世にも異様な物語

板倉恭司

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奇妙な日

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「ウ、ウワアァァ……」

 僕の目の前には、おかしな声を発している人が立っていた。
 声だけでなく、格好も変だ。肋骨が見えているような穴だらけの汚いシャツの上にボロボロのジャケットを着て、さらに血がべっとり付いたネクタイを締めている。
 その服装だけでも滅茶苦茶だが、さらにとんでもないのは身体そのものである。あちこちに、様々な種類の傷痕があるのだ。手首のす周辺には切り傷、胸の周りには刺し傷、足には銃弾によると思われる傷もあった。ひとりの人間を、どうやったらこれだけ傷つけられるのだろうか……と疑問を感じてしまう。
 顔色もまた、異常に悪かった。頬はこけ、目も落ち窪み、肌は青白いを通り越して腐り始めているようにさえ見える。口元は裂け、傷口からは肉がはみ出ていた。
 この人は恐らく、映画やドラマなどで観るゾンビという奴なのだろう。



 しかし、僕はこのコンビニでバイトを始めて、もう三年である。バイトの中でも一番のベテランなのだ。しかも今、店にいるのは僕ひとりである。どんな者が相手だろうと、お客さまとして来た以上は店員としてベストの対応をしなくてはならないのだ。
 たとえ、お客さまがゾンビだったとしても。

「いらっしゃいませ」

 丁寧に頭を下げると、ゾンビ氏は何やら奇妙なゼスチャーを始める。諸事情により、言葉が出ないらしい。新米のバイトなら、訳が分からず右往左往してしまうだろう。
 だが、僕はベテランである。その動きから、相手の言わんとしていることを察した。

「あのう、ひょっとして……トイレでしょうか?」

 すると、ゾンビ氏はうんうんと頷く。僕は、にっこりと微笑んでみせた。

「トイレはあちらです。どうぞ、お使いください」

 ゾンビ氏が帰った後、僕は念のためトイレをチェックしてみた。何せ、相手はゾンビ氏なのである。ここでは言えないような、ものすごい置き土産をされているかもしれないのだ。
 だが予想に反し、トイレは綺麗なままである。先ほど掃除をした時と、さして変わらない状態だ。
 僕はホッとした。あのゾンビ氏は見た目はひどい。だが公共道徳というものを、ちゃんと心得ていたらしい……脳味噌は腐りかけているように見えたが、ちゃんと働いていたのだろうか。
 安心した僕は、レジに戻ると同時にフライを揚げ始めた。今日は確実に、いつもとは客層が違うだろう。混乱が予想されるため、今のうちに出来ることをしておかなくては。
 コンビニの店員にとって、もっとも大切な資質……それは、あらゆる事態に臨機応変に対応できることだろう。

 その時、自動ドアが開く。現れたのは、またしても顔色の悪い人だ。ただし、今度は高級そうな服を着ている。白いワイシャツに黒いベスト、さらに黒いマントを羽織っている。背は高く、髪は黒い。まるで中世ヨーロッパの貴族のような雰囲気を醸し出している。
 ただし、その口からは長い牙が二本伸びていた。

 このお客さまは、もしや吸血鬼ドラキュラでは?

「いらっしゃいませ」

 それでも、僕は丁寧に挨拶をした。店に入って来た以上、どんな怪物であろうとお客さまなのである。お客さまには、礼儀を持って迎えなくてはならないのだから。
 ドラキュラ氏は、悠然とした態度で店内を歩いている。さすがは闇の貴族、と言おうか……その歩く姿は堂々としており、気品すら感じさせる。
 そして僕は、いつ来られてもいいよう、レジのそばに立っている。そう、僕はベテランなのだ。相手が吸血鬼だろうが赤鬼だろうが、仕事はきちんとこなす。
 もっとも、警戒心も忘れてはいない。あのドラキュラ氏が他のお客さまにとって迷惑な存在となるようなら、すぐさま対処しなくてはならないが。
 しかし、そんな心配は無用であった。ドラキュラ氏はミネラルウォーターの入ったペットボトルを一本買うと、すぐに店を出ていってしまった。その背中に向かい、僕は丁寧に頭を下げる。

「ありがとうございました」

 吸血鬼はトマトジュースが好き、何故なら血液に似てるから……というのは、僕が幼い頃に観たアニメの設定だった気がする。しかし、今のドラキュラ氏は特にこだわりは無いらしい。ちなみに便宜上ドラキュラ氏と呼んだが、正確にはドラキュラは種族名ではなく個人名だったりする。たまに間違えている人がいるのだ。ここは大事な所である。
 そういえば、吸血鬼には実はいろんな弱点がある。流れる水は渡れないとか、招かれていない家には入れない、鏡には映らない、などなど……こうしてみると、弱点の百貨店と言っても過言ではない。特に、招かれていない家に入れないのは致命的である。
 もっとも、コンビニの場合は全ての人を招き入れている。というより、招き入れないと営業が成り立たない。だから、ドラキュラ氏も入りやすいのだろう。
 まあ、そんなことはどうでもいい。お客さまがいない今がチャンスだ。僕は店内を回り、商品棚のチェック始めた。商品が切れているところは補充し、廃棄しなくてはならない商品が紛れていないかを見る。これは、とても大事な作業なのだ。



「おい、俺が何が欲しいか分かるか?」

 いきなり声をかけてきた人がいた。スーツを着てネクタイを締めた小太りの男だ。見た感じは、普通のサラリーマンであるが……まだ夕方だというのに、酔っぱらっているのだろうか。

「いえ……申し訳ないですが、分かりません」

 にこやかな表情で、僕は答える。すると、サラリーマンは僕を睨んだ。

「はあ!? そんなことで、よく店員が務まるな! 客が求めるものくらい、顔を見ただけで当てろ!」

 言っていることが無茶苦茶だ。酒の匂いもする。足取りもおぼつかない。この人は、明らかに酔っ払っている。まだ夕方だというのに、何があったのだろうか……。
 その理由は、すぐに判明した。

「この野郎、それでもプロの店員か! お前、うかうかしてると俺みたいにリストラされるぞ!」

 なるほど、リストラに遭ったのか……などと呑気に構えている場合ではない。このサラリーマン改めリストラマン氏は、いきなり殴りかかって来そうな雰囲気である。リストラされた怒りが、全身に充満しているのだ……。
 もっとも、当然ながら店内には防犯カメラが設置してある。殴られれば、傷害罪で訴えることも可能だ。
 しかし、この状況では警察沙汰は避けたい。何せ、店には僕ひとりしかいないのだ。傷害事件ともなると、僕は事情聴取をする羽目になる。そうなった場合、店の機能はストップしてしまうのだ。
 それは、あってはならないことである。

「お客さま、未熟者で申し訳ありません」

 とりあえず、僕は謝ることにした。どうにか機嫌を直してもらわなくてはならない。そのため、僕は頭を下げた。
 しかし、これは逆効果だった。リストラマンは、僕の襟首を掴んできたのだ。

「てめえ! 適当なこと言ってんじゃねえ! 謝れば何とかなると思ってんだろうが!」

 喚きながら、リストラマンは僕に迫る。これは非常に困った。どうにかして、相手に暴力を振るわせずに収めなくてはならないのに……。
 その時、誰かがリストラマンの肩をポンポンと叩いた。

「誰だよ! 文句あんのかゴラァ!」

 憤怒の形相で振り向くリストラマン。完全に頭に血が昇っていた。
 だが次の瞬間、その怒りがしぼんでいく……見ている僕にも、手に取るように分かった。
 もっとも、それも当然だろう。リストラマンの目の前にいるのは、恐ろしく背が高く体格のいい男なのだ。しかも、顔には長いギザギザの傷痕が何本も付いている。おまけに、両耳のあたりには巨大なボルトが一本ずつ刺さっている。
 これは……やっぱりアレだろう。フランケンシュタインの怪物だろうな。
 だが、リストラマンは分かっていないらしかった。

「フ、フランケンシュタインだあ!」

 恐怖のあまり顔を歪めながら、リストラマンは僕から手を離す。と同時に、一目散に逃げて行ったのだ。
 まあ、リストラマンが逃げる気持ちは分からなくもない。体は大きいし顔も怖い。ツギハギだらけの顔、でかいボルトの刺さった首、見上げるような巨体……ビビって逃げ出すのも仕方ないだろう。
 しかし、リストラマンは根本的な勘違いをしている。今、僕の目の前にいるのはフランケンシュタインという名前ではない。フランケンシュタインとは、怪物を創造した博士の名前なのだ。世間では、勘違いしている人が少なくないのだが……。
 ちなみに、フランケンシュタイン博士の創造した怪物には、実は名前がない。すなわち、名前のない怪物なのだ。創造主に名前すら付けてもらえなかった、哀れなる存在……そう、原作は涙なくしては、語れない物語なのである。

 そんなことを考えていた僕だったが、怪物氏の言葉でようやく我に返った。

「あ、あのう……これ、お願いします」

 そう言うと、怪物氏は焼き肉弁当とハンバーグ弁当さらに菓子パンが数個にお茶のペットボトルが入ったカゴを指し示す。
 さすが、この巨体だけあって食べる量も凄い……などと感心している場合ではないのだ。僕は、重大なミスを犯していることに気づく。
 お客さまを待たせてはいけないのだ。

「申し訳ありません。すぐに……」

 そう言うと同時に、すぐさまレジの方に向かう。会計を済ませると、怪物氏は軽く会釈して出ていった。紳士である。

「ありがとうございました」

 その大きな背中に、僕は頭を下げる。心の中とはいえ、怪物氏、などと勝手なアダ名を付けては失礼かもしれない。だが、今は便宜上そう呼ぶしかないのだ。
 これまた多くの人々に誤解されているのだが、原作である『フランケンシュタイン』の怪物もまた知的なのだ。読むと分かるのだが、怪物は自身の出生について悩み考え「自分は何者なのか?」という疑問にぶち当たるのだ。
 しかし怪物は、高い知性と人間性とを持っているにもかかわらず、その醜さゆえに他の人々から疎外されていき……いやいや、『フランケンシュタイン』を考察している場合ではない。今は仕事中なのだ。
 僕は再び、商品棚のチェックをする。そう、今の店には僕しか居ないのだ。僕がやらねば、誰がやる?




「あ、あのう……」

 ためらいながらも、僕はお客さまに声をかける。こういうのは一番嫌なのだが、しかし言わなくてはならないこと。
 何故なら、僕の目の前には……ホッケーマスクを被り、ボロボロの服を着た大男がいるのだ。先ほどの怪物氏ほどではないにしろ、肩幅が広くガッチリした体格である。服を脱いだら、プロレスラーのような体つきをしているのだろう。
 これは間違いない……13日の金曜日になると暴れだす、厄介なあの人だ。クリスタルレイクにて殺人鬼となり、何人ものバカップルを殺した伝説のモンスター……って、そんなことはどうでもいい。
 この格好で店に入られたら、とても困ってしまう。なぜなら店の規則として、フルフェイスのヘルメットを被ったお客さまの入店は禁止しているのだ。当然ながら、ホッケーマスクを被っての入店も禁止である。
 店員として、ここは何とかしなくてはならない。

「申し訳ないのですが、その仮面を外していただけないでしょうか……でないと、入店をお断りさせていただきます」

 僕の言葉に、殺人鬼氏は首を傾げる。僕はもう一度繰り返した。

「申し訳ないのですが、そのマスクを外していただけないでしょうか? 店の規定により、入店はご遠慮いただくことになっているんですよ……」

 言いながら、僕は頭を下げた。すると、殺人鬼氏はうんうんと頷きマスクを外す。意外とイケメンなのに驚いたが、そんな表情を見せてはいけない。
 殺人鬼氏は一通り店の中を見て回り、お菓子とジュースを買っていった。その背中に向かい、僕は丁寧に頭を下げる。

「ありがとうございました」

 ちなみに、あまり知られていない話だが、シリーズ化された例の映画の一作目には、彼は出ていなかったりする。トレードマークのホッケーマスクも、実は三作目からなのだ。二作目では、袋を被っていたのである。
 さらに、五作目には彼は出ていなかったりする……って、そんなホラー映画のうんちくを語っている場合ではないのだ。さあ、仕事仕事。



「いやあ、すまなかったね。ひとりで大変だったろう」

 僕が棚卸しをしていた時、ようやく店長が現れた。

「ええ、まあ。変わったお客さまが多かったですが、何事もなく無事にすみました」

「それは良かった。俺なんか、ここに来るまでにいろんなの見ちゃってさ……どうなるかと心配してたんだよ」

 そう言うと、店長はため息を吐いた。

「早く終わってくれないかなあ、ハロウィーン……」





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