兄がΩ 〜うっかり兄弟で番いましたが、今日も楽しく暮らしています。〜

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その後の兄と弟。

★賢者の時間。

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※『☆知玄の中押し勝ち。』その後。
 
 気がつけば、太陽はもう窓からは見えないところまで昇っていた。
 僕はいつもの癖でまず時計を確認した。チェックアウトまであと一時間半。残り時間を効率よく、最大限に楽しむ予定を立てようとして、げんなりした。そういうのは、兄と共に迎える朝(もう昼だけど)にはふさわしくない。
 一晩中、僕は泣きに泣いて、兄を口説き落とした。やっと兄に受け入れてもらえたのが、午前七時くらいだったろうか。ちょうど日の出の頃だった。それから三時間と少しが経った。……って。はぁ、また時間。時間、時間、時間、時間。最近の僕はそればっかりだ。
 窓から見えるのは、ひたすらに青い空。眩しくはない。彼方に宇宙の闇を感じさせる、深い青だ。窓とは反対の方を見れば、人一人ぶん間を置いて、薄暗がりに兄が眠っていた。
 兄はこちらに背を向けている。だから、寝る前に首に貼ってあげたガーゼがよく見える。ガーゼの下には、今朝刻んだばかりのつがいの証があるはずだ。しっかり刻み込まれているか、ガーゼを剥がして確認してみたくなってしまう。
 十年前、兄の首筋に番の証を刻んだ時は、自分が何をしでかしたのか分からず、僕はパニックになった。傷口から溢れ出た血を、咄嗟に掴んだバスタオルで抑えた。タオルは兄が風呂上がりに頭と身体を拭くのに使ったものだったから濡れていたし、清潔でもなかっただろう。水気を含んで重たいパイル地に、鮮やかな赤色が染み込んでいくのを見たら、まるで自分が致命傷を負わされたかのように、気が遠くなりかけた。
 今回は、我ながら如才なく立ち回った。シーツの上に兄を組み敷いて犯しながら、兄の首筋に歯を立て、ひと思いに咬んだ。「ぐぅ」と兄が呻くのを聴いた。二度と消えないようにと強く念じてから、口を離し、予め枕の下に隠していた清潔な布で傷口を抑え、止血した。
 ガーゼに隠された傷は、今度こそ、確かに僕と兄を繋いだだろうか? 十年前の傷はといえば、兄のお腹に宿ったおチビちゃん……仁美の死と共に、あえなく消えた。αとΩの特別な絆の証のはずなのに。αとΩ、とはいっても、僕と兄は正真正銘、血の繋がった兄弟だから、駄目なのだろうか? 動物についていえば、同じ母のはらから生まれ血を分けたきょうだいは、決して番にはならない。それが自然の摂理だという。僕達の中を流れる同じ血は、僕達が特別な絆を結ぶのを、拒否するのだろうか。
 兄が寝返りを打った。仰向けになった拍子に、兄の左手が僕の目の前にぱたりと倒れてきた。天井を向いた兄の掌に、僕はそっと左手を重ねた。
 昨夜、ディナーの最中に、僕は僕の仕事の話をした。どのようにして、こんな素敵な夜を兄にプレゼント出来るほどの甲斐性を、僕は得たのか。兄は黙って聴いていたが、僕が話し終えると、静かな声で言った。
「あのさ、この世の物すべてには、限りってもんがあるじゃん。だからさ、誰か一人が多く取れば……」
 兄はそこまで言うと、不意に口をつぐんだ。兄が言おうとしたことを僕は知っている。だってそれは、昔、父が僕達に言った小言だからだ。
『いいか、二人とも。この世の物すべてには、限りってもんがあんだよ。だからな、誰か一人が多く取れば、あとの皆の取り分が減るんだ。お前らいつも、どっちが多いだ少ねえだって、うるせえけどよ。相手を泣かしてまで自分の腹ぁ一杯にして、何が楽しいんだ』
 そう言ったあの頃の父と今の兄がちょうど同じくらいの歳で、二人は顔もよく似ているのもあって、兄から真っ直ぐに見つめられると、僕はまるで亡き父に説教をされているような気分になった。だが兄は最後まで言わなかった。しばらく間を置いてから、兄は言った。
『まぁ、それもお前の人生だ』
 だから、俺には関係ない。
 僕には、兄が僕との間に見えない線を引いたように思えた。一刀両断に、スパッと切り捨てられた気がした。
 兄は僕を強欲だと言いたかったみたいだけど、僕はただ、兄と二人で、将来に何の憂いもなく、静かに暮らしたいだけだ。それはささやかな願いではないのか? 四十歳になったら隠居して、兄と二人で遠くに移住したい。僕達が手を繋いで歩いても、誰も何も言わない土地へ。それが今回、兄をわざわざこの東京に呼び出してまで言いたかったことだったのに、肝心のことを言えなかった。……言わせてもらえなかった。
 脱力しきってふにゃふにゃな兄の手を、僕は握った。兄は握り返してこない。
 僕がわがままを言ってきかないから、しぶしぶ応じただけの番の契りなのだろうなと思う。本当に契りは結ばれたのだろうか。兄がしぶしぶでも嫌々でも、僕達は……僕は、正しい手順を踏んだけど。
 僕の掌の下で、兄の掌がぴくりと一度、痙攣した。ゆっくりと、一本ずつ、兄の指が僕の手を握り込んでいく。手を繋いだまま、兄はこちらに向かって寝返りを打った。首に貼られたガーゼがシーツに押し付けられて見えなくなった。身体が横向きに安定すると、兄はふーっと長い息を吐いた。兄はまだ目を閉じている。昔と変わらず、長い睫毛が瞼を縁取っている。けれど、眉間には深い皺が刻まれ、頬は少し痩けて、鼻筋は鋭さを増した。十年前にはまだ残っていたあどけなさは、もうすっかり喪われていた。ただの大人の男だ。決して、女の子の代用品ではない。元々の僕の性的指向からして、兄は僕の相手には向かないはずの人だった。なのに僕の心は、相変わらず兄を欲し続けている。
 ほんの一瞬、僕が目を臥せている隙に、兄は目覚めて、シーツに横たわったまま僕をじっと見上げていた。まるで、生まれたてのヒヨコが親鳥の姿を記憶しようとしている時のような、無垢で熱心な瞳だった。
「お兄さん」
 僕と兄の左手はまだ繋がれていた。ぎゅっと握ると、兄もぎゅっと握り返してきた。
「なに?」
「お兄さんは、僕の番ですよね?」
 兄はそれがどうした? と言いたげな顔で首を少し傾げると、少し目を見開き、すぐに細め、そしてくっくっと喉を鳴らした。兄の右手が僕の方に伸びてきて、兄の親指が僕の下瞼の縁をなぞった。
「また泣くんかお前は。ひっでぇ顔だし。目が数字の3みたいになってら」
 目が数字の3! それは酷い。だけど堰を切ったように溢れた涙は、あとからあとから流れ出してきて、止めることができなかった。
「だってお兄さん、僕がわがまま言うから嫌々番になってくれたのかって思って。お兄さん、僕の番になるの嫌じゃないですか?」
「嫌じゃねぇよ。兄ちゃんはお前の番だよ」
 だから泣くなって言われたら余計に泣けてきて、僕は兄にしがみつき、声を上げて泣いた。
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