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ヤブランの指輪

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 朝日が目に差し込んで、俺はゆっくりと瞼を開いた。今日は図書館勤務もないから、ゆったり過ごすことができるだろう。

「あれ? 何だろう……この音」

 お鍋をグツグツしているような音と、何かを刻んでいるような音が聞こえてくる。そうか、またサクラが料理を作ってくれているのか。

 俺は静かに体を起こして台所を見た。

「んん? サクラじゃないな……」

 後ろ姿が全然違う。じゃあミカが来てくれたんだろうと思ったが、彼女は茶髪だった。今見えているのは、長い黒髪だ。

「あら、おはよう」
「うぇっ! エリーシア、どうして俺ん家にいるんだ?」

 彼女は笑いながらテーブルに料理を運んでいる。

「忘れてしまったの? 昨日図書館で、一人でご飯を食べるのは寂しいって言ってたから、じゃあ私が明日作ってあげましょうか? って言ったじゃない」

 そんな会話していたっけ? 色々と忘れっぽいのは、俺の悪い癖だな。

「そうだったか! いや~悪い。すっかり忘れていたよ」
「フフフ。もう出来ているわよ」

 俺はエリーシアの手料理をいただくことになった。サクラやミカと比べて、肉料理が多めになっている気がする。まずこのステーキを食べてみよう。

「う、う、美味い!」
「フフ。今日は頑張って作ってみたの。普段はこんな感じじゃないのよ」
「確かに豪華だよ。本当に悪いな、こんなに作ってもらって」

 俺はエリーシアの作ってくれた料理にガッツき出した。夢中になって食べていると、玄関のドアが勢いよく開く。

「アルダー! 新しい朝が……あれ!? エリーシア! 来てたんだ」
「あら、おはようサクラ。あなたも早いのね」
「う、うん。……凄い! もしかしてエリーシアが作ったの?」

 サクラがトコトコと歩いて俺の隣に座る。

「そうよ。昨日約束していたものだから」
「アルダー。君って男は! 何人の女の子に料理を作ってもらってるの? こういうのは僕だけでいいんだよ!」
「いや……別に何人もってわけじゃないだろ」
「僕の知ってる限り三人いるだから、何人もだよ! ……いただきます」

 返答に困っている俺の姿をよそに、サクラもエリーシアの料理を食べ始めた。いつの間にか食べることに夢中になっている辺り、彼女の料理が万人受けすることが分かる。

「もぐもく。そうだ! 最近エリーシア僕の所に会いに来てくないじゃん。一体どうしちゃったの!? もぐもぐ」
「実はね。最近体の調子が良くないのよ。お借りした家で休んでいることが多いの」

 エリーシアは病のせいで、もう長生きできそうにない。これは俺と彼女だけの秘密だった。

「ええー! もしかして、風邪引いちゃったの!? もぐもぐ」
「そんなんじゃないわ。ただちょっと……ね」
「体調が悪いなら、神父さんの所に行くといいよ。僕が連れて行ってあげようか? もぐもぐ」
「サクラ、それは俺の肉だ!」
「じゃあ今度、お願いしようかしら……」

 明るく話していた彼女の目が、一瞬だけ暗い色になった。

 俺はサクラやエリーシアと別れて、フリージアの中央広場近くに向かった。今もなお沢山の町民や冒険者達が、荒れ果てた土地の復興作業を行なっている。

「朝から来るとは感心だね。旦那」
「どうも」

 声をかけて来た短髪のおじさんは、フリージアで働く大工さんだ。俺は暇を見つけると、彼らの手伝いをすることにしている。

「浜辺のあたりもエライことになってるけど、こっちも充分酷えよ」
「そうだな~。魔王の奴、随分派手に壊していったものだ」

 俺はヤブランと戦うことに手一杯で、魔王の相手はできなかった。サクラ達が倒してくれなかったら、きっとフリージアは滅んでいただろう。

「ここにある瓦礫、俺が全部片付けるよ」
「いやいや、それは流石に無理だよ旦那。今人を呼んで……?」

 見渡す限り、建物の残骸だらけだった。俺は自分の体格と同じくらいの瓦礫を、ひょいと持ち上げて運んで行く。

「す、すげえ怪力だなあ! 流石は戦士様だ」
「え? そうかな。このくらい誰でもいけるよ」
「いやいや……普通できねえよ~」

 瓦礫の山は、意外と早く片付いた。大工さんには何故か驚かれたけど、戦士って力が取り柄だからな。多少は重い物も持てないと駄目だ。

「これで大丈夫だろ? 俺は他の手伝いに行くよ」
「ありがとうよ旦那! おかげですげえ助かった! ああ、それと」

 大工さんは俺の側まで歩いてくると、懐から一つの指輪を取り出した。

「これ、何だか分かるかな? 昨日浜辺に行った奴が拾ってさ。貰ったんだけど、やっぱ気味が悪いから捨てようか考えてたんだ。旦那なら知ってるんじゃないかと思ってさ」

 見覚えのある悪趣味なデザインをしている。間違いない、この指輪はヤブランが着けていたものだ。龍の槍を受けている時に落としたのだろうか?

「……呪われた品物かもしれない。ただ捨てたら迷惑になるかもしれないから、俺が預かっておくよ」

 大工さんから指輪を受け取った俺は、暑い日差しの中手伝いを続けた。




「坊主、まさか船まで用意してもらえるとは思わなかった! ありがとうな」

 ここはフリージアから西にある、カトレアの船着場。小さな船の前で、ランティスとイベリス、インリッツとカレンが立ち話をしている。

「どういたしましてイベリスさん。でも、内緒ですよ。僕がお尋ね者の逃走を手伝ったなんてことがギルドに知れたら、多分牢屋送りになっちゃいますから」

 少年の言葉に、インリッツはウインクで答える。

「もちろんよボウヤ。ホントはお礼に、大人の世界を教えてあげたかったんだけど、残念だわ~」
「い、いいですよ。教えてくれなくて」

 素っ気なく答えるランティスを見て、インリッツは残念そうに船の中に入って行った。次にカレンが近づいてくる。

「今度会うときは、もうちょい男らしくなるんじゃな! そしたらデートしてやるぞ」
「も……もう。何を言ってるんですか」

 悪戯っぽい微笑みを見て、少年は頬を赤く染めている。何か言うことを探してモジモジした後、遠慮がちにカレンに聞いた。

「あの、また……会えますよね?」
「うーん。どうじゃろ。お前が死ななかったら会えるかもなあ。気をつけろよ、お前は魔の力を持った奴から狙われやすい」
「魔の力……ですか?」
「そうじゃ。例えば、魔女とかのう。ワシみたいな」

 ランティスは驚いて、変装用に被っていた帽子がズレてしまった。

「魔女!? そんな人まだいるんですか?」
「ここに一人おるぞ。でもまあ、ワシ以外全滅したかもしれん。ただあやつらは、霊体になっても行動できるのが強みなんじゃよ。ワシは出来ないけど」
「霊体に……怖い話ですね」
「人に取り憑こうとするからな……。先の戦いでも一人いたぞ。まあ、奴がどうなったかは知らんし、普通は存在に気づくこともできんが」

 カレンは話をしながら、優雅に船に飛び乗った。少年は本当は別れたくなかったが、冒険者ギルドから離れることもできなかった。

「じゃあのー! ランティス」
「ボウヤ! 今度会ったらペロペロよぉー!」
「……あばよ」
「さようなら皆さん。さようならー!」

 少年は去って行く船に手を降っている。この世界では、一度別れた人とまた会える機会は少ない。遠くに消えて行く小さな影を、少年はずっと見守っていた。




 フリージアの町から遥か南にある浜辺には、勇者サクラとミカが放った魔法の跡が、未だにはっきりと残っている。地面を大きく削った爪痕は、大海原まで続いていた。

 波が強く大地を打ちつけている。この辺りには人影もなく、時折魔物が徘徊しているだけだった。

 よく見ると、海面に紫色の小さな物体が浮かんでいる。それは魔王ヴァルフォの一部である肉塊。ブクブクと音を立てている醜い体は、少しずつ海の生物を取り込んで膨れ上がり、徐々に再生しつつあった。

 自らの体を再生させながら、魔王の細胞は海に流されていく。まるで、自分の根城に戻ろうとするかのように。
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