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荒川元司編
ルール破り
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「あの野郎……」
元司はリング下にて、低い声で呟いていた。
リング上では、巨体の外国人レスラーが我が物顔で暴れている。肩まである長髪、異様に濃いヒゲ、筋肉に覆われた肉体、さらにワイルドな顔つき……まさに、絵に描いたようなレスラーらしい外見だ。
この外国人、名前をグスタブ・ザ・バーバリアンといい、かつてはアメリカのメジャー団体で活躍したこともある。プロレスをやる前はアメフトの選手だったそうだが、膝を痛めてお払い箱になったらしい。
プロフィールでは百九十八センチ、百二十キロとのことだが……身長は、実際より大きく表記している。元司の見立てでは、身長は百九十センチもないだろう。せいぜい、百八十八センチといったあたりか。それでも充分大きいが。
そのグスタブは今、小杉俊一とのシングルマッチの真っ最中である。小杉の髪を掴み、一方的にキックを叩きこんでいる。キックとはいっても、ただ足を上げているだけなのだが。
小杉は隙を付いて体勢を入れ換え、グスタブをロープへと振った。だが、グスタブは動かない。それどころか、小杉を力ずくで突き飛ばしたのだ。お前など、俺の相手ではない……とでも言わんばかりに。
元司は舌打ちした。このグスタブは、妙にプライドの高い男だという話だ。今回の試合も、最終的にグスタブが勝つことになってはいる。だが、小杉も善戦したものの一歩及ばず……という形での筋書きになっていたはずだった。
ところが、さっきからグスタブが一方的に攻めているだけだ。それも、ネコがネズミをいたぶるように、じわじわと攻めている。
俺は、こんな小僧など相手にしていない。いつでもフォール出来るぞ……ということを観客にアピールしているのだ。小杉に花を持たせる気はないらしい。
外国人レスラー、特にかつてメジャー団体にいた者には、たまにこういう困った輩がいる。自分はアメリカのマットでレスラーとして闘ってきたのに、今や日本のような小さな島国のリングに上がっている……本来なら、こんな場所で燻っている男ではないのに。
そんな意識を捨てきれぬままリングに上がり、挙げ句に打ち合わせを無視して好き勝手に動く。だが本人の中では、プロレスのルールを破っているという意識はない。むしろ、自分が本物のプロレスを低レベルな日本人どもに教えてやってる……そんな信念のもとに動いているのだ。
さらに運の悪いことに、小杉はレスラーとしては大型とは言えない体格だ。外国人レスラーの中には、体の大きい者でなければ一流レスラーとして認めない……という価値観を持つタイプもいる。グスタブは、まさにそのタイプのようだ。
実際、試合前には「あんなひ弱なガキが相手なら、二分で終わらせていいだろ」と言ってきたらしい。そこをレフェリーの鷹野がなだめすかし、何とか打ち合わせ通りにやることを承知させたのである。
もっとも、試合直前に鷹野はこんなことをぼやいていた。
「あのグスタブってのは、噂以上にワガママだな。打ち合わせ通りに動いてくれればいいが、ひょっとしたら、試合中に何かやらかすかもしれないな」
どうやら、鷹野の不安は現実のものになりそうだ。
リングでは、グスタブのパフォーマンスが続いていた。小杉に、大振りのキックを叩きこむ。
直後に一呼吸置いたかと思うと、今度は大きく振りかぶってのチョップ。さらに小杉をロープに振り、返ってきたところにハイキック……ただし、空手やキックボクシングなどの試合で見られる回し蹴りとは違う。高く上げた足に、相手が勝手に突っ込んで来て倒れるという奇妙な技である。強いて言うなら前蹴りに似ているが、こんな蹴りを食らう格闘家はいない。
格闘技では絶対にあり得ない、相手の協力なくして成立しない技……だが、小杉はちゃんと協力した。ロープに振られ、きっちり返ってきてグスタブの足裏を顔面に受け、リアクションと共に倒れる。
観客の反応は今いちだが、それでもグスタブは満足そうだ。倒れている小杉を踏みつけ、さらに観客に向かい奇声を発する。
だが、このパフォーマンスも今いちな反応だ。日本でウケるスタイルというものが分かっていないらしい……という以前に、グスタブの日本での知名度はまだ低いのだ。これは、仕方ないのかもしれない。
リング上では、完全にグスタブが主導権を握っている。小杉を力ずくで立たせると、再びロープに振る。
何をするかと思えば、またしてもハイキックだ。さっきと寸分違わぬ動きで、勝ち誇った表情を浮かべて足を高く上げる。
だが、小杉はパッとしゃがみこんだ。グスタブの足の間を、さっとすり抜けていく。とたんに、女性たちの黄色い声援が上がった。
見ている元司も、思わず唸る。小杉は、グスタブの変化に乏しい攻めにより、観客の反応がダレてきたのを見て取り、流れを変えにいったのだ。このままハイキックを食らうより、自分のターンにした方がいい……そう判断し、アドリブでキックを躱した。結果、観客は沸いている。
このあたりのセンスは、さすがとしか言いようがない。小杉のプロレスのセンスは、天性のものだろう。
次期エースは、小杉で間違いない。ただ問題は、線の細さだ。
そんな元司の思いとは別に、試合は進行していく。小杉が、グスタブをロープに振った。今度はグスタブも素直に動く。ロープに振られ、勢いよく返ってきた。そこに、小杉のフライングニールキックが炸裂――
しかし、グスタブは倒れなかった。それどころか、平然とした表情を浮かべている。
元司の表情が歪む。あのバカは、何をやっているのだろうか……ここは倒れるか、あるいはフラつく素振りだけでもするのがセオリーなのに。
だが、グスタブはそれだけでは止まらない。さらに自身の厚い胸板をバチンと叩き、上を向いて奇怪な声で叫ぶ。効いてないぞ、というアピールなのだ。
すると、小杉の表情も変わってきた。先ほどからの筋書きを無視したグスタブの態度に、キレかかっているのだ。
この小杉は、甘い顔立ちに似合わず気が強い。以前にも、外国人レスラーと乱闘寸前までいったことがある。もっとも、その時は控え室だったため、周囲の者が止めに入ったが。
しかし、観客の前でガチの乱闘になってはシャレにならない。元司は、ちらりとレフェリーの鷹野に目で合図した。ところが、鷹野は気づいていない。おろおろした様子で、リング上の二人を見ている。
直後、バチンという音が響いた。小杉のローキックが、グズタブの太ももに炸裂したのだ。一切の手加減なしの音である。
さすがのグスタブも、顔色が変わった。だが、小杉はさらにローキックを叩きこみ、グスタブを睨み付ける。もはや、完全にプロレスの空気ではない――
その時、元司がリング上に乱入した。小杉の髪の毛を掴み、ヘッドバットを食らわす。さらにヘッドロックを極めながら、リングから引きずり降ろす。
「何やってんだ。ひとまず帰るぞ」
囁きながら、リング下で小杉を突き飛ばす。小杉もすぐさま理解し、罵声を吐きながら元司に組み付いていく。
言うまでもなく、これでは試合にならない。元司の乱入により、無効試合となる。終了を告げるゴングが乱打され、グスタブはリングの上で唖然としている。状況がまだ飲み込めていないらしい。
そんな中、元司と小杉は取っ組み合いながら、通路から控え室へとなだれこんで行った――
「モトさん、すみませんでしたあ!」
控え室の扉を閉めると同時に、小杉は深々と頭を下げた。
だが、それも当然だろう。先ほどのリング上で、小杉は完全にキレそうになっていた。あのままだったら、小杉とグスタブの間で喧嘩が始まっていたはずだ。血を見るような、本物の喧嘩が――
プロレスのリングでやっていいのは、プロレスだけである。血なまぐさい本気の喧嘩を、観客に見せてはいけないのだ。これはプロレスにおける暗黙の掟である。
もし、元司が機転を利かせて乱入しなければ、その見せてはいけないものが始まるところだった……。
そう、元司は悪役レスラーである。したがって、乱入しても不自然ではない。しかも、以前にドラゴンスープレックスで小杉に敗北している。そんな因縁があるからこそ、今回の試合に乱入した……上の人間は今ごろ、そんなストーリーを考えているだろう。もっとも、筋書きを考えるのは元司の仕事ではないが。
「いいよ、気にすんな。あいつが悪いんだよ」
元司がそう言った時、外の通路がにわかに騒がしくなる。何やら、英語でまくし立てているような声だ。
と同時に控え室の扉が勢いよく開き、巨体の外国人が入って来た。
グスタブである。
「何しに来たんだ? 失せろ」
元司が冷静な口調で言ったが、グスタブには聞き入れる気配がない。小杉を指差しながら、英語でベラベラとがなりたてる。
その様を見て、元司は眉間に皺を寄せた。
「おい、いい加減にしねえか。日本に来たなら、日本語を使え。それが無理なら、せめて通訳を連れて来いや」
言いながら、元司はグスタブの前に立つ。すると、グスタブは口汚く罵りながら手を伸ばした。元司のTシャツの襟首を掴み、英語で怒鳴りつける。
元司は、口元を歪めた。
「お前、喧嘩売ってんだよな? なら買ってやる」
言った直後、元司の右腕がグスタブの首に巻き付く。一瞬にして、グスタブの首を小脇に抱えていた。
次の瞬間、元司はぐいと力を入れて絞め上げる――
直後、グスタブは凄まじい勢いでもがき、元司の腕を外そうとする。だが、元司は腕をロックしたまま、さらに絞め上げていく。
やがて、グスタブの力が抜けた。腕がだらんとなり、体が一気に重みを増してくる。いわゆる「落ちる」という状態だ。
今、元司がかけたのは変形のフロントチョークという技である。前から相手の首に腕を回し、脇に頭を抱えた体勢で首を絞め上げる。ギロチンチョークとも言われているが、極めるのは難しい技である。
しかし、元司は簡単に極めてしまった。グスタブは僅か十秒ほどで意識を失ってしまったのである。
前座の悪役レスラーに、強豪外国人レスラーが絞め落とされた……これは、どう考えてもまずい状況だ。
「あんた、何やってくれてんだよ……」
不意に声が聞こえてきた。元司がそちらを見ると、扉を開けたまま硬直している男がいる。今夜のメインを務める吉田勝頼だ。吉田は呆然とした表情で、落とされたグスタブと落とした元司とを見ている。
だが、それは一瞬だった。すぐに表情が一変し、元司を怒鳴りつける。
「何考えてんだよモトさん! こいつに会社が幾ら払って契約したか、あんた分かってんのか――」
「ま、待ってください! 俺が悪いんです! モトさんは、俺を守るためにやったんです!」
小杉が吉田の前に立ち、何度も頭を下げる。一方、元司はすました表情だ。
「説教なら、後で聞くよ。それより、お前はこれからメインだろ。俺に構ってる暇があったら、ウォームアップくらいしとけよ」
そう言うと、元司はグスタブの巨体を寝かせる。一方、吉田は憤然とした表情だ。
「モトさん、いい加減にしてくれよな。今はな、昭和じゃねえんだ。控え室の喧嘩で勝っても、誰も得しねえんだよ」
吐き捨てるような口調で言うと、吉田は己の控え室へと引き上げた。
「昭和昭和うるせえんだよ。俺がデビューしたのは、平成になってからなんだけど」
誰にともなく言った後、元司は小杉の方を向く。
「おい小杉、後は頼んだぜ。俺はそろそろ引き上げるよ。説教される前に退散しねえとな」
・・・
「何だとぉ? おい、どういうことだ?」
スーツ姿の石川和治は、受話器に向かい怒鳴り付ける。誰もいない深夜のオフィスで、その様はかなり異様であった。
(いや、だからどうしても無理だって言うんですよ。こっちも手を尽くしたんですがね、条件を呑めなきゃ出ないの一点張りで……試合をやるならブラジル、これだけは絶対に譲れないそうです)
「クソがぁ!」
受話器を叩きつけ、石川は顔をしかめた。どうやら、世界最強の男は呼べそうにもない。
道心会館……日本で最大のフルコンタクト空手団体である。石川は、その道心会館の館長にして、総合格闘技イベント『Dー1』のプロモーターでもある。彼は武道家というよりは、むしろ商売人といった方が正しいだろう。実際、その風貌もビジネスマンらしいものだ。
現在、Dー1のヘビー級チャンピオンはマルコ・パトリックだ。マルコはもともとキックボクシングの選手であり、現在は総合格闘技の選手として活躍している。シャープな顔つきと筋肉質の肉体、さらにキックボクシング仕込みの打撃技を中心としたスタイルで、ファンからの支持を集めている。
しかも現在、総合の試合において敵無しである。今のところ、九連勝中なのだ。特にハイキックによるKOシーンは、芸術的とまでいわれている。また試合中は常に無表情のため、付いたあだ名が格闘マシンだ。実際、その試合ぶりは冷静そのものである。決して熱くならず、クールな表情で対戦相手を追いつめ仕留める……観客に、そんな印象を与えていた。
次の試合では、世界最強といわれたリクソン・クランシーと対決をするはずだった。そもそも、アメリカ初の総合格闘技イベントであるリーサル・ファイトにおいて、優勝したのがクランシー柔術を習得したロイス・クランシーだ。リクソンは、そのロイスの兄である。
クランシーの一族中でも、最強といわれていたリクソン……四百戦無敗などという触れ込みであり、数々の武勇伝を持つ男だ。もっとも、実際に無敗かどうかは怪しいものであるが。
石川は、そのリクソンをDー1のリングに上げようと、水面下でずっと交渉を続けていたのである。
マルコVSリクソン……そのカードが仮に実現した場合、石川の読みでは、ほぼ間違いなくマルコが勝つはずであった。リクソンは、あくまで過去の選手である。体格も八十キロ台だ。いかにテクニックが優れていようと、今のヘビー級選手に太刀打ちできるとは思えない。
一方のマルコは、百九十センチに百十キロの体格である。体脂肪率の低い筋肉質の体で、顔は打撃系の格闘家らしからぬ端正なものである。イケメン格闘家として、女性誌に特集が組まれたこともあった。
年齢も二十六歳で、選手としては今がピークであろう。
そんなマルコを、年末の試合でリクソンと闘わせる。本来の実力を発揮すれば、まず間違いなくマルコが勝つ。そうすれば、Dー1不動のエースとして売り出していける。万が一、マルコが敗れたとしても……世界最強の男リクソンならば傷は付かない。むしろ、リクソンへのリベンジという今後のストーリーも出来る。どちらに転んでも美味しい話だ。実際、途中までは上手くいっていた。
ところが、突然リクソンが無理難題を言ってきたのだ。ギャラ、ルールの問題、挙げ句の果てには日本ではやらないとも……これでは話にならない。計画は頓挫してしまった。
「こりゃあ、どうしたもんかな……」
石川は、独りで呟いた。
まだ交渉する時間はあるが、今のリクソンにはやる気がない。恐らく無敗の男のまま引退し、次はビジネスの世界に入るつもりなのだろう。マルコの強さを知り、これでは勝ち目が無い……と判断したのかもしれない。
「こりゃあ、どうしたもんかな……」
頭を抱えながら、石川はまた同じ言葉を呟いていた。リクソンをDー1のリングに上げ、世界最強の男を決める……そうすれば、東京ドームを満員に出来たのは間違いない。さらに巨額の金が動く上、石川和治の名を格闘技の歴史に残るものに出来たはずだった。
しかし、リクソンを担ぎ出せないのでは……全ては水の泡である。
マルコVSリクソン戦の代わりになるような試合を組めればいいのだが、それは非常に難しい。リクソンは本当の実力はともかく、話題性だけなら超一流だ。彼こそが世界最強という幻想は、日本の格闘技ファンの間では未だに根強く残っている。
そこまで話題性のある選手が、どこにいるというのだろうか?
元司はリング下にて、低い声で呟いていた。
リング上では、巨体の外国人レスラーが我が物顔で暴れている。肩まである長髪、異様に濃いヒゲ、筋肉に覆われた肉体、さらにワイルドな顔つき……まさに、絵に描いたようなレスラーらしい外見だ。
この外国人、名前をグスタブ・ザ・バーバリアンといい、かつてはアメリカのメジャー団体で活躍したこともある。プロレスをやる前はアメフトの選手だったそうだが、膝を痛めてお払い箱になったらしい。
プロフィールでは百九十八センチ、百二十キロとのことだが……身長は、実際より大きく表記している。元司の見立てでは、身長は百九十センチもないだろう。せいぜい、百八十八センチといったあたりか。それでも充分大きいが。
そのグスタブは今、小杉俊一とのシングルマッチの真っ最中である。小杉の髪を掴み、一方的にキックを叩きこんでいる。キックとはいっても、ただ足を上げているだけなのだが。
小杉は隙を付いて体勢を入れ換え、グスタブをロープへと振った。だが、グスタブは動かない。それどころか、小杉を力ずくで突き飛ばしたのだ。お前など、俺の相手ではない……とでも言わんばかりに。
元司は舌打ちした。このグスタブは、妙にプライドの高い男だという話だ。今回の試合も、最終的にグスタブが勝つことになってはいる。だが、小杉も善戦したものの一歩及ばず……という形での筋書きになっていたはずだった。
ところが、さっきからグスタブが一方的に攻めているだけだ。それも、ネコがネズミをいたぶるように、じわじわと攻めている。
俺は、こんな小僧など相手にしていない。いつでもフォール出来るぞ……ということを観客にアピールしているのだ。小杉に花を持たせる気はないらしい。
外国人レスラー、特にかつてメジャー団体にいた者には、たまにこういう困った輩がいる。自分はアメリカのマットでレスラーとして闘ってきたのに、今や日本のような小さな島国のリングに上がっている……本来なら、こんな場所で燻っている男ではないのに。
そんな意識を捨てきれぬままリングに上がり、挙げ句に打ち合わせを無視して好き勝手に動く。だが本人の中では、プロレスのルールを破っているという意識はない。むしろ、自分が本物のプロレスを低レベルな日本人どもに教えてやってる……そんな信念のもとに動いているのだ。
さらに運の悪いことに、小杉はレスラーとしては大型とは言えない体格だ。外国人レスラーの中には、体の大きい者でなければ一流レスラーとして認めない……という価値観を持つタイプもいる。グスタブは、まさにそのタイプのようだ。
実際、試合前には「あんなひ弱なガキが相手なら、二分で終わらせていいだろ」と言ってきたらしい。そこをレフェリーの鷹野がなだめすかし、何とか打ち合わせ通りにやることを承知させたのである。
もっとも、試合直前に鷹野はこんなことをぼやいていた。
「あのグスタブってのは、噂以上にワガママだな。打ち合わせ通りに動いてくれればいいが、ひょっとしたら、試合中に何かやらかすかもしれないな」
どうやら、鷹野の不安は現実のものになりそうだ。
リングでは、グスタブのパフォーマンスが続いていた。小杉に、大振りのキックを叩きこむ。
直後に一呼吸置いたかと思うと、今度は大きく振りかぶってのチョップ。さらに小杉をロープに振り、返ってきたところにハイキック……ただし、空手やキックボクシングなどの試合で見られる回し蹴りとは違う。高く上げた足に、相手が勝手に突っ込んで来て倒れるという奇妙な技である。強いて言うなら前蹴りに似ているが、こんな蹴りを食らう格闘家はいない。
格闘技では絶対にあり得ない、相手の協力なくして成立しない技……だが、小杉はちゃんと協力した。ロープに振られ、きっちり返ってきてグスタブの足裏を顔面に受け、リアクションと共に倒れる。
観客の反応は今いちだが、それでもグスタブは満足そうだ。倒れている小杉を踏みつけ、さらに観客に向かい奇声を発する。
だが、このパフォーマンスも今いちな反応だ。日本でウケるスタイルというものが分かっていないらしい……という以前に、グスタブの日本での知名度はまだ低いのだ。これは、仕方ないのかもしれない。
リング上では、完全にグスタブが主導権を握っている。小杉を力ずくで立たせると、再びロープに振る。
何をするかと思えば、またしてもハイキックだ。さっきと寸分違わぬ動きで、勝ち誇った表情を浮かべて足を高く上げる。
だが、小杉はパッとしゃがみこんだ。グスタブの足の間を、さっとすり抜けていく。とたんに、女性たちの黄色い声援が上がった。
見ている元司も、思わず唸る。小杉は、グスタブの変化に乏しい攻めにより、観客の反応がダレてきたのを見て取り、流れを変えにいったのだ。このままハイキックを食らうより、自分のターンにした方がいい……そう判断し、アドリブでキックを躱した。結果、観客は沸いている。
このあたりのセンスは、さすがとしか言いようがない。小杉のプロレスのセンスは、天性のものだろう。
次期エースは、小杉で間違いない。ただ問題は、線の細さだ。
そんな元司の思いとは別に、試合は進行していく。小杉が、グスタブをロープに振った。今度はグスタブも素直に動く。ロープに振られ、勢いよく返ってきた。そこに、小杉のフライングニールキックが炸裂――
しかし、グスタブは倒れなかった。それどころか、平然とした表情を浮かべている。
元司の表情が歪む。あのバカは、何をやっているのだろうか……ここは倒れるか、あるいはフラつく素振りだけでもするのがセオリーなのに。
だが、グスタブはそれだけでは止まらない。さらに自身の厚い胸板をバチンと叩き、上を向いて奇怪な声で叫ぶ。効いてないぞ、というアピールなのだ。
すると、小杉の表情も変わってきた。先ほどからの筋書きを無視したグスタブの態度に、キレかかっているのだ。
この小杉は、甘い顔立ちに似合わず気が強い。以前にも、外国人レスラーと乱闘寸前までいったことがある。もっとも、その時は控え室だったため、周囲の者が止めに入ったが。
しかし、観客の前でガチの乱闘になってはシャレにならない。元司は、ちらりとレフェリーの鷹野に目で合図した。ところが、鷹野は気づいていない。おろおろした様子で、リング上の二人を見ている。
直後、バチンという音が響いた。小杉のローキックが、グズタブの太ももに炸裂したのだ。一切の手加減なしの音である。
さすがのグスタブも、顔色が変わった。だが、小杉はさらにローキックを叩きこみ、グスタブを睨み付ける。もはや、完全にプロレスの空気ではない――
その時、元司がリング上に乱入した。小杉の髪の毛を掴み、ヘッドバットを食らわす。さらにヘッドロックを極めながら、リングから引きずり降ろす。
「何やってんだ。ひとまず帰るぞ」
囁きながら、リング下で小杉を突き飛ばす。小杉もすぐさま理解し、罵声を吐きながら元司に組み付いていく。
言うまでもなく、これでは試合にならない。元司の乱入により、無効試合となる。終了を告げるゴングが乱打され、グスタブはリングの上で唖然としている。状況がまだ飲み込めていないらしい。
そんな中、元司と小杉は取っ組み合いながら、通路から控え室へとなだれこんで行った――
「モトさん、すみませんでしたあ!」
控え室の扉を閉めると同時に、小杉は深々と頭を下げた。
だが、それも当然だろう。先ほどのリング上で、小杉は完全にキレそうになっていた。あのままだったら、小杉とグスタブの間で喧嘩が始まっていたはずだ。血を見るような、本物の喧嘩が――
プロレスのリングでやっていいのは、プロレスだけである。血なまぐさい本気の喧嘩を、観客に見せてはいけないのだ。これはプロレスにおける暗黙の掟である。
もし、元司が機転を利かせて乱入しなければ、その見せてはいけないものが始まるところだった……。
そう、元司は悪役レスラーである。したがって、乱入しても不自然ではない。しかも、以前にドラゴンスープレックスで小杉に敗北している。そんな因縁があるからこそ、今回の試合に乱入した……上の人間は今ごろ、そんなストーリーを考えているだろう。もっとも、筋書きを考えるのは元司の仕事ではないが。
「いいよ、気にすんな。あいつが悪いんだよ」
元司がそう言った時、外の通路がにわかに騒がしくなる。何やら、英語でまくし立てているような声だ。
と同時に控え室の扉が勢いよく開き、巨体の外国人が入って来た。
グスタブである。
「何しに来たんだ? 失せろ」
元司が冷静な口調で言ったが、グスタブには聞き入れる気配がない。小杉を指差しながら、英語でベラベラとがなりたてる。
その様を見て、元司は眉間に皺を寄せた。
「おい、いい加減にしねえか。日本に来たなら、日本語を使え。それが無理なら、せめて通訳を連れて来いや」
言いながら、元司はグスタブの前に立つ。すると、グスタブは口汚く罵りながら手を伸ばした。元司のTシャツの襟首を掴み、英語で怒鳴りつける。
元司は、口元を歪めた。
「お前、喧嘩売ってんだよな? なら買ってやる」
言った直後、元司の右腕がグスタブの首に巻き付く。一瞬にして、グスタブの首を小脇に抱えていた。
次の瞬間、元司はぐいと力を入れて絞め上げる――
直後、グスタブは凄まじい勢いでもがき、元司の腕を外そうとする。だが、元司は腕をロックしたまま、さらに絞め上げていく。
やがて、グスタブの力が抜けた。腕がだらんとなり、体が一気に重みを増してくる。いわゆる「落ちる」という状態だ。
今、元司がかけたのは変形のフロントチョークという技である。前から相手の首に腕を回し、脇に頭を抱えた体勢で首を絞め上げる。ギロチンチョークとも言われているが、極めるのは難しい技である。
しかし、元司は簡単に極めてしまった。グスタブは僅か十秒ほどで意識を失ってしまったのである。
前座の悪役レスラーに、強豪外国人レスラーが絞め落とされた……これは、どう考えてもまずい状況だ。
「あんた、何やってくれてんだよ……」
不意に声が聞こえてきた。元司がそちらを見ると、扉を開けたまま硬直している男がいる。今夜のメインを務める吉田勝頼だ。吉田は呆然とした表情で、落とされたグスタブと落とした元司とを見ている。
だが、それは一瞬だった。すぐに表情が一変し、元司を怒鳴りつける。
「何考えてんだよモトさん! こいつに会社が幾ら払って契約したか、あんた分かってんのか――」
「ま、待ってください! 俺が悪いんです! モトさんは、俺を守るためにやったんです!」
小杉が吉田の前に立ち、何度も頭を下げる。一方、元司はすました表情だ。
「説教なら、後で聞くよ。それより、お前はこれからメインだろ。俺に構ってる暇があったら、ウォームアップくらいしとけよ」
そう言うと、元司はグスタブの巨体を寝かせる。一方、吉田は憤然とした表情だ。
「モトさん、いい加減にしてくれよな。今はな、昭和じゃねえんだ。控え室の喧嘩で勝っても、誰も得しねえんだよ」
吐き捨てるような口調で言うと、吉田は己の控え室へと引き上げた。
「昭和昭和うるせえんだよ。俺がデビューしたのは、平成になってからなんだけど」
誰にともなく言った後、元司は小杉の方を向く。
「おい小杉、後は頼んだぜ。俺はそろそろ引き上げるよ。説教される前に退散しねえとな」
・・・
「何だとぉ? おい、どういうことだ?」
スーツ姿の石川和治は、受話器に向かい怒鳴り付ける。誰もいない深夜のオフィスで、その様はかなり異様であった。
(いや、だからどうしても無理だって言うんですよ。こっちも手を尽くしたんですがね、条件を呑めなきゃ出ないの一点張りで……試合をやるならブラジル、これだけは絶対に譲れないそうです)
「クソがぁ!」
受話器を叩きつけ、石川は顔をしかめた。どうやら、世界最強の男は呼べそうにもない。
道心会館……日本で最大のフルコンタクト空手団体である。石川は、その道心会館の館長にして、総合格闘技イベント『Dー1』のプロモーターでもある。彼は武道家というよりは、むしろ商売人といった方が正しいだろう。実際、その風貌もビジネスマンらしいものだ。
現在、Dー1のヘビー級チャンピオンはマルコ・パトリックだ。マルコはもともとキックボクシングの選手であり、現在は総合格闘技の選手として活躍している。シャープな顔つきと筋肉質の肉体、さらにキックボクシング仕込みの打撃技を中心としたスタイルで、ファンからの支持を集めている。
しかも現在、総合の試合において敵無しである。今のところ、九連勝中なのだ。特にハイキックによるKOシーンは、芸術的とまでいわれている。また試合中は常に無表情のため、付いたあだ名が格闘マシンだ。実際、その試合ぶりは冷静そのものである。決して熱くならず、クールな表情で対戦相手を追いつめ仕留める……観客に、そんな印象を与えていた。
次の試合では、世界最強といわれたリクソン・クランシーと対決をするはずだった。そもそも、アメリカ初の総合格闘技イベントであるリーサル・ファイトにおいて、優勝したのがクランシー柔術を習得したロイス・クランシーだ。リクソンは、そのロイスの兄である。
クランシーの一族中でも、最強といわれていたリクソン……四百戦無敗などという触れ込みであり、数々の武勇伝を持つ男だ。もっとも、実際に無敗かどうかは怪しいものであるが。
石川は、そのリクソンをDー1のリングに上げようと、水面下でずっと交渉を続けていたのである。
マルコVSリクソン……そのカードが仮に実現した場合、石川の読みでは、ほぼ間違いなくマルコが勝つはずであった。リクソンは、あくまで過去の選手である。体格も八十キロ台だ。いかにテクニックが優れていようと、今のヘビー級選手に太刀打ちできるとは思えない。
一方のマルコは、百九十センチに百十キロの体格である。体脂肪率の低い筋肉質の体で、顔は打撃系の格闘家らしからぬ端正なものである。イケメン格闘家として、女性誌に特集が組まれたこともあった。
年齢も二十六歳で、選手としては今がピークであろう。
そんなマルコを、年末の試合でリクソンと闘わせる。本来の実力を発揮すれば、まず間違いなくマルコが勝つ。そうすれば、Dー1不動のエースとして売り出していける。万が一、マルコが敗れたとしても……世界最強の男リクソンならば傷は付かない。むしろ、リクソンへのリベンジという今後のストーリーも出来る。どちらに転んでも美味しい話だ。実際、途中までは上手くいっていた。
ところが、突然リクソンが無理難題を言ってきたのだ。ギャラ、ルールの問題、挙げ句の果てには日本ではやらないとも……これでは話にならない。計画は頓挫してしまった。
「こりゃあ、どうしたもんかな……」
石川は、独りで呟いた。
まだ交渉する時間はあるが、今のリクソンにはやる気がない。恐らく無敗の男のまま引退し、次はビジネスの世界に入るつもりなのだろう。マルコの強さを知り、これでは勝ち目が無い……と判断したのかもしれない。
「こりゃあ、どうしたもんかな……」
頭を抱えながら、石川はまた同じ言葉を呟いていた。リクソンをDー1のリングに上げ、世界最強の男を決める……そうすれば、東京ドームを満員に出来たのは間違いない。さらに巨額の金が動く上、石川和治の名を格闘技の歴史に残るものに出来たはずだった。
しかし、リクソンを担ぎ出せないのでは……全ては水の泡である。
マルコVSリクソン戦の代わりになるような試合を組めればいいのだが、それは非常に難しい。リクソンは本当の実力はともかく、話題性だけなら超一流だ。彼こそが世界最強という幻想は、日本の格闘技ファンの間では未だに根強く残っている。
そこまで話題性のある選手が、どこにいるというのだろうか?
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「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
女子高生は卒業間近の先輩に告白する。全裸で。
矢木羽研
恋愛
図書委員の女子高生(小柄ちっぱい眼鏡)が、卒業間近の先輩男子に告白します。全裸で。
女の子が裸になるだけの話。それ以上の行為はありません。
取って付けたようなバレンタインネタあり。
カクヨムでも同内容で公開しています。
おてんばプロレスの女神たち ~男子で、女子大生で、女子プロレスラーのジュリーという生き方~
ちひろ
青春
おてんば女子大学初の“男子の女子大生”ジュリー。憧れの大学生活では想定外のジレンマを抱えながらも、涼子先輩が立ち上げた女子プロレスごっこ団体・おてんばプロレスで開花し、地元のプロレスファン(特にオッさん連中!)をとりこに。青春派プロレスノベル「おてんばプロレスの女神たち」のアナザーストーリー。
進め!羽柴村プロレス団!
宮代芥
大衆娯楽
関東某所にある羽柴村。人口1000人にも満たないこの村は、その人口に見合わないほどの発展を見せている。それはこの村には『羽柴村プロレス』と呼ばれるプロレス団があるからだ!
普段はさまざまな仕事に就いている彼らが、月に一度、最初の土曜日に興行を行う。社会人レスラーである彼らは、ある行事を控えていた。
それこそが子どもと大人がプロレスで勝負する、という『子どもの日プロレス』である。
大人は子どもを見守り、その成長を助ける存在でなくてならないが、時として彼らの成長を促すために壁として立ちはだかる。それこそがこの祭りの狙いなのである。
両輪が離婚し、環境を変えるためにこの村に引っ越してきた黒木正晴。ひょんなことから大人と試合をすることになってしまった小学三年生の彼は、果たしてどんな戦いを見せるのか!?
校長先生の話が長い、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
学校によっては、毎週聞かされることになる校長先生の挨拶。
学校で一番多忙なはずのトップの話はなぜこんなにも長いのか。
とあるテレビ番組で関連書籍が取り上げられたが、実はそれが理由ではなかった。
寒々とした体育館で長時間体育座りをさせられるのはなぜ?
なぜ女子だけが前列に集められるのか?
そこには生徒が知りえることのない深い闇があった。
新年を迎え各地で始業式が始まるこの季節。
あなたの学校でも、実際に起きていることかもしれない。
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