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ある会議室での話
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それは、不思議な場所だった。
とある市の山奥にて、木の生い茂る獣道を進んで行くと、いきなり塀に囲まれた建物が出現するのだ。高さは、四階建てであり、広さは東京ドームひとつぶん……よりは確実に小さいが、僻地の小学校よりは大きい。入口には、友愛学園という看板がかかっている。
建物内の一室にて、二人の男が椅子に座りテーブルを挟んで向かい合っていた。
「何で、こんなことになったのか……順を追って話してくれ」
片方の男が、おもむろに口を開く。年齢は四十代から五十代か。高級スーツ姿で、髪は少し薄くなっているが引き締まった体つきだ。知的な雰囲気を漂わせているが、目つきは鋭く顔つきも険しい。射るような視線を、目の前にいる者に向けている。
「さ、最初からですか?」
もう片方の青年は、神妙な顔つきで聞き返した。まだ二十代だろうか。安物のジャージ姿で、優しそうな顔立ちだ。ただでさえほっそりした体を、いっそう縮こませている。
「そうだ。何がどうしてこうなったのか? そして今どんな状況なのか? 最初から、きっちり説明してくれ」
言った後、中年男はじろりと睨みつける。落ち着いた声だが、奥底には有無を言わさぬ迫力がある。
「ええとですね、三〇二の後藤卓己が昨夜、寮から脱走しました」
声を震わせながら、青年は答えた。すると、中年男の目が吊り上がる。
「それはわかっている。私が知りたいのは、奴はどうやって逃げたかということと、逃げる道中に何があったかということだ」
「それが……どうやら、入浴の時間に逃げ出したようです」
その瞬間、中年男はふうと溜息を吐いた。呆れてものも言えない、という雰囲気だ。青年の方は顔をしかめ、ひたすら床を見つめている。
ややあって、中年男は口を開いた。
「なあ、ひとつ聞きたい。君らは、当時なにをしていた? 後藤の入浴中、当直の君らはどうしていたのかね?」
「実はですね、当直の都築がひどい下痢でして、休憩室で休んでいたんですよ。おかげで、A棟の見回りはふたりで行っている状態でした。しかも運悪く、同じ時間に四〇一の石橋が鼻血が止まらなくなり、私たちは彼の介護に当たっていました。ですので、他の者たちのことは完全にノーマークでした」
「その隙に逃げたのか。で、奴はどこに行った?」
「ここから、二十キロほど先にあるコンビニに行きました」
その途端、中年男はテーブルを殴りつけた──
「なんだとお! 奴はコンビニに行ったのか!?」
「はい……そこで、後藤は店員に取り押さえられました」
「ちょっと待て。後藤は、なぜ取り押さえられたんだ? 万引きでもしたのか? それとも、他の客と揉めたのか?」
憤怒の形相で聞いてくる中年男に、青年は消え入りそうな声で答える。
「それが……全裸で店に入って行こうとしまして……」
「なんだと!? 奴は、なぜ全裸になった!?」
怒鳴りながら、中年男は立ち上がった。先ほどまでの落ち着いた知的な雰囲気は、完全に消え失せている。
「実はですね、奴は浴室から全裸のまま脱走したんですよ。気づくのが遅れたのも、そこに理由があります。下着と着替えが、ずっと脱衣所に残っていたんですよ。まさか、全裸で逃げるとは思わず、ずっと風呂に入っていたのかと思っていまして……」
「で、奴はどうなったんだ?」
「全裸でコンビニに入っていこうとして店員に止められ、押し問答になりました。数分後、駆けつけた警察官に公然わいせつ罪の現行犯で逮捕され、警察署に連れて行かれました」
その瞬間、中年男は立ち上がった。凄まじい形相で、壁を蹴飛ばす──
「クソがあぁ!」
喚きながら、何度も壁に蹴りを入れた。その度に、ドスンドスンという音が響き渡る。青年は、震えながら縮こまっていた。
数発の蹴りの後、中年男はようやく動きを止めた。荒い息を吐きながら、再び青年の方を向く。
「その後は? 経過を詳しく話せ」
「まず、警察署にて刑事からの取り調べを受けました。二時間から三時間ほどと見られています。支離滅裂な発言ばかりだったそうですが、どうにか調書を書き上げて留置場に入れました」
その途端、中年男はその場に崩れ落ちる。
「留置場!? なあ、あいつは独房に入ったのか? そうなんだよな?」
泣きそうな声が聞こえてきた。青年は、顔をしかめつつ答える。
「それが……たまたま独房は空いておらず、三人の容疑者と同じ部屋に収容したそうです。ちなみに、取り調べに当たった刑事は二人だったそうです」
「ざけんなあぁ!」
叫ぶと同時に、中年男は床を叩いた。何度も、何度も。
やがて彼は、床に顔を伏せたまま、か細い声で尋ねた。
「で、その後は?」
「翌日の朝、地方検察局に送られて検事から取り調べを受けました。結果、精神障害の可能性が濃厚と判断され、その日のうちに病院に強制入院されたそうです」
「なんて日だよ……」
呻きながら、中年男は立ち上がる。青年は、恐る恐る口を開いた。
「今、弁護士が病院に向かっています。どうにか、今日中には秘密裏に戻るようですが……」
「もう遅い。お前、パスポートあるか?」
聞き返してきた中年男の顔には、異様な表情が浮かんでいる。何か重大な決断をしたらしい。
「えっ? パスポートですか?」
「ああ。俺は家族を連れ、今日のうちに日本を離れる。お前も、出来るだけ早く飛行機を手配しろ。こうなったら手遅れだ。しばらく日本を離れとけ」
そう言うと、中年男は早足で部屋を出ていった。一方、青年は立ち上がり、窓から外を見る。ちょうど寮の中に、当直の職員が入っていくところだった。白い防護服を着た姿で、鉄製のドアを開け入っていく。
「そうだよな。俺も、海外に飛ぶしかねえ」
・・・
一ヶ月後──
(緊急速報です。石場市にて発生していた奇病ですが、未知のウイルスによるものと判明しました。このウイルスは致死率が高く、発症した人の四割が一週間以内に亡くなっています。ウイルスの発生源は石場病院精神科棟と見られていますが、警察署の警察官と留置場の収容者ならびに近くのコンビニエンスストアの店員と客にも発症した者が多数いるようです。石場市は、日本初のロックダウン指定都市となりました。現在、市への出入りは禁止されております。なお、この奇病の初期症状として、水を大量に飲むという行動があります……)
木奈市は現在、物々しい空気に包まれていた。何せ、隣の石場市はロックダウン状態である。市としての機能は、完全に封鎖された状態だ。しかも境界線には、白い防護服を着た者たちが見張っている。出ることも入ることも不可能、なはずだった。
隣の木奈市にも、緊急事態宣言が出されている。もともと人口の少ない町であり、住人にとって大した影響はないが、それでも不安は拭えない。異様な空気が漂っていた。
そんな木奈市の公園に、ひとりのホームレスが住み着いていた。近所の住人は、皆ホームレスが住み着いていることを知っている。無論、歓迎はされていない。
ホームレスは普段、公園にある水呑場の水を生活用水として使っている。今日もまた、蛇口を捻り二リットルのペットボトルに水を汲んでいた。いつもの日課である。以前から、毎日していたことだ。
その姿を、スマホで撮影している者がいた。公園のすぐ近くに住んでいる高校生だ。普段は、ホームレスの行動など気にも留めていない。だが、今は違っていた。水を汲む姿を、ずっと撮影し続けている。
高校生は、すぐに撮影した動画をSNSに投稿した。こんなコメントとともに──
(うちの近所の公園に住んでるホームレス、水を異様に飲んでるみたい。もしかしたら、もう感染してるのかもしれない。怖くて仕方ない。どっか行ってくれないかな)
翌日、公園にてホームレスの死体が発見された。死因は焼死である。夜中にダンボールハウスの中で寝ているところを、何者かに手製の火炎瓶を投げられ、家ごと燃やされたのだった……。
とある市の山奥にて、木の生い茂る獣道を進んで行くと、いきなり塀に囲まれた建物が出現するのだ。高さは、四階建てであり、広さは東京ドームひとつぶん……よりは確実に小さいが、僻地の小学校よりは大きい。入口には、友愛学園という看板がかかっている。
建物内の一室にて、二人の男が椅子に座りテーブルを挟んで向かい合っていた。
「何で、こんなことになったのか……順を追って話してくれ」
片方の男が、おもむろに口を開く。年齢は四十代から五十代か。高級スーツ姿で、髪は少し薄くなっているが引き締まった体つきだ。知的な雰囲気を漂わせているが、目つきは鋭く顔つきも険しい。射るような視線を、目の前にいる者に向けている。
「さ、最初からですか?」
もう片方の青年は、神妙な顔つきで聞き返した。まだ二十代だろうか。安物のジャージ姿で、優しそうな顔立ちだ。ただでさえほっそりした体を、いっそう縮こませている。
「そうだ。何がどうしてこうなったのか? そして今どんな状況なのか? 最初から、きっちり説明してくれ」
言った後、中年男はじろりと睨みつける。落ち着いた声だが、奥底には有無を言わさぬ迫力がある。
「ええとですね、三〇二の後藤卓己が昨夜、寮から脱走しました」
声を震わせながら、青年は答えた。すると、中年男の目が吊り上がる。
「それはわかっている。私が知りたいのは、奴はどうやって逃げたかということと、逃げる道中に何があったかということだ」
「それが……どうやら、入浴の時間に逃げ出したようです」
その瞬間、中年男はふうと溜息を吐いた。呆れてものも言えない、という雰囲気だ。青年の方は顔をしかめ、ひたすら床を見つめている。
ややあって、中年男は口を開いた。
「なあ、ひとつ聞きたい。君らは、当時なにをしていた? 後藤の入浴中、当直の君らはどうしていたのかね?」
「実はですね、当直の都築がひどい下痢でして、休憩室で休んでいたんですよ。おかげで、A棟の見回りはふたりで行っている状態でした。しかも運悪く、同じ時間に四〇一の石橋が鼻血が止まらなくなり、私たちは彼の介護に当たっていました。ですので、他の者たちのことは完全にノーマークでした」
「その隙に逃げたのか。で、奴はどこに行った?」
「ここから、二十キロほど先にあるコンビニに行きました」
その途端、中年男はテーブルを殴りつけた──
「なんだとお! 奴はコンビニに行ったのか!?」
「はい……そこで、後藤は店員に取り押さえられました」
「ちょっと待て。後藤は、なぜ取り押さえられたんだ? 万引きでもしたのか? それとも、他の客と揉めたのか?」
憤怒の形相で聞いてくる中年男に、青年は消え入りそうな声で答える。
「それが……全裸で店に入って行こうとしまして……」
「なんだと!? 奴は、なぜ全裸になった!?」
怒鳴りながら、中年男は立ち上がった。先ほどまでの落ち着いた知的な雰囲気は、完全に消え失せている。
「実はですね、奴は浴室から全裸のまま脱走したんですよ。気づくのが遅れたのも、そこに理由があります。下着と着替えが、ずっと脱衣所に残っていたんですよ。まさか、全裸で逃げるとは思わず、ずっと風呂に入っていたのかと思っていまして……」
「で、奴はどうなったんだ?」
「全裸でコンビニに入っていこうとして店員に止められ、押し問答になりました。数分後、駆けつけた警察官に公然わいせつ罪の現行犯で逮捕され、警察署に連れて行かれました」
その瞬間、中年男は立ち上がった。凄まじい形相で、壁を蹴飛ばす──
「クソがあぁ!」
喚きながら、何度も壁に蹴りを入れた。その度に、ドスンドスンという音が響き渡る。青年は、震えながら縮こまっていた。
数発の蹴りの後、中年男はようやく動きを止めた。荒い息を吐きながら、再び青年の方を向く。
「その後は? 経過を詳しく話せ」
「まず、警察署にて刑事からの取り調べを受けました。二時間から三時間ほどと見られています。支離滅裂な発言ばかりだったそうですが、どうにか調書を書き上げて留置場に入れました」
その途端、中年男はその場に崩れ落ちる。
「留置場!? なあ、あいつは独房に入ったのか? そうなんだよな?」
泣きそうな声が聞こえてきた。青年は、顔をしかめつつ答える。
「それが……たまたま独房は空いておらず、三人の容疑者と同じ部屋に収容したそうです。ちなみに、取り調べに当たった刑事は二人だったそうです」
「ざけんなあぁ!」
叫ぶと同時に、中年男は床を叩いた。何度も、何度も。
やがて彼は、床に顔を伏せたまま、か細い声で尋ねた。
「で、その後は?」
「翌日の朝、地方検察局に送られて検事から取り調べを受けました。結果、精神障害の可能性が濃厚と判断され、その日のうちに病院に強制入院されたそうです」
「なんて日だよ……」
呻きながら、中年男は立ち上がる。青年は、恐る恐る口を開いた。
「今、弁護士が病院に向かっています。どうにか、今日中には秘密裏に戻るようですが……」
「もう遅い。お前、パスポートあるか?」
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「えっ? パスポートですか?」
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そう言うと、中年男は早足で部屋を出ていった。一方、青年は立ち上がり、窓から外を見る。ちょうど寮の中に、当直の職員が入っていくところだった。白い防護服を着た姿で、鉄製のドアを開け入っていく。
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隣の木奈市にも、緊急事態宣言が出されている。もともと人口の少ない町であり、住人にとって大した影響はないが、それでも不安は拭えない。異様な空気が漂っていた。
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ホームレスは普段、公園にある水呑場の水を生活用水として使っている。今日もまた、蛇口を捻り二リットルのペットボトルに水を汲んでいた。いつもの日課である。以前から、毎日していたことだ。
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高校生は、すぐに撮影した動画をSNSに投稿した。こんなコメントとともに──
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