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魔王の誘いと、飛行の魔法

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 港町ローダンセのカフェは小高い丘の上にあった。町全体の景色は壮観で、夕日に彩られて美しさを増している。

 僧侶である少年ランティスは、目の前にいる男を見上げたまま固まっていた。倒すべき敵の親玉であり、最大の障害と思われる存在がいたからだ。

「ど……どうぞ」

 ランティスは目の前にいる魔王、セツアを隣に座らせることを許した。両手には汗が滲んでいる。彼は静かに腰をおろした。夕日に彩られた顔には邪気が感じられず、魔物を率いている男とは思えない。

「すまないね。突然来てしまって。でも、こうでもしなければ君と話せないと思ったんだ」
「どうしてあなたがここにやって来たのか、正直分かりません。一体僕と何の話をする必要がありますか?」
「私にとっては充分に意味のあることなんだ。仲間になってくれること、考えてくれたかい?」

 ランティスは唖然とした表情でセツアを見ていた。

「僕を仲間に!? なるわけ無いでしょう! 馬鹿なことを言わないでください」
「そう愚かな話でもないよ。有能な存在を引き入れたいと言うのは、誰しも考える自然な発想だ。そして君は、できれば私達と戦いたくないと思っている」

 若い女の店員がコーヒーカップを持って来た。セツアが少しだけ微笑むと、店員は頬を染めておずおずと帰っていく。

「私と戦えば無事にすむ筈がない。君は心の奥で薄々感じている。自分を覆う恐怖や不安感を誤魔化したくて、一人でここに座っていた。違うかい?」

 ランティスは、まるで心を裸にされているような気分だった。震える歯を食い縛り抵抗を試みる。

「怖がってなんかいませんよ! あなたは誤解している。僕らは決して負けることなんてない! 絶対に!」
「この世の中に、絶対など存在しない。どんな事態でも起こりうる可能性はある。勿論私が破れる可能性もあるだろう。しかしながら、極めて低い可能性だがね。私は君達を誰よりも理解している」

 セツアは涼しい顔でランティスを眺めている。少年は彼の瞳に、まるで吸い込まれるような魅力を感じた。

「僕らの何を理解していると?」
「君達の魂さ……。心よりも奥にある、人間そのもの。魂こそが全てと言ってもいい。君達はいっそう純粋で、誰よりも他者を想う気持ちに溢れている。美しい魂だ。だが、純粋さや優しさ、愛……いずれも戦いには不向きなものだ。弱き者は、皆愛を抱いて死んでいく」

 ランティスは震える足で立ち上がる。これ以上話していると、何かに洗脳されてしまうような気がした。

「私は君を、無理矢理仲間にしようと言うのではない。断ってもかまわない。だが、君にとっても……勇者達にとっても悪くない条件を、私は出すことができる」
「……条件?」

 少しずつ辺りが暗くなって来て、カフェテラスにポツポツと人が集まって来ている。

「君がもし仲間になってくれると言うのなら、私達は明日始祖の大地には行かない。そして、君を魔王軍の幹部に迎えよう」
「……へ? う、嘘だ! あなたは僕を騙そうとしている。そんな上手い話があるわけないですよ。第一、あなた達は始祖の大地で何をするつもりなんですか!?」

 セツアはランティスを見上げて、ただ優しく微笑む。彼の姿には怪しい魅力があり、少年は引き込まれまいと戦っていた。

「私は嘘は言わない。始祖の大地に向かう理由は一つだよ。この世界を、ただあるべき姿に戻すことさ」
「あるべき……姿?」

 セツアはゆっくりと立ち上がり、今度は少年を見下ろした。瞳には敵意など微塵も感じられないばかりか、暖かさまで感じる。

「どうかな? 私の仲間になってくれないか? もう一……」
「困るんだよなあ! そういう真似は」

 カフェの入り口から、赤い髪をした戦士レオンハルトが歩いて来る。ランティスは彼を見て安心した。

「にいちゃん!」
「うちの仲間を引き抜いてどうしようってんだ? 返答次第じゃあ、タダじゃ済まねえぞ」

 セツアは小さな溜息をついて、レオンハルトの所まで静かに歩みを進める。やがてすれ違い様に言葉をかわした。

「もし良かったら、君も仲間にならないか? 部下ではなく、対等な存在として迎えよう」
「寝言言ってんじゃねえよ。俺達は明日お前を倒す。とっとと帰んな」

 セツアは鼻で笑うと、いつの間にか消えてしまった。ランティスが走り寄ると、レオンハルトは笑って頭を撫でた。

「ちゃんとやり合ってたじゃねえか! 偉いぜ」
「あ、当たり前だよ!」

 少年は泣きそうな顔になっている。安堵と同時に、愛する者達を失うかもしれないという恐怖が、胸の中で渦巻いていた。




「えーい! とーう! ぎゃう!」

 勇者サクラの威勢のいい掛け声と、落下した悲鳴がセットになって何回か繰り返されている。彼女は公園にある、高い岩に登っては飛び上がり、最後に転んでいた。

 俺とミカ、コドランが呆然とした表情で眺めている。

「サクラー! さっきから何しているんだ?」
「え? 空を飛ぶ魔法の練習だよ! 僕もうちょっとで飛べそうなんだ。えーい!」

 コドランがパタパタと飛び上がり、サクラの頭をポカポカ叩き出した。

「アホなことやっとる場合か! もういいから休め」
「痛いー! やだよ~コドランちゃん。僕もうちょっとで飛行の魔法が覚えられそうなんだから」

 急に子供の頃を思い出した俺は、手の平をポンと叩いた。

「そういえばやったことあるなー! ミカと二人で」
「へ!? わ、私?」
「そうそう! 劇か何かを観ててさ。まだ小さかったミカが、空を飛んでいる話に感動して、私も飛びたいとか言い出しただろ。今のサクラみたいにジャンプしてたじゃないか」

 ミカは急に顔を真っ赤にして、ブンブン両手を降り始めた。無意識のうちに黒歴史に触れてしまったらしい。

「あ、あの頃は小さかったから……分かんなかったのよ!」

 コドランが空中でクルクルと回転している。たまに考え事をする時によくやる行為だ。

「うーむ、うーむ! 飛行の魔法か~。今からでは、ちょっとな」
「え? コドランちゃん! やっぱり飛行の魔法知ってるの!? 教えて! 早く僕に教えて! 早く早く」

 目をキラキラさせた勇者が、コドランをいつの間にか羽交い締めにしている。もう毎度のことだ。

「こら! コドランが可哀想だろ。やめなさい勇者!」
「ぐ、ぐるじい~! 離さんかいアホ勇者! あれは相当高Lvでなくては不可能だし、今日明日では無理だ。平和になったら、改めて教えてやる」
「本当~? 約束だよ」

 輝くような笑顔のサクラとは対照的に、ちょっと恥ずかしそうな顔でミカが近づいて来る。

「ね、ねえ……私にも教えてよ」
「え? ミカも? 覚えてどうするの」
「だって……色々便利じゃない」
「む、むむむ……怪しい!」

 本当に空を飛ぶ魔法なんて覚えられるのか。ドラグーンになっていて思ったが、確かに空を飛べるのは便利だ。サクラが突然驚いた顔をして、隣にいたミカに身構える。

「分かった……! 僕は君の目的に気がついてしまったのだ! ミカはアルダーと、空中でチュッチュするつもりなんでしょ!?」

 信じ難い発想をするサクラに、俺とコドランは石のように固まってしまった。ミカはさっきより顔が赤くなっている。

「何馬鹿なこと言ってるの! そんなこと考えるわけないじゃない!」
「嘘だよ~。以前見たんだからね。僕の実家でチュッチュしてました! 空中なら阻止されないと思ったんでしょ!」
「いい加減にしなさいよサクラ!」
「きゃあー! ミカが怒ったー!」

 ミカに追いかけられて、サクラは必死に公園の奥へ逃げて行く。

「やめんかお前ら~! さっさと明日の準備をするのだ~!」

 コドランも二人を追いかけて行った。魔王との決戦は明日なんだけどな。本当に何とかなるのだろうか。とっても不安だが、ここは俺がしっかりするしかなさそうだ。

 夜は宿屋に戻り、みんなで作戦会議をした。昼間とはうって変わって、みんな真剣な顔をしていたのを覚えている。みんなと別れてから、俺は泥のように眠った。

 ベッドに差し込んでくる朝日が眩しい。だが寝覚めは悪くない。いよいよ魔王と戦う時が来た。
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