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209.神域②(9月5日〜6日)

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イザベルが見つけてきた臭い袋は、オオカミ避けの道具だそうだ。魔道具ではなく、山間部で生きる者にとっては割とポピュラーな生活用具の一つ。とはいえ臭気は強烈で、服に染み込んだ臭いはすぐには消えそうにない。
その臭い袋は地面に突き刺さった木の枝に括り付けられていたらしいのだが、その枝ごと回収してきたイザベルは特に臭い。本人も自覚というか苦しんでいるようで、未だ鼻を摘んで半べそを掻いている。
とりあえずペットボトルの水で手と顔を洗わせ、ついでに嗽もさせる。鼻洗浄でもすればいいのだろうが、生憎と鼻洗浄器など持っていない。怪我ではないから治癒魔法が効くかどうか分からないが、気休めにはなるか。頭部全体を治癒魔法で覆ってしばらく様子をみる。

「ごえであだばぼよぐなるがぼ」

「そんな減らず口が叩けるなら大丈夫だな」

イザベルの頭を軽くアイダが小突く。

「カズヤ殿。賊は帰りにも臭い袋を使うつもりだったのではないでしょうか。

「そうかもしれないな。ルツ、侵入者に心当たりは?」

「ある。エラム帝国復興を目論む者達。本人達はマグスニージャルなどと名乗っている」

お世辞にも強そうに思えない団体名だが、どんな意味だろう。だが娘達がリアクションしたのは団体名よりも団体の目的の方だった。
イザベルがようやく摘んだ鼻から指を外して、何度かくしゃみをする。

「エラム帝国?あの何百年も前の?」

どうやら普通に話せるようになったようだ。好奇心旺盛で躊躇がないのは良い事だが、もう少し慎重さを兼ね備えてくれると助かるのだが。

「そう。今さら帝国を復興して何を為そうというのやら」

「復興も何も、血統は途絶えているのではありませんか?」

「もちろん。だいたい三百年ちょっと前に帝室もそこに連なる者達も死に絶えたはず。でも……」

「でも?」

「人間の繁殖力は強いから。皇族の誰かがお手付きしてても不思議はない?」

そう言ってルツがチラッと俺を見る。いやいや、俺は婚外交渉するほど甲斐性はないぞ。
それよりも俺が気になるのは侵入者がそのマグスニージャルだと考えた理由の方だ。

「そのマグスニージェルとこれまで接触したことは?」

「ある。何度か返り討ちにした」

「返り討ちに合ってんのかあ。懲りない奴……」

「人の一生は短いから。次の世代が挑んでくるのは仕方ない」

「次の世代?」

「そう。思い出した。奴らの幹部?みたいな連中が私の血を取りに私に挑んでくる。最近は……50年くらい前だった」

50年前か。この世界の平均寿命は短いようだが、それは若くして命を落とすことが多いからだそうだ。それでも50年は同じ人間が再チャレンジするには期間が開きすぎている。
そして血を欲する理由は何だ。猛烈に嫌な予感がする。

「その時に血を取られたのか?」

「取られていない。でも一人に逃げられた。そいつが何か持って帰ったかも」

「まぁ、本人達に聞けばいいじゃん。ごめんね待たせて。もう大丈夫」

月明かりに照らされるイザベルの顔は、目と鼻が真っ赤で声も鼻声だ。軽い治癒魔法で見た目だけは普段どおりに戻せたが、しばらくパフォーマンスは落ちるかもしれない。

「ルツ、イザベルがこんな状態だ。あまり無理はさせられない」

「大丈夫。無理をするような相手じゃない。じゃあ先に行く」

そう言ってルツがまたしてもスタスタと歩き出した。

◇◇◇

建物の中はルツが一人で住んでいるとは思えないほど整頓されていた。内装も石造りで床は大理石模様のタイルだろうか。夏場はともかく冬は底冷えすることだろう。入り口すぐの大広間を抜けて二階へと続く階段を上がる。燭台らしき物が壁に掛かっているがルツは灯す気はないようだ。ヘルメットに付けたヘッドライトと、G36Cのフラッシュライトの明かりを頼りにルツの背中を追い掛ける。
階段を上がった先に大きな両開きの扉があるが、ルツはそこには目もくれずに右に進む。
2階を貫く廊下に面して幾つもの扉があるが、ルツはそれらも素通りして1番奥の扉の前に立った。どうやらここに侵入者がいるらしい。スキャンが効かないから扉は鉄製だろうか。

「準備はいい?」

囁くようなルツの問い掛けに、それぞれの獲物の鯉口を切ったイザベルとアイダが頷く。俺もG36Cのセレクターの位置を確かめる。暗闇の中。周囲は石の壁。貫通魔法を付与したAT弾でも跳弾は怖い。自身もエアガンを使うイザベル達はエアガンという武器の特性を理解してくれているが、ルツは未知数だ。セレクターはセミオートにセットしておく。

ルツが深く息を吸い込み、一気に扉を押し開いた。直後に眩い光が室内側から溢れ出す。

「カズヤ殿!」

アイダとイザベルが身を翻して俺を扉の影に押し込んだ。

◇◇◇

「今の閃光はいったい……」

「ビビアナのイルミナ……?フラッシュかも……」

身体を起こした娘達がヘッドライトに照らされる。どうやら怪我は無いようだ。

「2人とも無事だな。ルツは?」

ルツの姿が見当たらない。娘達も顔を見合わせ、辺りを見回す。
さっきの閃光に巻き込まれたのか。或いはトラップの類いだったのだろうか。
慌てて室内に飛び込もうと身構えた俺達の目の前に、ひょっこりとルツが顔を出した。

「あら。3人で何してるの?」

「な……何してるじゃないよ姐御!大丈夫なの?」

「大丈夫って、自分で放った魔法でどうかなるわけないじゃない」

呆気に取られる俺達を尻目に、ルツは涼しい顔で言葉を続けた。

「ここじゃなかったみたいね。地下かしら」

◇◇◇

ルツが強力な光魔法を放った部屋は、彼女が寝室にしている場所らしい。石造りの廊下とは違って、室内には木の板が貼られ中央にベッドが置かれている。いや、ベッドというより寝台と表現した方が相応しいかもしれない、ごく質素なものだ。

「ここはルツの寝室か?」

俺からの問い掛けに、ヘッドライトて照らされたルツは下を向く。下を向かれるとベールのせいで表情が見えない。

「滅多に使わない方のね。あんまりじろじろ見ないで。男性を寝室に入れるなんて初めてなのよ」

その言葉にイザベルが吹きだした。

「ちょ、姐御?何百年も生きててそれはないでしょ?」

「悪かったわね。二度と寝転べない体にしてやろうかしら」

また話が脱線していく。この2人、一緒にしておいていいものか。

「ルツ。何か魔法を使う前にはせめて合図をしてくれ。でないと俺達が巻き込まれる」

魔法ファンタジーの常として、魔法行使時に大声で魔法の名称を叫ぶ行為がある。あれは単に見栄えを意識しただけのものではない。味方にこれから行使する魔法を伝えて備えさせる立派な理由があるのだ。人間の言葉を解さない(であろう)魔物が相手の魔物狩人カサドールなら尚のことだ。だからビビアナもアイダもカミラもイザベルも、攻撃魔法を放つ時はその名称をわざわざ口にしている。
ところがルツにはその常識が無い。人語を解するであろう者達ばかりを相手にしてきたからなのか、そもそも単独行動ばかりをしてきたからなのかは知らないが、それでは俺達の身が持たない。

「わかった。でもこれぐらいでは死なないでしょ?」

ルツがベールの下で微笑む。
いや、死ななければ良いという問題ではないからな。
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