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天使のお見舞い

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 まるで朝の寝起きみたいに目を覚ますと、見覚えのない天井が視界に映った。
 別段ドラマティックでも何でもない無個性な天井には、感想の一つも浮かぶことはない。

 まだ十六年間しか生きていない俺にとって、こういった体験は初めてのもので、よく映画とかでありがちな展開が自分にも起こってしまったのか、とか推測する余裕すらなかった。完全に頭の中はテレビCMに映し出されるバニラアイスみたいに真っ白だったんだ。

「あれー……なんだよ、この状況……」

 ボソッと呟いたはずの独り言がやけに周囲に響いた気がした。俺は今ベッドの上で寝かされているようだが、この白いベッドに白い天井、そして周りを包み込むような白いカーテン。気がつくまで時間がかかってしまったが、ここは病院の一室じゃないだろうか。

 でも次の瞬間に記憶が湧き上がり、今朝我が身に起こってしまったことを思い出した。海原を助けた俺は、反対に自分が階段を転げ落ちてしまうという大失態を演じていたのだ。畜生、なんてカッコ悪いんだよ。

 あれから俺はどうなってここにいるのかとか、人生で初めて女子にお姫様抱っこをしてしまったとか、恥ずかし過ぎてもう学校行きたくないとか、いろんなことが頭に浮かんで気分が落ち着かなかった。

 だが数秒の後に、脳内は海原とのことだけで一杯になる。受け止めた彼女の小さな肩と、スカート越しではあったが柔らかい太腿の感触を思い出して、今さながらに心臓が高鳴ってくるのだ。女の子の体って、もしかして全部柔らかいんだろうかと、ふしだらな妄想までしちゃってる。そんな時に、

「天沢君!? 起きたの?」

 突然カーテンが揺れ、ナース服ではなくセーラー服を着た女子が中に入ってくる。てっきり看護婦さんかと思っていた俺は、唐突な彼女の登場に息を呑んでまた石像みたいになってしまう。おいおい、どうなってんだ。

「良かった! 頭痛くない? 大丈夫?」

「あ、ああ。海原さん……だよね。俺ってあの後どうなったんだっけ?」

 今にも泣きそうな顔をしている学校一の天使に向かって、なんて間抜けな質問をしてしまったのだろう。でも彼女はすぐに納得したように首を縦に振ると、

「私のこと知ってるんだ。あのね、天沢君は階段から転げ落ちちゃって、頭を打って気絶してしまったの。それで、救急車を呼んだんだけど」

 その時を思い出したかのように、幅の狭い両肩が小さく震えていた。そんな姿一つ一つが可憐で、なんていうか抱きしめたくなるんだが、そんなことしたら今度は救急車でなく警察を呼ばれるだろう。まさに天国と地獄だ。

「マジか……今って何時?」

「今はもう夕方だよっ。ちょっと先生を呼んでくるから、待っててね!」

 まるで風みたいにあっという間に彼女は何処かへ駆けて行った。あの海原とこんなに会話できる日が来るなんて思わなかったが、まだ夢でも見ているのではないかとまた不安になる。

 思い詰めた顔をしていたが彼女は何にも悪くはない。ただ自分の不注意で、間抜けにも階段を転げ落ちてしまっただけなのだ。それなのに責任を感じてしまう学校一の天使は、もしかしたら超がつくお人好しかもしれない。

 まあでも、それもきっと数日のうちには終わることだろう。少し日が経ってしまえば、以前と同じようなカースト制度の見えない壁に阻まれていくのだ。青春ってやつは、みんな綺麗だ最高だって口々に言ってるけど、これ以上ないくらいに残酷だ。過ぎ去った人間にはきっと思い出せない、その時しか見えない闇を、俺みたいな底辺の男はいつだって感じている。



 ドクターの話を聞いた時は、安心すると共にちょっとばかりガッカリもした。まあ不謹慎だが、結局何の異常も見られず、検査の結果次第では明日にでも退院してOKとのことだった。あの後すぐに親父とおふくろがマジでこの世の終わりみたい顔で駆け込んできたから、なんか罪悪感が湧いていた。

 そして時刻は十八時になろうとしていた。親父とおふくろも帰り、いよいよぼっち得意の一人きりタイムが始まろうとしている。この部屋には俺一人しかいないので、退屈極まりないが非常に落ち着く空間ではある。そんな中、病室にまた誰かが入ってきた。

「失礼しますっ。あ、あの、天沢君……」

「あれ? ま、まだいたのかよ」

 飛び上がりそうになった。いや実際、上半身は飛び上がってしまった。海原がまだ残っていて、ひょこっとカーテンの中に入ってきたのだ。

「うん。今回のこと、ちゃんと謝らなきゃ……って思って。私のせいで酷い目に遭っちゃって、ごめんなさい!」

 半泣き顔でペコリと頭を下げてくる海原に、俺は慌てて右手を横に振る。これ以上謝られたら罪悪感で死にそうだ。

「いやいや! あれは俺のうっかりで起こったことだし、気にする必要はない。っていうか、なんで俺の名前知ってんの?」

 スクールカーストトップである海原のことを俺が知っているのは当然だけど、その反対は謎だと思う。だってそうだろ。俺なんてロボットに例えたら〇〇専用とかじゃない。きっと〇〇量産型だ。物語の冒頭で斧みたいな武器持って主人公機に突っ込んでいってやられるタイプだぞ。

「ん。前から知ってたよ。クラスが違うけど、同級生の名前はみんな覚えてるから」

「え。マジかよ。俺はクラスメイトの名前も覚えてない奴いるのに」

「ええー。天沢君ってもしかして、クラスのみんなに興味がなかったりするの?」

「いや、別にそういうわけじゃないけど。みんなが俺に興味がないんだよ」

「そんなことないと思うよ! ……あ。いけない、もうこんな時間になっちゃった。じゃあ私、帰るね。早く元気になってね、天沢君!」

 もう一度名字を呼ばれて、俺はドギマギしつつも手を振った。ちょっと見た目は冷たそうな雰囲気を感じていたけど、喋ってみると滅茶苦茶親しみやすい感じじゃないか。

 でも、それだってきっと今回限りだ。目前で倒れた人間に死なれでもしたら寝覚めが悪いし、何もしなかったら冷たい奴だと思われてしまう。だからきっとわざわざ俺のもとへ来たのだろうと、そう考えていたんだ。
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