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きのこ、たけのこ
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緒形謙一は、目の前の扉を見つめる。
ややあって、彼はドアホンを鳴らした。しかし、反応がない。
謙一は緊張した面持ちで、もう一度ドアホンを鳴らす。正直、留守ならその方がありがたい。もし、この家の住人と顔を合わせたなら、いったい何を言われることか。
謙一の隣には、息子の直樹がいる。神妙な顔つきの謙一とは対照的に、直樹は憮然とした表情で、じっと下を向いていた。
直樹が学校で、同級生の江口学と喧嘩し怪我を負わせてしまった……という話を聞いたのは、ついさっきの事だ。担任教師から連絡が行き、仕方なく親子で江口家に謝罪に来たのである……緒形家には母親がおらず、父と息子の二人だけの家庭であった。そのため、謙一はひとりで、この事態に対処しなくてはならないのだ。
もう一度、ドアホンを鳴らす謙一。横にいる直樹は、相変わらず憮然とした表情だ。
ここに来る前に、事情は聞いてある。直樹は、俺は悪くないと言った。担任教師も、学は以前から問題の多い生徒だったと言っている。ワガママな問題児であり、度々トラブルを起こしていたというのだ。今回の喧嘩の原因も、学が他の生徒に頭からバケツの水をかけ、それを見た直樹が怒って殴り倒したのだ。
だが、学は鼻血を出し前歯が折れてしまった。
直樹は、まだ小学五年生である。暴力で解決しようとした彼の行動は正しくはない。ましてや、相手に怪我をさせてしまった……これは、どう考えてもこちらに非がある。
しかし謙一は、息子の行動を非難する気にもなれなかった。むしろ、誉めてやりたい気持ちもある。同級生に対する酷い仕打ちにかっとなり、いじめっ子を殴り倒した息子。動機だけ見れば立派なものだ。相手に怪我を負わせてしまった、という結果さえ無ければ。
その直樹は、不満そうな表情を隠そうともしていない。これでは謝罪にはならないだろう。どうしたものか、と思っていた時──
目の前の扉が開く。
ひとりの男が、ぬっと顔を出した。
男は黙ったまま、じっと謙一を見つめる。何とも不思議な雰囲気であった。端正な顔立ちと、妙に青白い肌の色をしている。髪は長く、肩まで伸びている。黒いTシャツとハーフパンツを着た姿で、男はじっと謙一を見つめていた。
謙一は困惑しながらも、担任に聞いた話を思い出した。江口学の父親である江口孝之は、IT関連の企業の重役だという話だ。言われてみれば、目の前の男は昨今のIT企業にいそうな雰囲気ではある。もっとも、謙一はIT企業に足を踏み入れたことはない。あくまで勝手なイメージではあるが。
「すみません。私は緒形謙一といいまして……緒形直樹の父です。直樹は……お宅の息子さんの学くんの同級生でして……」
しどろもどろになりながらも、何とか自己紹介をした。だが、相手は黙ったままだ。表情ひとつ変えずに、じっとこちらを見つめている。謙一は恐縮し、下を向いた。
ややあって、孝之は口を開いた。
「帰ってください。あなたと話すことなど、何もありません──」
「いいえ、そういう訳にはいきません。せめて一言、謝らせてください。怪我をさせてしまった学くんに……」
そう言って、謙一は頭を下げた。同時に、直樹の頭も無理やり下げさせる。
フウという溜息の後、声が聞こえてきた。
「そうですか、では仕方ないですね。立ち話も何ですし、お入りください」
謙一と直樹は、リビングに通されソファーに座らされた。しかし、孝之は相変わらず無言である。無表情で、じっと謙一を見つめているだけだ。
しかも、直接の被害者である息子の学が出てくる気配はない。家の中は恐ろしく静かで、完全なる沈黙に支配されている。これは一体、どういう事だろう。学は母親と一緒に、奥で息を潜めて成り行きを見守っているのだろうか。
やがて沈黙に耐えきれなくなった謙一は、深々と頭を下げた。
「本当に、申し訳ありませんでした」
すると、孝之はようやく口を開いた。
「そうか。さっき学が言っていたのは、君のことか」
そう言うと、孝之は直樹に視線を移す。睨む訳でもなく、かといって微笑んでいる訳でもない。表情の消えた顔を、直樹の方に向けている。
ふと謙一は、孝之の顔に見覚えがあるような気がした。恐らく、会ったことはないはず。だが、見覚えがある……そんな気がするのだ。さらに、軽い違和感を覚えた。彼の目は、人間らしくない。何かに似ているのだ。何だろうか。
だが次の瞬間、孝之の口から出た言葉は、謙一の些細な違和感など軽く吹き飛ばすものだった。
「直樹くん、といったね。君はきのことたけのこ、どっちが好きだい?」
「えっ?」
直樹は混乱し、口を開けたまま孝之を見ている。
しかし、孝之はなおも質問を繰り返す。
「君も知ってるだろう。お菓子のきのこの山、たけのこの里だよ。直樹くん、君はどっちが好きだい?」
「き、きのこの山かな……」
困惑しながらも、答える直樹。すると、孝之の顔に笑みが浮かんだ。
「そうか。おじさんも、今日はきのこの気分なんだ」
そう言うと、孝之は謙一に視線を移す。
「緒形さん、たかが子供の喧嘩ですよ。私は首を突っ込む気はありません。お気になさらないでください」
「えっ?」
唖然となる謙一に向かい、孝之はにっこり笑った。
「私は、あなたたち親子を責める気などありません。見たところ、学はピンピンしていました。わざわざ謝罪していただく必要などありません」
「いや、でも前歯を折ってしまったそうですし……」
思わず、そう言っていた。しかし、孝之は笑みを浮かべたままだ。
「前歯の一本くらい、今さら大したことはないですよ。とにかく、お気になさらないでください。それと、大変に申し訳ないのですが……これから友人が来ることになっているんですよ」
そう言うと、すまなそうな顔をして見せる孝之。要するに、早く帰ってくれということだろう。謙一は立ち上がったが、やり残したことがあったのを思い出した。
「で、では、最後に学くんと──」
「それがですね、学はうちの家内と出かけてるんですよ。本当に、お気になさらないでください。むしろ、申し訳ないのはこちらの方です。せっかく来ていただいたのに、何のお構いも出来ず……」
孝之は、にこやかな表情で頭を下げた。
帰り道、謙一と直樹は並んで歩いていた。二人の表情は対照的である。ホッとした表情の謙一と、困惑した表情の直樹だ。
すると、その直樹が口を開いた。
「お父さん、あの人は変だね」
「おいおい、そういうことを大きな声で言うな」
口ではそう言ったが、実のところ謙一も同じ気持ちであった。IT企業とは、ああいったユニークな人材が多いのだろうか。悪人には見えないが、変わり者であるのは確かだ。本当に不思議な男である。息子の件に関しても、特に怒ってはいないように見えた。
とはいえ、油断は出来ない。この先、態度が豹変する可能性もある。一応、知り合いの弁護士に相談しておこう……そんなことを考えながら、謙一は帰路についた。
・・・
「わからないですね。なぜ奴は、あなたたち親子を見逃したのか」
謙一の目の前にいる刑事は、不思議そうな表情で首を捻る。もっとも、その理由を知りたいのは謙一の方だったが。
江口の家を訪れた翌日、謙一はいつものように会社に行った。ところが昼過ぎ、いきなり刑事が訪ねてきたのだ。
刑事は言った。
「実はですね……昨日、江口孝之さんと妻の優さん、そして息子さんの学さんの三人が自宅の寝室で刺殺されているのが発見されました。マンションの防犯カメラをチェックしたところ、犯人らしき男があなたと息子さんを江口さんの家に招き入れているのが分かったんです。ちょっと、お話を聞かせていただけませんか?」
そして今まで、彼は警察署にて事情聴取を受けていたのである。
困惑している謙一の前で、刑事は語り続けた。
「我々警察も、あなたが犯人と関係あるとは思っていません。ただ、犯人の行動が分からないんですよ。江口さんの一家三人を殺しておきながら、直後にあなたたち親子を現場に招き入れる……その挙げ句、僅かな言葉を交わしただけで帰らせる。全く理解不能です」
理解不能なのは、謙一も同じだった。まさか、あの時……寝室にて三人の死体が置かれていたとは。
そして、江口孝之と思いこんでいた男が、実は殺人鬼だったとは。
「緒形さん……その男ですが、他に目立った特徴はありませんか?」
刑事の問いに、謙一はじっと考えた。昨日の記憶を辿ってみる。そういえば……。
「目が、人形のようでした」
「人形ですか?」
「はい。顔には笑みを浮かべていましたが、目だけはガラス玉みたいな……そんな感じでした」
「しばらくの間、所轄の警官たちに、あなたの家の周囲を重点的に回らせるようにします。あなたも、くれぐれもお気をつけ下さい」
事情聴取が終わると、刑事はそう言った。その言葉に、謙一は怪訝な表情をする。
「あの男は、私たち家族を狙うのでしょうか?」
「少なくとも、その可能性はあります。当分の間、所轄の警察官に、あなたの家を二十四時間見張らせますので」
「そうですか……では、お願いします。ただ、あいつはもう来ないような気がするんですがね」
無論、その言葉に深い意味などない。謙一が何気なく洩らした、独り言に近いものだった。しかし、刑事は彼の言葉に反応する。
「ほう、どうしてそう思うんですか?」
「えっ? いや、ただの勘ですから。もちろん、見張りの方は厳重にお願いします」
苦笑しながら、そんな言葉を吐く。すると、目の前の刑事も笑みを浮かべた。
「そうでしたか。実は私も、そう思うんですよ。あの男は、もう二度とあなたたち親子の前には姿を現さないんじゃないかと……まあ、これも私の刑事としての勘ですが」
「勘、ですか」
「はい。もっとも、あの犯人は我々の常識を超えていますからね。私の勘などでは計り知れない男です。とにかく、二十四時間体勢で警戒に当たらせさせますので、安心してください」
謙一には分からなかった。
あの男は何故、江口孝之と妻と息子を殺したのだろうか?
そして何故、自分と息子のことは見逃したのだろうか?
・・・
「はあ? てめえ何言ってんだよ! シャブでも食ってんのか?」
少年たちは、そう言ってゲラゲラ笑った。だが、男は表情ひとつ変えずに立っている。その目は、まるでガラス玉のようであった。
夜中の公園にて、集まって騒いでいた三人の少年たち。そこにいきなり、スーツを着たサラリーマン風の男が現れたのだ。
その男は、突然こう尋ねた。
「君たちは……きのこの山とたけのこの里、どっちが好きかな?」
「イカれたおっさん、俺はきのこの山が好きだね!」
ひとりの少年が、笑いながら言葉を返す。
言われた男は、残念そうに首を振った。
「残念だな。今日の私は、たけのこの気分なんだ」
次の瞬間、男はナイフを抜いた。
ややあって、彼はドアホンを鳴らした。しかし、反応がない。
謙一は緊張した面持ちで、もう一度ドアホンを鳴らす。正直、留守ならその方がありがたい。もし、この家の住人と顔を合わせたなら、いったい何を言われることか。
謙一の隣には、息子の直樹がいる。神妙な顔つきの謙一とは対照的に、直樹は憮然とした表情で、じっと下を向いていた。
直樹が学校で、同級生の江口学と喧嘩し怪我を負わせてしまった……という話を聞いたのは、ついさっきの事だ。担任教師から連絡が行き、仕方なく親子で江口家に謝罪に来たのである……緒形家には母親がおらず、父と息子の二人だけの家庭であった。そのため、謙一はひとりで、この事態に対処しなくてはならないのだ。
もう一度、ドアホンを鳴らす謙一。横にいる直樹は、相変わらず憮然とした表情だ。
ここに来る前に、事情は聞いてある。直樹は、俺は悪くないと言った。担任教師も、学は以前から問題の多い生徒だったと言っている。ワガママな問題児であり、度々トラブルを起こしていたというのだ。今回の喧嘩の原因も、学が他の生徒に頭からバケツの水をかけ、それを見た直樹が怒って殴り倒したのだ。
だが、学は鼻血を出し前歯が折れてしまった。
直樹は、まだ小学五年生である。暴力で解決しようとした彼の行動は正しくはない。ましてや、相手に怪我をさせてしまった……これは、どう考えてもこちらに非がある。
しかし謙一は、息子の行動を非難する気にもなれなかった。むしろ、誉めてやりたい気持ちもある。同級生に対する酷い仕打ちにかっとなり、いじめっ子を殴り倒した息子。動機だけ見れば立派なものだ。相手に怪我を負わせてしまった、という結果さえ無ければ。
その直樹は、不満そうな表情を隠そうともしていない。これでは謝罪にはならないだろう。どうしたものか、と思っていた時──
目の前の扉が開く。
ひとりの男が、ぬっと顔を出した。
男は黙ったまま、じっと謙一を見つめる。何とも不思議な雰囲気であった。端正な顔立ちと、妙に青白い肌の色をしている。髪は長く、肩まで伸びている。黒いTシャツとハーフパンツを着た姿で、男はじっと謙一を見つめていた。
謙一は困惑しながらも、担任に聞いた話を思い出した。江口学の父親である江口孝之は、IT関連の企業の重役だという話だ。言われてみれば、目の前の男は昨今のIT企業にいそうな雰囲気ではある。もっとも、謙一はIT企業に足を踏み入れたことはない。あくまで勝手なイメージではあるが。
「すみません。私は緒形謙一といいまして……緒形直樹の父です。直樹は……お宅の息子さんの学くんの同級生でして……」
しどろもどろになりながらも、何とか自己紹介をした。だが、相手は黙ったままだ。表情ひとつ変えずに、じっとこちらを見つめている。謙一は恐縮し、下を向いた。
ややあって、孝之は口を開いた。
「帰ってください。あなたと話すことなど、何もありません──」
「いいえ、そういう訳にはいきません。せめて一言、謝らせてください。怪我をさせてしまった学くんに……」
そう言って、謙一は頭を下げた。同時に、直樹の頭も無理やり下げさせる。
フウという溜息の後、声が聞こえてきた。
「そうですか、では仕方ないですね。立ち話も何ですし、お入りください」
謙一と直樹は、リビングに通されソファーに座らされた。しかし、孝之は相変わらず無言である。無表情で、じっと謙一を見つめているだけだ。
しかも、直接の被害者である息子の学が出てくる気配はない。家の中は恐ろしく静かで、完全なる沈黙に支配されている。これは一体、どういう事だろう。学は母親と一緒に、奥で息を潜めて成り行きを見守っているのだろうか。
やがて沈黙に耐えきれなくなった謙一は、深々と頭を下げた。
「本当に、申し訳ありませんでした」
すると、孝之はようやく口を開いた。
「そうか。さっき学が言っていたのは、君のことか」
そう言うと、孝之は直樹に視線を移す。睨む訳でもなく、かといって微笑んでいる訳でもない。表情の消えた顔を、直樹の方に向けている。
ふと謙一は、孝之の顔に見覚えがあるような気がした。恐らく、会ったことはないはず。だが、見覚えがある……そんな気がするのだ。さらに、軽い違和感を覚えた。彼の目は、人間らしくない。何かに似ているのだ。何だろうか。
だが次の瞬間、孝之の口から出た言葉は、謙一の些細な違和感など軽く吹き飛ばすものだった。
「直樹くん、といったね。君はきのことたけのこ、どっちが好きだい?」
「えっ?」
直樹は混乱し、口を開けたまま孝之を見ている。
しかし、孝之はなおも質問を繰り返す。
「君も知ってるだろう。お菓子のきのこの山、たけのこの里だよ。直樹くん、君はどっちが好きだい?」
「き、きのこの山かな……」
困惑しながらも、答える直樹。すると、孝之の顔に笑みが浮かんだ。
「そうか。おじさんも、今日はきのこの気分なんだ」
そう言うと、孝之は謙一に視線を移す。
「緒形さん、たかが子供の喧嘩ですよ。私は首を突っ込む気はありません。お気になさらないでください」
「えっ?」
唖然となる謙一に向かい、孝之はにっこり笑った。
「私は、あなたたち親子を責める気などありません。見たところ、学はピンピンしていました。わざわざ謝罪していただく必要などありません」
「いや、でも前歯を折ってしまったそうですし……」
思わず、そう言っていた。しかし、孝之は笑みを浮かべたままだ。
「前歯の一本くらい、今さら大したことはないですよ。とにかく、お気になさらないでください。それと、大変に申し訳ないのですが……これから友人が来ることになっているんですよ」
そう言うと、すまなそうな顔をして見せる孝之。要するに、早く帰ってくれということだろう。謙一は立ち上がったが、やり残したことがあったのを思い出した。
「で、では、最後に学くんと──」
「それがですね、学はうちの家内と出かけてるんですよ。本当に、お気になさらないでください。むしろ、申し訳ないのはこちらの方です。せっかく来ていただいたのに、何のお構いも出来ず……」
孝之は、にこやかな表情で頭を下げた。
帰り道、謙一と直樹は並んで歩いていた。二人の表情は対照的である。ホッとした表情の謙一と、困惑した表情の直樹だ。
すると、その直樹が口を開いた。
「お父さん、あの人は変だね」
「おいおい、そういうことを大きな声で言うな」
口ではそう言ったが、実のところ謙一も同じ気持ちであった。IT企業とは、ああいったユニークな人材が多いのだろうか。悪人には見えないが、変わり者であるのは確かだ。本当に不思議な男である。息子の件に関しても、特に怒ってはいないように見えた。
とはいえ、油断は出来ない。この先、態度が豹変する可能性もある。一応、知り合いの弁護士に相談しておこう……そんなことを考えながら、謙一は帰路についた。
・・・
「わからないですね。なぜ奴は、あなたたち親子を見逃したのか」
謙一の目の前にいる刑事は、不思議そうな表情で首を捻る。もっとも、その理由を知りたいのは謙一の方だったが。
江口の家を訪れた翌日、謙一はいつものように会社に行った。ところが昼過ぎ、いきなり刑事が訪ねてきたのだ。
刑事は言った。
「実はですね……昨日、江口孝之さんと妻の優さん、そして息子さんの学さんの三人が自宅の寝室で刺殺されているのが発見されました。マンションの防犯カメラをチェックしたところ、犯人らしき男があなたと息子さんを江口さんの家に招き入れているのが分かったんです。ちょっと、お話を聞かせていただけませんか?」
そして今まで、彼は警察署にて事情聴取を受けていたのである。
困惑している謙一の前で、刑事は語り続けた。
「我々警察も、あなたが犯人と関係あるとは思っていません。ただ、犯人の行動が分からないんですよ。江口さんの一家三人を殺しておきながら、直後にあなたたち親子を現場に招き入れる……その挙げ句、僅かな言葉を交わしただけで帰らせる。全く理解不能です」
理解不能なのは、謙一も同じだった。まさか、あの時……寝室にて三人の死体が置かれていたとは。
そして、江口孝之と思いこんでいた男が、実は殺人鬼だったとは。
「緒形さん……その男ですが、他に目立った特徴はありませんか?」
刑事の問いに、謙一はじっと考えた。昨日の記憶を辿ってみる。そういえば……。
「目が、人形のようでした」
「人形ですか?」
「はい。顔には笑みを浮かべていましたが、目だけはガラス玉みたいな……そんな感じでした」
「しばらくの間、所轄の警官たちに、あなたの家の周囲を重点的に回らせるようにします。あなたも、くれぐれもお気をつけ下さい」
事情聴取が終わると、刑事はそう言った。その言葉に、謙一は怪訝な表情をする。
「あの男は、私たち家族を狙うのでしょうか?」
「少なくとも、その可能性はあります。当分の間、所轄の警察官に、あなたの家を二十四時間見張らせますので」
「そうですか……では、お願いします。ただ、あいつはもう来ないような気がするんですがね」
無論、その言葉に深い意味などない。謙一が何気なく洩らした、独り言に近いものだった。しかし、刑事は彼の言葉に反応する。
「ほう、どうしてそう思うんですか?」
「えっ? いや、ただの勘ですから。もちろん、見張りの方は厳重にお願いします」
苦笑しながら、そんな言葉を吐く。すると、目の前の刑事も笑みを浮かべた。
「そうでしたか。実は私も、そう思うんですよ。あの男は、もう二度とあなたたち親子の前には姿を現さないんじゃないかと……まあ、これも私の刑事としての勘ですが」
「勘、ですか」
「はい。もっとも、あの犯人は我々の常識を超えていますからね。私の勘などでは計り知れない男です。とにかく、二十四時間体勢で警戒に当たらせさせますので、安心してください」
謙一には分からなかった。
あの男は何故、江口孝之と妻と息子を殺したのだろうか?
そして何故、自分と息子のことは見逃したのだろうか?
・・・
「はあ? てめえ何言ってんだよ! シャブでも食ってんのか?」
少年たちは、そう言ってゲラゲラ笑った。だが、男は表情ひとつ変えずに立っている。その目は、まるでガラス玉のようであった。
夜中の公園にて、集まって騒いでいた三人の少年たち。そこにいきなり、スーツを着たサラリーマン風の男が現れたのだ。
その男は、突然こう尋ねた。
「君たちは……きのこの山とたけのこの里、どっちが好きかな?」
「イカれたおっさん、俺はきのこの山が好きだね!」
ひとりの少年が、笑いながら言葉を返す。
言われた男は、残念そうに首を振った。
「残念だな。今日の私は、たけのこの気分なんだ」
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