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135.イビッサ島にて③(7月6日)

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先頭を進んでいたイザベルとビビアナがほぼ同時に左拳を挙げて足を止めた。
そのまま姿勢を低くして前方を窺っている。
だがすぐにイザベルが皆を手招きした。慌てている様子はない。

「どうしたのイザベルちゃん」

「アリシアちゃんあれ見て。魔物や魔石ほどじゃないけど、魔力を感じない?」

「あの岩みたいなの?確かに感じる。でも、嫌な感じじゃないね。アイダちゃんはどう?」

「ああ。私も感じる。古いものなのだろうか。なにかこう、薄まっているみたいだ」

ここは開けた場所と深い森の境目だ。海岸線から数キロメートルは内陸に入っている。その開けた場所のほうに一抱えもある岩が鎮座していた。
岩の高さは俺の腰を僅かに超える程度だろうか。表面は突起が多くゴツゴツしている。下の方は草に覆われているが、地面の上に直接座っているようだ。
いずれにせよ単なる岩にしてはそこにある事自体が不自然だし、魔物や魔石というには禍々しさが足りない。魔力を放出し切った魔石という可能性はあるが、表面に透明感がない。

「ビビアナ。あれが何かわかるか?」

その岩を囲むように娘達が展開した結果、俺の近くに位置する事になったビビアナに尋ねる。正体不明のものに無防備に近づくほど、娘達は無用心ではないのである。

「わかりませんが、ただの魔石ではないようです。道標代わりに置かれているのでしょうか」

「何かの魔物じゃない?」

そう言うのは短剣の柄を逆手に握ったままのイザベルだ。

「草の感じからして、もう何年も動いてなさそう。イザベルちゃん。こんな岩みたいな魔物、心当たりある?」

「いんや。私は知らない」

「道標なら何か文字か記号ぐらい彫り込みそうなものですが……アイダちゃん、そっちはどう?」

「いや、こちらから見ても特には……あれ?向こうにも同じものがある?」

アイダが透かし見る木々の奥にも、確かに同じような岩が転がっている。

「反対側にもあるよ!ちょっと見てくる!」

駆け出したイザベルの後をビビアナが追いかける。
なんだかんだでこの2人は仲が良いのだ。

◇◇◇

「だいたい10メートル間隔ぐらいでポツポツと同じ岩が落ちてるみたい」

「向こうの尾根までずっと続いているみたいです。幾つかは真ん中に穴があって木が生えています」

イザベルが息も切らさずに戻ってきた。対照的にビビアナは少し上気しているように見える。
岩を割って木が生えているということか。いったいどれぐらいの時間が経過しているのだろう。

アリシアが短槍で恐るおそる岩を突いた。

「あれ?手答えが軽い……?」

「んなバカな。岩だよ岩」

とりあえず岩に擬態したミミックという事はなさそうだ。
イザベルが足元に落ちていた小石を広い、その岩に向かって投げた。

コンッ!

軽い音と反響を残して、小石が地面に転がった。

「へ?コンって変な音したよね。岩なのに中身が空っぽ??」

「そうみたいだな。まるで……」

「ちょっとアイダちゃん。なんでそこで詰まるかな?まさか誰かさんの頭の中とか言おうとしなかった?」

「まさか。カズヤ殿、何だと思いますか?」

アイダが強引に話を戻した。

「わからない。音を聞く限りでは、ただ空洞のようだな。危険はないだろうし触ってみるか」

「毒とかないですよね」

「下草が生えているから大丈夫だろう。魔力が漏れ出しているようなら、草木も枯れるだろう?」

「それはそうですが……」

遠巻きにしていても始まらない。脅威でないのなら、そこにあるのはただの物体だ。
とはいえ、用心するに越したことはない。一緒に踏み出そうとするイザベルを制しながら、俺はその物体に回り込むように近づいた。

◇◇◇

その岩状の物体の一方はなだらかに傾斜を描き地面へと続いているが、裏側は切り立っている。その切り立った側には上下に割るように一本の筋が入っているのがわかった。
ちょうど何かを蓋をしているような、あるいは顔面をガードする腕のような……

これはもしかして……カラッパか。

「ガラッパ??ってなに?」

イザベルよ。“ガラッパ”だと河童の地方名だ。
俺は“カラッパ”と発音しているつもりだが、娘達には“ガラッパ”と聞こえているのかもしれない。
なんにせよ河童も妖怪や物の怪の類いだから、この世界に存在するとすれば立派な魔物扱いだろう。だが目の前にあるモノは違う。

「巨大なカラッパの殻だと思う。海の浅い砂地で生息する小型のカニだ」

俺が知っているカラッパはせいぜい甲幅10センチメートルほど、手のひらより遥かに小さいサイズだ。だが目の前のそれは甲幅で優に1メートルは超えている。
カニの甲羅だけになった死骸ならば内部は空洞だし、キチン質の外骨格に石がぶつかれば甲高い音がするかもしれない。

「カニ?カニってあの石の下とかにいる?」

「ランゴスタになれなかった、堅くて食べられない残念なのでしょ。こんな形だったっけ?」

「蜘蛛みたいに脚が何本もある、あのカニですか?もっと平べったい生き物ではないですか?」

カニに対する娘達の反応はどうしたものだろう。カニと言えば大なり小なり食べられる生き物だと考えてしまうのは、日本人の特性故か。
だが振り返ってみると、こちらの世界でエビは食べたがカニは食べていない。カニを食べる習慣がないのだろう。
同じ甲殻類というのに、この扱いの差は不思議である。

「そう。そのカニの一種だ。砂に潜って待ち構え、貝なんかが近づいてくると大きなハサミで襲いかかり殻を割って食べてしまう。そんな生態のカニの仲間だと思う。そのハサミが、こんな感じで収納されているんだろう」

地面の落ち葉を掻き分け、下手なイラストを書きながら説明する。
しかし、何故この超大型カラッパの殻が内陸部にあるのだ。確かに殻だけであれば運搬するのも不可能ではないだろうが、そもそもそんな事をする必然性が見当たらない。
魔物化したカラッパとて、わざわざ上陸して死ぬ理由はないはずだ。

「あれ?そういえば昨日酔っ払いのおじさん達がなんか言ってなかったっけ?カサドールもこの島じゃ用無しだとかなんとか」

「あれはこの島の魔物は人里には下りてこないから、海路を使う限りは安全だって言ってたんじゃなかったか?」

「そうだっけ?んで、人が住んでる周りに結界を張ってあるからみたいな事を言ってたよね」

「そうそう。昔の大襲撃グランイグルージオンの時に海から現れた魔物を打ち倒して、その亡骸を山に置いたカサドールがいたって話だったな」

「その魔物の亡骸は朽ちることなく、島の魔物が人里に下りてくるのを防ぐ結界となったって話でしたよね。この岩みたいなのがそれってことですか?」

俺とカミラ先生が厨房で皿洗いに勤しんでいた間に、娘達はそんな情報を聞き出していたらしい。
とすれば、このカラッパの殻はまさにその結界石なのだろう。どうやって魔物化したカラッパを倒したのか気になるところだが、その調査をするのも憚られる。

「そういう事なら、この岩がその魔物の亡骸で間違いないんじゃないかしら。街を守ってるっていうのなら、下手に動かしたり傷つけたりしたら大変よ。そっとしておいた方がいいと思うのだけど」

カミラ先生が軽く頭を振りながら続ける。

「それよりも、ここから山側は魔物の領域って事よね。一層気を引き締めて行かないと危ないわよ」

「わかりました。何年も人が入ってない地域は、魔物の絶対数が多いって教わりました。みんなもそれでいいよね」

「アリシアの言うとおりだ。今までは街道沿いや街の周囲での狩りだったが、ここからは違う。慎重に行こう。イザベルにビビアナ、頼りにしてるぞ」

「任せてよアイダちゃん。でも後方の備えはお兄ちゃんに任せるけど。いいよね?」

この山に入ってからというもの、娘達は別に油断していたわけではない。だが俺も含めて皆がハイキング気分だったことも否めない。

「ああ。周辺警戒を厳として進もう。先頭はイザベルとビビアナ。次はアイダとカミラ先生。殿はアリシアと俺で務める。少しでも異常を感じたら停止して状況を確認する。いいな」

『はい!』

◇◇◇

こうして巨大カラッパが鎮座する結界を抜けて、俺達は島の奥深くへと踏み入った。
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