堕天使が夢見た未来

板倉恭司

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九月八日 徳郁、不穏な話を聞く

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「くろ、べえ、すき……かわ、いい」

 サンはたどたどしい口調で言いながら、仰向けになっているクロベエの腹を撫でている。クロベエは喉をごろごろ鳴らしながら、されるがままになっていた。時おり、うにゃんと甘えた声を出す。最近、この猫は家から出ることがなくなった。今は午後三時だが、クロベエは朝からずっとサンの隣にいる。彼女から離れようとはしない。
 両者を見ている吉良徳郁の顔には、優しい表情が浮かんでいる。サンの使える言葉の種類は、日を追うごとに増えてきていた。まだ片言ではあるが、それでも出会った頃に比べれば、格段に上手くなっている。
 それが嬉しい。

「サン、クロベエのことが好きなのか?」

 徳郁が尋ねると、サンはうんうんと頷く。

「うん、すき。くろ、べえ……かわ、いい。かわ、いい、から……すき」

 言いながら、仰向けになっていた黒猫の腹を撫でる。
 正直にいえば、クロベエは可愛げのある猫ではない。体はがっしりしていて足は太く、熊のような体型である。その上、右目は潰れているのだ。若い娘が、きゃーきゃー言うようなタイプではない。
 しかし、クロベエを見るサンの目は優しさに満ちていた。左右の色が異なる不思議な瞳には、溢れんばかりの親愛の情がある。
 一方、クロベエは喉をごろごろ鳴らしながら、サンの手をペロペロ舐めている。徳郁に対しては、絶対にこんなことをしない。薄情な奴だ、と思わず苦笑する。
 その時、わう、と小さく鳴く声がした。シロスケの声である。この白犬も、サンに構って欲しくなったらしい。顔を上げ、俺とも遊んでくれとでも言わんばかりの様子で、じっとサンを見つめている。
 このシロスケは、クロベエよりも行動の変化が激しい。今までは自由気ままな野良犬であり、家によりつくことなどなかった。にもかかわらず、今はサンの横ににいる。彼女のそばを、片時も離れようとしない。

「しろ、すけも……かわ、いい。すき」

 サンは手を伸ばし、今度はシロスケの頭を撫でる。シロスケは嬉しそうに、されるがままになっていた。今やサンは、右手でクロベエの腹を撫で、左手でシロスケの頭を撫でているのだ。
 そんな仲睦まじい様子を、徳郁は微笑みながら眺めていた。出来ることなら、この風景をいつまでも記憶に留めておきたい。
 昔の徳郁は、写真を保管したり画像に残すという行為が大嫌いだった。そんなものを残して、何の意味があるというのだ……そう思っていた。
 だが、今は違う。この瞬間の風景を、何かの形で残しておきたい……思った瞬間、徳郁は行動に移していた。スマホを手に、三者の姿を撮影する。
 と、シャッターの音に反応したのか、サンが振り向いた。

「きら、きらは……やさ、しい……から、だいすき」

 たどたどしい口調で語りながら、微笑みかけてくる。徳郁は狼狽うろたえ、頬を赤らめながら目を逸らした。

「そ、そんな事、簡単に言うもんじゃねえよ」

 うつむきながら、ぶっきらぼうな口調で答えた。ひどく照れくさい気分だが、同時に嬉しくもある。どうしていいかわからず、思わず立ち上がっていた。

「ちょ、ちょっと外に出てくる。おとなしくしているんだぞ」

 

 外に出た徳郁だったが、どこにも行かずドアの前に座りこんでいた。見るとはなしに、周囲を見回す。そこには、静かな自然の風景が広がっていた。数メートル先は森となっており、穏やかな雰囲気を醸し出している。
 だが徳郁の今の心境は、穏やかとは程遠いものであった。彼は今、完全に動揺し戸惑っている。他の人間から、大好き、などと言われたのは……生まれて初めての経験なのだ。
 その結果、形容の出来ない何かが体の奥から湧き上がり、徳郁の五体を駆け巡っている。それに対し、どう対応すればいいのかわからない。ただただ、混乱するばかりである。何もかもが、初めての経験だ。

 俺は、どうなっているんだ?

 徳郁は困惑し、外の風景を見るとは無しに眺めていた。
 その時、ポケットに入れていたスマホが着信を知らせてくる。誰からかは、出なくてもわかっていた。藤村正人の他には、このスマホにかけて来る者などいない。

「ど、どうしたんだ?」

 徳郁の声は、妙に裏返っていた。口調もおかしい。内面の動揺が、彼の発する言葉にまともに影響してしまっている。

(ん……ノリちゃん、何か変だぞ。どうかしたのか?)

「えっ? い、いや、どうもしてない。それより、何の用だ? 仕事か?」

(いや、仕事じゃないんだけどな。ところで、そっちはどんな感じだよ?)

「ど、どうって?」

(実は四、五日くらい前から、おっかない連中が妙に殺気立っているんだよ。何が起きたかは知らないが、誰かを血眼になって探してるらしいぜ)

 その言葉を聞いた瞬間、徳郁の顔は青ざめていた。四、五日前といえば、サンと出会ったのがその頃だ。血まみれで、川のほとりに立っていた彼女の姿を、徳郁は今も覚えている。
 ひょっとして、サンを探しているのか?

(おいノリちゃん、聞いてんのかい?)

 正人の声を聞き、ハッと我に返る。今はとにかく、その事件の情報を聞かなくてはならない。

「あ、ああ。聞いてる。おっかない連中って、ヤクザか?」

(ああ、たぶんな。もしかすると、神居家の連中が絡んでいるのかもしれない。とにかく、今は気を付けなよ。他にも、立て続けに妙なことが起きてるらしいぞ)

「妙なこと? 詳しく教えてくれないか」



 正人の電話が終わってから、どのくらいの時間が経ったのだろう。徳郁は、虚ろな目で空を見上げた。
 今、聞いた話は、とんでもない内容のものであった。まず、旧三日月村の付近にある施設に何者かが侵入した。直後、施設の関係者が慌ただしく出入りしていたらしい。
 その翌日、裏社会の人間が動き出した。彼らは、何者かを探しているらしい。さらに、その裏社会の人間がふたり、旅行者に襲われ病院送りにされたらしい。

(何が起きてんのかわからないが、ヤクザがふたり病院送りにされたんだよ。何でも、旅行者に話を聞こうとした途端に、いきなり襲われたらしい。どうも、いろんな連中の利権が複雑に絡み合っているようなんだ。連中は、今すぐ戦争でもおっ始めそうなくらいピリピリしてる。くれぐれも気を付けろよ)

 最後、正人はそんなことを言っていた。この白土市で、いったい何が起きているのだろうか。
 殺し屋稼業にどっぷりと浸かってはいるが、徳郁は裏の世界のことはほとんど知らない。この白土市にどんな連中該当いるのか、どこの何者が仕切っているのか……そうした事情には疎い。
 徳郁は、付近を見回してみた。周囲の風景は、いつもと変わりない。緑に覆われた静かな場所だ。今は九月であり、まだ夏の暑さが残っている。半袖で外を出歩ける気候である。
 こんなのどかな白土市で、いったい何が起きているのかは不明だが……良からぬことであるのは確かだ。徳郁は不安を感じ、急いで家に戻った。

 入ってみると、リビングはさっきと同じ状態であった。サンは床に座って、テレビを楽しそうに観ている。その傍らには、クロベエとシロスケが控えていた。サンを守る忠実な神獣のように見える。

「サン」

 思わず声をかける徳郁に、サンは嬉しそうな顔で振り向いた。

「きら……きら」

 言いながら、サンは微笑んだ。すると、クロベエとシロスケもこちらを見る。お前もこっちに来い、とでも言いたげな様子である。
 徳郁は苦笑し、キッチンへと向かう。まずは、夕食の支度をしておこう。考えるのはそれからだ。






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