奴らの誇り

板倉恭司

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荒川元司編

ルール破り

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「あの野郎……」

 元司はリング下にて、低い声で呟いていた。
 リング上では、巨体の外国人レスラーが我が物顔で暴れている。肩まである長髪、異様に濃いヒゲ、筋肉に覆われた肉体、さらにワイルドな顔つき……まさに、絵に描いたようなレスラーらしい外見だ。
 この外国人、名前をグスタブ・ザ・バーバリアンといい、かつてはアメリカのメジャー団体で活躍したこともある。プロレスをやる前はアメフトの選手だったそうだが、膝を痛めてお払い箱になったらしい。
 プロフィールでは百九十八センチ、百二十キロとのことだが……身長は、実際より大きく表記している。元司の見立てでは、身長は百九十センチもないだろう。せいぜい、百八十八センチといったあたりか。それでも充分大きいが。

 そのグスタブは今、小杉俊一とのシングルマッチの真っ最中である。小杉の髪を掴み、一方的にキックを叩きこんでいる。キックとはいっても、ただ足を上げているだけなのだが。
 小杉は隙を付いて体勢を入れ換え、グスタブをロープへと振った。だが、グスタブは動かない。それどころか、小杉を力ずくで突き飛ばしたのだ。お前など、俺の相手ではない……とでも言わんばかりに。
 元司は舌打ちした。このグスタブは、妙にプライドの高い男だという話だ。今回の試合も、最終的にグスタブが勝つことになってはいる。だが、小杉も善戦したものの一歩及ばず……という形での筋書きになっていたはずだった。
 ところが、さっきからグスタブが一方的に攻めているだけだ。それも、ネコがネズミをいたぶるように、じわじわと攻めている。
 俺は、こんな小僧など相手にしていない。いつでもフォール出来るぞ……ということを観客にアピールしているのだ。小杉に花を持たせる気はないらしい。
 外国人レスラー、特にかつてメジャー団体にいた者には、たまにこういう困った輩がいる。自分はアメリカのマットでレスラーとして闘ってきたのに、今や日本のような小さな島国のリングに上がっている……本来なら、こんな場所で燻っている男ではないのに。
 そんな意識を捨てきれぬままリングに上がり、挙げ句に打ち合わせを無視して好き勝手に動く。だが本人の中では、プロレスのルールを破っているという意識はない。むしろ、自分が本物のプロレスを低レベルな日本人どもに教えてやってる……そんな信念のもとに動いているのだ。
 さらに運の悪いことに、小杉はレスラーとしては大型とは言えない体格だ。外国人レスラーの中には、体の大きい者でなければ一流レスラーとして認めない……という価値観を持つタイプもいる。グスタブは、まさにそのタイプのようだ。
 実際、試合前には「あんなひ弱なガキが相手なら、二分で終わらせていいだろ」と言ってきたらしい。そこをレフェリーの鷹野がなだめすかし、何とか打ち合わせ通りにやることを承知させたのである。

 もっとも、試合直前に鷹野はこんなことをぼやいていた。

「あのグスタブってのは、噂以上にワガママだな。打ち合わせ通りに動いてくれればいいが、ひょっとしたら、試合中に何かやらかすかもしれないな」

 どうやら、鷹野の不安は現実のものになりそうだ。

 リングでは、グスタブのパフォーマンスが続いていた。小杉に、大振りのキックを叩きこむ。
 直後に一呼吸置いたかと思うと、今度は大きく振りかぶってのチョップ。さらに小杉をロープに振り、返ってきたところにハイキック……ただし、空手やキックボクシングなどの試合で見られる回し蹴りとは違う。高く上げた足に、相手が勝手に突っ込んで来て倒れるという奇妙な技である。強いて言うなら前蹴りに似ているが、こんな蹴りを食らう格闘家はいない。
 格闘技では絶対にあり得ない、相手の協力なくして成立しない技……だが、小杉はちゃんと協力した。ロープに振られ、きっちり返ってきてグスタブの足裏を顔面に受け、リアクションと共に倒れる。
 観客の反応は今いちだが、それでもグスタブは満足そうだ。倒れている小杉を踏みつけ、さらに観客に向かい奇声を発する。
 だが、このパフォーマンスも今いちな反応だ。日本でウケるスタイルというものが分かっていないらしい……という以前に、グスタブの日本での知名度はまだ低いのだ。これは、仕方ないのかもしれない。

 リング上では、完全にグスタブが主導権を握っている。小杉を力ずくで立たせると、再びロープに振る。
 何をするかと思えば、またしてもハイキックだ。さっきと寸分違わぬ動きで、勝ち誇った表情を浮かべて足を高く上げる。
 だが、小杉はパッとしゃがみこんだ。グスタブの足の間を、さっとすり抜けていく。とたんに、女性たちの黄色い声援が上がった。
 見ている元司も、思わず唸る。小杉は、グスタブの変化に乏しい攻めにより、観客の反応がダレてきたのを見て取り、流れを変えにいったのだ。このままハイキックを食らうより、自分のターンにした方がいい……そう判断し、アドリブでキックを躱した。結果、観客は沸いている。
 このあたりのセンスは、さすがとしか言いようがない。小杉のプロレスのセンスは、天性のものだろう。
 次期エースは、小杉で間違いない。ただ問題は、線の細さだ。

 そんな元司の思いとは別に、試合は進行していく。小杉が、グスタブをロープに振った。今度はグスタブも素直に動く。ロープに振られ、勢いよく返ってきた。そこに、小杉のフライングニールキックが炸裂――
 しかし、グスタブは倒れなかった。それどころか、平然とした表情を浮かべている。
 元司の表情が歪む。あのバカは、何をやっているのだろうか……ここは倒れるか、あるいはフラつく素振りだけでもするのがセオリーなのに。
 だが、グスタブはそれだけでは止まらない。さらに自身の厚い胸板をバチンと叩き、上を向いて奇怪な声で叫ぶ。効いてないぞ、というアピールなのだ。
 すると、小杉の表情も変わってきた。先ほどからの筋書きを無視したグスタブの態度に、キレかかっているのだ。
 この小杉は、甘い顔立ちに似合わず気が強い。以前にも、外国人レスラーと乱闘寸前までいったことがある。もっとも、その時は控え室だったため、周囲の者が止めに入ったが。
 しかし、観客の前でガチの乱闘になってはシャレにならない。元司は、ちらりとレフェリーの鷹野に目で合図した。ところが、鷹野は気づいていない。おろおろした様子で、リング上の二人を見ている。
 直後、バチンという音が響いた。小杉のローキックが、グズタブの太ももに炸裂したのだ。一切の手加減なしの音である。
 さすがのグスタブも、顔色が変わった。だが、小杉はさらにローキックを叩きこみ、グスタブを睨み付ける。もはや、完全にプロレスの空気ではない――
 その時、元司がリング上に乱入した。小杉の髪の毛を掴み、ヘッドバットを食らわす。さらにヘッドロックを極めながら、リングから引きずり降ろす。

「何やってんだ。ひとまず帰るぞ」

 囁きながら、リング下で小杉を突き飛ばす。小杉もすぐさま理解し、罵声を吐きながら元司に組み付いていく。
 言うまでもなく、これでは試合にならない。元司の乱入により、無効試合となる。終了を告げるゴングが乱打され、グスタブはリングの上で唖然としている。状況がまだ飲み込めていないらしい。
 そんな中、元司と小杉は取っ組み合いながら、通路から控え室へとなだれこんで行った――



「モトさん、すみませんでしたあ!」

 控え室の扉を閉めると同時に、小杉は深々と頭を下げた。
 だが、それも当然だろう。先ほどのリング上で、小杉は完全にキレそうになっていた。あのままだったら、小杉とグスタブの間で喧嘩が始まっていたはずだ。血を見るような、本物の喧嘩が――
 プロレスのリングでやっていいのは、プロレスだけである。血なまぐさい本気の喧嘩を、観客に見せてはいけないのだ。これはプロレスにおける暗黙の掟である。
 もし、元司が機転を利かせて乱入しなければ、その見せてはいけないものが始まるところだった……。
 そう、元司は悪役レスラーである。したがって、乱入しても不自然ではない。しかも、以前にドラゴンスープレックスで小杉に敗北している。そんな因縁があるからこそ、今回の試合に乱入した……上の人間は今ごろ、そんなストーリーを考えているだろう。もっとも、筋書きを考えるのは元司の仕事ではないが。

「いいよ、気にすんな。あいつが悪いんだよ」

 元司がそう言った時、外の通路がにわかに騒がしくなる。何やら、英語でまくし立てているような声だ。
 と同時に控え室の扉が勢いよく開き、巨体の外国人が入って来た。
 グスタブである。

「何しに来たんだ? 失せろ」

 元司が冷静な口調で言ったが、グスタブには聞き入れる気配がない。小杉を指差しながら、英語でベラベラとがなりたてる。
 その様を見て、元司は眉間に皺を寄せた。

「おい、いい加減にしねえか。日本に来たなら、日本語を使え。それが無理なら、せめて通訳を連れて来いや」

 言いながら、元司はグスタブの前に立つ。すると、グスタブは口汚く罵りながら手を伸ばした。元司のTシャツの襟首を掴み、英語で怒鳴りつける。
 元司は、口元を歪めた。

「お前、喧嘩売ってんだよな? なら買ってやる」

 言った直後、元司の右腕がグスタブの首に巻き付く。一瞬にして、グスタブの首を小脇に抱えていた。
 次の瞬間、元司はぐいと力を入れて絞め上げる――
 直後、グスタブは凄まじい勢いでもがき、元司の腕を外そうとする。だが、元司は腕をロックしたまま、さらに絞め上げていく。
 やがて、グスタブの力が抜けた。腕がだらんとなり、体が一気に重みを増してくる。いわゆる「落ちる」という状態だ。
 今、元司がかけたのは変形のフロントチョークという技である。前から相手の首に腕を回し、脇に頭を抱えた体勢で首を絞め上げる。ギロチンチョークとも言われているが、極めるのは難しい技である。
 しかし、元司は簡単に極めてしまった。グスタブは僅か十秒ほどで意識を失ってしまったのである。
 前座の悪役レスラーに、強豪外国人レスラーが絞め落とされた……これは、どう考えてもまずい状況だ。

「あんた、何やってくれてんだよ……」

 不意に声が聞こえてきた。元司がそちらを見ると、扉を開けたまま硬直している男がいる。今夜のメインを務める吉田勝頼だ。吉田は呆然とした表情で、落とされたグスタブと落とした元司とを見ている。
 だが、それは一瞬だった。すぐに表情が一変し、元司を怒鳴りつける。

「何考えてんだよモトさん! こいつに会社が幾ら払って契約したか、あんた分かってんのか――」

「ま、待ってください! 俺が悪いんです! モトさんは、俺を守るためにやったんです!」

 小杉が吉田の前に立ち、何度も頭を下げる。一方、元司はすました表情だ。

「説教なら、後で聞くよ。それより、お前はこれからメインだろ。俺に構ってる暇があったら、ウォームアップくらいしとけよ」

 そう言うと、元司はグスタブの巨体を寝かせる。一方、吉田は憤然とした表情だ。

「モトさん、いい加減にしてくれよな。今はな、昭和じゃねえんだ。控え室の喧嘩で勝っても、誰も得しねえんだよ」

 吐き捨てるような口調で言うと、吉田は己の控え室へと引き上げた。

「昭和昭和うるせえんだよ。俺がデビューしたのは、平成になってからなんだけど」

 誰にともなく言った後、元司は小杉の方を向く。

「おい小杉、後は頼んだぜ。俺はそろそろ引き上げるよ。説教される前に退散しねえとな」

 ・・・

「何だとぉ? おい、どういうことだ?」

 スーツ姿の石川和治イシカワ カズハルは、受話器に向かい怒鳴り付ける。誰もいない深夜のオフィスで、その様はかなり異様であった。

(いや、だからどうしても無理だって言うんですよ。こっちも手を尽くしたんですがね、条件を呑めなきゃ出ないの一点張りで……試合をやるならブラジル、これだけは絶対に譲れないそうです)

「クソがぁ!」

 受話器を叩きつけ、石川は顔をしかめた。どうやら、世界最強の男は呼べそうにもない。



 道心会館……日本で最大のフルコンタクト空手団体である。石川は、その道心会館の館長にして、総合格闘技イベント『Dー1』のプロモーターでもある。彼は武道家というよりは、むしろ商売人といった方が正しいだろう。実際、その風貌もビジネスマンらしいものだ。
 現在、Dー1のヘビー級チャンピオンはマルコ・パトリックだ。マルコはもともとキックボクシングの選手であり、現在は総合格闘技の選手として活躍している。シャープな顔つきと筋肉質の肉体、さらにキックボクシング仕込みの打撃技を中心としたスタイルで、ファンからの支持を集めている。
 しかも現在、総合の試合において敵無しである。今のところ、九連勝中なのだ。特にハイキックによるKOシーンは、芸術的とまでいわれている。また試合中は常に無表情のため、付いたあだ名が格闘マシンだ。実際、その試合ぶりは冷静そのものである。決して熱くならず、クールな表情で対戦相手を追いつめ仕留める……観客に、そんな印象を与えていた。
 次の試合では、世界最強といわれたリクソン・クランシーと対決をするはずだった。そもそも、アメリカ初の総合格闘技イベントであるリーサル・ファイトにおいて、優勝したのがクランシー柔術を習得したロイス・クランシーだ。リクソンは、そのロイスの兄である。
 クランシーの一族中でも、最強といわれていたリクソン……四百戦無敗などという触れ込みであり、数々の武勇伝を持つ男だ。もっとも、実際に無敗かどうかは怪しいものであるが。
 石川は、そのリクソンをDー1のリングに上げようと、水面下でずっと交渉を続けていたのである。
 マルコVSリクソン……そのカードが仮に実現した場合、石川の読みでは、ほぼ間違いなくマルコが勝つはずであった。リクソンは、あくまで過去の選手である。体格も八十キロ台だ。いかにテクニックが優れていようと、今のヘビー級選手に太刀打ちできるとは思えない。
 一方のマルコは、百九十センチに百十キロの体格である。体脂肪率の低い筋肉質の体で、顔は打撃系の格闘家らしからぬ端正なものである。イケメン格闘家として、女性誌に特集が組まれたこともあった。
 年齢も二十六歳で、選手としては今がピークであろう。
 そんなマルコを、年末の試合でリクソンと闘わせる。本来の実力を発揮すれば、まず間違いなくマルコが勝つ。そうすれば、Dー1不動のエースとして売り出していける。万が一、マルコが敗れたとしても……世界最強の男リクソンならば傷は付かない。むしろ、リクソンへのリベンジという今後のストーリーも出来る。どちらに転んでも美味しい話だ。実際、途中までは上手くいっていた。
 ところが、突然リクソンが無理難題を言ってきたのだ。ギャラ、ルールの問題、挙げ句の果てには日本ではやらないとも……これでは話にならない。計画は頓挫してしまった。



「こりゃあ、どうしたもんかな……」

 石川は、独りで呟いた。
 まだ交渉する時間はあるが、今のリクソンにはやる気がない。恐らく無敗の男のまま引退し、次はビジネスの世界に入るつもりなのだろう。マルコの強さを知り、これでは勝ち目が無い……と判断したのかもしれない。

「こりゃあ、どうしたもんかな……」

 頭を抱えながら、石川はまた同じ言葉を呟いていた。リクソンをDー1のリングに上げ、世界最強の男を決める……そうすれば、東京ドームを満員に出来たのは間違いない。さらに巨額の金が動く上、石川和治の名を格闘技の歴史に残るものに出来たはずだった。
 しかし、リクソンを担ぎ出せないのでは……全ては水の泡である。
 マルコVSリクソン戦の代わりになるような試合を組めればいいのだが、それは非常に難しい。リクソンは本当の実力はともかく、話題性だけなら超一流だ。彼こそが世界最強という幻想は、日本の格闘技ファンの間では未だに根強く残っている。
 そこまで話題性のある選手が、どこにいるというのだろうか?





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