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133.イビッサ島にて①(7月5日)
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俺達が魔物狩人である事を知った料理屋の女将さんが、何やら訳知り顔で話を切り出した。
そして何故かその話にイザベルが乗っかる。
「そう。アレだよアレ。女将さんアレの事知ってるの?」
「もちろんだよ。この島でアレを知らないのは、ほんの小さな子供ぐらいさね」
「そうなんだ。でも船乗りのおじさんとかオンダロアの街の人達は知らないみたいだけど」
「そりゃあ秘密にしてるからね。でもお嬢ちゃん達、いったいどこでアレの話を聞いてきたんだい?」
「風の噂ってやつでね。もう居ても立ってもいられないって感じになってさあ。飛んできたよね」
女将さんとイザベルの会話は成立しているように聞こえるが、実際の所どうなのだろう。
カミラ先生ならば腹の探り合いぐらいはするのだろうが、今話をしているのはイザベルだ。どちらかと言えば腹芸は不得意だと思っていたのだが。
「あらあら。いくら秘密にしていても広まるものねえ」
「でもさ、アレって危なくないの?」
「そうだねえ。漁師が襲われたり誰かが怪我をしたって話は聞かないね。でも、私も見たんだよ」
「見たって何を?」
イザベルが焼きエビの殻を握り締めたまま、ズイッと女将さんのほうに身体を乗り出す。
「アレに切られた網をさ。こう、横に真っ二つになっててさ、こんな太い綱がスパッとね。そりゃあ切り口の見事なことったら、よく研いだ包丁で魚を捌いてるみたいだったよ。名だたる剣士様でも、ああはいかないだろうね」
女将さんの身振りから推察するに、その漁網を作っているロープの太さは大人の指ほどもあるようだ。そんなロープで編まれた網を横薙ぎに切り裂くのは、少なくとも人間業ではないし自然現象でもないだろう。
「その網って見る事ができますか!?」
2人の会話を静観していたアイダが急に食いついた。剣士と聞いて黙っていられなくなったらしい。
「ああ。島の反対側、といっても来たばっかりじゃわからないか。ちょっと待ってな」
そう言うと、女将さんが奥へと引っ込んだ。
夕食には少し早い頃合いの店内は、俺達の他には2組の客しかいない。2組とも島民のようで、時折俺達のほうに視線を向けはするが探っているほどの雰囲気ではない。馴染みのない服装の女だらけの集団が気になるといった感じか。
「イザベルちゃん。よくアレだけで話が続いたね。何にも知らないってどこでバレるのか、ヒヤヒヤしたよ」
「いやあ、なんとなく雰囲気で?アレとかソレとか言うじゃん?アレ取ってとか?」
「言うけどさ。言うけど、そういうのって身内だけじゃないの?」
「まあいいじゃん。こんな美味しい料理を作れるんだから、悪い人じゃないって」
「料理を作ってるのは女将さんじゃないと思いますけど」
「アイダちゃん。そういうのいらない」
「アイダ様に向かって“いらない”って何ですか!」
「まあまあ。冷めちゃうから食べよ?カズヤさんこっちのアイホー美味しいですよ!」
イザベルに食ってかかりかけたビビアナを往なしながらアリシアが勧めてくれたのは、海鮮のニンニクオイル煮、いわゆるアヒージョだ。
「イトー君。あなたよくこの子達と一緒にいて疲れないわね。一緒に旅をする間に、あなたの偉大さが骨身に染みたわ……」
カミラ先生が白ワインを煽りながらボソッと呟く。
別に率先して娘達を指導しようとしていないから、俺が疲れる訳がない。そもそも食事ぐらいワイワイと賑やかでもいいじゃないか。
ちなみにフェルは俺の足元で持ち込んだ骨を齧っている。鼻が効くはずのフェルにとっては、香辛料の香りが漂うこの料理屋は少々堪えるかもしれない。
◇◇◇
別のテーブルに料理を運んだ女将さんが、何やら巻物を持って戻ってきた。
「ちょっとごめんよ」
そんな事を言いながら空いた皿を片付けて、できたスペースに巻物を広げる。
巻物の素材は硬い羊皮紙だろうか。そして描かれているのはこの島の地図だ。
「ここがこの店のある港さね。サビーナってんだ。んで、アレが出るって場所はサビーナの反対側のこの辺り、マルサって所だ。地図には書かれてないけど小さな漁村があってね。そこの漁師達が出くわすらしいんだよ。私が見た網も、そこの漁師のもんだったのさ」
女将さんが指さしたのは、大きな入江の傍らだった。そして入江の外の海には大きな鯨やタコ、イカの姿が描かれている。
「ねえねえ。この辺りの海って、こういった魔物が出るの?」
イザベルが目を輝かせて魔物らしきイラストを見る。
「大襲撃の時には現れたって話だね。私は見た事はないけど、婆さんが見たって聞いた事はあるよ。船はひっくり返されるわ、海は黒く染まるわで大変だったって話だよ」
「女将さん。このマルサってどうやって行くんですか?」
「お嬢ちゃん達もアレを見に行くのかい?ちょっと遠いし危険だよ?」
「平気です。アルカンダラからイビッサ島までも遠かったですから」
「盗賊に襲われたりもしたしな。危険は承知の上です」
「そうかい。だったら船だね。マルサに物資を運ぶ船が明日にも出航するだろう。乗せて貰えれば風さえ良ければ1日で着くよ」
「船かあ。船は嫌だなあ。陸路はないの?」
船はもうこりごりといった顔でイザベルがテーブルに肘をつく。
「お嬢ちゃんは船酔いするたちかい。山越えする覚悟があるなら止めはしないけど、魔物は出るし馬は連れて行けないよ。まあカサドールのお前さん達には余計なお世話かもしれないけどね」
「山道は険しいのですか?」
「ああ。この道がマルサに通じている。そこの道をずっと登って行けば、だいたい3日ってとこかね」
「わかりました。陸路で向かいます」
「そうかい。馬はどうするね?表の馬は、ありゃあんた達のだろう?」
「ええ。どこか預かってくれる所、ご存知ないですか?」
「じゃあうちに置いていけばいいさ。飼い葉代で金貨1枚預かっておくよ」
「おお!女将さん優しい!」
「まあ何かの縁さね。あんた達、今夜泊まるところは?この島にゃ宿屋なんて洒落たとこはないからねえ。行商人達も馴染みの家に泊まるもんだけど、見たところ顔見知りもいないんだろ?納屋でいいなら泊まっていきな。日暮れ前に出かけるもんじゃあないよ」
「いいんですか?じゃあご厄介になります」
「いいんだよ。そのかわり、今日は働いてもらうよ。さっきから馴染みの客があんた達を気にして大変なんだ。料理でも運んでおくれ。酌なんてしなくていいからね。適当にあしらってやんな」
「お手伝いですね。わかりました。いいよねみんな?」
「もちろんです。ちょっと面白そうですし!」
「みんなが言うなら仕方ないなあ。先生とお兄ちゃんも接客するの?」
「あ~。あんた達はいいわ。あとで皿でも洗ってくれ」
そう言い残して女将さんが去っていく。
俺は接客など不向きだしいいとして、カミラ先生は憤然とした面持ちになっている。
「いいわよ。どうせ年増ですよ。ふーんだ」
◇◇◇
結果だけ記そう。
4人娘の効果か、料理屋“銀の錨亭”は開店以来の大盛況となった。
娘達は料理運びに徹していたが、逆に料理を運んで来ないと話す機会もないという事で、入れ替わり立ち替わり客が来ては腹がはち切れんばかりに料理を注文したのだ。
その結果、裏方に回った俺とカミラ先生も大忙しになった。次々と運ばれる皿を洗い、布で拭き上げ次の料理に備える。
夕方から始まった手伝いは夜中まで続き、納屋にたどり着いた頃にはヘトヘトになっていた。
そして何故かその話にイザベルが乗っかる。
「そう。アレだよアレ。女将さんアレの事知ってるの?」
「もちろんだよ。この島でアレを知らないのは、ほんの小さな子供ぐらいさね」
「そうなんだ。でも船乗りのおじさんとかオンダロアの街の人達は知らないみたいだけど」
「そりゃあ秘密にしてるからね。でもお嬢ちゃん達、いったいどこでアレの話を聞いてきたんだい?」
「風の噂ってやつでね。もう居ても立ってもいられないって感じになってさあ。飛んできたよね」
女将さんとイザベルの会話は成立しているように聞こえるが、実際の所どうなのだろう。
カミラ先生ならば腹の探り合いぐらいはするのだろうが、今話をしているのはイザベルだ。どちらかと言えば腹芸は不得意だと思っていたのだが。
「あらあら。いくら秘密にしていても広まるものねえ」
「でもさ、アレって危なくないの?」
「そうだねえ。漁師が襲われたり誰かが怪我をしたって話は聞かないね。でも、私も見たんだよ」
「見たって何を?」
イザベルが焼きエビの殻を握り締めたまま、ズイッと女将さんのほうに身体を乗り出す。
「アレに切られた網をさ。こう、横に真っ二つになっててさ、こんな太い綱がスパッとね。そりゃあ切り口の見事なことったら、よく研いだ包丁で魚を捌いてるみたいだったよ。名だたる剣士様でも、ああはいかないだろうね」
女将さんの身振りから推察するに、その漁網を作っているロープの太さは大人の指ほどもあるようだ。そんなロープで編まれた網を横薙ぎに切り裂くのは、少なくとも人間業ではないし自然現象でもないだろう。
「その網って見る事ができますか!?」
2人の会話を静観していたアイダが急に食いついた。剣士と聞いて黙っていられなくなったらしい。
「ああ。島の反対側、といっても来たばっかりじゃわからないか。ちょっと待ってな」
そう言うと、女将さんが奥へと引っ込んだ。
夕食には少し早い頃合いの店内は、俺達の他には2組の客しかいない。2組とも島民のようで、時折俺達のほうに視線を向けはするが探っているほどの雰囲気ではない。馴染みのない服装の女だらけの集団が気になるといった感じか。
「イザベルちゃん。よくアレだけで話が続いたね。何にも知らないってどこでバレるのか、ヒヤヒヤしたよ」
「いやあ、なんとなく雰囲気で?アレとかソレとか言うじゃん?アレ取ってとか?」
「言うけどさ。言うけど、そういうのって身内だけじゃないの?」
「まあいいじゃん。こんな美味しい料理を作れるんだから、悪い人じゃないって」
「料理を作ってるのは女将さんじゃないと思いますけど」
「アイダちゃん。そういうのいらない」
「アイダ様に向かって“いらない”って何ですか!」
「まあまあ。冷めちゃうから食べよ?カズヤさんこっちのアイホー美味しいですよ!」
イザベルに食ってかかりかけたビビアナを往なしながらアリシアが勧めてくれたのは、海鮮のニンニクオイル煮、いわゆるアヒージョだ。
「イトー君。あなたよくこの子達と一緒にいて疲れないわね。一緒に旅をする間に、あなたの偉大さが骨身に染みたわ……」
カミラ先生が白ワインを煽りながらボソッと呟く。
別に率先して娘達を指導しようとしていないから、俺が疲れる訳がない。そもそも食事ぐらいワイワイと賑やかでもいいじゃないか。
ちなみにフェルは俺の足元で持ち込んだ骨を齧っている。鼻が効くはずのフェルにとっては、香辛料の香りが漂うこの料理屋は少々堪えるかもしれない。
◇◇◇
別のテーブルに料理を運んだ女将さんが、何やら巻物を持って戻ってきた。
「ちょっとごめんよ」
そんな事を言いながら空いた皿を片付けて、できたスペースに巻物を広げる。
巻物の素材は硬い羊皮紙だろうか。そして描かれているのはこの島の地図だ。
「ここがこの店のある港さね。サビーナってんだ。んで、アレが出るって場所はサビーナの反対側のこの辺り、マルサって所だ。地図には書かれてないけど小さな漁村があってね。そこの漁師達が出くわすらしいんだよ。私が見た網も、そこの漁師のもんだったのさ」
女将さんが指さしたのは、大きな入江の傍らだった。そして入江の外の海には大きな鯨やタコ、イカの姿が描かれている。
「ねえねえ。この辺りの海って、こういった魔物が出るの?」
イザベルが目を輝かせて魔物らしきイラストを見る。
「大襲撃の時には現れたって話だね。私は見た事はないけど、婆さんが見たって聞いた事はあるよ。船はひっくり返されるわ、海は黒く染まるわで大変だったって話だよ」
「女将さん。このマルサってどうやって行くんですか?」
「お嬢ちゃん達もアレを見に行くのかい?ちょっと遠いし危険だよ?」
「平気です。アルカンダラからイビッサ島までも遠かったですから」
「盗賊に襲われたりもしたしな。危険は承知の上です」
「そうかい。だったら船だね。マルサに物資を運ぶ船が明日にも出航するだろう。乗せて貰えれば風さえ良ければ1日で着くよ」
「船かあ。船は嫌だなあ。陸路はないの?」
船はもうこりごりといった顔でイザベルがテーブルに肘をつく。
「お嬢ちゃんは船酔いするたちかい。山越えする覚悟があるなら止めはしないけど、魔物は出るし馬は連れて行けないよ。まあカサドールのお前さん達には余計なお世話かもしれないけどね」
「山道は険しいのですか?」
「ああ。この道がマルサに通じている。そこの道をずっと登って行けば、だいたい3日ってとこかね」
「わかりました。陸路で向かいます」
「そうかい。馬はどうするね?表の馬は、ありゃあんた達のだろう?」
「ええ。どこか預かってくれる所、ご存知ないですか?」
「じゃあうちに置いていけばいいさ。飼い葉代で金貨1枚預かっておくよ」
「おお!女将さん優しい!」
「まあ何かの縁さね。あんた達、今夜泊まるところは?この島にゃ宿屋なんて洒落たとこはないからねえ。行商人達も馴染みの家に泊まるもんだけど、見たところ顔見知りもいないんだろ?納屋でいいなら泊まっていきな。日暮れ前に出かけるもんじゃあないよ」
「いいんですか?じゃあご厄介になります」
「いいんだよ。そのかわり、今日は働いてもらうよ。さっきから馴染みの客があんた達を気にして大変なんだ。料理でも運んでおくれ。酌なんてしなくていいからね。適当にあしらってやんな」
「お手伝いですね。わかりました。いいよねみんな?」
「もちろんです。ちょっと面白そうですし!」
「みんなが言うなら仕方ないなあ。先生とお兄ちゃんも接客するの?」
「あ~。あんた達はいいわ。あとで皿でも洗ってくれ」
そう言い残して女将さんが去っていく。
俺は接客など不向きだしいいとして、カミラ先生は憤然とした面持ちになっている。
「いいわよ。どうせ年増ですよ。ふーんだ」
◇◇◇
結果だけ記そう。
4人娘の効果か、料理屋“銀の錨亭”は開店以来の大盛況となった。
娘達は料理運びに徹していたが、逆に料理を運んで来ないと話す機会もないという事で、入れ替わり立ち替わり客が来ては腹がはち切れんばかりに料理を注文したのだ。
その結果、裏方に回った俺とカミラ先生も大忙しになった。次々と運ばれる皿を洗い、布で拭き上げ次の料理に備える。
夕方から始まった手伝いは夜中まで続き、納屋にたどり着いた頃にはヘトヘトになっていた。
応援ありがとうございます!
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