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目覚めた勇者と、暴食の魔王

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 月明かりに照らされたフリージアの教会には、幻想的な雰囲気が漂っている。白い床には血が散乱し、一人の老人が片膝をついて息を切らしていた。

「もう少しくらい、楽しませてくれると思ったのですがね」

 神父に乗り移っている魔女ダクマルテは、肩を竦ませて老人を見下している。祭壇側にいる町長と、出入り口側にいるダクマルテは、赤い絨毯の上で繋がっているかのようだった。

「おのれ、汚い手を使いおって」
「汚い手ですって? 寝言は寝ている時に言いなさい。魔女である私が、魔法で戦って何が汚いのでしょう? さて、町長さんには退場願いましょうか」

 ダクマルテの指先から黒い小さな玉が現れ、少しずつ大きさを増していく。水晶玉よりも大きくなった闇の玉を掲げながら、神父は笑った。

「ご老体にここまでの魔法を使うことになるとは思いませんでしたよ。よく頑張りましたね。では、ごきげんよう!」

 ダクマルテは握手でも求めるかのように、町長に向かって手のひらを向けた。解き放たれた闇の玉は、弓矢よりも早く町長に飛び込んでいく。

「ぐおおおおー!」
「アハハハハ! どうです? 自分の体が一気に朽ち果てていく感覚は? 不思議でしょう。さあ、存分に味わって逝きなさい」

 黒い玉は老人の体を侵食し続け、いよいよ命の危険にまで及んだ。ダクマルテの笑いはここで止まる。何かが闇の玉に命中し、禍々しい力を霧のように消し去った。攻撃用の聖魔法に違いないと魔女は考える。

「……あ、ああ……」

 魔女ダクマルテは、顔を引きつらせて後ずさっている。彼女にとっては信じられないことだし、けしてあってはならないことだった。

「ゆ、勇者……一体どうして」

 聖堂の奥にある部屋から出てきたのは、勇者サクラだった。なぜ、解けないはずの眠りの呪殺から目覚めているのか。彼女の体から発せられている、あの煌めく煙のような白い光は何なのか。

「そうか……あれは勇者のオーラ。ごく限られた勇者でしか持ち得なかった力を、なぜあなたが?」

 勇者は何も答えず、ゆっくりと歩みを進める。後ろに見える祭壇の女神像と、歩いてくる勇者の姿が重なり、白いオーラは一層神秘的な光を放った。

「……神。神が私を罰しに来たというのですか。そんな馬鹿な! 神などおろうはずもない。もし本当に神がいるのなら、私があんな悲惨な人生を歩んだはずがない! 貴様ぁー!」

 魔女は闇の玉を急いで作り出し、勇者めがけて放った。しかし勇者に届くことはない。白いオーラが、呪いの力を一瞬で消し去る。

「ああ、やめろ! 来るな、来るな!」
「……」

 ダクマルテは勇者に背を向けて逃げようとしたが、体が震えてろくに動くことはできない。無表情の勇者は何も語らず、ただ魔女に近づいていく。

 ダクマルテは悟った。目の前にいる勇者は、自分とは圧倒的に相性が悪く、恐らく勝つことはできない。今のままなら、あのオーラに触れた時自分は消滅するだろう。

「こうなれば、こうなれば……おおおお!」

 魔女は唸り声を上げ、体から瘴気を出し始める。勇者がすぐ近くまで来たところで、彼女が乗り移っている神父は前のめりに倒れていった。

 ダクマルテの邪悪な霊体が、取り憑いた体を捨てて空の向こうへ逃げて行く。

「……ふえ? ここは?」

 サクラは歩みを止め、オーラを解除し左右を見回している。

「僕は寝ている時に歩くようになっちゃったのか。……神父さん!? 大丈夫ですか神父さん! ん? わああー! 町長」

 彼女は祭壇側にいる、ボロボロになって倒れている町長に駆け寄った。急いで回復の魔法ヒールを使用し、傷口を治し始める。

「おお、サクラよ。目が覚めたのじゃな……いや良かった良かった!」
「町長! 一体何が起こっているの!? 誰にやられたの?」
「話せば長いから、今はやめておこう。それよりサクラ! 今この地には、悪しき魔王がやって来ておる」
「ええ!? 魔王がこの大陸に? よく分かんないけど戦わなきゃ!」

 町長はぐったりしつつも、勇者を激励したかった。震える声に精一杯の感情を込める。

「頼んだぞ勇者よ! 悪しき魔王を打ち倒し、世界を平和に導くのだ。う……ぐふ」
「町長? 町長ー!! ……うう。……分かったよ町長。僕は必ず魔王を倒してみせる!」

 サクラは飛ぶような勢いで教会を出て行った。彼女が去ったことを確認して、死んだ様子だった町長が、ヨロヨロと体を起こした。

「いやー。何処かの王様みたいじゃ。一度は言ってみたかったからのう。……いてて!」
「う……ううむ……」

 彼の声で気がついたのか、うつ伏せで気絶していた神父が目を覚ました。フラフラと立ち上がると、先程までの邪気が嘘のように爽やかな顔になっている。

「これは? 私は今まで、何を? おや? 町長ではありませんか!」

 神父は急いで町長に走りよった。

「おお、お前も目が覚めよったか。無事元に戻ったんじゃな! 良かったわい」
「何という酷い怪我でしょう! これは呪術の類……邪な心を持つ者が使用するものです。全く忌々しい! 一体誰にやられたのです!?」
「……お前にやられたよ」
「……へ!?」




 ルゴサ側の防衛地点東側では、魔王ヴァルフォと勇者ライラック達が向かい合っている。彼らは体の中にいくつもの顔を持つ醜い姿と、膨大な闇の力にすっかり飲まれてしまっている。

「小僧……貴様名前は何と言うのだ? 我自らが来てやったのだ。まずは名乗ってみよ」
「ゆ……勇者ライラック……だ」

 魔王ヴァルフォは少し間を置いてから、大声で笑った。身体中の顔も同様に笑い出し、気味の悪い声が辺りに響き渡っている。

「ライラックか。随分と迫力にかける男よのう。まあ良い。ではここで殺し合うのも宿命であろうな」
「……ヘザーさん。どうすんだよ?」

 ライラックは小声で、ヘザーに救済を求めている。足は震え肩で息をしていた。ヘザーは額に汗を浮かべながら必死に対策を考え、ランティスはただただ震え、カレンはステッキを持って構えている。

「ライラックよ。我々は左右に散開しよう。この巨体だ、恐らく動きは鈍いだろう。みんなで囲んで集中砲火を浴びせれば勝てるはずだ」
「え? ほ、本当かよ?」
「大丈夫だ。私に任せておけ」

 魔王は邪悪な笑顔から、何かに飽きたような表情に変わっていた。

「何だ。向かってこないのか? つまらぬ連中だな。ではさっさと食って終わらせ……」

 言いかけた魔王の体に、ヘザーは精一杯の火球をぶち当てた。

「そこの魔法使い! お前もやるのだ!」
「う、うむ!」

 続けざまにカレンが、爆発の魔法ミニフレアで腹部を中心に攻撃を加える。

「お前達、一旦散開するぞ! 奴を取り囲むのだ!」

 爆発による大きな煙が無くならないうちに、ヘザー達は散開して魔王を取り囲む。他の冒険者達は、再び勢いを増した魔物達を相手にするのに精一杯で、こちらには来れなかった。

「ほほう。我を取り囲んだか。さあ、次はどうするのだ?」

 魔王はまだ仕掛けてくる気配がない。この状況で自分が倒されるなどとは夢にも思っていない。

「皆の者! ありったけの魔法を奴に当てるのだ! そうすれば勝てる!」
「は、はいー!」

 ヘザーの言葉にランティスは従い、聖魔法ライトシールを放った。彼に続くようにカレンが、今度は特大の爆発魔法フレアを撃ち、ヘザー自身は火炎魔法テラフレイムをぶちまける。

 ライラックは立ったままで何もしていない。

「ライラック! お前は何をしている? 攻撃魔法を使え!」
「い、いや俺……攻撃魔法使えないし」

 ヘザーは彼の言葉に唖然とした。言われてみれば冒険の最中、一度も攻撃魔法を使ったところを見たことはない。

「……何ということ! 貴様、それでも勇者か!」
「最初に言ったじゃん! それでも俺のことを勇者だって言ったのは、ヘザーさんじゃねえかよ!」
「無茶苦茶じゃなあ~お前ら~!」

 カレンとランティスは、二人のやり取りにドン引きしてしまった。

「おお、お前らの内の誰かは知らんが、良い攻撃魔法を撃った奴がおるな」

 煙が消え去り、胸に穴が空いた魔王が姿を現す。カレンのフレアが効いた様子だったが、彼はまだ余裕のある顔をしていた。

「だがなあ……残念!」

 魔王の胸はあっという間に細胞が修復され、再び元の醜い顔が浮かび上がっていた。

「これはまずいですよ! な、何とかしないと」

 ランティスは恐怖のあまり震えていた。横にいたカレンは、黙って魔王の様子を見ている。

「では、今度は我の番だな」

 魔王は瞑想をするかのように静かになった。やがて身体中にある顔の目が、異様に見開いて赤く輝く。

「な、何だってんだ? アイツ何をしようっていうんだよ?」
「わ、私にも分からん。勇者よ、気をつけろ」

 ライラックとヘザーは、恐怖で冷静な判断ができなくなっている。次の瞬間、魔王の咆哮が大陸に鳴り響いた。

「喰らえ! 人間共ぉ!」

 魔王自身の口と、身体中にある様々な口から、ありとあらゆる遠距離攻撃が全方向に放たれる。火炎や吹雪、雷や闇の光弾、溶解液など様々なものが冒険者達を襲った。

「ぐわああー!」
「ひ、ひいい~!」

 ヘザーとライラックは魔王の攻撃に触れてしまい、一撃で瀕死の危機に陥っている。カレンは溶解液を交わし、ランティスは何とか体を丸めてやり過ごした。

「どうした? こんなものは序の口であるぞ。まずはそこの魔法使いから頂くとしようか。勇者よ、お前は最後だ」

 魔王は笑いながら、巨大な体を引きずるように歩きヘザーに近づいて行く。

「ぐうう。勇者よ、私を助けよ」
「む、無理だ! もう無理だあ~」

 ライラックは錯乱状態に陥り、うつ伏せで倒れている魔法使いを見捨てた。やがて醜い顔だらけの胴体が、ヘザーの目前までやって来た。彼は恐怖で血の気が引いている。

「馬鹿な……この私が、こんな所で」

 魔王の体の一部である触手が絡みつき、ヘザーを食べやすい高さまで吊るし上げる。腹部にある最も大きな口が開くと、まるで絶望へと続く穴のように見えた。ランティスとカレンが魔法で助けようとするが、間に合いそうにない。

「ま、待て! 私はあの勇者にそそのかされ」
「死ね!」

 勢いよく大きな口が動き、上下の歯が勢いよくヘザーに向かう。

「ぐ……ぐうう……何だ、貴様は?」

 魔王の胴体にある口は、何かに突っかかって閉じられなくなっている。誰かが剣と足で、大口をこじ開けていた。

「……ヘザーだよな? 何でここにいるんだ?」

 ヘザーの前にいたのは、青い鎧に身を包んだ青年アルダーだった。
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