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181. 緊張(8月10日)
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ガスパールが俺に小声で突きつけたのは、俺自身が薄々気付いていて、そしてその事実から目を背けてきたことであった。
「いいか。俺達が相手をするのは人間だ。正確には“人間の姿を保ったままの何か”だが、斬れば赤い血が流れるし言葉も発するらしい。これまでお前さん達が狩ってきた小鬼や大鬼なんか比べ物にならないくらい、ソレは俺達と同じ人間だ。それをお前さん達は殺せるのか?殺す姿を子供に見せられるのか?」
ガスパール達が掴んでいる情報によれば、エシハ東方の街ロンダ近郊のテハーレスという村に出現した吸血鬼は、村人全てと鎮圧に当たった衛兵隊の半数をヒトではない何かに変貌させた。そしてその勢力は増大し、着々とその脅威は近づいている。
そんな只中へと進んでいるのだ。吸血鬼を討つために派遣されてきた俺達だが、その前に“人の姿をした何か”を討つことになるのは確実だ。
「いいか。俺達赤翼隊が“向かう所敵無し”と称される理由はな、人を殺めることに躊躇がないからだ。人間誰しも、人を殺める事を躊躇う。故に軍人は繰り返し訓練を積み重ね、その躊躇いを振り払う。だが、此処にいる者達は軍に入る以前にその禁忌を犯し、躊躇いを振り払った者達が多い。だからこそ“人狩り”などと呼ばれるのだ」
どんな宗教、どんな政治体制下にあっても殺人は基本的に禁忌である。もちろん殺人を“救済”だと刷り込まれてしまう者達もいるだろうが、逆に言えばそう刷り込まない限り本質的には同族殺しを嫌悪するものだ。
カミラやソフィアは躊躇しないだろう。
俺もおそらく問題ない。
だがアイダとビビアナは?イザベルとアリシアは?
そしてルイサとグロリアは?幼い2人にヒトの血で染まった剣を見せられるだろうか。娘達は何処か安全な場所に置いておいた方がいいか……
行軍の音に紛れてガスパールの声は皆には届いていない。
そんな甘い期待は荷馬車の後方を振り返った時に打ち砕かれた。
「カズヤさん。私もイザベルちゃんもアイダちゃんも、みんな覚悟は出来ています。養成所にいた時から、いつか戦場に出る事はわかっていました」
「その通りです。まさか私達を置いていくつもりじゃないですよね!」
「私の魔法は面制圧にも役立ちますわ。置いていくのはナシですのよ」
「あ、でもさ、ルイサはともかくグロリアはどうする?連れて行っても大して役に立たないよね」
「はっきり言うわね。其方のそういうところは嫌いではなィッ!」
「あんたは黙ってなさい」
イザベルに頭を小突かれたグロリアが思いっきり舌を出して口を閉ざす。
4人の娘達は“これが任務”だと割り切ってくれるかもしれない。だが、養成所で“走る”ことしかしていなかったルイサはどうだろう。ゴブリンやオーガを倒すように、元ヒトであった何かを討つ事ができるだろうか。そしてその姿を見せてもいいものか。
「アルテミサ神殿から遣わされたのはグロリアです。そのグロリアを置いていくわけにはいかないでしょう」
「じゃあグロリアとルイサの護衛は私がやる。荷台に硬化魔法と結界魔法を掛けて、荷台の上から一歩も出ない。それならいいでしょ?」
心配しているのは身の安全だけではないのだがな。
目の前でヒトが死ぬ。それも自分の親しい人間に殺される。
その光景を幼い子供達に見せる事を躊躇っているのだ。
「私も荷台から離れないようにする。エアガンぐらいしかまともに使える武器はないし、硬化魔法の維持も必要だし」
「じゃあ私が御者台に陣取って、アリシアちゃんが荷台ね」
そんな娘達のやり取りを聞いていたガスパールが吹き出し、続いて軽く頭を下げた。
「どうやら覚悟は出来ているようだな。どんな修羅場を潜ったか知らんが、見た目だけで侮っていたな。これは失礼した」
覚悟が出来ていないのは俺の方である。
俺は仕事だと割り切れる。きっと割り切れるだろう。
だが娘達の決心は何処から湧いてくるのか、娘達の顔を見ていてもその理由が未だに分からない。
◇◇◇
「全隊停止!ここに陣を構える!」
ガスパールの良く通る声で号令が掛かる。
四列縦隊で進んでいた重装歩兵が一斉に左右に分かれ、後方から盾隊が進み出て前方に展開する。更にその後ろに槍隊、中央に弓隊が展開する。
その整然とした動きはとても“懲罰部隊”などと称される部隊の動きではないように見える。
「アダン!ディマス!ヘルマン!お前達の小隊から選抜して偵察に向かえ。その他の隊は野営準備だ!」
指名されたのは重装歩兵隊の小隊長である。
彼らは隷下の小隊から分隊規模の偵察隊を選抜して偵察に向かうようだ。
さて、俺達はどうするか。
野営準備といっても、馬車を挟むようにテントを張ってしまえば他にやることも無い。輝く太陽は中天を過ぎた辺りで、就寝にも早過ぎる。
俺達の後方数百mにはエシハの街がある。
偵察か……街に行けば吸血鬼の目撃情報や有効な対策情報が得られるだろうか。この地方特有の魔物か、或いは疾病ならば何かの記録や伝承が残っているかもしれない。
「アリシア、ビビアナ、ソフィア。頼みがある」
「はい、何でしょう」
テントを張り終え竈を作っていたアリシア達が集まってきた。呼んではないがグロリアもくっ付いてきたのはソフィアを呼んだ以上仕方ない。ちょうどいいか。
「エシハの街で情報を集めて欲しい。赤翼隊も偵察が終わるまで動かないだろうし、何泊かしても構わない。馬車に乗って行けば狩人として入れるだろう」
「私達も偵察ですね。軍人さんは街には入らないって言ってますし」
アリシアが心得たとばかりに頷く。
「ああ。周辺の偵察は本職に任せて、俺達は俺達の仕事をしよう。それには警戒されにくいお前達が適任だろう」
「では着替えて向かったほうが良いですわね。それでどんな情報を集めればいいですか?」
「まず吸血鬼についての情報だ。噂話でもいい。村人や衛兵がどうなったのか、倒し方はあるのか、そんな情報があれば良いのだが」
「わかりました。ルイサも同行させても構いませんか?」
「妾もじゃ!」
「そうだな。ルイサとグロリアも連れて行ってくれ」
正直なところルイサだけならまだしもグロリアの面倒を見る自信は俺には無い。
「仕方ありませんわね。グロリア、いい子にしないと放り出しますわよ」
「何じゃと!お父様に言い付けるぞ!」
「あらあら。どうやって?お可哀想なグロリア様は襲いくる魔物の群れに勇敢に立ち向かいその身を捧げて村人達をお守りになったことにしてもよろしいのですよ」
ソフィアが何やら不穏な事を言っているが本心ではあるまいな。
何はともあれ、街の偵察はアリシア達に任せることにする。
野営地に残るのは俺とアイダ、イザベル、カミラの4人とフェルだ。
さて、皆が偵察から帰るまで、残った俺達は何をするか……
「いいか。俺達が相手をするのは人間だ。正確には“人間の姿を保ったままの何か”だが、斬れば赤い血が流れるし言葉も発するらしい。これまでお前さん達が狩ってきた小鬼や大鬼なんか比べ物にならないくらい、ソレは俺達と同じ人間だ。それをお前さん達は殺せるのか?殺す姿を子供に見せられるのか?」
ガスパール達が掴んでいる情報によれば、エシハ東方の街ロンダ近郊のテハーレスという村に出現した吸血鬼は、村人全てと鎮圧に当たった衛兵隊の半数をヒトではない何かに変貌させた。そしてその勢力は増大し、着々とその脅威は近づいている。
そんな只中へと進んでいるのだ。吸血鬼を討つために派遣されてきた俺達だが、その前に“人の姿をした何か”を討つことになるのは確実だ。
「いいか。俺達赤翼隊が“向かう所敵無し”と称される理由はな、人を殺めることに躊躇がないからだ。人間誰しも、人を殺める事を躊躇う。故に軍人は繰り返し訓練を積み重ね、その躊躇いを振り払う。だが、此処にいる者達は軍に入る以前にその禁忌を犯し、躊躇いを振り払った者達が多い。だからこそ“人狩り”などと呼ばれるのだ」
どんな宗教、どんな政治体制下にあっても殺人は基本的に禁忌である。もちろん殺人を“救済”だと刷り込まれてしまう者達もいるだろうが、逆に言えばそう刷り込まない限り本質的には同族殺しを嫌悪するものだ。
カミラやソフィアは躊躇しないだろう。
俺もおそらく問題ない。
だがアイダとビビアナは?イザベルとアリシアは?
そしてルイサとグロリアは?幼い2人にヒトの血で染まった剣を見せられるだろうか。娘達は何処か安全な場所に置いておいた方がいいか……
行軍の音に紛れてガスパールの声は皆には届いていない。
そんな甘い期待は荷馬車の後方を振り返った時に打ち砕かれた。
「カズヤさん。私もイザベルちゃんもアイダちゃんも、みんな覚悟は出来ています。養成所にいた時から、いつか戦場に出る事はわかっていました」
「その通りです。まさか私達を置いていくつもりじゃないですよね!」
「私の魔法は面制圧にも役立ちますわ。置いていくのはナシですのよ」
「あ、でもさ、ルイサはともかくグロリアはどうする?連れて行っても大して役に立たないよね」
「はっきり言うわね。其方のそういうところは嫌いではなィッ!」
「あんたは黙ってなさい」
イザベルに頭を小突かれたグロリアが思いっきり舌を出して口を閉ざす。
4人の娘達は“これが任務”だと割り切ってくれるかもしれない。だが、養成所で“走る”ことしかしていなかったルイサはどうだろう。ゴブリンやオーガを倒すように、元ヒトであった何かを討つ事ができるだろうか。そしてその姿を見せてもいいものか。
「アルテミサ神殿から遣わされたのはグロリアです。そのグロリアを置いていくわけにはいかないでしょう」
「じゃあグロリアとルイサの護衛は私がやる。荷台に硬化魔法と結界魔法を掛けて、荷台の上から一歩も出ない。それならいいでしょ?」
心配しているのは身の安全だけではないのだがな。
目の前でヒトが死ぬ。それも自分の親しい人間に殺される。
その光景を幼い子供達に見せる事を躊躇っているのだ。
「私も荷台から離れないようにする。エアガンぐらいしかまともに使える武器はないし、硬化魔法の維持も必要だし」
「じゃあ私が御者台に陣取って、アリシアちゃんが荷台ね」
そんな娘達のやり取りを聞いていたガスパールが吹き出し、続いて軽く頭を下げた。
「どうやら覚悟は出来ているようだな。どんな修羅場を潜ったか知らんが、見た目だけで侮っていたな。これは失礼した」
覚悟が出来ていないのは俺の方である。
俺は仕事だと割り切れる。きっと割り切れるだろう。
だが娘達の決心は何処から湧いてくるのか、娘達の顔を見ていてもその理由が未だに分からない。
◇◇◇
「全隊停止!ここに陣を構える!」
ガスパールの良く通る声で号令が掛かる。
四列縦隊で進んでいた重装歩兵が一斉に左右に分かれ、後方から盾隊が進み出て前方に展開する。更にその後ろに槍隊、中央に弓隊が展開する。
その整然とした動きはとても“懲罰部隊”などと称される部隊の動きではないように見える。
「アダン!ディマス!ヘルマン!お前達の小隊から選抜して偵察に向かえ。その他の隊は野営準備だ!」
指名されたのは重装歩兵隊の小隊長である。
彼らは隷下の小隊から分隊規模の偵察隊を選抜して偵察に向かうようだ。
さて、俺達はどうするか。
野営準備といっても、馬車を挟むようにテントを張ってしまえば他にやることも無い。輝く太陽は中天を過ぎた辺りで、就寝にも早過ぎる。
俺達の後方数百mにはエシハの街がある。
偵察か……街に行けば吸血鬼の目撃情報や有効な対策情報が得られるだろうか。この地方特有の魔物か、或いは疾病ならば何かの記録や伝承が残っているかもしれない。
「アリシア、ビビアナ、ソフィア。頼みがある」
「はい、何でしょう」
テントを張り終え竈を作っていたアリシア達が集まってきた。呼んではないがグロリアもくっ付いてきたのはソフィアを呼んだ以上仕方ない。ちょうどいいか。
「エシハの街で情報を集めて欲しい。赤翼隊も偵察が終わるまで動かないだろうし、何泊かしても構わない。馬車に乗って行けば狩人として入れるだろう」
「私達も偵察ですね。軍人さんは街には入らないって言ってますし」
アリシアが心得たとばかりに頷く。
「ああ。周辺の偵察は本職に任せて、俺達は俺達の仕事をしよう。それには警戒されにくいお前達が適任だろう」
「では着替えて向かったほうが良いですわね。それでどんな情報を集めればいいですか?」
「まず吸血鬼についての情報だ。噂話でもいい。村人や衛兵がどうなったのか、倒し方はあるのか、そんな情報があれば良いのだが」
「わかりました。ルイサも同行させても構いませんか?」
「妾もじゃ!」
「そうだな。ルイサとグロリアも連れて行ってくれ」
正直なところルイサだけならまだしもグロリアの面倒を見る自信は俺には無い。
「仕方ありませんわね。グロリア、いい子にしないと放り出しますわよ」
「何じゃと!お父様に言い付けるぞ!」
「あらあら。どうやって?お可哀想なグロリア様は襲いくる魔物の群れに勇敢に立ち向かいその身を捧げて村人達をお守りになったことにしてもよろしいのですよ」
ソフィアが何やら不穏な事を言っているが本心ではあるまいな。
何はともあれ、街の偵察はアリシア達に任せることにする。
野営地に残るのは俺とアイダ、イザベル、カミラの4人とフェルだ。
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