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●二度あることは三度ある。
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夏休みが終わり十月になった。つい最近までは夏はいつ終わるんだろうと思うほどだったのに、今はもう半袖では少し肌寒い。大学の中庭の桜も葉を落としている。
密閉され、冷房の利きすぎた講義室。プロジェクターでその絵が映されると、暗い室内がどよめいた。
「これが最近発見された、『病草子』の、散逸していた二十三枚目の断簡とされる。子を産む男の図だ。現代ではΩと呼ばれているが、当時は名のない、ごく珍しい怪奇現象とされていた」
烏帽子を被り顎髭も蓄えた男が下半身を丸出しにして四つん這いになり、子を産み落とそうとしていて、それを部屋の出入口の所から顔を出している男女が嘲笑っているという図だ。
今日、僕が受けた講義のうちΩが登場したものは、これで三つ目。単なる偶然なのか、それとも何か理由でもあるのだろうか。例えば今日は「世界Ωデー」みたいな名前の記念日だとか?
蛍光灯が点いた。
「配布したレジュメの二枚目が、この絵に添えられた詞書だ。誰か現代語訳出来る者は?」
僕の隣で茜ちゃんが挙手し、教授から指名された。彼女は立ちあがり、レジュメの文章をすいすいと訳していく。
スクリーンにまだ映っている絵は、蛍光灯の下ではごく薄くしか見えない。だがショッキングな画像は、網膜にこびりついて離れない。嫌な感じのする絵だが、作者は何を思ってそれを描いたのだろう。単に、世の中にはこんな「病」もあると知らしめるため? 僕にはただ差別し貶める為に描いたように見えたけれども、差別されることを含めて、当時の現実を活写したものだとも言えるのだろうか?
西洋美術史特講で見たΩの彫像は、とても美しかったんだけどなぁ。その彫像は、雰囲気が兄に似ていた。男性的な美と女性的な美の両方を兼ね揃え、頬には少し謎めいた微笑を浮かべていて。
しかし、美というものに人が感じるのは決してポジティブな思いだけではない。異常なまでの完全性と魅力に、人は畏れを感じるあまり、それに邪悪さを見出し忌避感を覚えるものだ。美しい彫像も醜い戯画も、創作の根底にある意思は、案外共通のものなのかもしれない。
講義室を出て廊下を歩いていると、
「知玄くん」
茜ちゃんが小走りに僕を追いかけてきた。
「どうかしました?」
「ううん。今度、知玄君のお宅にお邪魔しますね」
どういうこと? 聞き返す前に、彼女は往来する人々の合間に消えた。
今夜は兄の電話がやけに鳴る。応答する兄の口調で、誰がかけて来たのかわかる。
「はぁ? いや俺、明日出張で四時起きだから、出れねぇし」
真咲姐さん。
「もしもし。うん、出れないから、うん」
誓二さん。そして……。
「もしもし? おう、なんだよ珍しいじゃん」
三度目の電話、一際柔らかい声色で話しながら、兄は僕を置いてベッドから立ち上がった。電話しながら階段を降りていく足音までもが優しい。相手は元カノのなぎさちゃんに違いない。
八時を回っても兄は戻って来ない。そろそろ兄は床に就かなければならない時間だし、それにお兄さんに聴いて貰いたい話があったから、僕は兄を探しに、階段を降りていった。
密閉され、冷房の利きすぎた講義室。プロジェクターでその絵が映されると、暗い室内がどよめいた。
「これが最近発見された、『病草子』の、散逸していた二十三枚目の断簡とされる。子を産む男の図だ。現代ではΩと呼ばれているが、当時は名のない、ごく珍しい怪奇現象とされていた」
烏帽子を被り顎髭も蓄えた男が下半身を丸出しにして四つん這いになり、子を産み落とそうとしていて、それを部屋の出入口の所から顔を出している男女が嘲笑っているという図だ。
今日、僕が受けた講義のうちΩが登場したものは、これで三つ目。単なる偶然なのか、それとも何か理由でもあるのだろうか。例えば今日は「世界Ωデー」みたいな名前の記念日だとか?
蛍光灯が点いた。
「配布したレジュメの二枚目が、この絵に添えられた詞書だ。誰か現代語訳出来る者は?」
僕の隣で茜ちゃんが挙手し、教授から指名された。彼女は立ちあがり、レジュメの文章をすいすいと訳していく。
スクリーンにまだ映っている絵は、蛍光灯の下ではごく薄くしか見えない。だがショッキングな画像は、網膜にこびりついて離れない。嫌な感じのする絵だが、作者は何を思ってそれを描いたのだろう。単に、世の中にはこんな「病」もあると知らしめるため? 僕にはただ差別し貶める為に描いたように見えたけれども、差別されることを含めて、当時の現実を活写したものだとも言えるのだろうか?
西洋美術史特講で見たΩの彫像は、とても美しかったんだけどなぁ。その彫像は、雰囲気が兄に似ていた。男性的な美と女性的な美の両方を兼ね揃え、頬には少し謎めいた微笑を浮かべていて。
しかし、美というものに人が感じるのは決してポジティブな思いだけではない。異常なまでの完全性と魅力に、人は畏れを感じるあまり、それに邪悪さを見出し忌避感を覚えるものだ。美しい彫像も醜い戯画も、創作の根底にある意思は、案外共通のものなのかもしれない。
講義室を出て廊下を歩いていると、
「知玄くん」
茜ちゃんが小走りに僕を追いかけてきた。
「どうかしました?」
「ううん。今度、知玄君のお宅にお邪魔しますね」
どういうこと? 聞き返す前に、彼女は往来する人々の合間に消えた。
今夜は兄の電話がやけに鳴る。応答する兄の口調で、誰がかけて来たのかわかる。
「はぁ? いや俺、明日出張で四時起きだから、出れねぇし」
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「もしもし。うん、出れないから、うん」
誓二さん。そして……。
「もしもし? おう、なんだよ珍しいじゃん」
三度目の電話、一際柔らかい声色で話しながら、兄は僕を置いてベッドから立ち上がった。電話しながら階段を降りていく足音までもが優しい。相手は元カノのなぎさちゃんに違いない。
八時を回っても兄は戻って来ない。そろそろ兄は床に就かなければならない時間だし、それにお兄さんに聴いて貰いたい話があったから、僕は兄を探しに、階段を降りていった。
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