地獄の渡し守

板倉恭司

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ミーナ編

ニコライ、チャーリーから話を聞く

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 ボリスがリムルと遊んでいる時、ニコライは店の奥でのんびりと座っていた。
 彼の一日は、基本的に退屈なものだ。何せ、来るかどうかもわからない客を待つのが仕事である。店に並べられている品物は、売っている本人ですら何に使うのかわからない物が大半である。よほどのマニアでもない限り、わざわざ買いに来る者などいない。
 今日もニコライは、客の来ない店内に居て、売れる見込みのほとんど無い商品を並べ、奥で椅子に座り、ぼーっとしていた。いつもなら、これはボリスの役目である。しかし、彼は今リムルにつきっきりであった。



 ニコライが退屈のあまりうとうとしていた時だった。不意にドアが開き、ひとりの少年が店内に入って来たのだ。

「あ、あなたがニコライさん?」

 恐る恐る、といった態度で聞いてきたのは、近所で見かける少年だった。顔は知っているが、名前は知らない。言葉を交わした記憶もない。年齢は十代の半ばだろうか。とぼけた風貌であり、女の子にはモテそうにない。

「ああ、俺がニコライだよ。どうかしたの?」

 ニコニコしながら尋ねるニコライに、少年はためらいながらも口を開く。

「俺、チャーリーっていうんだ。ちょっとさ、ニコライさんに頼みたいことがあるんだよ。あんた、幽霊が見えるんだよね?」

「まあ、見えるといえば見えるけど……どういうこと?」

「それがさ、俺にもよく分からないんだよ。俺の友だちの話だけど、学校の近くの道路に、変なのが立ってるんだって」

 その言葉に、ニコライは首を傾げた。

「なんだい、そりゃあ。変質者でもいるの?」

「いや、変質者じゃないんだよ。綺麗な女の人が立ってるんだって」

「えっ? 女ぁ?」

 またしても首を傾げる。綺麗な女の人が立っている……となると、変質者には思えない。むしろ、可愛い女の子の変質者なら、お目にかかりたいものだ。
 一方、少年は訳知り顔で頷く。

「そうなんだよ。友だちが、あそこに女の人が立ってる……なんて言ってたんだ。で俺が行ってみたんだけど、誰もいない。だから、これは幽霊なんじゃないかと思ったんだ」

「なるほど。そりゃ厄介だな」

 本当に厄介だった。
 ごく稀ではあるが、死者を見ることの出来る人間がいる。ニコライのように言葉を交わしたり触れたりは出来ないが、常人の目には映らないはずの死者をはっきりと見てしまう。
 これは、不幸以外の何物でもない。一般人にとって、死者が見えたところで何も得しないのだ。周りの人間には見えないものが、見えてしまう……ニコライも、最初は苦労した。

「俺、どうすればいいのかな?」

 すがるような目で尋ねるチャーリーに、ニコライは答える。

「じゃあ、とりあえず行ってみようか」

「えっ、どこに?」

「その、女がいたって場所さ」

 そう言うと、ニコライは奥の部屋に顔を向ける。

「ボリス、俺ちょっと出かけるからな」



 やがてふたりは、小さな空き地に到着した。周囲にはロープが張られ、地面の土が剥き出しになっている。かつては古い民家が建てられていたのだが、最近になって取り壊しになったらしい。

「ここだよ。ここに、若い綺麗な女の人が立っていたらしいんだけど」

 言いながら、チャーリーは空き地を指差した。ニコライは目を凝らし、その辺りをよく見てみる。だが、それらしき者の姿は無い。

「ニコライさん、どう? いる?」

 好奇心を露にして聞いてきたチャーリーに、ニコライは首を振った。

「いや、今はいないみたいだね。本当にここなのかい?」

「うん、そう聞いたんだけど……」

 チャーリーは、興味津々といった様子でキョロキョロしている。時おり、期待するかのような視線をニコライの方に向ける。
 一方、ニコライはじっと空き地を見つめた。確かに、妙な気配を感じる。だが、その正体は分からない。いったい何なのだろう。
 ただひとつ言えるのは……今のところ、ここには何もいないということだけだ。少なくとも、ニコライの目には何も見えない。

「今のところは何も見えないね。もしかしたら、他の場所に行っているのかもしれない」

「えっ、そうなの?」

「うん。少なくとも、俺の目には何も見えないな。その女の子ってのは、何時ごろに出るんだい?」

 ニコライの問いに、チャーリーは思案するような表情で下を向いた。
 ややあって、口を開く。

「確か……五時か六時ごろだったかな。とにかく、大人の目撃者はひとりもいないんだよ。見たのは、十歳の男の子だけなんだよね」

「じゃあ、その子に会って聞いてみたいな。会わせてくれない?」

「いや、それがちょっと面倒なことになってて……」

 顔をしかめながら、チャーリーは語り始めた。

 ・・・

 チャーリーの知り合いであるリバーは、小柄で物静かな少年だった。外で遊ぶような活発なタイプでなく、友だちもいない。たいていはひとりで行動しており、騒ぎを起こしたりすることもない。ごく普通の、おとなしい少年であった。
 そんなリバーが、ある日いきなり訴えてきたのだ。

「変な女の人が追いかけて来た! 助けて!」

 チャーリーとしては、ただただ面食らうばかりだった。変な女の人……いったい何者だろうか。
 もっとも、この街では女の強盗も存在する。だから、単に強盗に襲われただけかもしれない。そもそも、チャーリーの見た目は、かなり頼りなさそうである。とても強そうには見えないのだが。
 気のいいチャーリーは、怯えるリバーに言われるがまま、首を傾げながらも付いて行った。
 しかし、そこには何もいない。

「あの、何もいないんだけど……」

「いや、さっきまではここにいたんだ!」

「だけど、今は誰もいないよ。本当に、ここに居たのかい?」

 首を傾げながら尋ねた。ほんの軽い気持ちから出た言葉である。チャーリーにとって、大した意味は無いはずの言葉だった。
 しかし、リバーの反応は異様だった。悔しそうな表情でチャーリーを睨み、怒鳴った。

「チャーリーまで、僕を嘘つき呼ばわりすんのか!」

 後から知ったのだが、リバーはたびたび似たようなことを言い、周囲の大人たちから嘘つき呼ばわりされていたのだという。
 その件以来、リバーは家にこもって出てこなくなってしまった。

 ・・・

「なるほどねえ。そんな事情があったのかい」

 納得した表情で、頷くニコライ。彼には、リバーの気持ちがよく分かる。ニコライもまた、何度も嘘つき呼ばわりされたのだ。

「そうなんだよ。だから、ニコライさんに来てもらったんだけどさ……幽霊はいるの? いないの?」

「今はいないよ。どこかに行っているのかもしれないな」

 言いながら、ニコライはもう一度、空き地に目を凝らした。確かに、何かを感じる……。
 ニコライはこれまで、数多くの死者と関わってきた。命を失い、肉体と魂が切り離され、それでも冥界に旅立てずに現世をさ迷う者たち。そんな彼らが、現世に留まる理由は様々だ。しかし、ひとつだけ確かなことがある。
 魂だけの状態で長く現世に留まっていれば、それは確実に、この世界に悪い影響をもたらす。時には、生きている人間に取り憑くことさえある。
 そうなった場合、取り憑かれた者には哀れな末路が待っている。もっとも、取り憑かれる側にも取り憑かれるだけの理由があるのだが。

「チャーリー、俺はその子に会ってみたいな。まずは、リバーから話を聞いてみないと何とも言えないよ」

「やっぱり、そうか……でも、会ってくれるかわからないんだよね。俺、あいつを怒らせちゃったし」

 言いながら、チャーリーは顔をしかめる。
 ニコライは、目の前の少年をじっと見つめた。この少年、見た目は頼りない。実際に頼りない部分はある。しかし、優しい性格であるのは間違いない。また、どんな人間が相手でも、分け隔てなく普通に接することが出来るタイプだ。恐らくは、リバーにとって唯一の友だちだったのだ。
 その唯一の友だちに、自身の言葉を疑われた……これは、本人にとってショックなことだろう。

「気持ちはわからないでもないけどな、まずはリバーに会わないと話にならない。その子が本当のことを言っているのか、嘘を言っているのか、今は分からない。でも、リバーが問題を抱えているのは間違いなさそうだ。だから、俺は会っておきたいんだよ」




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