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140.イビッサ島にて⑧(7月8日)
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「ねえ、なんかカニ多くない?ってかカニって山道の落ち葉の下を歩くものだっけ?」
「カニですか?カニは海か川にいるものでしょう。こんな山奥にいるはずが……」
快調に先頭を歩いていたイザベルとビビアナが立ち止まり、何やら話している。
イザベルが足元の落ち葉を足で跳ね除けると、そこには真っ赤なハサミを振りかざす赤黒いカニがいた。
「カニですね」
「やっぱカニだよねえ。落ち葉の影からちらっと赤いハサミが見えてさ」
甲幅は10cmほどだろうか。陸上性の強いアカテガニよりもハサミが大きいから、オカガニ科のクリスマスアカガニの仲間だろう。それならば陸上性でもなんら不思議はない。
「お兄ちゃん、こいつなに?魔物じゃないよね?」
「ほとんどのカニは水中や水辺で暮らしているが、水辺以外でも暮らせるよう進化したカニもいる。こいつもそうだろう。それでも鰓が湿っている必要があるから、湿度の高い場所でしか生きられない。落ち葉の下なら湿り気もあるし、餌にも事欠かないだろうな」
「ふーん。ならそっとしとこう」
そう言ってイザベルは落ち葉を拾い集め、カニの背中に被せる。こういうところは妙に律儀な子なのだ。
しかし改めて耳を澄ませて地面に意識を向けると、そこかしこでカサカサと蠢く音がする。この全てがアカガニなのではあるまいな。いったいどれだけの数が潜んでいるのだろう。
ここは他の場所よりも僅かに窪地になっているから、落ち葉が溜まりやすいし湿気も多そうだ。もしかしたら雨季には浅い池になるかもしれない。だがそれでも、この生息数は異常だ。
俺達より耳も鼻も効くはずのフェルは平然としているし、スキャン上に魔力の反応はないから、カニの形をした小型の魔物が徘徊しているということはなさそうだ。
だが気味が悪いのも事実だ。
娘達を含め、誰もがこの場所を一刻も早く離れたがっていた。
「イザベル、ビビアナ。先に進もう」
「了解。長居する場所じゃあなさそうだよね」
イザベルとビビアナがクルリと踵を返し、マルサへの道へと戻る。それにしてもこの2人はいい加減な地図しかないこの島を、ほとんど何の手掛かりもなしに走破しようとしている。
昔使われていたであろう道が残っているとはいえ、人間が歩む事が無くなって久しい道のほとんどは森に飲み込まれかけているのだ。この娘達には俺にはないGPS機能でもついているのだろうか。だとすれば、それこそチートだと思うのだが。
◇◇◇
「海が見えます!」
「さすが私。迷わずたどり着いた。誉めれ」
小高い丘を登った先の絶壁の下に青い海が見える。遥か後方には朝出発した大樹の梢と、更に向こうに岩山が見えるから、少なくとも出発点に戻ってきてしまった事はなさそうだ。
わざわざフードを脱いで頭を差し出してくるイザベルの銀髪に包まれた頭をワシワシと揉む。
「ちょっとこれ褒めてる?」
言葉では不満を漏らしながらも、その声と表情は嬉しそうだ。
「それで、肝心の村はどこかしら?まさかこの崖下じゃあないわよね」
絶壁の上から逆巻く海を見ながら、カミラ先生が言う。
「あっちの砂浜のほうじゃないですか?煙が見えます」
ビビアナが示す右手側には、確かに数条の煙が立ち上っていた。
ふと不吉な予感を覚えて、娘達と顔を見合わせる。
人里から立ち登る煙には苦い記憶しかない。イリョラ村でもカディスの街でも、異変を察知したのは煙からだったのだ。
「ほら、そろそろ食事の支度を始める頃だし、人里は結界に守られてる筈でしょ。大丈夫だって!」
アリシアが皆を励ますように努めて明るく振る舞う。
俺がビビってどうする。この6人でなら、きっとなんとかなる。
「とりあえず村へ急ごう。イザベル、どこかに分かれ道を見落としていないか?」
「分かれ道……分かれ……あ!ちょっと待ってて!」
何かに気づいたイザベルが、来た道を猛然と逆走していく。姿が見えなくなる寸前で停止し、こちらに大きく手を振った。
「何か見つけたようです。行きましょう!」
ビビアナが先頭を切って走り出した。
◇◇◇
「いやあ、海の気配に惹かれて見落としたよね」
きまりが悪そうに舌を出すイザベルが、そう高くない低木の茂みを指さす。木の根元から何本も芽が伸びて成長したようだが、俺には特に違和感はない。
アイダが茂みを掻き分ける。
「ああ。切り株か!」
「そうそう。元々生えてた2本の木が切られてて、その芽がいっぱい伸びてるんだよ。古い道沿いにはよくあるんだ」
「こっちの地面には杭みたいなのがありますね」
「でしょう?落ち葉に隠れてるとはいえ、その盛り上がりを見落とすとは……不覚だった」
「つまり、マルサの村に向かう道はこっちって事だな」
そう言ってアイダが腰の剣を振るう。
一閃ですっきりとした視界の向こう側には、確かに道らしきものが延びていた。
この2人はこんな僅かな痕跡を辿って進んでいたのか。俺にはとても真似できそうにない。
「よし!行こう!お兄ちゃん!」
イザベルが俺の手を引っ張る。
こうして日が中天に登る頃には、マルサの村近くまでたどり着く事ができた。
◇◇◇
森と村の周りの境目で、不安になる物を見た。
巨大カラッパの殻の幾つかが破壊されていたのだ。
大きく割れた残骸が、そこに結界の要として配置されていた殻の存在を示している。森から村へと続く道から離れた場所に配置してある殻は健在のようだから、結界としては維持できているかもしれない。
自然に風化して壊れたのか、或いは何者かが意図して破壊したのか。
いずれにせよ森に蠢く魔物達が村に殺到するような事態にならばければいいが。
見通しが良くなった事で、隊列は自然と短くなった。
相互に2mほど。普通に会話できる距離ではあるが、娘達の口数は少ない。
結界の要が破壊されているのを目の当たりにすれば、当然の事かもしれない。
15分も歩かずに、村の裏手にたどり着く。
砂岩を切り出した石壁がぐるりと取り囲んだ集落の姿は、南西諸島のそれを思わせる。
森から流れ出た小川が堀のように集落の外側を巡り、中央部分で引き込まれている。手掘りしたとも思えない高度な測量技術だ。
海側まで進んだ俺達は、そこで初めて村の住人らしき男に出くわした。
砂浜で網を干しながらメンテナンスをしているようだ。
「あのう!サビーナから来たんですけど!ここってマルサの村で間違いないですか!?」
先頭にいたビビアナが声を掛ける。イザベルはというと、スッッと俺の影に隠れた。やっぱり男の人は苦手らしい。
「ああ?ここはマルサだが、お嬢ちゃん達どこから来た?今朝の船には乗ってなかっただろう?」
「サビーナからです!山を越えて来ました」
山を越えたと聞いて、男が手を止め立ち上がった。
日に焼けた肌に短く刈り込んだ髪。頬と腕に残る傷。歴戦の猛者でないなら、さぞかし有能な漁師なのだろう。
そのゴツゴツした手に銛を握り締め、こちらに近づいてくる。
俺の両隣でアイダとカミラ先生が発する気が緊張を帯びる。背後でイザベルが短刀を抜く気配がする。
男の姿が数倍大きくなったように感じるのは、迸る威圧と殺気のせいか。
気圧されたようにビビアナが数歩後退りする。
俺は引き下がるわけにはいかない。マンティコレと対峙した時やグサーノに正面から迫られた時のほうが恐ろしかった。何より俺の周囲を固める娘達が、俺の後退を許さないだろう。
ローレディで構えたG36Cのセーフティーをゆっくりと解除する。
ふと男の放つ気配が緩んだ。そのまま男が大声で笑い出す。
「わっはっは。山を越えたなんぞ吐かすから、ちと試してやったのだが。この俺の威圧に耐えるとは大した根性だ!認めてやろう!」
一同が大きく深呼吸したのは言うまでもない。
「カニですか?カニは海か川にいるものでしょう。こんな山奥にいるはずが……」
快調に先頭を歩いていたイザベルとビビアナが立ち止まり、何やら話している。
イザベルが足元の落ち葉を足で跳ね除けると、そこには真っ赤なハサミを振りかざす赤黒いカニがいた。
「カニですね」
「やっぱカニだよねえ。落ち葉の影からちらっと赤いハサミが見えてさ」
甲幅は10cmほどだろうか。陸上性の強いアカテガニよりもハサミが大きいから、オカガニ科のクリスマスアカガニの仲間だろう。それならば陸上性でもなんら不思議はない。
「お兄ちゃん、こいつなに?魔物じゃないよね?」
「ほとんどのカニは水中や水辺で暮らしているが、水辺以外でも暮らせるよう進化したカニもいる。こいつもそうだろう。それでも鰓が湿っている必要があるから、湿度の高い場所でしか生きられない。落ち葉の下なら湿り気もあるし、餌にも事欠かないだろうな」
「ふーん。ならそっとしとこう」
そう言ってイザベルは落ち葉を拾い集め、カニの背中に被せる。こういうところは妙に律儀な子なのだ。
しかし改めて耳を澄ませて地面に意識を向けると、そこかしこでカサカサと蠢く音がする。この全てがアカガニなのではあるまいな。いったいどれだけの数が潜んでいるのだろう。
ここは他の場所よりも僅かに窪地になっているから、落ち葉が溜まりやすいし湿気も多そうだ。もしかしたら雨季には浅い池になるかもしれない。だがそれでも、この生息数は異常だ。
俺達より耳も鼻も効くはずのフェルは平然としているし、スキャン上に魔力の反応はないから、カニの形をした小型の魔物が徘徊しているということはなさそうだ。
だが気味が悪いのも事実だ。
娘達を含め、誰もがこの場所を一刻も早く離れたがっていた。
「イザベル、ビビアナ。先に進もう」
「了解。長居する場所じゃあなさそうだよね」
イザベルとビビアナがクルリと踵を返し、マルサへの道へと戻る。それにしてもこの2人はいい加減な地図しかないこの島を、ほとんど何の手掛かりもなしに走破しようとしている。
昔使われていたであろう道が残っているとはいえ、人間が歩む事が無くなって久しい道のほとんどは森に飲み込まれかけているのだ。この娘達には俺にはないGPS機能でもついているのだろうか。だとすれば、それこそチートだと思うのだが。
◇◇◇
「海が見えます!」
「さすが私。迷わずたどり着いた。誉めれ」
小高い丘を登った先の絶壁の下に青い海が見える。遥か後方には朝出発した大樹の梢と、更に向こうに岩山が見えるから、少なくとも出発点に戻ってきてしまった事はなさそうだ。
わざわざフードを脱いで頭を差し出してくるイザベルの銀髪に包まれた頭をワシワシと揉む。
「ちょっとこれ褒めてる?」
言葉では不満を漏らしながらも、その声と表情は嬉しそうだ。
「それで、肝心の村はどこかしら?まさかこの崖下じゃあないわよね」
絶壁の上から逆巻く海を見ながら、カミラ先生が言う。
「あっちの砂浜のほうじゃないですか?煙が見えます」
ビビアナが示す右手側には、確かに数条の煙が立ち上っていた。
ふと不吉な予感を覚えて、娘達と顔を見合わせる。
人里から立ち登る煙には苦い記憶しかない。イリョラ村でもカディスの街でも、異変を察知したのは煙からだったのだ。
「ほら、そろそろ食事の支度を始める頃だし、人里は結界に守られてる筈でしょ。大丈夫だって!」
アリシアが皆を励ますように努めて明るく振る舞う。
俺がビビってどうする。この6人でなら、きっとなんとかなる。
「とりあえず村へ急ごう。イザベル、どこかに分かれ道を見落としていないか?」
「分かれ道……分かれ……あ!ちょっと待ってて!」
何かに気づいたイザベルが、来た道を猛然と逆走していく。姿が見えなくなる寸前で停止し、こちらに大きく手を振った。
「何か見つけたようです。行きましょう!」
ビビアナが先頭を切って走り出した。
◇◇◇
「いやあ、海の気配に惹かれて見落としたよね」
きまりが悪そうに舌を出すイザベルが、そう高くない低木の茂みを指さす。木の根元から何本も芽が伸びて成長したようだが、俺には特に違和感はない。
アイダが茂みを掻き分ける。
「ああ。切り株か!」
「そうそう。元々生えてた2本の木が切られてて、その芽がいっぱい伸びてるんだよ。古い道沿いにはよくあるんだ」
「こっちの地面には杭みたいなのがありますね」
「でしょう?落ち葉に隠れてるとはいえ、その盛り上がりを見落とすとは……不覚だった」
「つまり、マルサの村に向かう道はこっちって事だな」
そう言ってアイダが腰の剣を振るう。
一閃ですっきりとした視界の向こう側には、確かに道らしきものが延びていた。
この2人はこんな僅かな痕跡を辿って進んでいたのか。俺にはとても真似できそうにない。
「よし!行こう!お兄ちゃん!」
イザベルが俺の手を引っ張る。
こうして日が中天に登る頃には、マルサの村近くまでたどり着く事ができた。
◇◇◇
森と村の周りの境目で、不安になる物を見た。
巨大カラッパの殻の幾つかが破壊されていたのだ。
大きく割れた残骸が、そこに結界の要として配置されていた殻の存在を示している。森から村へと続く道から離れた場所に配置してある殻は健在のようだから、結界としては維持できているかもしれない。
自然に風化して壊れたのか、或いは何者かが意図して破壊したのか。
いずれにせよ森に蠢く魔物達が村に殺到するような事態にならばければいいが。
見通しが良くなった事で、隊列は自然と短くなった。
相互に2mほど。普通に会話できる距離ではあるが、娘達の口数は少ない。
結界の要が破壊されているのを目の当たりにすれば、当然の事かもしれない。
15分も歩かずに、村の裏手にたどり着く。
砂岩を切り出した石壁がぐるりと取り囲んだ集落の姿は、南西諸島のそれを思わせる。
森から流れ出た小川が堀のように集落の外側を巡り、中央部分で引き込まれている。手掘りしたとも思えない高度な測量技術だ。
海側まで進んだ俺達は、そこで初めて村の住人らしき男に出くわした。
砂浜で網を干しながらメンテナンスをしているようだ。
「あのう!サビーナから来たんですけど!ここってマルサの村で間違いないですか!?」
先頭にいたビビアナが声を掛ける。イザベルはというと、スッッと俺の影に隠れた。やっぱり男の人は苦手らしい。
「ああ?ここはマルサだが、お嬢ちゃん達どこから来た?今朝の船には乗ってなかっただろう?」
「サビーナからです!山を越えて来ました」
山を越えたと聞いて、男が手を止め立ち上がった。
日に焼けた肌に短く刈り込んだ髪。頬と腕に残る傷。歴戦の猛者でないなら、さぞかし有能な漁師なのだろう。
そのゴツゴツした手に銛を握り締め、こちらに近づいてくる。
俺の両隣でアイダとカミラ先生が発する気が緊張を帯びる。背後でイザベルが短刀を抜く気配がする。
男の姿が数倍大きくなったように感じるのは、迸る威圧と殺気のせいか。
気圧されたようにビビアナが数歩後退りする。
俺は引き下がるわけにはいかない。マンティコレと対峙した時やグサーノに正面から迫られた時のほうが恐ろしかった。何より俺の周囲を固める娘達が、俺の後退を許さないだろう。
ローレディで構えたG36Cのセーフティーをゆっくりと解除する。
ふと男の放つ気配が緩んだ。そのまま男が大声で笑い出す。
「わっはっは。山を越えたなんぞ吐かすから、ちと試してやったのだが。この俺の威圧に耐えるとは大した根性だ!認めてやろう!」
一同が大きく深呼吸したのは言うまでもない。
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