夏休みの終わり

板倉恭司

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再会

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 いつの間にか、足元に水たまりが出来ている。
 違う、これは水たまりではない。どろりとしており、異様な匂いがする。何よりの違いは、その色だ。ドス黒い水たまりが、足元に広がっている。
 ひょっとしたら、これは血液ではないのか。零士は、恐る恐る顔を上げた。
 得体の知れないものが、そこに立っている。紅く光る瞳、口から覗く鋭い犬歯、緑色の肌。頭には黒髪が生えており、顔つきは獣のようだ。
 鉤爪の生えた手は、何かを握りしめていた。
 
 人間の腕だ──

 それは、人間のちぎれた前腕を握りしめている。口からは、赤い液体が滴り落ちていた。間違いない。人間を殺し、腕を引きちぎり食べているのだ。
 こいつは、人間を食う怪物──



「う、うわあぁぁぁ!」

 叫びながら、零士は起き上がった。荒い息を吐きながら、周りを見回す。
 昨日見た風景と、何ら変わっていない。
 
「また、あの夢か……」

 呟きながら、額から垂れてくる汗を手で拭った。
 これと同じ夢を、零士は以前にも見ている。これで何度目だろうか。得体の知れない怪物が、人間の腕を食らっている……いったい何だったのだろう。そもそも、いつから見るようになったのか、それすらわからない。
 ふと、窓を見てみた。外は暗く、月が出ている。正確な時刻はわからないが、朝でないのは確かだ。夜中の二時か三時頃だろうか。
 その時、ドンドンドンという音がした。ドアを叩く音だ。それから一秒の間も置かず、ドアが開かれる。

「零士! どうしたんだ!」

 勢いよく入ってきたのは、父の茨木統志郎だった。零士の顔を見るなり、慌てて近寄って来る。
 よくよく見れば、父は上体に何も着ていない。トランクスを履いただけの、ほとんど裸といっていい格好である。引き締まった筋肉質の逞しい体つきで、華奢な体型の零士とは真逆だ。
 圧倒される零士に、統志郎は心配そうに聞いてきた。

「お前、大丈夫か?」

「う、うん。ちょっと、嫌な夢を見ちゃって……」

「怖い夢を見たのか? そうか。よし、父さんに任せろ!」

 言った途端に、統志郎は動いた。いきなり飛び上がったかと思うと、ベッドに着地する。ドスンという音が、夜中の室内に響き渡る。
 唖然となる零士だったが、驚くのはこれからだった。父は、そのまま息子の隣で仰向けになったのだ。

「今日から、父さんと一緒に寝よう!」

「な、何を言ってるの?」

「怖い夢を見たら、父さんが抱きしめてやる! 父さんがいれば、どんな悪夢も恐れることはない!」

 言いながら、どんと拳で胸を叩く。その時、声が聞こえてきた。

「何をやってるんですか。零士くんも困ってますよ」

 零士がそちらを向くと、昨日すれ違った若い女が立っていた。つかつか歩いてきたかと思うと、統志郎の腕を掴む。そのまま、無理やりベッドから引きずり下ろした。

「ほらほら、行きますよ」

 女は統志郎の手を引き、強引に部屋から連れ出した。

「ええっ、そんなあ……もう、親子のスキンシップしたいだけなのに」

 ブツブツ言いながら、ふたりは部屋から出ていった。
 残された零士は、思わず苦笑する。統志郎は昨日から、ずっとあの調子なのだ。カツカレーを食べた後は、一緒に風呂に入って洗いっこしようと言い出して零士を困らせた。
 どうにか断ったものの、ベッドに入った後もいきなり部屋に入ってきて、おやすみのキスをさせろとせがんで来たのだ。さすがに断ると「そうか。お前は父さんのことが嫌いなんだな。便所コオロギと同じくらい嫌いなんだ」などと訳のわからないことを言いながら、部屋の隅で膝を抱え座りイジケ出す。仕方ないので応じると、嬉しそうに頬にキスして出ていった。
 困った人だ……そんなことを思いながら、零士は再び目を閉じる。やがて、眠気が襲ってきた。
 その時、軽い違和感を覚えた。上手く言えないが、今のは何か変だった気がする。何が変なのだろうかと考えつつも、眠気の方が勝る。零士は、眠りに落ちていった。



「零士! 朝だぞ! いい天気だぞ!」

 いきなりの奇声に、零士は目を開けた。慌てて上体を起こす。
 目の前には、統志郎が立っている。相変わらずパンツだけの姿で、目の前にて仁王立ちだ。どういう人なのだろうか。
 
「お、おはよう」

 戸惑いながらも挨拶した零士に、統志郎はニカーと笑った。
 次の瞬間、バッと跳躍する。ベッドの上に、音もなく着地した。昨日と違い、静かにベッドに乗ったのだ。
 唖然となる零士に向かい、父は真剣な表情でこんなことを言った。

「零士、キスさせてくれキス」

「は、はあ?」

「はあ、じゃないんだよ! おはようのキスだ!」

 言った瞬間、零士は抱きしめられていた。さらに、頬に柔らかいものが当たる。父の唇だ。容赦なく押し付けてくる。
 零士は逃れようともがくが、統志郎の力は強く離してくれない。と、声が聞こえてきた。

「朝から何をやってるんです? 早く用意をしてください」

 言ったのは大橋である。部屋の中で仁王立ちし、統志郎を睨んでいた。

「わかったよう。全く、父と息子が微笑ましくスキンシップをしてるだけなのに……」

 ブツブツ言いながら、統志郎はぴょんと飛び降りる。朝から、恐ろしく元気な男だ。零士は圧倒されながら、ベッドから出た。すると、大橋が声をかけてくる。

「零士くん、夏休みだからって昼間まで寝てられるわけじゃないからね。早く顔を洗って」

「は、はい」



 それから二時間後、零士は部屋で一息ついていた。
 統志郎は、朝からテンションが高かった。朝食の時も一方的にベラベラ喋りまくり、しまいに大橋から叱られていたくらいだ。
 食べ終えた後は、何を思ったか仕事を休みたいなどと言い出した。理由は、息子と過ごしたいから……ということらしい。最終的には、大橋に引っ立てられるようにして車に乗せられ、出勤していった。
 毎朝、この調子では先が思いやられる。とはいえ、父がああいう人で良かった、とも思っている。もともと人見知りする内気な性格の零士にとって、見知らぬ他人と接するのは一苦労だ。しかし、ああいう人なら接し方に悩む必要はない。
 それに、母親のことも思い出さずに済む──

 母である風間由美の死は、未だ心にのしかかっている。
 自分が記憶を失い山の中で倒れていた時、母は何者かに殺されていた。犯人は、まだ逮捕されていない。しかも、一時は零士が犯人だと疑われていたのだ。
 全て、何の前触れもなく突然おきたことだ。一月たった今も、この事実をどう捉えればいいのかわからずにいる。悲しみや怒りといった感情すら湧いて来ない。正直な気持ちを言うなら、途方に暮れている……という表現が正確かもしれない。
 入院していた時、医師は言っていたのだ。

(君は、自分の人生だけを考えなさい。起きてしまった過去には目を向けず、未来だけを見つめるんだ)

 意見そのものは正しい。ただ、言うほど簡単なことではない。あれだけ衝撃的な出来事を、考えるなというのも無理がある。
 しかし、今は過去に目を向けずにいられる。これは、父のお陰かもしれない。

 そんなことを思いながら、何の気なしに窓から外の風景を見る。だが、その表情は凍りついた。
 ここからは、庭と家の周囲に張り巡らされた鉄柵が見えていた。中世ヨーロッパの戦士が用いていた槍が、大量に並べられているような形の柵である。これを乗り越えようとすれば、痛い目に遭うのを覚悟しなければならないだろう。
 そんな鉄柵の向こう側に、ひとりの男が立っているのだ。彫りの深い顔立ち、Tシャツ越しにもはっきりわかる筋肉質の肉体、こちらを見上げる鋭い瞳。
 間違いない。船で出会った怪人物・ペドロだ。二階の窓の向こう側にいる零士を、冷ややかな目で見つめている──

 零士は、慌てて目を逸らした。同時に、さっとカーテンの陰に身を隠す。
 なぜかわからないが、足がガタガタ震え出した。心臓は高鳴り、立っていられなくなる。少年は、そのまましゃがみ込んでいた。
 あいつは、いったい何者なのだろう? なぜ、ここにいる? 島で何をしようとしている? 頭の中に、次から次へと疑問が湧いて出てくる。
 その時、思い出したことがあった。昔、おかしな映画を観たことがある。車に乗っていた主人公が、道で巨大なトレーラーを追い越した。そのことをきっかけに、主人公はトレーラーから執拗に追いかけ回されるようになってしまう……というストーリーだ。
 ひょっとしたら、自分もあのペドロに目をつけられてしまったのだろうか。船での会話により、あの怪人物から興味を持たれてしまった。結果、どうやって調べたのかは不明だが、家まで付けてきたというわけか。では、この先あの男に追いかけ回されることになるのかもしれない。
 わけのわからない考えが頭に浮かび、思わず顔を歪める零士だった。そこで、もうひとつ思い出す。

(俺がアメリカのレイカーズ刑務所にいた時のことだが……)

 そう、あの男は犯罪者なのだ。何をしたかはわからないが、かつて刑務所にいたと言っている。おそらく嘘ではないだろう。
 そんな男が、この家に何しに来たのだろう。

 零士は立ち上がり、窓からそっと覗いてみる。しかし、ペドロの姿はなかった。
 本当にいなくなったのだろうか。零士は、部屋を出た。靴を履き、ドアを開けてみる。
 周囲を見回したが、あの男はいないようだ。もっとも、門をでたらそこは森の中である。車道の脇には、大木が生い茂っており草も生えていた。その陰に潜んでいたら、まず見つけられない。
 にもかかわらず、零士は外に出た。柵に沿って歩き、ペドロがいたと思われる場所を見てみる。
 特に異変はない。あいつは、何をしに来たのだろうか? などと思っていた時、鉄柵の棒に白いものが結び付けられていることに気づく。
 注意しつつ、そっと手を伸ばし取り外した。ただの紙切れのようである。
 広げてみると、文字が書かれていた。暗号でも捻った文書でもない。ただ一行、こう書かれている。

 この島には秘密がある
 
 
 





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