世にも異様な物語

板倉恭司

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バトン

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 突然、家の電話がけたたましく鳴った。
 浜本正志ハマモト マサシは、思わず首を捻る。ディスプレイに表示されているのは、見覚えのない番号だ。それ以前に、この家の電話機にかけてくる者などいないはず。友人や知人は、皆スマホに連絡してくる。それも、ほとんどがLINEだ。
 無視しようかとも思ったが、暇だったので出てみることにした。

「はい」

「あー、もしもし、あのですね、お宅の息子さんを預かっているんですよ。そんなわけで、身代金みたいなの頂きたいんですよね」

 一瞬、何を言っているのかわからなかった。迷ったが、どうにか冷静に言葉を搾り出す。

「あのう、うちに息子はいません」
 
「あれ? お宅、タケダさんスよね?」

 上擦った声の正志とは対照的に、相手の声はリラックスしていた。

「いいえ、違います。ウチは浜本です」

「えっ、マジですか……だったら、代わりに身代金払うってのは、どうスかね?」

 頭が混乱した。わけのわからない流れに顔を歪めながらも、どうにか言葉を返す。

「はい? 何を言ってるんですか?」

「いやね、タケダさんとこの息子のツヨシくんを、ウチで預かってるんですよ。身代金払う気あります?」

 何を言っているのだろうか。正志は、受話器を持ったまま固まっていた。
 数秒後、ようやく状況を理解する。これは、イタズラ以外の何物でもない。

「あのさ、これイタズラだよね。いい加減にした方がいいよ」

「まあ、イタズラっちゃイタズラだけどね。で、どうなの? 身代金払う気ある? 大まけにまけて、五万でいいよ」

 とぼけた口調である。正志は、腹が立ってきた。

「ふざけるな。誰が払うかバカ」

「へえ、そんなこと言うんだ。じゃあ、ツヨシくんの首切っちゃうよ。いいの?」

「勝手にしろバカ野郎。やりたきゃやれ」

「わかったよ。じゃあ、首切らせてもらうね」

 言った後、笑う声が聞こえてきた。
 正志の怒りは、ついに沸点に達する。暇だから付き合ってきたが、もう我慢できない。

「切れるもんなら切ってみろ!」

 怒鳴ると同時に、受話器を叩き付けた。念のため、かかってきた番号を着信拒否に設定する。
 ふざけた奴だと思いながら、正志は夕食を食べる。その後は、いつも通りの時間に眠った。



 翌朝、正志は会社に行くため電車に乗っていた。何の気なしにスマホをいじっていたところ、あるニュースを見て愕然となった。

(今朝、武田剛志さん八歳が遺体で発見されました。武田さんは頭部を切断された状態で、公園のベンチに寝かされているところを発見されました……)

 タケダツヨシ。
 その名前には、聞き覚えがある。そう、昨日のイタズラ電話だ。

(タケダさんとこの息子のツヨシくんを、ウチで預かってるんですよ)

(じゃあ、ツヨシくんの首切っちゃうよ)

 あれは、少年の声だった。罪を犯しているという意識はまるで感じられず、ガキのイタズラのような雰囲気だった。
 では、あいつが武田剛志の首を切ったのか──

 その瞬間、ゾッとなった。体が震え、額から汗が流れる。
 正志は受話器越しに、はっきりと言ったのだ。切れるもんなら切ってみろ、と。あの時はイタズラとしか思っておらず、ましてや本当に剛志を誘拐していたとは想像もしなかった。

 俺のせいか?

 そんな考えが頭をよぎる。
 電話の相手は、こうも言っていた。身代金は、大まけにまけて五万円だと。仮に、正志が五万円を払うと答えていれば、剛志は助かったのかも知れない。

 バカバカしい!

 正志は、必死で自分に言い聞かせた。そう、あれはただのイタズラだ。自分とは関係ない。イタズラ電話の翌日、偶然に猟奇的な殺人事件が起きた。それだけの話だ。
 何の関係もない──


 五時になり、正志は会社を後にする。今日は、ミスが異常に多かった。あの件が気になり、仕事どころではなかったのだ。
 ふざけた話である。仕方ない、宅飲みでもして、さっさと忘れよう。正志は、真っすぐ家に帰った。
 家のドアを開け、明かりをつけて中に入る。上着を脱ぎ、ネクタイを外そうとした。
 その瞬間、何かが動く気配を感じる。振り向こうとしたが遅かった。背後から、ネクタイで首を絞められる。必死で抵抗したが、相手の腕力は異様に強い。
 やがて、正志の意識は途切れた。


 どのくらいの時間が経ったのだろう。
 意識を取り戻した正志は、恐怖のあまり震えていた。
 彼は今、ベッドに寝かされている。天井と壁は剥きだしのコンクリートであり、裸電球がぶら下がっている。動こうにも、両手と両足はガッチリ縛られていた。口には猿ぐつわがかけられ、声が出せなくなっている。
 ベッドのすぐ横では、ひとりの若者がたっていた。年齢は、二十歳になるかならないか。身長は百七十センチほどだろうが、その体つきは筋肉質だ。顔は彫りが深く、異国の血が混じっているのは確実である。肩まで伸びた髪を後頭部のあたりで結んでおり、汚いシャツを着ている。どす黒い染みが、大量に付着しているのた。
 そんな若者が、へらへら笑いながら電話をかけていた。相手が誰かはわからない。
 だが、話している内容は聞き逃せないものだった。

「いやね、浜本正志さんをウチで預かっているんだよ。身代金払う気ある?」

 あの時と同じだ。
 正志は、必死で祈った。誰だか知らないが、払うと言ってくれ。これはイタズラじゃないんだ。頼む──

「まあ、イタズラっちゃイタズラだけどね。で、どうなの? 身代金払う気ある? 大まけにまけて、一万でいいよ」

 払うと言ってくれ。
 一万なら、いますぐ返す。いや、百万にして返す。一千万でも構わない。時間さえくれれば、必ず返す。
 だから払うと言ってくれ!

 気が狂いそうな恐怖を感じながら、正志は心の中で祈り続けた。
 だが、話は違う方向に進んでいった──

「へえ、そんなこと言うんだ。じゃあ、正志くんの首切っちゃうよ。いいの?」

 いいわけないだろうが!
 こいつは本気なんだ! 本当に首を切るんだよ!
 頼むから払うと言ってくれ!

 半狂乱になりながら、正志は必死で体を揺すった。だが、手足はガッチリ縛られている。ピクリとも動かない。
 そんな正志の耳に、あの言葉が聞こえてきた。
 
「わかったよ。じゃあ、首切らせてもらうね」

 嘘だろ?
 なんで俺が?
 俺はなんで殺されるんだ?

 やがて、若者がこちらを向いた。耳から受話器を離し、正志の耳に近づける。
 ツーツーという音が聞こえてきた。相手が電話を切ったことを表す音であるのは明白だった。
 ややあって、若者が口を開く。

「はい、切られちゃいました。てなわけで、あなたの首を切りまーす!」

 叫んだ直後、ゲラゲラ笑い出した。
 正志は恐怖のあまり、涙を流していた。必死でもがくが、手足はピクリとも動かない。

「今、電話に出てくれた松田博敏マツダ ヒロトシさんは、あなたのために一万円を出す気はないそうです。残念でした。次のターゲットは、この松田さんに決まりだね。けど、その前に……」

 若者は言葉を止め、ニヤリと笑う。その時、ようやく気づいた。彼の着ているシャツの染みの正体が何なのか、近くで見てわかったのだ。
 この染みは、返り血だ──

「実はね、あなたにかけた電話は本当に間違いだったんだよ。けどね、おかげで面白い遊びを発見できた。あなたには、本当に感謝してるよ。てなわけで、首切りバトンのスタートでーす!」

 とぼけた口調でいいながら、若者は床から何かを持ち上げる。
 それは、チェーンソーだった。





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