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勇者を引き止めろ①

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 俺の人生でも三本の指に入るであろう多忙な一日が過ぎ去り、気がつけば朝の陽光がまぶたに降りかかっている。

「ん……んん」
「……サン。私のオーサン。起きなさい、もう朝ですよ」

 え? 誰? もしやここはファウンダ村で、声を掛けているのは母だろうか。それとも実はいつの間にかできていた恋人……いやそんなわけない!

 ガバッと寝床から起き上がった俺の前にいたのは、昨日散々振り回してくれたお嬢さんだった。

「あら、起きましたのね。それでは朝ごはんにしましょうか」

 彼女は気味が悪いくらいおしとやかになっている。昨日のあれはもしかして夢?

「き、君はたしか……アイナか! どうして」
「あらいやだわ。ずっと一緒だったではありませんか。ご飯にしますか? お風呂ですか? それともあたし?」

 な、何なのだこの展開は。いつの間にか奥さんがいたような状況になってしまっているが、俺はここまで記憶に障害でもあったというのか。そ、それより……朝から何という魅惑的な言葉をかけられたのだろう。普通仕事終わりに帰ってきた夫に言いそうなセリフを朝一番に放つとは!

「じゃ、じゃあ……君で」
「うふふふ。そんなわけないではありませんか。頭は大丈夫ですか?」
「酷い! 希望を与えておいて一瞬で絶望に変えるとは! というか、そもそも君はどうやって俺の家に入ったんだ!?」

 やっと我に返って施錠を確認したが、悲しいことに木製のドアにくくりつけられた紐だけの施錠が綺麗サッパリと切断されている。

「あははは! あれってもしかして施錠だったのー? 簡単に入れちゃったんですけど、ていうかアンタ。まさか馬小屋に住まわせてもらっているなんて意外だったわ。ド貧乏ね」
「やかましいわ! 生活費の事情でちゃんとした家が借りれらなかったんだよ。それより何の用かな?」
「もー。だってアンタには、まだちゃんと報酬を渡してなかったじゃないの。今日はクエスト報酬の受け渡しに来たのよ」
「え? でもいいのか。俺は結局あのゴーレム・トランスを会得してしまったし、結局クエストを達成したとは言い難いんだが」
「チッチッチッ。あたしはケチじゃないのよ。今回仕事を頑張ってくれたことに変わりはないんだから、報酬くらいは出してあげないとね」

 クエストを失敗したというのに報酬をくれるなんて、俺が思っていたよりアイナは優しい人なのかもしれない。穿った目で見えていたのが申し訳なくなってくる。

「むーん……もうちょっとだけ……食べたいのですぅ」
「ん? この声はなんだ」

 俺は藁の上に敷いていたシーツを見回した後、まさかとは思いつつも藁の中を弄ってみると、中から昨日一緒に暴れ回った妖精が入り込んでいたことに気がつく。

「むがむが……ん? ふあー。おはようございます。こんな寝心地の悪いベッドは久しぶりですよ。よくこんな所で睡眠が取れますねえ」
「いや、そんな何事もなかったかのように挨拶されちゃってもな。何処かに消えていたと思ったら藁で寝ていたのか」

 頭を抱えつつ呆れる俺を横目に、アイナは優雅にオンボロのドアを開けると、

「いつまでも寝ていたら本当に馬に変化しちゃうわよ。さっさとあたしのギルドへ行きましょ。そこで報酬を渡すわ……きいやああ! ここウンコが落ちてるわよ! そこら辺にウンコが」
「まあな……周りには本当に馬がいるし、落ちてるよそこら辺に」

 ため息を漏らしつつ、とにかくアイナのギルドに向かうことになった。



「こ、ここが君のギルドなのか……」

 呆然とする俺を気にすることもなく、アイナは両手を腰に当てて目を閉じつつ得意げに宣言する。

「そうよ! ここがあたしのギルド。今はまだリニューアル工事が終わってないから趣がある感じだけど、今後どんどん最新鋭の設備に変化していく予定だから、楽しみにしておいてね!」

 うむ。趣はたしかにあるな。連れてこられる際に、てっきり隣にある大きなギルドかと思ってワクワクしたのだが、いろいろと朽ち果てた小さな小屋もどきに入った時、かくも厳しい現実に引き戻された俺である。

「エレナさーんおはよ! 今日はクエストの依頼来てるかしら?」
「へ?」

 エレナと呼ばれた推定年齢九十歳オーバーのご婦人は、アイナの言葉が聞き取れていないらしい。受付嬢らしいのだが……。

「クエストの依頼よ! い・ら・い!」
「あ、ああー。エロいものはありませんよ」
「違うわっ! 依頼よー」

 ちゃんと伝わるまでしばらく時間が掛かっており、俺はしばらく薄暗い酒場フロア内の丸テーブルで待たされているのだが。

「うわー。懐かしいですねこの感じ! 昔のギルドってみんなこんな感じだったんですよー」

 エイリーンはちょっと感動したらしく、楽しそうにフロア内を飛び回っている。

「そういえば、エイリーンは百年以上前に冒険していたんだったな。俺達の大先輩か」
「ええ、ええ! 僕は遥か昔から魔王との戦いに挑んでいましたからっ。しかし人がいないギルドですねー! みんな冒険に出払っているのですか?」

 アイナが書類を持ってこっちにツカツカと歩いてくる。

「ううん。誰も出払ってないわよー。ここに冒険者は一人も在籍してないの」
「そうかー、一人もいないのか。……は?」

 呆気に取られて向かいに座った金髪の女子を見つめると、彼女はちょっと気まずそうな顔になり、

「リニューアルオープンって言ったでしょ。あたしが父の跡をついてオーナーになるからには、心機一転してやり直そうと思ってね」
「決意に溢れているわけですねー。でも、本当は誰もここに登録したがらないか、」

 強烈な寒気を感じる視線が妖精の小さな体に突き刺さり、瞬時に紡がれていた言葉が途切れる。

「いやー! これからどんどん冒険者が登録してくるのでしょうね! 今後が楽しみですよ」
「うふふふ。そうでしょうそうでしょう。ではオーサン! 報酬を渡す為に、こちらの報酬受け取り用紙に名前を書いて頂戴」
「ん? ああ」

 普通ギルドの報酬を渡す時は、ただ金だけを手渡すのが普通なのだが、歴史あるギルドは正しい形式にこだわり続けているのか。俺は大した疑問を抱かずに筆を取り、用紙にサインを入れようとしたところで、

「……ちょ、ちょっと待て! これ本当に報酬受け取り用紙か!? 俺には契約書に見えるぞ」
「ギクっ! え? 嘘ー。契約書に見えるのぉ? アンタきっと疲れ過ぎて目が腐ってんのよ。まずはサインしてから考えた方がいいわ」
「馬鹿を言うなっ! これは契約書だろ。俺は『タイタン』在籍の冒険者だ。こんな……いや、歴史ある老舗ギルドに移籍するつもりなどないっ!」

 冒険者は必ずギルドに登録しなくてはならない。そして基本的には登録したギルドから依頼を受けなくてはならない。

「というか今気がついたのだが、そもそもアイナの依頼だって『タイタン』からもらうはずだったのではないか?」
「これは騙しですよオーサン」

 いつの間にかエイリーンが俺の左肩に寝そべってきた。

「依頼は失敗したからとさっさと『タイタン』からのクエストを終了させ、報酬を渡すとこちらのギルドにオーサンを誘い込み、どさくさに紛れて登録させようという魂胆です」
「く……あたしの完璧な作戦によく気がついたわね」
「あ、あっさりと認めるとは。なんという外道なオーナーだ!」

 言い放ってから少しの間だけ時間が止まったかのように誰も動かなかったが、やがて何かが壊れたようにアイナが泣き出した。

「だってだってえー。普通に募集してても誰も登録に来てくれないんだもん! このままじゃ登録者ゼロでぶっ潰れちゃうんだから、どんな手だって使うのが普通でしょ。しかもオーサンはゴーレムに変身する魔法を会得した超レア冒険者よ。きっと誰だって欲しがるわ、誰だって!」

 説得力ゼロの言い訳をされて、俺としては困惑するしかない。

「いや、正直悪い気はしないけどさ。俺は仁義の男だ。おいそれと在籍ギルドを変更することなんてできないんだ。アイナ、解ってくれ!」
「びえええー!」

 小さい子供みたいな泣き方をするんだよなーこの娘は。

「すみませーん遅れましたぁ」
「!? ビルギッタさん? どうしてここに?」

 俺は思わず立ち上がった。『タイタン』の看板受付嬢である彼女が、どうしてこのギルドに……しかも受付スペースにエレナさんの代わりに立ってしまうとは。どういうことだ?

「あら! オーサンではありませんか。実は私、ここでお手伝いさせていただくことになったのです。オーサンはどうしてこちらに?」
「オーサンは騙されてこちらにフガガ!」

 妖精は一瞬でアイナに接近されて顔全部を塞がれる。

「ちょっと見学に来てるのよー。登録しようかとお考え中で」

 エイリーンはさっと彼女の魔手から逃れると、

「アイナ! 何を言ってるのですか。オーサンはここには登録しないと、」
「この用紙にフルネームで記入すれば良かったのだね?」
「え! ちょ、ちょっとオーサン。どうしたのです急にっ!?」
「そうよ! アンタは記念すべきリニューアル登録者第一号だわっ!」

 アイナが立ち上がってプレゼントを貰った子供みたいに笑いかける。俺はビルギッタさんの誘惑に負けてしまった。正確に言うとビルギッタさんのビッグな胸元に負けたのだが、そんなことは瑣末な問題にすぎない。
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