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九月七日 徳郁、幸せに気づく
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その日、吉良徳郁はテレビの音で目覚めた。あくびをしながら、リビングへと歩いて行く。
予想通りの光景があった。サンが床に座って、楽しそうにテレビを観ている。その傍らには、クロベエとシロスケがいた。二匹とも体を丸めて寝そべっており、完全にリラックスしきっている様子である。まるで、サンの子供のようだ。
徳郁は、ためらいながらも声をかけた。
「あ、あの……サン、おはよう」
ぎこちない口調で声をかけた。他人に、こんな風に朝の挨拶をするのは久しぶりだ。何だか恥ずかしい。
そんな徳郁の声に反応し、サンは振り向いた。顔には、嬉しそうな表情が浮かんでいる。
「きら、おはよう。おはよう……きら」
たどたどしい口調で、挨拶を返してくるサン。さらに、寝ていたクロベエが顔を上げた。徳郁の方を向き、にゃあと鳴く。こちらも、朝の挨拶のつもりなのだろうか。
徳郁はなぜか照れくさくなり、頬を赤らめながら頷いた。
キッチンに行き、朝食の支度をしようとする。考えてみれば、普段の徳郁は昼過ぎまで寝ている。この時間帯に目を覚ますのは珍しい。
その時、軽い違和感を覚えた。手を止め、考えてみる。
違和感の正体はサンだ。いつのまにか、彼女の操る言葉が増えている。話し方も、少しづつではあるが上手くなっているのだ。徳郁は、もう一度話しかけてみた。
「なあ、朝ご飯を食べるか?」
徳郁が尋ねると、サンはこちらを向く。
「たべる……ごはん、たべる。きら、くろべえ、しろすけ……いっしょ、ごはん、たべる」
そう言って、嬉しそうに微笑む。すると横にいたクロベエがサンを見上げ、にゃあと鳴いた。俺も食べたい、とでも言っているのだろうか。
そんな両者のあまりの可愛らしさに、徳郁も思わず微笑んでいた。ニコニコしながら、朝食の支度を続ける。
手を動かしながら、徳郁は改めて考えてみた。出会った直後に比べ、語彙が増えているサン。これは、自分との会話やテレビを観て学習したせいだろうか。初めはコミュニケーションが取れるのか不安であったが、これなら心配ないだろう。
その時、またしても疑問にぶち当たる。サンは、いったい何者なのだろうか?
どう見ても、まともな人生を送ってきたようには思えない。しかも、出会った時は全身が血まみれだったのだ。彼女が人を殺すようには思えないが、何かの事件に巻き込まれたのだろうか。
徳郁はサンと出会ってから、念のために様々なニュース番組をチェックしてみるようになっていた。あの血の量から察するに、死体はかなり損壊しているはずだ。バラバラになっていたとしてもおかしくない。
そんな死体が発見されたのなら、確実に猟奇的な殺人事件として報道されているだろう。ところが、そのようなニュースは報道されていなかった。少なくとも今まで、バラバラ殺人や大量殺人のような猟奇的事件のニュースは、テレビでは伝えられていない。
どういうことだ?
ふと、自分を取り巻く環境についても考えてみた。この白土市という地域は、よそから来た人間には冷たい。極めて閉鎖的な場所である。独特の空気が流れているのだ。また、他人のことには無関心な者も多い。徳郁のような者が山の近くに住んでいても、誰も関心を示さないのだ。
そういえば、かつて藤村正人から聞いたことがある。白土市を支配しているのは国でも地方自治体でもなく、神居家なのだと。神居家がその気になれば、殺人など簡単に揉み消せる、そんな話をしていた記憶がある。
正直、徳郁には興味のない話だった。白土市を誰が支配していようが、そんなものは彼には何の関係もない。とはいえ、そんな特殊な事情を持つ地域であるならば、何が起きても不思議ではないのだ。
もしかすると、サンの巻き込まれた事件も、何者かの手で揉み消されたのかもしれない。
だとすると、サンは一体……。
「サン、出来たぞ」
そう言うと、徳郁は皿を持って行く。中にはハムのサンドイッチと目玉焼き、それに野菜サラダが盛られている。味には自信がないが、とりあえずはこれで我慢してもらおう。
すると、それまで床に伏せていたクロベエとシロスケが顔を上げた。ゆったりとした動作で起き上がり、皿の中身とその行方をじっと見守っている。
徳郁は苦笑した。このままでは、サンは自分の分まで二匹にあげてしまいかねない。それに、人間と動物の食事はきちんと分ける必要がある。
「クロベエ、シロスケ、お前らの餌は向こうだよ。今、用意するからな」
言いながら、皿をサンに手渡した。ちゃぶ台もテーブルもないので、床に置いて食べるしかないのだが。
「ほらサン、朝ご飯だ。美味しいぞ」
「たべる。さん、ごはん……たべる」
たどたどしい口調で言った後、サンは嬉しそうな表情で食べ始めた。
一方、徳郁はドッグフードとキャットフードの袋を手に取る。それを別々の皿に空け、二匹の前に差し出した。
すると、クロベエとシロスケも皿に顔を突っ込む。二匹は夢中で食べ始めた。
美味しそうに食べている少女と二匹の動物。そんな微笑ましい風景を見ているうちに、徳郁の顔は自然と緩んでいく。ふと、昨日のサンが言った言葉を思い出した。
(きら、おいしい……さん、うれしい)
今の自分も、同じ気持ちだ。サンが嬉しければ、自分も嬉しい。
これまで感じたことのない不思議な感覚が、彼の裡から生まれていた。その暖かい何かは、五体にゆっくりと染み渡っていく。生まれて初めての感覚ではないだろうか。
その暖かい感覚が、先ほどまで感じていた疑惑を塗り潰していく。
クロベエとシロスケ、そしてサンがいてくれる……これこそが、今の俺にとっての幸せなのではないだろうか?
徳郁は生まれて初めて、他の人間の存在を心からいとおしいと感じていた。そんな自分に戸惑いながらも、改めて決意した。
サンが何者で、過去に何があったのか。そんなことは、どうでもいい。
今の、この幸せな時を壊したくない。
サンがいてくれれば、他のことなど知ったことではない。
ずっと、このままの状態が続いて欲しい。
予想通りの光景があった。サンが床に座って、楽しそうにテレビを観ている。その傍らには、クロベエとシロスケがいた。二匹とも体を丸めて寝そべっており、完全にリラックスしきっている様子である。まるで、サンの子供のようだ。
徳郁は、ためらいながらも声をかけた。
「あ、あの……サン、おはよう」
ぎこちない口調で声をかけた。他人に、こんな風に朝の挨拶をするのは久しぶりだ。何だか恥ずかしい。
そんな徳郁の声に反応し、サンは振り向いた。顔には、嬉しそうな表情が浮かんでいる。
「きら、おはよう。おはよう……きら」
たどたどしい口調で、挨拶を返してくるサン。さらに、寝ていたクロベエが顔を上げた。徳郁の方を向き、にゃあと鳴く。こちらも、朝の挨拶のつもりなのだろうか。
徳郁はなぜか照れくさくなり、頬を赤らめながら頷いた。
キッチンに行き、朝食の支度をしようとする。考えてみれば、普段の徳郁は昼過ぎまで寝ている。この時間帯に目を覚ますのは珍しい。
その時、軽い違和感を覚えた。手を止め、考えてみる。
違和感の正体はサンだ。いつのまにか、彼女の操る言葉が増えている。話し方も、少しづつではあるが上手くなっているのだ。徳郁は、もう一度話しかけてみた。
「なあ、朝ご飯を食べるか?」
徳郁が尋ねると、サンはこちらを向く。
「たべる……ごはん、たべる。きら、くろべえ、しろすけ……いっしょ、ごはん、たべる」
そう言って、嬉しそうに微笑む。すると横にいたクロベエがサンを見上げ、にゃあと鳴いた。俺も食べたい、とでも言っているのだろうか。
そんな両者のあまりの可愛らしさに、徳郁も思わず微笑んでいた。ニコニコしながら、朝食の支度を続ける。
手を動かしながら、徳郁は改めて考えてみた。出会った直後に比べ、語彙が増えているサン。これは、自分との会話やテレビを観て学習したせいだろうか。初めはコミュニケーションが取れるのか不安であったが、これなら心配ないだろう。
その時、またしても疑問にぶち当たる。サンは、いったい何者なのだろうか?
どう見ても、まともな人生を送ってきたようには思えない。しかも、出会った時は全身が血まみれだったのだ。彼女が人を殺すようには思えないが、何かの事件に巻き込まれたのだろうか。
徳郁はサンと出会ってから、念のために様々なニュース番組をチェックしてみるようになっていた。あの血の量から察するに、死体はかなり損壊しているはずだ。バラバラになっていたとしてもおかしくない。
そんな死体が発見されたのなら、確実に猟奇的な殺人事件として報道されているだろう。ところが、そのようなニュースは報道されていなかった。少なくとも今まで、バラバラ殺人や大量殺人のような猟奇的事件のニュースは、テレビでは伝えられていない。
どういうことだ?
ふと、自分を取り巻く環境についても考えてみた。この白土市という地域は、よそから来た人間には冷たい。極めて閉鎖的な場所である。独特の空気が流れているのだ。また、他人のことには無関心な者も多い。徳郁のような者が山の近くに住んでいても、誰も関心を示さないのだ。
そういえば、かつて藤村正人から聞いたことがある。白土市を支配しているのは国でも地方自治体でもなく、神居家なのだと。神居家がその気になれば、殺人など簡単に揉み消せる、そんな話をしていた記憶がある。
正直、徳郁には興味のない話だった。白土市を誰が支配していようが、そんなものは彼には何の関係もない。とはいえ、そんな特殊な事情を持つ地域であるならば、何が起きても不思議ではないのだ。
もしかすると、サンの巻き込まれた事件も、何者かの手で揉み消されたのかもしれない。
だとすると、サンは一体……。
「サン、出来たぞ」
そう言うと、徳郁は皿を持って行く。中にはハムのサンドイッチと目玉焼き、それに野菜サラダが盛られている。味には自信がないが、とりあえずはこれで我慢してもらおう。
すると、それまで床に伏せていたクロベエとシロスケが顔を上げた。ゆったりとした動作で起き上がり、皿の中身とその行方をじっと見守っている。
徳郁は苦笑した。このままでは、サンは自分の分まで二匹にあげてしまいかねない。それに、人間と動物の食事はきちんと分ける必要がある。
「クロベエ、シロスケ、お前らの餌は向こうだよ。今、用意するからな」
言いながら、皿をサンに手渡した。ちゃぶ台もテーブルもないので、床に置いて食べるしかないのだが。
「ほらサン、朝ご飯だ。美味しいぞ」
「たべる。さん、ごはん……たべる」
たどたどしい口調で言った後、サンは嬉しそうな表情で食べ始めた。
一方、徳郁はドッグフードとキャットフードの袋を手に取る。それを別々の皿に空け、二匹の前に差し出した。
すると、クロベエとシロスケも皿に顔を突っ込む。二匹は夢中で食べ始めた。
美味しそうに食べている少女と二匹の動物。そんな微笑ましい風景を見ているうちに、徳郁の顔は自然と緩んでいく。ふと、昨日のサンが言った言葉を思い出した。
(きら、おいしい……さん、うれしい)
今の自分も、同じ気持ちだ。サンが嬉しければ、自分も嬉しい。
これまで感じたことのない不思議な感覚が、彼の裡から生まれていた。その暖かい何かは、五体にゆっくりと染み渡っていく。生まれて初めての感覚ではないだろうか。
その暖かい感覚が、先ほどまで感じていた疑惑を塗り潰していく。
クロベエとシロスケ、そしてサンがいてくれる……これこそが、今の俺にとっての幸せなのではないだろうか?
徳郁は生まれて初めて、他の人間の存在を心からいとおしいと感じていた。そんな自分に戸惑いながらも、改めて決意した。
サンが何者で、過去に何があったのか。そんなことは、どうでもいい。
今の、この幸せな時を壊したくない。
サンがいてくれれば、他のことなど知ったことではない。
ずっと、このままの状態が続いて欲しい。
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