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119.イビッサ島に向かう②(6月23日)

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アルカンダラ郊外のログハウスを出た俺達は、アラクネの目撃情報のある南方の森を抜けてアルマンソラに向かい、そこからは川沿いにオンダロアを目指す事となった。
アルマンソラからオンダロアまでは川を下る船に乗るという方法もあるのだが、船酔いを経験したイザベルが強硬に馬車での旅を推したのだ。
とはいえ、オンダロアからイビッサ島へ直接向かうにせよ、あるいは小さな半島を越えた場所にあるらしいカラレオナという街からイビッサ島へと渡るにせよ、どこかでは船に乗らざるをえないことはイザベルも承知している。
だからこそ“船以外の手段があるのに、わざわざ船で行くこともない”というのがイザベルの主張だった。

そんなイザベルであるが、時折アイダを伴って森に入っては両手いっぱいのキイチゴやビワのような果物を採ってくる。これらは旅の間の大切なビタミン源だ。

◇◇◇

「ねえねえお兄ちゃん。私いまいちわかってないんだけどさ、結局のところ巡検師って何する人なの?」

イザベルが赤く染まった指を舐めながら訊いてくる。
それは俺も知りたいところだ。校長先生からは“国内外を巡視して狩人や国軍に必要な助言や指導をする”
としか聞いていない。だが“国内外”とはどういう意味だろう。
例えば明治時代初期までの日本のように各行政地区を“国”と表現したのならば、巡検師の活動範囲はルシタニアと隣接するバルバストロ・セトゥバル・カルタヘナ、そして直轄領タルテトスのタルテトス王国内に限られるだろう。むしろそのほうが自然だ。
一方で文字どおりの意味で“国内外”なのであれば、北のノルトハウゼン大公国や西のオスタン公国までもが活動範囲ということになってしまう。だが国際協力隊よろしく国境を超えて活動することなど、先方が承知するのだろうか。

「そう言われてもなあ。カミラ先生、前任者の活動記録とかないんですか?」

こういう事は現役の教官に聞いてみるのが1番だ。
栗毛のノエさんの愛馬は何故かアリシアに懐いていて、今朝もアリシアの顔を見るなり鼻を擦り付けて嬉しそうにしていた。それでノエさんが自分の愛馬の手綱をアリシアに譲り、ノエさん自身はカミラ先生が乗ってきた馬へと乗り換えたのだ。その結果カミラ先生は馬車の荷台にいる。もっと言えば俺の目の前に座っているから、時折来る大きな振動のたびに目のやり場に困る。

「そうですね。文献は調べたのです。ただ自伝のようなものを残した方はいないようで、記録がばらばらなんですよね」

カミラ先生は顎に軽く指を当てて少しずつ纏めるように話し始めた。

「先代の巡検師は首都タルテトスで任命されています。マリア ピメンテルという女性の方です」

「女でも巡検師になれるの!?」

「ええイザベルさん。もちろんです。この方は治癒魔法に優れた方で、疫病の治療に当たられました。このお方の凄いところは、治癒魔法のみならず、この国に衛生という概念を広められたことです。その結果、疫病は収束し、お救いになった命は数万人とも言われています。活動された期間は50年ほど前から30年前までです」

「ピメンテル……今でもタルテトスで治癒に特化した魔法師を生み出してる一族ですね」

「そうです。アリシアさんはよく学んでいますね。何でもマリア様は手足を繋いだとか腰で両断された身体を元通り治癒したとか、数々の逸話が残っています。ただ誰でも真似できるものではないので、あまり養成所でその功績に触れることはしていません」

腰で両断されればほぼ即死だと思うが、傷を塞ぎ蘇生することができたのだろうか。俺なら間違いなく諦めてしまうだろう。
しかしそうか。この世界のどの街や村も衛生状態は悪くないのだ。中世ヨーロッパの都市部のように、汚物を道路にぶち撒けて豚に喰わせるなんて事はしていない。
この衛生管理が自然に編み出されたと考えるのは不自然だ。
マリアと言ったか。その巡検師もまさか転移者だったのだろうか。

「その前の代の巡検師はアウグスト デ グスマン子爵です。活動時期は前回の大襲撃の直前から70年前まで。この方は大襲撃に際して任命されたカサドールです。その功績で爵位を与えられています」

「カサドールが子爵になったってこと?巡検師をやると貴族になれるの?」

「別に巡検師でなくともカサドールが貴族に取り立てられる事はありますよ。逆に貴族の子弟達がカサドールになる事も多いです。そうですよねアイダさん」

「はい。父は軍人ではありますが当家は騎士爵位を頂いております。ですが私が家に残っても両親が決めた結婚相手の下へと嫁ぐだけですし、家を継ぐ事もありえませんから」

アイダが貴族の御令嬢だったとは初耳だ。軍人の娘とは聞いていたが。
それにしても、アイダが今言ったのはよく聞く政略結婚というやつか。しかしアイダなら良いパートナーになってくれるだろう。何せそこいらの男よりも剣の腕は確かだし、イザベルやアリシアへの気遣いも忘れない。本当に良く出来た娘だ。

「ふ~ん。でもまあ、貴族になんてなるもんじゃないよね。息苦しそうだもん」

「産まれる家を子供が選ぶことはできないだろ。それに貴族といっても特権があるのはほんの一握りだからな。額に汗をかいて働いて、そのくせ責任だけは果たさなければならない。先生。そのグスマン子爵はその後どうされたのですか?」

「グスマン子爵についての記録は、そこで途絶えています。子爵というからには、どこかに領地を得たのだとは思います。しかしどこに領地を得たのか具体的に記した文献も、その後のグスマン家についての記述もありませんでした。もしかしたら一代貴族として叙勲されたのかもしれませんが……」

「それにしては男爵ではなく子爵というのが妙ですね。王国法では一代貴族は騎士爵か男爵に限るとあったはずです。現に私の兄達も爵位を得るためには功績を上げねばと、がむしゃらに修練を行っていました」

「そうなのです。ただ100年近く前の事です。王国法も今とは違っていたのかもしれませんし、何かの特例だったのかもしれません」

「先生!巡検師ってのは1代に1人って決まってるんですか?カズヤさんがアルカンダラで巡検師に任命されたのと同じように、他の街で巡検師に任命される人はいないのでしょうか?」

「もちろん可能性はあります。任命権者が“この人なら”と認める人物が現れればですが。それに巡検師の制度はタルテトス王国独自のものではありません。ノルトハウゼンやオスタンにも似たような制度があるようです」

「じゃあ私達の活動範囲はタルテトス王国だけってこと?」

「いいえ。カサドールとして国境を越えること自体は難しくはないですし、魔物は国境など気にしませんから。現に先代のマリア様の活動範囲は北はノルトハウゼンから西はオスタンまで広がっていたようです」

それはそれは……3か国を股にかけて衛生観念を広めていったという事か。魔物を狩って人々の暮らしを守るよりもよっぽど大きな功績だ。
俺にそのような功績を残せるだろうか。いや、そもそも俺に何が出来るのだろう。

「じゃあさ、西に行ってみようよ。オスタンって食べ物が美味しいって聞いたよ!」

「いや、大襲撃に備えるならば東だろう。東のニーム山脈沿いに探索すべきだと思う」

「え~。どうせ大襲撃が始まれば狩場は山の中になるんだからさあ。今のうちに遊んどこうよう」

やっぱりイザベルの狙いはそっちか。

「アリシアちゃんはどう思う?」

イザベルに突然話を振られたアリシアが御者台から振り返る。

「私はカズヤさんの行かれる所について行きます。でもイビッサ島の調査が片付いたら、まずはアイダちゃんのお母さんの生まれ故郷の街を訪ねるのがいいと思います」

「アリシアちゃんズルい!私だけ不真面目みたいじゃん!」

「現に不真面目だろう!カズヤ殿に迷惑掛けるような事が無いようにな!」

まあこんな感じで話をしながら俺達は森を進んでいった。
ちなみにイザベルはしばらく不貞腐れていたが、木の上に果物を見つけるとアイダを誘って車列を離れて行った。何だかんだでも仲は良いのである。
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