地獄の渡し守

板倉恭司

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ミーナ編

ミーナ、叱られる

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「話はわかりました。それで、あなたはどうしたいのです?」

 真面目くさった顔つきで、ボリスは尋ねる。
 彼の目の前には、ミーナが座っていた。ふたりは店の奥の部屋で、木製のテーブルを挟み向かい合って座っている。ここまでは、普段通りの光景だ。
 ところが、普段とは違う点もある。床の上に、幼い少女が寝かされているのだ。まだ十歳にもなっていないだろう。赤い髪は短く刈られており、一目見ただけでは、女の子だとはわからないかもしれない。毛布を敷いた床の上で、すやすや眠っている。
 ミーナは、そんな少女をちらりと見た。

「だ、だから、この子をあんたん所で預かって欲しいんだよ」

 普段のような、厚顔にして傲慢な態度は消えている。今の彼女は、落ち着きのなさが目立っていた。口ぶりにも、慌てているような雰囲気が感じられた。本人としても、似合わないことをしているという自覚があるらしい。
 そんな彼女に対し、ボリスは容赦がなかった。

「なぜですか?」

「はあ?」

「なぜ、私たちがこの少女を預からねばならないのです?」

 冷たい口調だ。横で見ているニコライは、我関せずの態度をとっている。しかし内心では、ボリスの態度に驚いていた。この男が、今のように容赦ない態度でミーナに接するのを見たのは初めてだ。
 ひょっとしたら、モンスターとの闘いが彼を変えたのかもしれない。

「お、お前たちは、この子がかわいそうだと思わないのか! 両親をゴブリンに殺され、行くあてがないんだよ!? お前たちは、そこまで人でなしだったのかい!?」

 対するミーナは、明らかに動揺している。ボリスが、まさかこんな態度に出るとは思わなかったのだろう。立ち上がり、怒りに満ちた顔で怒鳴り付けるが、今ひとつ迫力に欠ける。子供が駄々をこねているようにも見えた。
 一方のボリスは、怒鳴られても表情ひとつ変えない。余裕すら感じさせる態度で口を開く。

「そう思われるのでしたら、あなたが御自分で面倒をみてはいかがです?」

「えっ……」

「わざわざ少女を助けておきながら、自分で世話するのは嫌だから我々に押し付ける……これは、あまりにも虫がよすぎるのではないですか。この少女に、最初に手をさしのべたのはあなたです。ならば、あなたが面倒をみるべきです」

 理路整然とした口調で、ボリスは己の考えを語る。その時、横からニコライが口を挟んだ。

「話の途中で悪いがな、ちょいと客が来たらしい。どうするかは、ふたりで話し合ってくれよ」

 言ったかと思うと、すぐに立ち上がる。扉を開け、部屋を出て行こうとした。だが、ミーナが慌てて叫ぶ。

「ちょっと待ってくれよ!」

 しかし、ニコライは止まらない。彼女を無視し、店に出て行った。
 一方、ボリスは語り続ける。

「我々は慈善家ではありませんし、ここも孤児院ではありません。身寄りのない少女を連れて来られたからといって、報酬も無しにただで世話をするわけにはいかないのですよ。そこで、提案があります」

「な、なんだい」

「あなたが眠っている昼間の時間は、我々がこの少女の面倒をみます。その代わり、夜はあなたが世話をしてください」

「はあ!? ちょっと待ってよ! そんなこと──」

「私は、これでも譲歩しているつもりですよ。この条件が無理だというなら、お引き受けできません」

 ミーナの素っ頓狂な声を遮り、ボリスは重々しい口調で言い放つ。
 すると、彼女は苦悶の表情を浮かべた。

「バンパイアのあたしが、人間の娘を育てる……そんなの、無理に決まってるだろ」

「あなたは、もとは人間です。ならば、人間の娘を育てることに、それほど無理があるとは思いません」

「もし、あたしがこの子の血を吸ったら……」

「あなたには、プロナクスがあります。ちゃんと飲んでおけば、吸血の欲求は押さえられるはずです」

 素っ気ない態度で言い放つボリス。直後、彼は立ち上がる。

「これは客観的に見ても、無理のある提案とは思えません。それでも無理だというのなら、お引き受けできません。どうしますか?」

「わ、わかったよ」

 ・・・

 その頃。
 店を出たニコライの前には、男女が並んで立っていた。男は三十代、女は二十代か。旅人のような服装だ。落ち着かない様子で、キョロキョロ周りを見回している。
 辺りは暗闇に覆われ、他に人通りはない。このゴーダムで、日が沈んだ後に外を出歩くのは自殺行為である。したがって、誰も彼らのことを見ていなかった。
 もっとも、一般人がこの風景を見たとしても、ニコライの姿しか見えていないだろう。そう、このふたりは死者なのだ。
 そんなふたりに、そっと声をかけた。

「あんたら、俺に用だろ」

 ビクリと反応したふたりに、ニコライは優しく語りかける。

「その様子だと、死んだばっかりって感じだな。で、何の用だい?」 

 すると、男の方が口を開いた。

「うちの子供が、ここに運ばれるのを見た。どうする気だ?」

 その言葉に、クスリと笑うニコライ。

「なるほど、そういうことか。あのお姉さんと俺たちで、子供の面倒を見ることにしたんだよ。立派に育ててみせる。だから、心配するな」

 すると、今度は女が口を開いた。

「うちの子は、喋れないの」

「えっ、そうだったの?」

「あの子の名前はリムル。喋れないけど、頭も良くて活発な子よ。それと、チーズや牛乳が大好きなの」

「ほうほう、リムルちゃんね。喋れないけどチーズや牛乳が好き、と。わかったよ」

 羊皮紙を取りだし、聞いた話をメモしたニコライ。その姿を見て、女は深々と頭を下げる。

「リムルのこと、よろしくお願いします。あたしたちには、あなた以外に頼れる人がいません」

「大丈夫だよ。リムルちゃんのことは、俺たちみんなでしっかりと面倒をみるからさ。だから、安心してあの世に行きな」

 ニコライは笑みを浮かべる。その時、父親がおずおずとした態度で口を開く。

「あのう、もう少しここに留まらせてもらっていいですか? リムルのことを、見ていたいんです」

 その時、ニコライの表情が曇った。少しの間を置き、ゆっくりとかぶりを振る。

「気持ちはわかるけどな、それはやめた方がいいよ」

「どうしてですか?」

「いいかい、ここは本来なら生者の住む世界だ。そこに、死者であるあんたらが留まると……だんだんと理性が消えていき、記憶も薄れていく。やがて、自分が何者かも忘れてしまう。そこで終わってくれればいいが、大半は悪霊になり現世に留まり続ける」

「悪霊……ですか」

「そうさ。悪霊になっちまった奴は、生者への恨みや妬みの感情に支配され、この街をさまよう。挙げ句、生者に取り憑き化け物になっちまう奴までいる。俺たちはそれを、成れ果てと呼んでいる」

「成れ果て?」

「ああ。成れ果てになっちまった奴は、人間ではなくなる。化け物みたいな姿になり、生者への恨みや妬みの感情に突き動かされ、殺戮を繰り返す。下手をすれば、あんたの娘を狙うことになるかもしれないんだぞ」

 ニコライの言葉に、ふたりは顔を見合わせた。無言で、じっと見つめ合う。言葉にならないやり取りがあるのだろう。
 ややあって、ニコライは再び声をかける。

「わかってくれ。あんたらは、さっさとあっちの世界に逝った方がいいんだ。でないと、化け物と化して娘を殺すことになるかもしれない」

 すると、ふたりはこちらを向く。その瞳には、涙が溢れていた。いつもながら、不思議な光景である。死者が涙を流す……その涙は、いったい何で出来ているのだろう。
 死者の涙は、どんな味がするのだろうか。

「わかりました」

「では、娘のことをよろしくお願いします」

 ふたりは、そう言った。ニコライは、己に出来る限りの頼もしい表情で答える。

「ああ、任せてくれ」




  
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