夏休みの終わり

板倉恭司

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異邦人との出会い(2)

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「はい?」

 零士は、思わず聞き返していた。
 驚いた、などと目の前の外国人は言っている。だが、驚いたのはこっちである。見知らぬ人から唐突に意味不明なことを言われ、どう反応せよというのか。
 と同時に、硬直していた全身に血が巡り出した……ような気がした。
 すると、外国人は笑みを浮かべ答える。

「いや、何でもない。何でもないんだ。それよりも……」

 そこで言葉を止め、顔の向きを変える。

「彼らは、とても楽しそうだね」

 口から出たのは、そんな言葉だった。顔に似合わず流暢な日本語である。滑舌は良く、発音も完璧だ。零士は、彼の視線の先にあるものを見てみる。
 そこには、先ほど見た青年たちがいた。面白いものでも見つけたのか、子供のようにキャッキャと騒いでいる。何が楽しいのだろうか。少なくとも、見ている零士には楽しさが伝わってこなかった。
 もっとも、彼らが何に楽しみを見出すのかなど、今の零士にはどうでも良かった。とりあえずは、この状況をやり過ごしたい。

「そ、そうですね」

 つっかえながらも、どうにか返事をした。
 その時になって、初めて気づいたことがあった。この外国人、身長はさほど高くない。百七十センチもないだろう。少なくとも、大男と呼べるような体格ではない。にもかかわらず、会った直後はとんでもなく巨大な男に見えたのだ。
 とはいえ、実のところ彼の身長などどうでも良い。それよりも、初対面の異様な外国人と親しげに語り合っているという、わけのわからない状況の方が問題である。この外国人には、一刻も早く消えて欲しかった。

「船は、これから夜禍島やかじまに向かうわけだが……その島は、彼らにとって楽しくてたまらない場所のようだね」

 一方、外国人はそんなことを言ってきた。零士の思いに気づかないのか、消える気配はない。それどころか、まだまだ話を続ける気らしい。

「えっ、いや、そうなんですか? 僕は知りません」

 そう答えると、外国人の表情が微かに変化した。

「君も、その夜禍島に行くのだろう?」

「ええ、まあ」

「これから行く場所について、何も知らないというのかい? それは、褒められた姿勢ではないな」

「は、はい。すみません」

 困惑しながらも、どうにか頭を下げつつ返事をする。
 本音としては、自分の姿勢などどうでもいい。話をさっさと切り上げ、一刻も早く船室へと帰りたかった。船室は退屈ではあるが、この奇怪な中年男との会話に比べればマシだ。相手が消えてくれないのなら、こちらが消えるしかない。
 だが、相手は逃してはくれなかった。それどころか、とんでもないことを言ってきたのだ。

「謝る必要はない。君は、まだ若いからね。失敗を重ねつつ、いろいろ学んでいけるだろう。ところで、この辺りは鮫の多い海域だ。映画などのイメージと違い、彼らは無闇に人間を襲わないと言われている。だがね、飢えている時に人間が落ちてくれば、餌と判断し襲ってくる可能性はあるよ」

「えっ?」

 鼓動がドクンと高鳴った。先ほどは確かに、ここから飛び降りてやろうか……などと思っていたのだ。その思いを見抜かれたのでは、というバカな考えが頭に浮かぶ。
 すると、外国人はニヤリと笑った。その口から、さらにとんでもないセリフが飛び出す。

「君の年齢は十三歳だね。身長は、百四十五センチといったあたりか。体重は四十キロ前後、そして左利きだ」

 いきなりの展開に、零士は何も言えず呆然となっていた。
 外国人の言うことは、全て当たっている。年齢、身長、体重、それに利き手まで……今日、初めて会った人間であるにもかかわらず、零士の個人的なデータをぴたりと当ててみせたのだ。どういうことなのだろう。
 しかし、外国人の話はまだ終わっていなかった。

「幼い頃、中年男性に性的虐待を……もしくは、それに近い行為を受けたことがあるのではないかな」

 その時、零士は驚きのあまり口を開けたまま立ちすくんでいた。頭の中は真っ白になり、思考は完全に停止している……。

 ・・・

 小学生の時のことだった。
 その日、零士は公園にてひとりで遊んでいた。実のところ当時から、彼には友だちがいなかった。引っ込み思案で人見知りするタイプであり、学校でもひとりでいることが多い。下校の時もひとり、遊ぶ時もひとりだった。
 もっとも、零士はひとり遊びが苦にならない性格である。その日も、自分で考えた遊びを公園の中で実行していたのだ。
 その時、後ろから声をかけられた。

「ねえ君、ちょっといいかな?」

 振り向くと、目の前には中年の男がいる。ジャンパー姿で、ベースボールキャップを被っていた。眼鏡をかけており、やや小太りの体型である。
 零士は首を傾げる。このおじさんは誰だろうか? 見覚えがない。だが、もしかしたら母親の知り合いかもしれない。咄嗟に言葉が出せず、困った表情で男を見上げる。
 すると、男の手が伸びた。零士の手を掴む

「君に手伝って欲しいことがあるんだ。こっちに来て」

 直後、手を引いていく。その力は強く、零士は逆らうことなど出来ない。突然のことに、声も出せなかった。そのまま、強引に公園内の公衆トイレに連れ込まれる。
 中に入った途端に、男の手が零士のズボンに触れた。そのまま脱がそうとしてくる。
 小学生で性の知識がない零士にも、これが異常な行為であることはわかった。しかし、拒絶することが出来ない。目の前の大人は、あまりにも大きく見えた。逆らえば、何をされるかわからない。恐怖のあまり頭は真っ白になり、思考は停止していた。
 その間にも、男の手は動いている。零士のズボンとパンツをずりおろし、笑みを浮かべる。

「おとなしくしてるんだよ。でないと、痛い目に遭うよ」

 言った時、外から声が聞こえてきた。

「クソが! 菊永キクナガの奴、今度見つけたらボコってやるぜ!」

「おう! そん時は俺も手ぇ貸すからよ!」

 少年たちの声だ。それも、零士とは違い大きめの少年たちである。トイレに入って来ようとしているらしい。
 途端に、男は零士から離れた。その時になって、ようやく零士の頭もまともに働き出す。思い浮かんだことはひとつ、ここから逃げなくてはならない。
 次の瞬間、零士はズボンとパンツを引き上げる。同時に走り出した。彼は足の早い方ではなかったが、それでも必死で走った。
 入れ替わるように、二人組の少年がトイレに入っていく。中学生か高校生だろう。真面目で品行方正なタイプではない。むしろ、社会の秩序を乱すことに喜びを感じるタイプだ。制服姿だが人相は悪く、喧嘩も強そうである。
 ふたりは大声でベラベラ喋りながら、トイレへと入っていった。すれ違った小さな子供のことなど、気にも留めていない。
 もっとも、零士の方も二人組のことなど見ていなかった。彼は懸命に走り、家に帰ると同時にベッドに飛び込む。あのままトイレにいたら、とんでもないことをされていた……恐怖のあまり、しばらく布団を被って震えていた。

 ・・・

 あの日の忌まわしい記憶が蘇る。
 この体験は、誰にも言ったことがなかった。母親にすら言わなかったのだ。ましてや、初対面のこの外国人が知っているはずがない。
 その時、恐ろしい考えが浮かぶ。もしや、この外国人がなのか? 自分を公衆トイレに連れ込み、いたずらしようとした中年男。顔は覚えていないが、ひょっとしたらこいつだったのか?
 と、外国人の顔に笑みが浮かんだ。

「それは違うよ。俺は、君と会ったのは今日が初めてだ」

 ドキリとなった。まるで、こちらの考えを見透かしたかのようなセリフだ。いったい、この男は何者なのだろう。零士の想定できる範疇を、遥かに超えている。もはや、怪物か何かとしか思えない。
 唖然となっている零士に向かい、外国人はさらに語り続ける。

「中年あるいは老年の男女は、若い少女たちで構成されているアイドルグループを見ても、全員が同じ顔に見えるそうだよ。なぜだかわかるかい?」

「はあ? 何を言ってるんですか?」

 唐突に何を言い出すのだろう。ますます訳のわからない男だ。零士は混乱し、聞き返すことしか出来なかった。
 その時、外国人の表情が僅かに変化する。
 
「質問に質問で返す、これは褒められた態度ではないな。しかも、今の言い方はいささか失礼だな」

「す、すみませんでした!」

 慌てて頭を下げる。この外国人を怒らせ、海に放り込まれでもしたら大変だ。
 すると、外国人はクスリと笑った。

「今のは冗談だよ。そこまで怖がらないでくれ。俺は、君と親交を深めたいたけだ。話を戻すと、中年もしくは老年の男女は、若い女性と接する機会が少なくなる。特に、アイドルのような化粧をして飾り立てた女性との接点は、ほぼ無いはずだ。つまり、見慣れていない。だから、全てが同じ顔に見える」

 零士は黙ったまま、彼の話を聞いていた。何を言っているのか、さっぱりわからない。しかし、今は質問してはいけない時間帯のようである。この脈絡のない話を聞くしかないらしい。
 一方、外国人は静かな口調で語り続ける。

「見慣れる、などと一言でいっているが、実は凄いことなんだよ。目から入ってきた情報を、瞬時に脳内に入っている膨大なデータと照らし合わせているわけだ。データが少ない場合は、見慣れていないということになる。したがって、アイドルグループの女の子たちを見た場合、同じ顔であると判断してしまう」

 言われてみれば、その通りだ。見慣れる、という状態は、よくよく考えてみれば複雑な過程を経ている。
 零士の態度に、変化が生じていた。真面目な顔で、話に聴き入っている。しかし、本題はここからだった。

「俺は、これまで大勢の人間と接触してきた。脳内には、その膨大なデータが入っている。さて、先ほど俺は君と出会った。見た瞬間、目から入ってきた情報……外見や仕草、話し方や目の動きなどを、脳内にあるデータと照らし合わせたのさ。そして、君がどのような人間であるかを分析した。これが、君の感じた疑問に対する答えだよ」




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