63 / 86
●これが僕の甲斐性。
しおりを挟む
急迫した状況の中、僕だけが現実を受け止められずにいる。診察台に寝かされた兄の、少し膨らんだお腹。部屋いっぱいに響く、機械で増幅された、忙しなく力強い鼓動。苦しそうに呻く兄を、看護師が「力を抜いて!」と叱咤する。
「駄目だ、進行が早すぎる」
医師が呟く。その時、看護師がふり返り、僕の存在に気付いた。
「こんな所で何してるの!? 廊下に出ていなさい」
「嫌だ!」
咄嗟に僕は叫んだ。
「だって僕はお兄さんの番だから。僕はお兄さんの側にいます!」
番だなんて口走ったせいで、僕は力ずくで別室に引っ張って行かれた。詰問と採血。十中八九、僕はα……。
ねぇ、お兄さん。こんな大事なこと、どうして黙っていたんですか。僕が頼りないから?
何故、兄を責めるような事を僕は言ってしまうのだろう。一番辛いのは兄なのに。
ところが、兄は鬱陶しそうに点滴を揺らして言った。
「邪魔だなこれ。それになんか、厳重に貼り過ぎじゃね?」
挙げた腕は確かに、透明なテープで広く覆われ、手首も動かせないほどだ。兄は子供みたいに点滴を揺らし続ける。気を遣われていると思いつつも、僕はつい笑ってしまった。
「暴れて針をひっこ抜くタイプだと、思われたんじゃないですか?」
「失礼な」
頬を膨らませた兄の顔に血色が戻ってきたことに、ホッとする。病院に担ぎ込まれた時の兄は、今にも死にそうなほどに青白い顔をしていた。僕はおろおろするばかり。両親がいなければ、どうすることも出来なかった。
僕の叫びを聞いて両親が駆けつけた時、兄は母にすがりつき、何かを話した。母は血相を変え、兄の頭を叩いた。
『馬鹿っ! どうして早く言わないのっ。どうりで最近、様子がおかしいと思った!』
そして母は父に向き直って言った。
『ごめん、お父さん。今まで黙ってたけど、この子はΩなの』
それで父には皆まで通じたらしい。父と母は物凄い連係プレーで必要な物をかき集め、病院に電話し、父の車の後部座席に防水シートとタオルを敷き詰め、兄を乗せた。僕に出来たことといえば、兄の手を握るくらいだった。
「知玄」
「あ、はい。なんでしょう」
「おチビを取り返して来たんだろ。ありがとう。お前、すげーな」
「いいえ。僕にはこれが精一杯で。あと、家には連れて帰れないそうです」
僕は手の中の容器に視線を落とした。冷たい金属容器の底に、赤ちゃんは直に横たえられている。看護師に返してくれと頼んだら、半ば投げるように容器を目の前に置かれた。赤ちゃんが弾みで容器の底を転がるのが見えた。
これが僕の甲斐性。僕はまた涙が出そうなのをぐっと堪えた。兄が枕元をトントンと指で叩く。そこに赤ちゃんを寝かせろという意味だ。
僕は上着のポケットを探った。裸ん坊の赤ちゃんの為に、おくるみ代わりにハンカチがあればと。だが今日に限ってハンカチを忘れ、あったのはポケットティッシュだけ。しかも引いたら粉が飛ぶような代物だ。シーツの上にティッシュを敷き、そこに兄と向き合うように赤ちゃんを載せ、そして冷たい身体の上にも布団代わりにティッシュを掛けた。
「すげーよ」
兄は呟いた。
「こんなちっちゃいのに、父親が誰だか疑いようのない顔してる。知玄の寝顔そっくり」
指先で、兄はそっと赤ちゃんの頭を撫でた。
「女の子だってさ。父親に似ると幸せになるって言うよな」
僕が首肯くと、兄は目を閉じた。
「寝る。点滴終わったら起こして」
兄の瞼から溢れた涙が睫毛を伝い、目尻へと流れていく。
「駄目だ、進行が早すぎる」
医師が呟く。その時、看護師がふり返り、僕の存在に気付いた。
「こんな所で何してるの!? 廊下に出ていなさい」
「嫌だ!」
咄嗟に僕は叫んだ。
「だって僕はお兄さんの番だから。僕はお兄さんの側にいます!」
番だなんて口走ったせいで、僕は力ずくで別室に引っ張って行かれた。詰問と採血。十中八九、僕はα……。
ねぇ、お兄さん。こんな大事なこと、どうして黙っていたんですか。僕が頼りないから?
何故、兄を責めるような事を僕は言ってしまうのだろう。一番辛いのは兄なのに。
ところが、兄は鬱陶しそうに点滴を揺らして言った。
「邪魔だなこれ。それになんか、厳重に貼り過ぎじゃね?」
挙げた腕は確かに、透明なテープで広く覆われ、手首も動かせないほどだ。兄は子供みたいに点滴を揺らし続ける。気を遣われていると思いつつも、僕はつい笑ってしまった。
「暴れて針をひっこ抜くタイプだと、思われたんじゃないですか?」
「失礼な」
頬を膨らませた兄の顔に血色が戻ってきたことに、ホッとする。病院に担ぎ込まれた時の兄は、今にも死にそうなほどに青白い顔をしていた。僕はおろおろするばかり。両親がいなければ、どうすることも出来なかった。
僕の叫びを聞いて両親が駆けつけた時、兄は母にすがりつき、何かを話した。母は血相を変え、兄の頭を叩いた。
『馬鹿っ! どうして早く言わないのっ。どうりで最近、様子がおかしいと思った!』
そして母は父に向き直って言った。
『ごめん、お父さん。今まで黙ってたけど、この子はΩなの』
それで父には皆まで通じたらしい。父と母は物凄い連係プレーで必要な物をかき集め、病院に電話し、父の車の後部座席に防水シートとタオルを敷き詰め、兄を乗せた。僕に出来たことといえば、兄の手を握るくらいだった。
「知玄」
「あ、はい。なんでしょう」
「おチビを取り返して来たんだろ。ありがとう。お前、すげーな」
「いいえ。僕にはこれが精一杯で。あと、家には連れて帰れないそうです」
僕は手の中の容器に視線を落とした。冷たい金属容器の底に、赤ちゃんは直に横たえられている。看護師に返してくれと頼んだら、半ば投げるように容器を目の前に置かれた。赤ちゃんが弾みで容器の底を転がるのが見えた。
これが僕の甲斐性。僕はまた涙が出そうなのをぐっと堪えた。兄が枕元をトントンと指で叩く。そこに赤ちゃんを寝かせろという意味だ。
僕は上着のポケットを探った。裸ん坊の赤ちゃんの為に、おくるみ代わりにハンカチがあればと。だが今日に限ってハンカチを忘れ、あったのはポケットティッシュだけ。しかも引いたら粉が飛ぶような代物だ。シーツの上にティッシュを敷き、そこに兄と向き合うように赤ちゃんを載せ、そして冷たい身体の上にも布団代わりにティッシュを掛けた。
「すげーよ」
兄は呟いた。
「こんなちっちゃいのに、父親が誰だか疑いようのない顔してる。知玄の寝顔そっくり」
指先で、兄はそっと赤ちゃんの頭を撫でた。
「女の子だってさ。父親に似ると幸せになるって言うよな」
僕が首肯くと、兄は目を閉じた。
「寝る。点滴終わったら起こして」
兄の瞼から溢れた涙が睫毛を伝い、目尻へと流れていく。
0
お気に入りに追加
71
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
別れようと彼氏に言ったら泣いて懇願された挙げ句めっちゃ尽くされた
翡翠飾
BL
「い、いやだ、いや……。捨てないでっ、お願いぃ……。な、何でも!何でもするっ!金なら出すしっ、えっと、あ、ぱ、パシリになるから!」
そう言って涙を流しながら足元にすがり付くαである彼氏、霜月慧弥。ノリで告白されノリで了承したこの付き合いに、βである榊原伊織は頃合いかと別れを切り出したが、慧弥は何故か未練があるらしい。
チャライケメンα(尽くし体質)×物静かβ(尽くされ体質)の話。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
悩める文官のひとりごと
きりか
BL
幼い頃から憧れていた騎士団に入りたくても、小柄でひ弱なリュカ・アルマンは、学校を卒業と同時に、文官として騎士団に入団する。方向音痴なリュカは、マルーン副団長の部屋と間違え、イザーク団長の部屋に入り込む。
そこでは、惚れ薬を口にした団長がいて…。
エチシーンが書けなくて、朝チュンとなりました。
ムーンライト様にも掲載しております。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
主人公のライバルポジにいるようなので、主人公のカッコ可愛さを特等席で愛でたいと思います。
小鷹けい
BL
以前、なろうサイトさまに途中まであげて、結局書きかけのまま放置していたものになります(アカウントごと削除済み)タイトルさえもうろ覚え。
そのうち続きを書くぞ、の意気込みついでに数話分投稿させていただきます。
先輩×後輩
攻略キャラ×当て馬キャラ
総受けではありません。
嫌われ→からの溺愛。こちらも面倒くさい拗らせ攻めです。
ある日、目が覚めたら大好きだったBLゲームの当て馬キャラになっていた。死んだ覚えはないが、そのキャラクターとして生きてきた期間の記憶もある。
だけど、ここでひとつ問題が……。『おれ』の推し、『僕』が今まで嫌がらせし続けてきた、このゲームの主人公キャラなんだよね……。
え、イジめなきゃダメなの??死ぬほど嫌なんだけど。絶対嫌でしょ……。
でも、主人公が攻略キャラとBLしてるところはなんとしても見たい!!ひっそりと。なんなら近くで見たい!!
……って、なったライバルポジとして生きることになった『おれ(僕)』が、主人公と仲良くしつつ、攻略キャラを巻き込んでひっそり推し活する……みたいな話です。
本来なら当て馬キャラとして冷たくあしらわれ、手酷くフラれるはずの『ハルカ先輩』から、バグなのかなんなのか徐々に距離を詰めてこられて戸惑いまくる当て馬の話。
こちらは、ゆるゆる不定期更新になります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる