね。富める者がそのほんの一部を差し出すだけで、数多くの救われる者がいると」
「そのような事も申し上げていたやも知れませぬ。そんなある日気付いたのです。彼等から見れば私も富める者なのだと。北街区に居を構え、時折やって来ては僅かばかりの食物や金銭を置いていく。そんな男にしか見られていないのだと。そう気付いてからは居ても立っても居られず、家を手放しこの孤児院を開きました」
軍功により爵位を授与された魔法師。どこかで聞いたような話だな。もし娘達に出会わなかったら、俺もそんな生き方を選んだかもしれない。
「ここは長いのですか?私をお教え下さっていたのは、ちょうど7年ほど前だと思いますが」
「まだ5年と少しでしょうか。ようやくこの辺りの顔役とも腹を割って話ができるようになってきたところです」
ビビアナが再び微笑んだ。ああ、全部彼女の作戦なのか。素性を明かしてフィエロを追い込み、昔話で彼を引き込み胸襟を開かせる。アイダの交渉といえば堂々と正論で押し通すものだが、ビビアナの交渉はどちらかといえば手練手管に近い。
「そうですか。そんな先生にお願いがあります。貧民街の有志を、新天地へ向かわせるお手伝いをしていただけませんか?」
「新天地……と申されますと?」
「先の騒乱は先生もご存知ですよね」
「ええ……ネクロファゴに幾つかの街が襲われて壊滅的な被害が出たと。何でもアルテミサ神殿の神官と養成所が派遣したカサドールによって救われたと吟遊詩人が歌っていると聞いております。何でも東の森の大賢者様も加わっているとか……まさか……」
「そうですわ。それは私達です」
「そう……ですか……大賢者様の噂は本当なのですか?」
「ええ。私達、というよりカズヤ様に付き従っておられますわ」
ようやく引いていたフィエロの汗が再び吹き出している。膝に置いた両手も軽く震えているようだ。大賢者と呼ばれるルツの存在がそんなにプレッシャーになるのだろうか。
「……あなた様はいったい……」
フィエロが窺うように俺を見る。が、その視線を遮ってビビアナが身を乗り出した。
「フィエロ先生、先生は大賢者様をご存知なのですか?」
「はい……いえ、伝承で知る限りです。貴族の方々にも言い伝えが伝わっているようですが、私が所属していた軍にも独自の言い伝えがありました。大襲撃の際には決して前に立つな。さもなくば魔物もろとも粉砕されると……」
ああ、その言い伝えはおそらく事実だ。ルツは自分の領域を荒らす者は誰であろうと何であろうと排除すると言い切っていた。味方であれば本当に心強いが、一度敵と認識されたらとんでもない事になるだろう。
「カズヤ様、先生はこうおっしゃっておられますが、大賢者様は危険な存在なのでしょうか」
危険ねぇ。長刀を背負ったまま乗り込んで来た時には呆気に取られたが、それでも本能的な危機感は感じなかった。人間は人智を超える存在に畏れを感じるものだと言うが、少なくとも露天風呂に乱入してくるルツにそんな感情は抱かないな。
「いいや、全く。フィエロ殿は大賢者と呼ばれる者が恐ろしいですか?」
フィエロは膝の上の握り拳を再び強く握り、意を決したように話始めた。
◇◇◇
「実は私は大賢者様に教えを乞いたいと願っていたことがあります。そのため軍を辞した後に東へ赴きました」
「あら、それは私の家庭教師になられる前ですか?」
「そうです。山裾までは辿り着いたのですが狼の群れに阻まれまして……御目通りは叶いませんでした」
ほう、そんなことがあったのか。ただの物見遊山ではあるまい。恐れを屈服させるだけの強い意志があったということなのだろう。
「その狼達はルツの、大賢者と呼ばれる者の使い魔です。招かれざる客を追い払うために彼女が野に放っていますが、今は無人となった街や村に魔物が入り込まないように監視と駆除を行なってくれています」
「使い魔…そうですか……ではやはりあの方は人間の味方なのですね」
「それはどうでしょう。自ら望んで敵に回ることはないと思いますが、一概に味方とは言い切れませんね」
「でも今はカズヤ様に従っておられる。その一点だけでも素晴らしい功績ですわ」
あれは従っていると言っていいのか。労せずに飢えが満たせる、まさにネギを背負った鴨に見えているのかもしれないのだが。
「それで、カズヤ様は辺境伯に任じられますの。ただ彼の地は無人になってしまった街や村も多く、復興には多くの人手が必要です。もちろん私達もお供いたしますけれど、是非とも先生にもお力添えいただきたいですわ」
どうやらビビアナは徹底して俺を持ち上げるつもりのようだ。そろそろ俺が話したいほうが良いような気がする。
「それは私に出来ることでしたら。しかし私に何をしろと。昔はともかく、今は孤児院をようやく運営している老人に過ぎませんが」
「フィエロ殿、フィエロ殿の話はルイサから聞いています。分け隔てなく皆に優しく、教師の鏡のような方だと。そんな貴方にしか出来ないことをお願いしたい。引き続き貧民街の子供達に教育の場を提供してはいただけませんか。その中で望む者がいれば、新たな地で受け入れたいと考えています」
「教育の場……ですか……」
「もちろんタダとは言いません。ある程度の資金援助はしますし、豪華とはいきませんが食事も提供できるかもしれません。私が昔学んでいた場所では給食という制度がありました。学ぶ者は昼食にありつけるという制度です」
「ほう……それは良い制度です。それであればまだ幼く働けない子供達でも受け入れることができます。今は子供達だけで留守番をしているようですので、実は度々問題も起きているのです」
「そうですか……具体的な話はこの辺りの顔役の方も交えて行わせていただきたいのですが、まずは顔繋ぎをお願いできませんか?」
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