夏休みの終わり

板倉恭司

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撮影

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 屋敷内は、暗い雰囲気に包まれていた。
 家族の中でもっとも賑やかだった父親の統志郎は、今夜も帰らない。綺麗なメイドたちも、最近は姿を現さない。
 したがって、屋敷には零士と大橋しかいない状態である。



 零士と大橋は、昼食を食べ終えた。
 もともと、朝食は父と零士と大橋の三人が同じテーブルで食べることになっている。夕食も同じだ。どちらも統志郎が一方的に喋りまくり、零士が困惑しつつも返事をし、時おり大橋がツッコむ……という感じであった。
 しかし、今は父がいない。したがって、喋る者は誰もいなかった。食卓は、さながらお通夜のごとき空気に包まれている。
 明日も、この空気で過ごすのはキツい。耐えきれなくなった零士は、おずおずと聞いてみた。

「あの、大橋さんは……」

 言った途端、大橋はこちらを向く。

「何?」

 鋭い視線に、零士は怯みながらも尋ねる。

「この島の出身なんですか?」

「違う。東京出身だよ」

 その態度は素っ気ない。無駄口が嫌いなのか。あるいは、話したくない事情でもあるのか。

「あっ、そ、そうだったんですか」

 慌てて返事をした。これで会話は終わりかと思いきや、とんでもない言葉が彼女の口から出てきた。

「昔、田中沙織タナカ サオリっていう名の、女子柔道の選手がいたの知ってる? 世界大会で何回も優勝してるし、オリンピックを二連覇したんだよ」

「い、いや、知りません」

 知るはずがない。零士は、スポーツに関することに関しては無知である。オリンピック二連覇は凄いことなのはわかるが、知らないものは知らないし、そもそも興味がない。
 それ以前に、出身地の話とそのオリンピック二連覇の人と、何の関係があるのだろう。

「まあ、知るわけないよね。君が生まれる前に活躍してた選手だから」

 そう言うと、大橋はくすりと笑った。零士も愛想笑いを浮かべて頷いた。

「は、はあ、そうでしたか」

「私は若い時、その田中さんに勝ったことがあるんだよ。オリンピック代表選考会の試合で一本勝ちした。あれは、本当に嬉しかったな」

「えっ!? 凄いじゃないですか!? オリンピック選手に勝つなんて……」

 これはお世辞でも何でもなく、零士は本気で感心していた。
 言われてみれば、確かに大橋の体つきは普通ではない。女性にしては背が高く、がっちりした体格だ。並の男なら、軽く捻れそうである。そこには、かつて柔道選手だったという確かな裏付けがあったのだ。

「そう。私は、オリンピック選考会で田中さんに勝った。けど、オリンピックに出られなかった。代表として選ばれたのは、田中さんの方だった」

「どういうことですか?」

「当時、私には国際大会での実績がなかったからね。オリンピックの経験があり、国際大会でも何度か優勝している田中さんの方が、本来の実力は上だし実績も申し分ない。代表としては、田中さんの方が相応しい。それが、協会の連中の発表だった」

 そこで、大橋は口元を歪める。少しの間を置き、再び語り出す。

「でも、そんなのは建前。本当は、それよりも大きな理由があったんだよ。当時の田中さんは、女子柔道のスター選手だった。顔は綺麗だったし、試合ぶりにも華があった。インタビューの受け答えも、聞いている側をくすりとさせるセンスがあった。マスコミ受けも良かったし、ファンも多かった。君はわからないだろうけど、当時の田中さんはアイドルみたいな人気者だったんだよ。それに比べると、私は地味で面白みのない選手だった。何より、あの人にはオリンピック三連覇がかかっていた」

 語る言葉の奥底には、未だに消えぬ感情のうねりがあった。零士は圧倒され、黙って聞いていることしか出来なかった。

「結局、私はオリンピックに出られなかった。まあ、それはいいんだよ。問題なのは、その後。田中さんは、金メダルが取れなかった。それどころか、一回戦でケガをして途中棄権したんだよ。アクシデントだったそうだけどね。私が出ていれば、こんなことにはならなかったかもしれなかった。なのに、上の連中の思惑でオリンピックに出られなかった」

 そこで、大橋の表情が歪む。
 普段は感情をいっさい顔に出さず、淡々と仕事を片付けていた大橋。だが、今日は感情をあらわにしている。彼女にとって、それだけ大きな出来事だったのだ。

「仕方ないとは思うよ。私が選考委員だったとしても、田中さんを選ぶとは思う。でも、当時の私は割り切ることが出来なかった。何もかも嫌になったんだよ。その後もダラダラ練習を続けていたけど、やる気は完全になくなっていた。しばらくして、柔道とは完全に縁を切ったよ。で、いろいろあって今はこの島にいるってわけ」

 そこで、大橋は微笑んだ。だが、零士は笑えなかった。神妙な面持ちで答える。

「そうだったんですか……」

「私は、今も結構強いよ。だから、誰か変なのが屋敷に入ってきても撃退できるから安心して」

「は、はい」

「誤解されたら困るから言うけど、私は夜禍島が好きだよ。君のお父さんは、大変な仕事をしてる。ああ見えて、凄い人だよ。私は、統志郎さんを心から尊敬してる……ちょっと困った人ではあるけどね」 
 
 ・・・

 その日の夜。
 島の東側に広がる岩場に、一隻のヨットが停まっていた。かなり大きく、船室は数人が寝泊まり出来るくらいの広さだ。
 その船室に、ひとりの女が仰向けに寝かされていた。秋田美琴である。着ているものは下着だけだ。両手両足に金属製のかせを付けられており、枷は床とくっついていた。つまり、女の体は床に固定されている状態だ。口には、太いワイヤーで猿ぐつわがされている。
 その女を見下ろしているのはペドロだった。片手には、大型のダガーナイフが握られている。両刃で、先の鋭く尖ったものだ。刃の長さは、二十センチはあるだろう。床には、他にもメスやペンチといった物騒なものが置かれている。
 ふたりから少し離れた位置には、カメラが設置されていた。台の上に置かれていて、レンズは美琴の方に向けられている。
 不意に、ペドロはしゃがみ込んだ。冷静な表情で口を開く。
 
「彼女は、古来より鬼と呼ばれていた種族のひとりだ。鬼の特徴のひとつが、傷の治りが人間より早いことだよ。いや、人間より早いどころではない。比べることすらバカバカしいくらいの速度だ。体に傷が付くと、すぐさま反応し人間の数万倍の速度で治癒してしまう。手足を切断されても、数分あれば元に戻る。実に羨ましい話だ」

 カメラに向かい語りかけながら、ペドロはナイフを振り上げた。何のためらいもなく、美琴めがけ振り降ろす。
 ナイフは、美琴の腕に突き刺さる。彼女の顔が、苦痛で歪んだ。
 ペドロは、ナイフをすっと引き抜く。途端に、傷口から血液が溢れた。
 直後、恐ろしいことが起きる。流れた血液は、一瞬にして腕の傷口に逆流していった。まるで意思を持っているかのように、ひとりでに体内へと戻っていったのである。傍らにいるペドロは、興味深そうな表情でその光景を見つめている。
 次いで、傷が塞がり始めた。刃により損傷した肉が再生し、見る見るうちに皮膚が覆っていく。ものの数秒で、傷は完全に癒えてしまったのである。
 見ていたペドロは、満足げな表情で頷いた。

「次の特徴として、腕力が強いことがあげられる。彼女は、体格的には平均的な日本人女性とほぼ同じだ。にもかかわらず、発揮される筋力は異常とも言っていいレベルだよ。野生のチンパンジーは、人間に比べると小柄な体格だが、腕力は人間を遥かに上回る。握力は推定で二百キロと言われているそうだ。しかし、鬼である彼女はチンパンジー以上の身体能力を持っている。五感も人間より優れており、見ての通り姿形も美しい。まさに、最強の生物といっていいだろう」

 言った後、ペドロの手が動いた。美琴の頬を、すっと撫でる。
 途端に、美琴の表情が変わった。瞳が紅く光り、口からは牙のような犬歯が覗く。鋭い目で、ペドロを睨みつけた。
 その変化を見たペドロは、ニヤリと笑った。

「人間が怒りの感情に支配された時、心拍数が上がり血圧も上昇する。アドレナリンが放出され、体は固くなり痛みを感じにくくもなる。ところが、今見てもらったように、鬼には物理的な変化が生じるわけだ。瞳は紅い光を放ち、長く鋭い犬歯が伸び指には鉤爪が生える。身体能力も、さらに上昇する。こうなると、もはや手がつけられない。人間の知能とヒグマの殺傷能力を兼ね備えた、とんでもない生物だ」

 その言葉には、尊敬の念がこめられていた。だが、直後にかぶりを振る。芝居がかった仕草だ。

「ところが、彼女らには生物として致命的な弱点がある。そのひとつが、紫外線だ」

 そこで、ペドロは床から大型のライトを拾い上げる。

「これは、紫外線を照射するライトだ。人間も、紫外線を浴び続けていれば皮膚の細胞にダメージを受ける。だが、鬼の受けるダメージはそんなレベルではない。紫外線を僅かでも浴びると、体の組織を構成している細胞そのものが、紫外線により崩壊してしまう」

 そう言うと、ペドロはライトのスイッチを入れた。光を、美琴の左足へと当てる。
 途端に、美琴が狂ったようにもがき出した。ライトから照射される光は、彼女の足に当てられている。光の当たっている部分からは、煙が出始めていた。
 直後、白い肌は異様な匂いと共に変色した。バチバチと音を立てながら、焼け焦げていく。ものの数秒で、美琴の左足は黒焦げになってしまったのだ。
 それだけでは終わらない。黒焦げになった下肢は、瞬時に灰へと変化する。光を当てられていた部分はもちろん、周囲にまで影響を及ぼしているらしい。膝の付近に光を当てただけなのに、足首付近は完全に炭と化して転がっている。太ももも炭化しており、足の付け根付近まで焼けただれているのだ。
 美琴の顔には、苦悶の表情が浮かんでいる。その目には、はっきりとした恐怖があった。

「僅か数秒で、崩れ落ちてしまった。しかも、紫外線照射による傷は再生できない。これは、本当に致命的だな。鬼という種族が世界を統べる生物とならなかった理由のうち、もっとも大きなものが紫外線への耐性の無さだろうね」

 そう言うと、ペドロはライトを床に置いた。再びカメラの方を向き語り出す。

「あとは、繁殖力の低さといったところかな。鬼は、子供が出来にくいようだ。しかも、繁殖するためには人間の男性の協力が必要だ。これもまた、彼女らの宿命なのかな」

 言いながら、ペドロは立ち上がった。手を伸ばし、カメラのスイッチを切る。その後、再びしゃがみ込んだ。

「さて、撮影はここまでだ。君には、聞きたいことがいろいろある。素直に話してもらおうか。でないと、これで体を少しずつ削っていくことになるよ」

 そう言うと、ライトを持ち上げ美琴へと向ける。彼女は、恐怖に歪んだ表情で頷いた。




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