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リンディスの目的と、カイの研究所
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団地の屋上でしゃがみ込んでいるルカの首めがけて、リンディスは剣を振り下ろしやがった。
めり込む剣はさっきよりも赤々と燃えるような色をしていて、まるで凶暴な何かが宿っているようだ。
「……貴様」
闇龍の騎士が呟いてるけど、俺はあまり奴の言葉を聞いている余裕がなかった。赤い刀身がめり込んでいるのはルカの首じゃなくて俺の左肩だったからだ。ギリギリのところで間に合った俺が、虹の彗星弓で刃を受け止めたまでは良かったんだが、剣の勢いを殺しきれず若干押し負けちまった。
これ以上深く刃が入らないように必死で鍔迫り合い的なもんを続けているけど、マジでいつまで持つか解らねえ。
「いってえな! このヤロー」
「圭太? ……圭太! こ、このおお!」
ルカの声が聞こえる。後ろから突風が吹いたと思った瞬間にソードナイトの剣が空を斬った。肩口にめり込んでいた刃が一瞬で抜けてリンディスも目前から消える。こんなに痛いもんなのかよ。悲鳴をあげたくなっている俺の体を誰かが支えている。
「圭太! アンタ。あたしを庇って……」
ルカは今まで見せたこともないような弱気な顔をして、肩を預けている俺を見上げていた。
「大丈夫だ。俺は全然大丈夫! それよりアイツは何処行ったんだよ?」
ちっとも大丈夫じゃなかったけど、今は弱音なんか吐いてる場合じゃない。
「たった二人だけで私に勝とうなんて、君達は考えが甘い」
声だけが屋上に響いている。でも実態が見えない奴を、俺達はキョロキョロ見回して探していた。ルカの背中と俺の背中が重なり、なるべく死角を作らないように務めているが、ホントに有効なのかは疑問だ。
「一体何処に消えたの? 出てきなさいよ卑怯者!」
「……解った」
ルカの呼びかけに応じたリンディスは、何もなかったはずの空間に突如として姿を現した。マジでどうなってんだ?
「隠れてなどいなかったよ。君達の目では、私の本来の動きを捉えることはできない。このようにな!」
言い終えた瞬間に俺は何かに思いっきり引きずられて空を仰いでいた。余りにも早過ぎるリンディスの腕に引きずられて、屋上の隅っこまでワープさせられたみたいになってる。
「ぐああっ! て、てめえ!」
「君は終わりだ。さようなら」
「圭太……圭太ぁー!」
仰向けに倒れた俺の頭上にいるリンディスが剣を首に突き立てる瞬間、ルカの悲鳴がはっきりと聞こえた。弓で防ごうとしても無理だし、ルカの助けだって間に合いそうにない。
マジかよ。これが少し早い、天国への片道切符ってことなのか。俺は観念して歯を食いしばって目を閉じる。走馬灯なんて全然浮かばないじゃん。全く、世の中嘘ばっかりだ。
「……あれ?」
「く、うう!」
リンディスが変な声を出しているのが気になって、恐る恐る両目を開いた先にあったのは、喉元で止まっている真っ赤な切っ先だった。
「う、うわあ」
「何故だ? 何故殺せない」
リンディスは両手で剣を持って、力一杯押し込もうとしている。それなのに奴の両腕は大きく震えて喉元から先に刃を進ませない。
「せええいっ!」
「!」
闘牛でさえビビるような猛烈な突進をしてきたルカの、水平に振り抜かれた剣をリンディスは刃で受けつつ後退する。丁度団地の屋上からはみ出てしまったけど奴は落ちない。そうだ、コイツ飛べるんだった。
「はあ……はあ。危ねえ! 殺されると思った。でもなあ、」
俺は左肩を抑えながら立ち上がる。勝負はまだ終わってないとか言おうとしたところで、背後から聞いたことのあるキザな男の声が響く。
「どうして圭太君を君は殺せないのか? 不思議に思っているようだね。リンディス」
「お前は……ランスロットか」
「君が殺せなかった理由はたった一つだよ」
ランスロットと思われる奴の足音が後ろから聞こえてくる。でもルカと俺はリンディスの動きを警戒しているから振り向くことができなかった。
「君に力を授けている英雄が、彼という存在を殺めることを拒んだのさ」
「私に力を与えている英雄が? この男をか!?」
ルカは黙ってるが、いつになく苛立った顔でリンディスを睨んでいる。こんなルカはなかなか見ない。
「そうさ。君に力を授けている闇龍の騎士はとても気高く知的な男だったのだろう。できる限り人を殺したくはないと考えているようだ。極めて優秀な人格者だったと僕は思うよ」
闇龍の騎士と同じ鎧を着ている女は、ランスロットの言葉を鼻で笑った。
「……スラスラと知ったようなことを言うね。ペテン師君」
俺の隣で睨みを利かせていたルカは、どうしても黙っていられなくなったらしく、
「何言ってんのよ! アンタどうしてランスロットをペテン師扱いするわけ!?」
「フン! 殺せないなら、やはり攫うしかないようだ!」
「ふざけんじゃねえ! もう俺はお前にさらわれーっ」
気がつけば俺は空を飛んでいた。いや違うな。空を飛んでいる奴に掴まれてどっかに運ばれているが正しい。ジェット機にでも乗っているみたいな速度でコイツは飛んでいやがる。
「うおおおお! て、てめえー。離しやがれー」
「カイへの土産だ。離すわけにはいかない。相変わらず隙だらけだな君は」
俺は首根っこを掴まれてどっかに連れ去られている。一体何処ら辺を飛んでいるのか見当もつかない。やがてアイツは首根っこを思い切り引っ張り、遥か下にある地面に向けて放り投げやがった。
「う、うわあああ!」
多分森の中に落とされた俺は、地面に大穴をあけつつ思い切りバウンドして今度は奴のオーバヘッドキックを顔面に喰らった。
「う……んん。ん?」
小鳥のさえずりが聞こえて、降り出した雨が頬を打って俺は目を覚ました。
「おや。もう起きてしまったのか。まだ寝ているといい」
「……お前は。あ! リンディスか! お前闇龍の騎士だな!?」
どうやらリンディスはアンインストールして本来の姿に戻ったらしい。全身黒の葬式にでも行きそうな格好で、両手両足を縛られて身動きの取れない俺をどっかに押し込んでいる。こっちも変身が解けちまったみたいだな畜生。
俺が入っているこれはなんだ? 高校生の男一人がすっぱり入るわけだから、バッグにしちゃあ大きいけど……。気がつきたくないこと程、直ぐに解ってしまうのは何故だろう。
「あ、あのさあ。リンディスさん。これってひょっとして……車のトランク?」
「そうだ。カイのところへ到着するまでここで大人しくしてもらう」
「じょ、冗談じゃねえ!」
こんな所に閉じ込められたらきっと終わりだ。今度こそ逃げれねえ所に引きずり出されて、アイツらの道具になって一生を終える。そんなことになってたまるか。
「ま、待て! 待ってくれ。俺は閉所恐怖症なんだ。こんな所に入れられたら発狂しちまう!」
「大丈夫だ。ほんの少しの時間だよ。さあ、おやすみ」
奴はトランクを閉めようと左手をトランクフードにかける。何とかしないと。手はないのか? 本当に終わっちまうぞこのままじゃとか思っていた時、俺はリンディスの服装に妙な違和感を覚えた。
黒を基調としたファッションには明らかに合っていない、幼稚なデザインをした首飾りをつけていたからだ。似たような物を俺は見たことがある。いや、もしかしたらあの首飾りと、この首飾りは対になっているのか?
リンディスがまるで機械みたいな目で一気にトランクフードを降ろそうとした瞬間に、俺は精一杯の声で叫んだ。
「それは……蓮の持ってるのと同じだ!」
重厚な音を立ててトランクフードは閉まりやがった。何だよ。結局何の効果もなかったじゃねえかと思っていた時、真っ暗闇から光が差して、そいつが静かに広がる。
「……君が……どうして蓮の名前を知ってるんだ?」
機械のような目が人間らしい色を取り戻し、明らかに驚いているのが解る。俺は必死になって脳味噌をフル回転させて言葉を繋げた。
「会ったことがあるんだ。アイツは言ってたぞ! カイは自分と姉ちゃんを騙したって!」
「…………」
しばらくの間リンディスは呆然と俺を見つめて固まっていたが、やがて乱暴に縛られた体をトランクから引きずりだすと、今度は車の後部座席に放り投げやがった。
「痛えっ! てめえなあ。もうちょっと丁寧に扱いやがれ!」
「……どういうことだ? 説明しなさい」
運転席に座った奴はエンジンを入れて、何処かも知らない森の中を走り出した。
「何故君が弟を知っている?」
やっぱりそうか。コイツが蓮が言っていた、Cursed modeで活躍している姉だったワケだ。
「お前に拉致された後、俺はカイの施設に入れられただろ? そこで会ったんだ」
「……そんな筈はない。研究所はトウキョウにあるが、あそこに蓮はいない」
車は森の中を抜けて、何処にでもあるような国道に出て、コンビニとか本屋とかを抜けて高速道路に入って行った。全然何処にいるのか解らねえ。
「そんな筈はないって……俺は確かにあの施設の奥で蓮と会ったし話もしたぞ」
「あり得ない。蓮は研究所にいる筈がないんだ。あの子は……弟はホッカイドウ最北の病院にいる」
「……は? ホッカイドウ?」
「そうだ。私は君をあの時拉致した後、蓮が入院している病院に向かった。あの子はずっと隔離されているんだ」
俺を拉致した日に、ホッカイドウにある病院にいる蓮に会いに行っただって? どうも話がおかしいぞ。
「弟はCursed Heroesを遊んでいるうちに、特殊な力を手に入れてしまったんだよ。もう半年も前になるが」
「あらゆる存在を転移させてしまう能力……か?」
「そんな事まで知っているのか? あげたオモチャを転移させてしまった時は驚いたよ。そして転移を行なった日の夜に、力の反動があの子を蝕んだ時も」
「まあな。力の反動って何だよ?」
車を運転している後ろ姿は何となく寂しげに見える。
「体全身から高熱を発し、ずっと下がることがなかった。私は焦って幾つも病院を回ったが、何処に連れて行っても原因は解らず途方に暮れていたんだ。私には肉親がいない。家族と呼べるものはもう蓮だけだった。藁にもすがりたい時に、彼は私の前に現れた」
俺は黙ってリンディスの話を聞いていた。研究所とやらに向かっている今の状況はマジでヤバいんだけど、話の続きが気になって仕方なかった。
「カイは弟の病気を治すことができる人を知っていると私に伝えてきた。蓮は死ぬかもしれなかったから、彼の紹介にすがるしかなかったんだ。はじめは都内にある小さな病院だったな。あっという間に症状は回復したから、私は神様に出会ったような気分だったよ」
「アイツの紹介……」
車はずっと高速道路を走り続けている。工場とか田んぼとかを眺めつつ、ここでは逃げられないなとかボンヤリ考えていた。
「でも、カイはこのままじゃ彼の命が危ないと言う。だから根本的な治療ができる病院を紹介しようという話になったんだ。それがホッカイドウの病院だよ。弟は無菌室のような場所で隔離されてしまい、治す為にはとある少年の力が必要とも言った」
「とある少年って……まさか」
バックミラーから見える瞳が、じっとこっちを見つめている。
「君だよ。だから私は、カイの指示を受け君をさらったわけだ」
「そういうワケか。お前はアイツに騙されてんだよ!」
「だがカイによって弟が一命を取り留めたことは事実だ。彼の言うことを聞く代わりに、私は高額な医療費も免除してもらっているんだ。君の力によって弟が救われる可能性があるなら、私は迷わず君を彼の元へ送り届ける」
くそ。結局俺を奴に差し出すっていう選択肢は変えねえんだな。
でも、迷っていないっていうのは多分嘘だ。本当に迷いがないのなら、俺にここまで身の上話をしないだろうよ。リンディスはカイを疑っている。でもカイじゃなきゃ蓮を救えないとも思っている。冷静に見えるけど、ひょっとしたらメトロノームみたいに心が揺れているのかもしれない。
車は高速道路を降りて山道に入り、もう使われていない筈のトンネルに入って行った。
「おい! ここは塞がっているんじゃねえの? 立ち入り禁止って看板があったじゃねえかよ」
「そういうことになっているな」
車は尚も真っ暗な中を突き進んでいく。奴がアクセルを踏み込んでいる先にあるのは、間違いなく行き止まりの壁だった。
「お、おいおい! 待てよ。ちょっと待てって事故るって!」
「大丈夫だ」
「う、うわー! あ? ああ……」
大丈夫じゃねえだろって心底思っていたところで、激突する筈だった壁に車が吸い込まれていき、気がつけばただっ広い草原を悠々と走り続けている。
「そうか……あのデジタル美術館で使ってたトリックだな。なあ、お前がホッカイドウで見た蓮も、この幻と同じだったんじゃねえのか!?」
「それはない。私はちゃんと会話をしているし、あの程度のトリックには騙されない」
俺が捕まっていた研究所はトウキョウの、まさに今から向かう所だ。あの時多少時間がずれているにしても、リンディスはホッカイドウで蓮に会ったと言っている。一日と掛からずにトウキョウからホッカイドウの最北端まで蓮を移動させるなんて出来るのか?
普通に考えたら無理だ。一瞬で移動させるような方法がない限りは。でもそんな方法幾らなんでも存在しないし。一体どうなってんだ? 蓮はずっと姉と会ってないと言ってたから、きっと俺を逃した後にリンディスと面会したんだろうけど。
草原の向こうに大きな白塗りの施設が見える。めいぷるさんのお父さんが入院している総合病院と同じくらいのサイズで、見た目も結構似ていた。車は静かに駐車場に停まり、運転席から出たリンディスは後部座席のドアを開くと、強引に俺を引きずり降ろした。
「ぐおお! お前ー! ここまで言っても解らねえのか!? 騙されてんだよお前は!」
「……いいから来なさい。話は中でいくらでも……?」
研究所の正面自動ドアに入ろうとした奴は急に足を止める。目前に刺さっている氷の刃は、まるで鏡みたいに俺とリンディスと、少し後ろにいるキザな佇まいの男を映し出していた。
「リンディス。僕らの目から逃げられるとでも思ったのかい?」
ちょっとだけ遅れて草原を駆け抜けてくる車が一台あった。俺達が乗って来たスポーツカーのすぐ隣に停止したそれはタクシーで、跳ねるように開かれたドアからルカとめいぷるさんが出てくる。
「ここがアンタ達の隠れ家だったって訳ね! 大胆な真似してくれるじゃん」
ルカは運動部のスカウトが殺到しそうなほどのロケットダッシュで半径五メートル以内に急接近した。めいぷるさんは女の子走りしながら、
「圭太君! 大丈夫!?」
「あ、あんま大丈夫じゃないっすねー」
と縛られていたままの俺は答えるしかなかった。
「圭太! アンタ何回攫われたら気が済むのよっ!」
ルカが学生カバンから取り出したナイフを一閃すると、リンディスは俺を放り出してバックステップする。縛っていた縄がスルリと切れてやっと自由になった。
「何度も何度も私の邪魔を……もう許さない。ここで決着をつけてやる!」
俺達と向かい合うリンディスは全身から猛烈な黒い輝きを纏って、あっという間に闇龍の騎士に戻っていた。だが奴とほぼ同じタイミングでルカとめいぷるさんが、見慣れたゲームキャラクターに変身している。
「圭太!」
ルカが放り投げてきたそれは、いつも使ってる俺のスマホだった。
「ありがとよルカ! リンディス。もうこうなったらお前もカイも、纏めてぶっ飛ばしてやる!」
俺はスマホを起動させてアーチャーのデータをインストールする。何度も捕まってる身で言うのも滑稽だが、今度こそ勝ってやると思った。
研究所からは誰も出てこようとしない。だがカイが隠れていることも、蓮が囚われていることも間違いないだろう。
だったら進むだけだ。目前にいる闇の化身を倒して。
めり込む剣はさっきよりも赤々と燃えるような色をしていて、まるで凶暴な何かが宿っているようだ。
「……貴様」
闇龍の騎士が呟いてるけど、俺はあまり奴の言葉を聞いている余裕がなかった。赤い刀身がめり込んでいるのはルカの首じゃなくて俺の左肩だったからだ。ギリギリのところで間に合った俺が、虹の彗星弓で刃を受け止めたまでは良かったんだが、剣の勢いを殺しきれず若干押し負けちまった。
これ以上深く刃が入らないように必死で鍔迫り合い的なもんを続けているけど、マジでいつまで持つか解らねえ。
「いってえな! このヤロー」
「圭太? ……圭太! こ、このおお!」
ルカの声が聞こえる。後ろから突風が吹いたと思った瞬間にソードナイトの剣が空を斬った。肩口にめり込んでいた刃が一瞬で抜けてリンディスも目前から消える。こんなに痛いもんなのかよ。悲鳴をあげたくなっている俺の体を誰かが支えている。
「圭太! アンタ。あたしを庇って……」
ルカは今まで見せたこともないような弱気な顔をして、肩を預けている俺を見上げていた。
「大丈夫だ。俺は全然大丈夫! それよりアイツは何処行ったんだよ?」
ちっとも大丈夫じゃなかったけど、今は弱音なんか吐いてる場合じゃない。
「たった二人だけで私に勝とうなんて、君達は考えが甘い」
声だけが屋上に響いている。でも実態が見えない奴を、俺達はキョロキョロ見回して探していた。ルカの背中と俺の背中が重なり、なるべく死角を作らないように務めているが、ホントに有効なのかは疑問だ。
「一体何処に消えたの? 出てきなさいよ卑怯者!」
「……解った」
ルカの呼びかけに応じたリンディスは、何もなかったはずの空間に突如として姿を現した。マジでどうなってんだ?
「隠れてなどいなかったよ。君達の目では、私の本来の動きを捉えることはできない。このようにな!」
言い終えた瞬間に俺は何かに思いっきり引きずられて空を仰いでいた。余りにも早過ぎるリンディスの腕に引きずられて、屋上の隅っこまでワープさせられたみたいになってる。
「ぐああっ! て、てめえ!」
「君は終わりだ。さようなら」
「圭太……圭太ぁー!」
仰向けに倒れた俺の頭上にいるリンディスが剣を首に突き立てる瞬間、ルカの悲鳴がはっきりと聞こえた。弓で防ごうとしても無理だし、ルカの助けだって間に合いそうにない。
マジかよ。これが少し早い、天国への片道切符ってことなのか。俺は観念して歯を食いしばって目を閉じる。走馬灯なんて全然浮かばないじゃん。全く、世の中嘘ばっかりだ。
「……あれ?」
「く、うう!」
リンディスが変な声を出しているのが気になって、恐る恐る両目を開いた先にあったのは、喉元で止まっている真っ赤な切っ先だった。
「う、うわあ」
「何故だ? 何故殺せない」
リンディスは両手で剣を持って、力一杯押し込もうとしている。それなのに奴の両腕は大きく震えて喉元から先に刃を進ませない。
「せええいっ!」
「!」
闘牛でさえビビるような猛烈な突進をしてきたルカの、水平に振り抜かれた剣をリンディスは刃で受けつつ後退する。丁度団地の屋上からはみ出てしまったけど奴は落ちない。そうだ、コイツ飛べるんだった。
「はあ……はあ。危ねえ! 殺されると思った。でもなあ、」
俺は左肩を抑えながら立ち上がる。勝負はまだ終わってないとか言おうとしたところで、背後から聞いたことのあるキザな男の声が響く。
「どうして圭太君を君は殺せないのか? 不思議に思っているようだね。リンディス」
「お前は……ランスロットか」
「君が殺せなかった理由はたった一つだよ」
ランスロットと思われる奴の足音が後ろから聞こえてくる。でもルカと俺はリンディスの動きを警戒しているから振り向くことができなかった。
「君に力を授けている英雄が、彼という存在を殺めることを拒んだのさ」
「私に力を与えている英雄が? この男をか!?」
ルカは黙ってるが、いつになく苛立った顔でリンディスを睨んでいる。こんなルカはなかなか見ない。
「そうさ。君に力を授けている闇龍の騎士はとても気高く知的な男だったのだろう。できる限り人を殺したくはないと考えているようだ。極めて優秀な人格者だったと僕は思うよ」
闇龍の騎士と同じ鎧を着ている女は、ランスロットの言葉を鼻で笑った。
「……スラスラと知ったようなことを言うね。ペテン師君」
俺の隣で睨みを利かせていたルカは、どうしても黙っていられなくなったらしく、
「何言ってんのよ! アンタどうしてランスロットをペテン師扱いするわけ!?」
「フン! 殺せないなら、やはり攫うしかないようだ!」
「ふざけんじゃねえ! もう俺はお前にさらわれーっ」
気がつけば俺は空を飛んでいた。いや違うな。空を飛んでいる奴に掴まれてどっかに運ばれているが正しい。ジェット機にでも乗っているみたいな速度でコイツは飛んでいやがる。
「うおおおお! て、てめえー。離しやがれー」
「カイへの土産だ。離すわけにはいかない。相変わらず隙だらけだな君は」
俺は首根っこを掴まれてどっかに連れ去られている。一体何処ら辺を飛んでいるのか見当もつかない。やがてアイツは首根っこを思い切り引っ張り、遥か下にある地面に向けて放り投げやがった。
「う、うわあああ!」
多分森の中に落とされた俺は、地面に大穴をあけつつ思い切りバウンドして今度は奴のオーバヘッドキックを顔面に喰らった。
「う……んん。ん?」
小鳥のさえずりが聞こえて、降り出した雨が頬を打って俺は目を覚ました。
「おや。もう起きてしまったのか。まだ寝ているといい」
「……お前は。あ! リンディスか! お前闇龍の騎士だな!?」
どうやらリンディスはアンインストールして本来の姿に戻ったらしい。全身黒の葬式にでも行きそうな格好で、両手両足を縛られて身動きの取れない俺をどっかに押し込んでいる。こっちも変身が解けちまったみたいだな畜生。
俺が入っているこれはなんだ? 高校生の男一人がすっぱり入るわけだから、バッグにしちゃあ大きいけど……。気がつきたくないこと程、直ぐに解ってしまうのは何故だろう。
「あ、あのさあ。リンディスさん。これってひょっとして……車のトランク?」
「そうだ。カイのところへ到着するまでここで大人しくしてもらう」
「じょ、冗談じゃねえ!」
こんな所に閉じ込められたらきっと終わりだ。今度こそ逃げれねえ所に引きずり出されて、アイツらの道具になって一生を終える。そんなことになってたまるか。
「ま、待て! 待ってくれ。俺は閉所恐怖症なんだ。こんな所に入れられたら発狂しちまう!」
「大丈夫だ。ほんの少しの時間だよ。さあ、おやすみ」
奴はトランクを閉めようと左手をトランクフードにかける。何とかしないと。手はないのか? 本当に終わっちまうぞこのままじゃとか思っていた時、俺はリンディスの服装に妙な違和感を覚えた。
黒を基調としたファッションには明らかに合っていない、幼稚なデザインをした首飾りをつけていたからだ。似たような物を俺は見たことがある。いや、もしかしたらあの首飾りと、この首飾りは対になっているのか?
リンディスがまるで機械みたいな目で一気にトランクフードを降ろそうとした瞬間に、俺は精一杯の声で叫んだ。
「それは……蓮の持ってるのと同じだ!」
重厚な音を立ててトランクフードは閉まりやがった。何だよ。結局何の効果もなかったじゃねえかと思っていた時、真っ暗闇から光が差して、そいつが静かに広がる。
「……君が……どうして蓮の名前を知ってるんだ?」
機械のような目が人間らしい色を取り戻し、明らかに驚いているのが解る。俺は必死になって脳味噌をフル回転させて言葉を繋げた。
「会ったことがあるんだ。アイツは言ってたぞ! カイは自分と姉ちゃんを騙したって!」
「…………」
しばらくの間リンディスは呆然と俺を見つめて固まっていたが、やがて乱暴に縛られた体をトランクから引きずりだすと、今度は車の後部座席に放り投げやがった。
「痛えっ! てめえなあ。もうちょっと丁寧に扱いやがれ!」
「……どういうことだ? 説明しなさい」
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「何故君が弟を知っている?」
やっぱりそうか。コイツが蓮が言っていた、Cursed modeで活躍している姉だったワケだ。
「お前に拉致された後、俺はカイの施設に入れられただろ? そこで会ったんだ」
「……そんな筈はない。研究所はトウキョウにあるが、あそこに蓮はいない」
車は森の中を抜けて、何処にでもあるような国道に出て、コンビニとか本屋とかを抜けて高速道路に入って行った。全然何処にいるのか解らねえ。
「そんな筈はないって……俺は確かにあの施設の奥で蓮と会ったし話もしたぞ」
「あり得ない。蓮は研究所にいる筈がないんだ。あの子は……弟はホッカイドウ最北の病院にいる」
「……は? ホッカイドウ?」
「そうだ。私は君をあの時拉致した後、蓮が入院している病院に向かった。あの子はずっと隔離されているんだ」
俺を拉致した日に、ホッカイドウにある病院にいる蓮に会いに行っただって? どうも話がおかしいぞ。
「弟はCursed Heroesを遊んでいるうちに、特殊な力を手に入れてしまったんだよ。もう半年も前になるが」
「あらゆる存在を転移させてしまう能力……か?」
「そんな事まで知っているのか? あげたオモチャを転移させてしまった時は驚いたよ。そして転移を行なった日の夜に、力の反動があの子を蝕んだ時も」
「まあな。力の反動って何だよ?」
車を運転している後ろ姿は何となく寂しげに見える。
「体全身から高熱を発し、ずっと下がることがなかった。私は焦って幾つも病院を回ったが、何処に連れて行っても原因は解らず途方に暮れていたんだ。私には肉親がいない。家族と呼べるものはもう蓮だけだった。藁にもすがりたい時に、彼は私の前に現れた」
俺は黙ってリンディスの話を聞いていた。研究所とやらに向かっている今の状況はマジでヤバいんだけど、話の続きが気になって仕方なかった。
「カイは弟の病気を治すことができる人を知っていると私に伝えてきた。蓮は死ぬかもしれなかったから、彼の紹介にすがるしかなかったんだ。はじめは都内にある小さな病院だったな。あっという間に症状は回復したから、私は神様に出会ったような気分だったよ」
「アイツの紹介……」
車はずっと高速道路を走り続けている。工場とか田んぼとかを眺めつつ、ここでは逃げられないなとかボンヤリ考えていた。
「でも、カイはこのままじゃ彼の命が危ないと言う。だから根本的な治療ができる病院を紹介しようという話になったんだ。それがホッカイドウの病院だよ。弟は無菌室のような場所で隔離されてしまい、治す為にはとある少年の力が必要とも言った」
「とある少年って……まさか」
バックミラーから見える瞳が、じっとこっちを見つめている。
「君だよ。だから私は、カイの指示を受け君をさらったわけだ」
「そういうワケか。お前はアイツに騙されてんだよ!」
「だがカイによって弟が一命を取り留めたことは事実だ。彼の言うことを聞く代わりに、私は高額な医療費も免除してもらっているんだ。君の力によって弟が救われる可能性があるなら、私は迷わず君を彼の元へ送り届ける」
くそ。結局俺を奴に差し出すっていう選択肢は変えねえんだな。
でも、迷っていないっていうのは多分嘘だ。本当に迷いがないのなら、俺にここまで身の上話をしないだろうよ。リンディスはカイを疑っている。でもカイじゃなきゃ蓮を救えないとも思っている。冷静に見えるけど、ひょっとしたらメトロノームみたいに心が揺れているのかもしれない。
車は高速道路を降りて山道に入り、もう使われていない筈のトンネルに入って行った。
「おい! ここは塞がっているんじゃねえの? 立ち入り禁止って看板があったじゃねえかよ」
「そういうことになっているな」
車は尚も真っ暗な中を突き進んでいく。奴がアクセルを踏み込んでいる先にあるのは、間違いなく行き止まりの壁だった。
「お、おいおい! 待てよ。ちょっと待てって事故るって!」
「大丈夫だ」
「う、うわー! あ? ああ……」
大丈夫じゃねえだろって心底思っていたところで、激突する筈だった壁に車が吸い込まれていき、気がつけばただっ広い草原を悠々と走り続けている。
「そうか……あのデジタル美術館で使ってたトリックだな。なあ、お前がホッカイドウで見た蓮も、この幻と同じだったんじゃねえのか!?」
「それはない。私はちゃんと会話をしているし、あの程度のトリックには騙されない」
俺が捕まっていた研究所はトウキョウの、まさに今から向かう所だ。あの時多少時間がずれているにしても、リンディスはホッカイドウで蓮に会ったと言っている。一日と掛からずにトウキョウからホッカイドウの最北端まで蓮を移動させるなんて出来るのか?
普通に考えたら無理だ。一瞬で移動させるような方法がない限りは。でもそんな方法幾らなんでも存在しないし。一体どうなってんだ? 蓮はずっと姉と会ってないと言ってたから、きっと俺を逃した後にリンディスと面会したんだろうけど。
草原の向こうに大きな白塗りの施設が見える。めいぷるさんのお父さんが入院している総合病院と同じくらいのサイズで、見た目も結構似ていた。車は静かに駐車場に停まり、運転席から出たリンディスは後部座席のドアを開くと、強引に俺を引きずり降ろした。
「ぐおお! お前ー! ここまで言っても解らねえのか!? 騙されてんだよお前は!」
「……いいから来なさい。話は中でいくらでも……?」
研究所の正面自動ドアに入ろうとした奴は急に足を止める。目前に刺さっている氷の刃は、まるで鏡みたいに俺とリンディスと、少し後ろにいるキザな佇まいの男を映し出していた。
「リンディス。僕らの目から逃げられるとでも思ったのかい?」
ちょっとだけ遅れて草原を駆け抜けてくる車が一台あった。俺達が乗って来たスポーツカーのすぐ隣に停止したそれはタクシーで、跳ねるように開かれたドアからルカとめいぷるさんが出てくる。
「ここがアンタ達の隠れ家だったって訳ね! 大胆な真似してくれるじゃん」
ルカは運動部のスカウトが殺到しそうなほどのロケットダッシュで半径五メートル以内に急接近した。めいぷるさんは女の子走りしながら、
「圭太君! 大丈夫!?」
「あ、あんま大丈夫じゃないっすねー」
と縛られていたままの俺は答えるしかなかった。
「圭太! アンタ何回攫われたら気が済むのよっ!」
ルカが学生カバンから取り出したナイフを一閃すると、リンディスは俺を放り出してバックステップする。縛っていた縄がスルリと切れてやっと自由になった。
「何度も何度も私の邪魔を……もう許さない。ここで決着をつけてやる!」
俺達と向かい合うリンディスは全身から猛烈な黒い輝きを纏って、あっという間に闇龍の騎士に戻っていた。だが奴とほぼ同じタイミングでルカとめいぷるさんが、見慣れたゲームキャラクターに変身している。
「圭太!」
ルカが放り投げてきたそれは、いつも使ってる俺のスマホだった。
「ありがとよルカ! リンディス。もうこうなったらお前もカイも、纏めてぶっ飛ばしてやる!」
俺はスマホを起動させてアーチャーのデータをインストールする。何度も捕まってる身で言うのも滑稽だが、今度こそ勝ってやると思った。
研究所からは誰も出てこようとしない。だがカイが隠れていることも、蓮が囚われていることも間違いないだろう。
だったら進むだけだ。目前にいる闇の化身を倒して。
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彼は正妃セレリナの死を告げる報告に、ただ一言呟く。
「構わん」……と。
周囲から突き刺さるような睨みを受けても、彼は気にしない。
これは……彼が望んだ結末であるからだ。
しかし彼は知らない。
この日を境にセレリナが残したものを知り、後悔に苛まれていくことを。
王妃セレリナ。
彼女に消えて欲しかったのは……
いったい誰か?
◇◇◇
序盤はシリアスです。
楽しんでいただけるとうれしいです。
【完結】私だけが知らない
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目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
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記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
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