堕天使が夢見た未来

板倉恭司

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九月二日 徳郁、自宅でくつろぐ

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 九月二日の朝、吉良徳郁は藤村正人の運転する車に乗っていた。車は、徳郁の自宅へと向かっている。仕事を終え、家に帰るところなのだ。
 昨日の仕事もまた、普段と同じようなものであった。正人に依頼されて人を殺し、その死体を解体する。後は精肉工場の機械で、肉や骨などを細かく砕き切り刻む。その後は、養豚場の豚や海の魚などに食べさせる。これで、死体を完璧に消し去るわけだ。
 常人が聞いたら、胸が悪くなるような話だろう。しかし徳郁にとっては、ごく普通の日常なのだ。
 仕事を終えた後、徳郁は真っ直ぐに自宅へと帰る。他人との接触を異常なまでに嫌っている彼は、世間一般の人々が好むような飲食店や娯楽施設などには、いっさい近寄らない。そもそも、この男に楽しみや趣味などと呼べるようなものは、無いに等しかった。



 徳郁は、周囲を山に囲まれた白土市の外れの地域に住んでいる。山の麓に建てられた、ペンションのような家で暮らしているのだ。人間嫌いなこの男にとって、他人とほとんど接触せずに済む今の環境は、何よりありがたいものであった。
 そんな徳郁の相棒とも言うべき存在である正人は、いつもと同じように、自宅のすぐそばに車を停めた。ヘラヘラ笑いながら声をかける。

「ノリちゃん、また頼むよ。頼りにしてますぜ」

「ああ。仕事があったら頼むよ」

 ぶっきらぼうな口調で言葉を返すと、徳郁は車を降りた。自宅に向かい、真っ直ぐに歩いて行く。直後、車の走り去って行く音がした。
 徳郁は振り向きもせず、自宅に向かい歩いて行く。すると、ドアの前に一匹の黒猫がいた。右目は醜く潰れており、閉じたままの状態だ。体のあちこちには、古い傷痕がある。体は猫にしては大きくがっしりとしており、首や前足も太く逞しい。まるで仔熊のような体型である。
 そんな黒猫が、ドアの前で偉そうな態度で寝そべっている。長い尻尾をブラブラと揺らしつつ、だらんと体を伸ばしていた。見るからにリラックスした様子である。
 徳郁が近づいて行くと、黒猫は顔を上げた。残された左目で、徳郁の顔をじっと見つめている。やっと帰って来たか、とでも言っているかのような顔つきである。寝そべった姿勢を崩そうともしていない。
 すると、徳郁はにっこりと微笑んだ。歩みを止めずに進み続け、黒猫の前で立ち止まった。だが黒猫は逃げようともせずに、徳郁の顔を見上げたままだ。彼を恐れているような素振りはない。むしろ、この家の主であるかのように、悠然とした態度である。肉付きのいい体つきといい、落ち着いた態度といい、歴然の強者といった雰囲気を感じさせる。

「ただいま、クロベエ」

 そう言うと、徳郁は手を伸ばした。黒猫の肉付きのいい腹を撫で回す。それに対し、猫の方は若干ではあるが迷惑そうな表情をしている。もっとも、逃げも抵抗もせずにされるがままになっていた。
 徳郁は楽しそうに微笑みながら、ドアを開けて家に入る。すると、クロベエと呼ばれた黒猫も起き上がる。のそのそ歩き、彼の後に続いて家に入って行った。

 家の中は、がらんとしており殺風景だった。家具の類いはほとんど見当たらず、生活に潤いを与えるような物はいっさい置かれていない。かろうじてテレビと冷蔵庫、それに洗濯機があるくらいだ。
 そう、徳郁は娯楽をもたらす類いのツールを、全く必要としていなかった。テレビとラジオ、それに正人に持たされたスマホくらいは家にある。しかし、それ以外の電子機器やお洒落な家電などは持っていない。仮にあったとしても、使いこなせないのは明白だった。
 この男は、自分にとって本当に必要な物と、そうでない物をきっちりと理解している。世の中に存在している大半の物は、徳郁には必要なかった。立派な高級家具や、部屋を美しく装うための調度品などは、彼にとっては何の価値も無い。したがって、置く必要もない。
 徳郁は床にあぐらをかいて座り、正人からもらったトートバッグを置いた。中に入っている物を取り出す。それは、キャットフードの缶詰だった。高級なものばかりである。
 その缶詰を見たとたん、クロベエの様子が変わった。早くよこせと言わんばかりに、喉をゴロゴロ鳴らしながら徳郁の腕や足にまとわりつき、首や顔をこすりつけてくる。餌をもらう時だけまとわりついてくるとは、本当に現金な奴だ。思わず苦笑してしまった。

「わかったから、ちょっと待ってろよ。今、開けるからな」

 言いながら、徳郁はポケットからアーミーナイフを取り出した。缶切りやハサミなどが付いている物だ。
 缶切りの部分を使って缶を開き、中身を皿の上に空ける。
 すると、クロベエは嬉しそうな表情で食べ始めた。がっしりした体で、目を細め口を動かして食べる黒猫の姿は本当に微笑ましい。見守る徳郁の顔にも、思わず笑みが浮かんでいた。普段、冷酷な表情で人を殺し、死体をミンチに変えている姿が嘘のようだ。
 その時、外から声が聞こえてきた。声といっても、人間のものではない。犬の吠える声である。それも威嚇するような吠え声ではなく、自分の来たことを知らせるのが目的の声だ。
 苦笑しながら立ち上がる。扉を開けると、今度は一匹の犬がいた。尻を地面に着け、前足を揃えた姿勢でじっとこちらを見ている。痩せてはいるが、体は大きい。また、クロベエのように体のあちこちに傷痕がある。一見すると、灰色の毛に覆われているようだが……よく見ると、もともとの毛の色は白い。
 有り体に言えば、可愛いという部類には入らないタイプの犬である。闘いに次ぐ闘いをくぐり抜けてきた傭兵、といった雰囲気すら醸し出しているのだ。大抵の人間は、山の中でこんな犬に出会ったら怯えてしまうだろう。
 しかし、徳郁の反応は違っていた。

「なんだシロスケ、お前も来たのか。鼻の利く奴だな」

 そう言いながら、徳郁は手を伸ばした。犬の頭を撫で、優しい表情で微笑む。犬の方も嬉しそうに尻尾を振りながら、わん、と鳴いた。
 クロベエとシロスケは、この辺りに住み着いている野良猫と野良犬である。二匹は、お互いに近寄ろうとはしないし仲良くしようともしていないが、積極的に争おうともしていない。
 ただ二匹とも、徳郁のことは気に入っているらしい。毎日のように家に姿を現し、餌をねだりに来るのだ。クロベエなどは、いつの間にか家の中にまで入り込むようになってしまった。
 徳郁は、そんなクロベエとシロスケの存在のおかげで心を癒されている。友人と呼べるような人間がほとんどいない徳郁にとって、二匹はまさに親友であった。



 物心ついた時から、徳郁は他人の存在が嫌で嫌で仕方がなかった。幼稚園や小学校といった集団生活を行なう場所は、彼にとって苦痛以外の何物でもない。他人に触れられるだけで、全身を形容の出来ない不快な気持ちが駆け巡るのだ。これは理屈ではないし、潔癖症とも違う。徳郁という人間に生まれつき備わった、一種の持病のようなものである。もっとも、その事実を知っているのは、ごく一部の人間だけだが。
 そんな徳郁だが、幼い時から今に至るまで、動物が大好きだった。人間に対しては、押さえきれないほどの嫌悪感を抱いている。しかし動物に対しては、その嫌悪感は発揮されないのである。
 小学校の時など、彼は教室にほとんど居なかった。代わりに、校庭に設置されていたウサギ小屋に入り浸っていた。小屋に入り込み、ウサギと共に遊んでいたのである。
 そんな徳郁を見かねた担任の教師は、両親を学校に呼び出した。徳郁くんは、特殊学級に入れるべきだ……そう主張したのである。しかし、父と母は聞き入れなかった。結果、教師たちから煙たがられながらも、徳郁は学校に通い続ける。もっとも授業以外の時間のほとんどを、ウサギ小屋で過ごしていた。同級生たちからも煙たがられていたが、生れつき腕力が強かったため、イジメに遭うことはない。もっとも、友人も出来なかった。
 そんな幼い徳郁が将来なりたかったものは、動物園の飼育係であった。人間とかかわらず、動物とだけかかわって生活したい。それがたったひとつの夢であった。
 しかし、彼のそんなささやかな夢ですら、叶えられることはなかった。やがて成長した徳郁は、ふたりの人間を殺し少年院へと送られたのだ。





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